第66話 行商人の今後
「……ということは、ライチさんとの旅も、ここで一段落、ですね」
「なかなか驚くことばっかで、楽しかったっすけどね」
全員の食後。
静かに交渉の成り行きを見守ってくれていたメルカトとフェラドが、別れを匂わせる言葉をかけてきた。
市民登録は一緒の行商人にしていたから、なんとなくこれからも繋がりがあると思っていたが……。
確かに、ここに拠点ができてしまうと、素材集めの流れで会えるスピネラ村の皆とは違って、行商人の二人とは基本お別れになってしまう。
「俺もさすがに今日にはオスティアに向かわねぇとな。ムリーナがいねぇと、馬でぴゅーっと戻れるんだが……さすがに部下たちにどやされちまう」
トルヴェルもそれに乗っかってお別れ感を出してくる。
日数にしてみればほんの短い間だったが、三人にはとことん良くしてもらったし、知り合いのいない異世界での、ほそぼそとした繋がりが切れるのは、日本のそれより、随分と心細いものである。
「そろそろ別の村の方の行商の準備も始めないと、俺らが来るのを待ってる人がいるっすからねぇ」
「ライチさんがここにいてくれるなら、ヘアケアの売り上げを渡したり、相談したりもしやすくて、助かります」
そうだった。フェラドにもメルカトにも、やりたいことと仕事があるのだ。ライチの感傷に付き合わせるわけにはいかない。
「二人がスピネラ村からここまで俺を連れてきてくれたおかげで、知ることのできた世界が山ほどあるよ。右も左も何も分からない俺に、匙も投げずに一つ一つ丁寧に教えてくれて本当にありがとう。
トルヴェルさんも、短い間だったけど、本当に頼りになるアニキで、お世話になりっぱなしでした」
心細さを振り切って、笑顔でお礼を述べた。ここまで連れてきてもらったからには、そろそろ独り立ちしていかねば。
そう心を決めるライチの横から、プルデリオの何気ない声が響いた。
「すでに組合長であるお義父さんは別として、メルカト君は、ヘアケアや他の新製品の売り出し担当。フェラド君は、人を使っての農村からの素材調達の元締め担当。……と、『ライチ君の価値を知ってる者』で、まとめて囲い込みをさせてもらえると、こちらとしては使い勝手が良くて非常に助かるのだが……これに関して、どう思う?」
その提案に、行商人二人が、ポカンとした顔で静止する。
「行商人には、別の者を推薦しよう。……そもそも、レニス川上流、スピネラ村方面での商いは、オスティアの管轄だ。お義父さん……オスティアから人材を派遣してもらうといいだろう」
「そうだな。いつの間にか推薦推薦でカステリナ中心街の方の行商人がこっちに出張ってきてたが、本来は最寄りのオスティアが取引するのが、筋ってもんだ」
トルヴェルも、うんうんと加勢する。話の流れが、お別れムードから一転。スカウトモードに切り替わっている。
「……俺……は……カステリナでの商売は……」
メルカトが絞り出すように声をあげる。
そうだ。メルカトは、ご実家の良いとこの家が、多分ここカステリナにあって、どうも思い出したくもないし、離れていきたい様子なのだった。こんな間近で商売をしてしまっては、エンカウントするのは時間の問題だ。
「……メルカト。嘘言っちゃいけないっすよ。俺、三年間、一番そばでメルカトを見てきたっすけど……今が一番、楽しそうっす。
メルカトは絶対、商売をした方がいいし、もっともっと大きなお金を動かす方が、性に合ってると思うっす」
いつもはチャラっとしたフェラドが、真面目なお兄さんの顔でメルカトを諭している。
「家がなくなっても、俺との出会いがたまたまだとしても、それでも行“商人”て、商売やっちゃってるじゃないっすか。商売が大好きなんすよ。あの家にさえ帰らなければ、きっと大丈夫っす。
俺は……学もないし、頭は使えないし、品もないし、ここでも役に立たないだろうけど、メルカトは、違うっす。ぜったい、ここで好きに暴れたほうがいいっす」
なんだか聞いていて、感動してきてしまった。
家には帰れない、良いところ生まれの年下くんを、自分の商売もままならないなか、必死にお世話してきたお兄ちゃんの、三年間が目に浮かぶようだ。
「俺は……メルカトほどはお役に立てないかもだけど……。ぶきっちょで役に立てなかった家族に、良い思いをさせてやりたいって目標があるから、ステップアップできるなら、頑張りたいっす。
どんな環境でも音を上げないし、足なら自信があるんで、ぜひここで雇って欲しいっす」
フェラドが先に心を決めたようだ。一生懸命なお辞儀を、プルデリオが受け取る。
メルカトは無言で床を見つめていた。
「…………」
「お前さんはこの先一生、行商人で生きていくのか? ヘアケア製品、あんなにガッツリ売る気満々でいるのにか?」
年長者のトルヴェルが静かに声を掛ける。
「……ライチさんと同じく、しばらく考えてみます」
ぼそりと、床に落ちるような声でメルカトは返事をした。
「……行商に関してですが、これは俺の決定に関わらず、すぐに動いたほうがいいかと思います。
スピネラ村の新製品を作る速度が尋常ではなかったので、早急に“プルデリオ銀路”のように大規模整備で整えて、大きな馬車が通れるようにするか、行商人を増やすかするのは必須だと思います。
更に、スピネラ村の隣のオレウム村の方でも、ライチさんの指導により甘味シートを作ってるそうなので、我々二人では元より手が足りません。すぐにオスティアから行商人を出してもらえると、ありがたいです。
今後俺一人で行商人を続けるかは……今は何とも言えません。すみません」
それだけ過去に対する思いが強いのだろう。一同はその返答を受け取って、一つ頷いた。
「よっしゃ。それぞれの今後はこれでおおむね決まったな。行商人の方は任せとけ。買い取ったものをどうするかはギルドホールの会議で決まるとして、買い取りと運搬をしないことには始まらねぇからな。
オスティアはオスティアでヘアケア製品づくりを進めていくからよ、カステリナの方はメルカトたちとプルデリオで頼んだぜ」
「あ……今はライチさんの売り上げだけ、ギルドカードで支払っていますが、スピネラ村には、手持ちの塩などだけ渡していて、まだ支払い全ては済んでいないんです。買い取りのお金を今からトルヴェルさんに送るので、塩などに替えて届けてほしいんですが、かまいませんか?」
そう言えばそうだった。村の甘味シートや、カヤたちの布は、少しの塩や蜂蜜などに変えられたところで止まっているのだ。
(ティモ、エルノ、シーラ……皆元気かなぁ)
ちょっと遠出のつもりが、思ったよりこちらに長くいることになりそうだ。
早めに飛車を買い上げて、農耕用の牛なんかとともに、颯爽と乗り入れたいものである。
「おうよ、任せとけ。
……ちびっこたち〜、おりこうさんに待ってたな〜♡ 今日はおけいこはちょっと休憩して、じぃじの出発まで、お池で遊ぼうな。船乗りの孫なら、まずは泳げねぇとな〜」
「みじゅあそじ、する〜」
「今度こそ顔が浸けれるように頑張ります……!」
(あの池って泳いで良いやつなんだ……)
どう見ても観賞用だが、この場でそれをツッコむ人はいないようだ。孫との残り時間が少ないトルヴェルじぃじは、嬉しそうな孫二人を抱えて、いそいそとフェードアウトしていった。
「……ふむ。フェラド君は今後は従業員扱いになるので、従業員棟や、今後の仕事について、さっそく案内をさせよう。……メルカト君も、先のことは分からないが、一緒に回って聞いてくるといい。
ライチ君は今後もお客人として扱うので、こちらで今回の新レシピについて商談させてほしい」
老紳士がフェラドとメルカトを連れて出ていく。ちょっとしたスイーツパーティーのつもりが、二人の人生を大きく変えるかもしれない朝となってしまった。なんだか責任重大である。
(……あ。それを言うなら自分もか)
「……本来は、交渉をして、情報料の支払いが成されてから、情報の開示……という手順なのだが、今回はすでに厨房全体に知識がバラまかれてしまっている。ライチ君は儲けを諦めて泣き寝入りするか、こちらの善意に全依存して、言い値で売るしかなくなっているのだが……それは理解しているかな?」
狼プルデリオと、商魂アルジーナに挟まれて、ライチは蛇に睨まれた蛙のように小さくなった。
「泊めてもらった恩返しくらいにしか思ってませんでした、ハイ、すみません……。そんなに価値のあるものだとはつゆ知らず……」
「新しい知識というものは、本当に価値のあるものでしてよ。決して安売りをなさいませんように。お気をつけくださいな」
アルジーナが凛とした富豪嫁の姿で諭す。この様子だけ見たら、素が“アレ”だとは、誰ひとり気づかないだろう。
「おそらく君に値段を聞いても、適正な価格はつけてもらえないことと思われるので、今回はこちらから指定をさせていただこう。……本来は可能な限り買い叩くものだが……今後の繋がりも考えて、適正価格にさせていただく。以後気をつけてくれ」
「はい……」
小さくなるライチに、プルデリオが続ける。
「また、情報には、完全譲渡と、条件付き譲渡の二種類の誓約方法がある。
ヘアケア製品のように、完全に譲渡する場合は、その情報はライチ君の手を離れるわけなので、好きに周知拡散されていく。その際、利益の分け前をもらうのか、それさえも放棄するのかを選択することになる。
条件付き譲渡の場合は、情報は伝えるが、その情報の扱いについては握るやり方だ。この場合、情報伝達の相手を制限したり、情報を拡散させないで利益の分け前だけ取ったりするなどの方法が選択される。
……君はどうしたい?」
「え……と……。すみません、全然分かりませんでした」
正直にそのままの感想を伝える。早すぎて全然分からなかった。プルデリオが一瞬固まって、ふ、と小さく息を吐いて気を取り直す。
「レシピを好きに売り散らしていいか? と聞いている」
なるほど、とてもわかり易くなった。
「美味しいものはどんどん広げてください。……あ、でも、レシピを売ったお金からいくらかもらってもいいですか?」
「先ほどその話をしていたんだが……。
いいだろう。妥当なラインは二割だ。ある程度拡散したら収入が見込めなくなるような知識はこのあたりが妥当だ。覚えておくように。これで誓約をさせてもらおう」
これで、ライチがレシピを出せば出すほど、そして、プルデリオがそれを貴族などに売れば売るほど、ライチの懐が潤う仕組みができあがった。
プルデリオが示したレシピの金額は、プリン・ミルクレープ・タルト生地のレシピが十万G、りんごのカラメリゼと飾り盛りが五万G、カスタードクリームが三万Gだった。しめて三十八万Gである。
つまり、早朝クッキングの儲けが、三八〇万円ということだ。
(料理って三時間くらいやってたっけ? つまり、時給、百三十万円弱……? ……メジャーリーガーか、俺は)
二刀流のメジャーリーガーの時給が、単純計算で百十万円だなんてネタを見たことがあるので、それ以上である。
リーマン時代ではありえない稼ぎの連発に、目が眩みそうだ。
老紳士がいないからか、プルデリオ本人にギルドカードで入金してもらいながら、ライチはそんな空想をしていた。
「今後も、今の金額を参考に、新しいレシピはどんどん買い取らせてもらおう」
そう締めくくると、プルデリオ夫妻は退室しようと足を向ける。
「そうそう、伝え忘れていたが、ギルドホールでの合同会議が、明日午前に行われることとなった。
もちろん議題はポリエクロス、および、甘味シートについてだ。
君は安全のために顔出しは控えるべきだが、質問が飛んだ時のために、ギルドホールの建物内に控えておいて欲しい。予定を空けておいてくれ」
最後にそう言い残し、二人は優雅に去っていった。




