第68話 郊外村
南門を出て少し左に歩くと、すぐに郊外村に着いた。
(行列……プルデリオ家では湯船に池まであるのに……)
一番手前では、城壁の上部に空いた穴から流れ出る上水を、順番に集めている様子が見られる。日本で普通の洗い物をするときに出す水くらいの量は出てきているが、これっぽっちでたくさんの人が生活するのは、さぞかし大変だろう。
そして、その上水穴のすぐ下には、下水の穴とくっついて通用門が開き、そのまま村のすぐ横を下水の溝が通っている。
(下水の川の真横で上水を汲むなんて)
城壁がない分、風が流れて城壁内ほど臭いは感じないが、野グソ場に台所があるような構図が、気になってしょうがない。
夜間などに、汲みきれなかった上水が通るための上水小川と、それに並行している下水溝に沿って、少し目線を奥に進める。
小川に沿うようにして、ほったて小屋が数多く並んでいた。段ボールハウスの方がまだ密閉されて見えるほど、すき間だらけだ。
「ここが、郊外村……」
生気も活気もない様子で、ただあるがままを受け入れて生きる村人たちがそこにいた。
(ここがこんなに荒地でなければ……魔力さえ満ちていれば、自分たちで畑を耕して生きることができるのに)
自分に魔力が備わっていないのが口惜しい。それか、ショベルカーでもクラフトできれば、せめて上流から分水して水を引けるのに。水がもっとあれば、もう少し楽に清潔に暮らせるだろうに。
もちろんショベルカーはクラフトできないようで、スキルは無言を貫いている。
「俺らはほとんど足で稼いで回ってるんで、ここにはたまに来るくらいっすけど、自分て無力だなぁって気になるっすよね」
道中の市で買った食料を、大袋いっぱいに包んでムリーナに乗せてきているフェラドが、肩を落とす。
こうやって、行商でほそぼそと儲けては、ここの人たちに食料を振る舞ってきたようだ。ライチももちろん、フェラドとメルカト同様に食料たんまりの大袋を用意してムリーナに持ってもらっている。
「……あれは?」
集落の輪からさらに外れたところに、小屋ですらなく、テントのようなものでキャンプをしている人たちがいる。
楽器を持つ旅人のような風貌の人や、ごろつき風の人が見えた。
「郊外村に定住してない、流れの人たちっすね。
昔メルカトを襲ってきたのも、ああいう感じの遠巻きに見てくるやつらだったっす。ライチさんも気をつけて。村では皆で守り合ってるんでまだ大丈夫っすけど、別の用事で来る日があったら、一人にはならないようにしてくださいっす」
そうだ。ここは栄えた街の目の前で、水を補給できる無法地帯。宿泊料も無しに滞在できるなら、いくらでも利用者はいるだろう。
村人をターゲットにして悪さを働いても、基本それを裁く者は、誰もいないのだ。
「ありがとう。気をつけるよ」
(こんな場で、もし子供や女性が狙われたら……)
身近なメルカトが実際に襲われていることを思うと、おそらくそんな被害も日常茶飯事に違いない。
弱者を襲う、不届き者たち。
自分の家族がもし……と考えただけで、そういう思考の人たちは、まとめてモンスターにでも襲われてほしくなる。
(言葉も通じない、力で敵わない存在に、敵意を向けられる恐怖を、身をもって知ればいいのに……)
これは、この村のいろいろな改善点の中に、村全体に柵のようなものを設置することも入れなくてはいけないようだ。
こんな場所にいたら、のびのびと子育てができるわけがない。
スーパーバクテリアくんで、城壁内の下水処理の仕事もいらなくなっていく予定だし、早く住環境も良くしていきたいところである。
「フェ兄と、メル兄が帰ってきた」
「ほんとだ」
「食べ物、ちょうだい」
「ちょうだい」
西門や南門で物ごいをしているはずの子供たちが、いつの間にか情報伝達があったのか、わらわらと戻って来た。
フェラドとメルカトと一緒に、ライチも大きな袋を広げて、パンや干し肉、果物などを配る。
「フェ兄、メル兄、いつもありがとう」
ガリガリの男の子がパンを抱きしめてお礼を言う。
「このお兄ちゃんにもお礼を言いな、前に粉ユキミルクをくれた人だぞ」
「あの粉をくれた人? パンも食べれなくなってフラフラだった人や、赤ちゃんが、急に元気になったんだ。
魔法の粉をくれた、命の、恩人だ」
いのちのおんじん、という言葉が子供たちに広がり、ざわつきになると、その声を聞いた村人がぞろぞろと家から出てくる。
「あぁ……あなたが……。ありがとう、ありがとう」
がさがさにヒビ割れた両手を胸に当て、頭を垂れられる。神への祈りのポーズだ。生気はないが、どの人の顔も感謝で色づいて見えた。
「少なかったけど、お役に立ててよかったです。また必ず、届けに来ますね」
そう言うライチに、周りは力のない笑顔を見せた。
「……ぅお?!」
足に突然の衝撃。
見ると、一人の女の子がライチの足にしがみついていた。六歳くらいだろうか。フェラドが声を掛ける。
「ペサ、どうした?」
「……弟、もう、だめかと思ったの。前の弟も、おんなじように泣かなくなって、だめだったから。
……でも、あなたの粉をあげたら、どんどん元気になってきたの。今も少しずつ大事に使ってる。
あなたは神様の使い。弟を助けてくれて、ありがとう」
(この子は、弟を……)
以前どんな気持ちで弟を見送り、今回はどんな気持ちで、泣き声が小さくなっていく弟を見守っていたのだろう。ここではそんな光景が、日常なのだろうか。
ルノが、動かなくなっていくロクの手を握るイメージがよぎった瞬間、ライチは鼻の奥がツンとして涙ぐんでしまった。
「ペサちゃん。俺が、かならず……必ず、なんとかするからな。それまで待っててくれな」
「……うん……」
ペサは俯いて、さらに強くライチの足にしがみついた。
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「俺とムリーナの家はここっす。中を片付けて、次の人が使えるように村長に引き継がないとなんで、後で寄るっすね。
メルカトんちはここ。うちの真正面で、なんかあったらすぐお互いヘルプできるようにしてあるっす」
二人の家は、向かい合う一畳ほどのぼろぼろの小屋だった。
(冬がしのげるとは思えない家だな……)
すき間風どころか、ほぼ風のまま入ってきそうな、風通し抜群の小屋である。村ではどうやって寒さから身を守っているのだろうか。
「肥溜め池はここからちょっと歩いたところっす。行きましょっか」
下水溝に沿って、緩やかな傾斜を下って、徒歩十五分ほど。
パパサーチにより全体が発光している茶色い沼に着いた。
「着いたっすよ。一応溢れないように、深め、広めに作ってある、大きな池らしいっす」
「あれ? 臭いやヘドロ感はともかく、結構花とかも咲いてるし、生命力のある雰囲気じゃないか」
下水の水分や糞尿を栄養にしているのか、荒れ地のオアシスのように、ここだけやたら木や草が茂っている。
(なんだ……黒い……彼岸花?)
薄ら寒さを覚えるほど、ほんのり赤みの入った黒い彼岸花のような花が、肥溜め池を取り囲んでびっしりと生えている。何物もこの池に近づかせるものかという、威圧感を感じるほどの群生っぷりだ。
前の世界には黒い彼岸花はなかったが、実際に見るとホラーのイメージが強く、不気味すぎる。夜にここに来たら、ちょっとした物音でちびってしまいそうだ。
「農村だと肥溜めなんてただの肥やし場だし、こんなにいろいろ生えてるなら、もっと街の人も何かしら集めに来ても良さそうなのに」
ライチの素朴な疑問に、二人が答えてくれた。
「農村からしたら肥やしっすけど、畑のないカステリナからしたら、ただの汚くて臭い場所っすね。別に生活に困ってない人たちの街っすし」
「街の人たちは、貴族の生活を回すために働いているところも大きいですからね。郊外村の人たちはちょくちょく来ては、ほそぼそと生えている食用の野草を摘んで帰ってるようですよ」
「そうか……撒く畑がなければ、ただの汚物のたまり場か……」
ライチはそう納得して、そっと黒彼岸花もどきをかき分けた。池の中でも一番サーチの光が強い場所へ近づく。
(どれくらい必要なんだろう。とりあえず持って帰れる最大量持ち帰ろう)
プルデリオ家に用途を伝えて借りてきた下水用の柄杓のような匙を、迷いなく肥溜め池に突き入れ始めたライチに、二人が悲鳴をあげる。
「な、何してんすかライチさん!ばっちぃっすよ、ばっちぃ!そんなもん持ち帰ったらプルデリオさんに怒られるっすよ」
「そうですよ!新しい素材にするにしても、もっと良いものはないんですか?! 肥溜め池から作ったものなんて誰も必要としませんよ……!」
ライチは作業の手は止めず、同様に説明して借りてきた不浄物オッケーの壺に、サーチで光るバクテリアたちを入れながら苦笑した。
(気持ちはわかる。目の前で、大便から何か作って売り出そう〜♪とクラフトしてるやつがいたら、俺も全力で止める)
「……実は、今日は、汚物を食べて綺麗にしてくれる小さな生き物を採りに来たんだ。街に入ったとき、あまりの臭いに驚いたし、それが最後、郊外村を通ってるのが気になってしょうがなくてさ。
儲け話じゃないのに、ここまで付き合わせて申し訳ない」
二人はその話を聞いてポカンとした。
「……その、今すくってる液体に、生き物が入ってるんすか? ぜんぜん、俺には見えないっすけど」
「よしんば、今 水に浮いてる生き物がそこにいるとして、汚物を食べたあとはどうなるんですか? 食べたらまた糞が出るのでは? それに、今は浮いているなら、流れてしまわないんですか?」
はてなマークだらけの二人に、ライチは簡単に説明する。
「うーんと、今採っている生き物は強化前で、強化に成功すると、少量で下水溝にしがみついてくれて、そこに居続けて食べてくれるはずなんだ。強化の方法は……企業秘密でお願いします。
糞は……」
サーチでは『無臭で衛生的な土や、微量ガスへ変換します』と言われたが、その土がどうなるのかまでは考えていなかった。
サラサラと下水に乗って流れてくれるならいいが、『水のひみつ』の番組では、確かスラッジという、バイオフィルムやヘドロの、粘土のようなものになって沈殿していたような……?
もしそうなったら、今とは臭いも清潔度も段違いではあるが、結局は日々ドブさらいをする人員が必要になってしまう。それは、ライチの思い描いていた街の景色とは違った気がした。
(クラフトさん、サーチさん。スーパーバクテリアくんが下水処理をしたあとはどうなる? 俺は掃除なしでも綺麗な下水溝や、各家庭の下水桶をクラフトしたかったんだけど……)
文句と注文ばかりになるが、マイスキルである。そこは許してほしいところだ。
(…………)
しばらく待ち時間が訪れる。思案中なのだろうか。




