天使と悪魔
困惑しているアルを見て、慌てているジブリールの姿をナーマは薄く笑いながら眺めている。
ナーマが笑っていることなど気づかない程にジブリールは動揺していた。アルの大魔王の魔力は自分にとって毒だという事はずっと知られずに隠しておきたかった。けれど、ナーマによって明かされてしまった。その事実を知ったアルが自責の念に駆られてしまうかもしれなと思い、慌てて弁解の言葉を発する。
「アル! あの悪魔の言う事なんて気にしないでください!」
「……俺の魔力はジルにとって毒なのか?」
「それは……!」
「そうか、毒なんだな……」
ジブリールの肯定といえる言葉の詰まりに、アルは震える身体から力が抜けてその場にペタンと座り込んでしまった。ジブリールも慌ててアルの前に座り、アルの両肩を抱いて無理矢理視線を合わせる。
「聞いてください! 確かに毒ですが、今まで私が吸魔をして体調を悪くしたりした事がありますか?」
「それは……」
「私は体内で毒を解毒出来るんです! そして解毒した魔力を自分の力に還元できるんです! だから私はアルのお陰で力を保っていられるんです! ですから、アルは何も気にする事なんてありません」
ジブリールの言葉を聞いて、アルの視線が顔ごと横にずれて、ずっと二人を眺めていたナーマへ向いた。その目は『本当なのか?』と物語っていた。
アルの視線に答える様に片手を腰に当て、ふぅ……と一息吐いた後に応えた。
「その女が言っている事は本当ですわ。彼女は体内で解毒して自分の力にする事が出来ますのよ」
「本当なんだな?」
「ええ、本当の事ですわ」
ナーマのお墨付きを貰って、ジブリールの嘘という懸念点が消えた。再びジブリールと視線を合わせる。ジルの目は少し涙ぐんでいた。恐らく今まで黙っていた事の罪悪感や、その事実を知ってアルが自分から離れてしまうんではないかという不安感からの涙だろう。
そう感じ取ったアルは一言、ジブリールの目を見て言った。
「今までありがとう。そしてこれからもよろしく頼む」
「っ!? ……はい!」
ジブリールは、短いながらもアルらしい心遣いの言葉に力強く返事をした。
「あらあら、お熱いわねぇ」
「「っ!?」」
熱く見つめ合って再び信頼を深めた二人にナーマが茶々を入れる。ナーマの存在を忘れていた二人が一瞬で我に返り顔を赤くしながら立ち上がり、照れくさいのかアルは後頭部をポリポリと掻き、ジブリールはパタパタと手で顔を扇いでいる。
しばらく二人は動揺していたが、ようやく落ち着きを取り戻すと、アルがずっと気になっていた事をナーマに質問する。
「ナーマは何で大魔王の魔力がジルにとって毒だって知ってたんだ?」
「そんなの簡単ですわ。彼女が天使だからですわ」
「なるほど。ということはナーマの魔力も毒になるのか?」
「毒……という訳ではなく、相性が悪いですわね。喩えるなら水と火ですわね」
「つまりナーマにとってもジルの魔力は苦手って事になるのか」
「そういう事になりますわね。というか……」
ナーマはジブリールを睨む様に視線を移す。
「貴女は天使と悪魔の事をアル様に話していないんですの?」
「うっ! それは……」
「どうせアル様に嫌われたらどうしようとか考えてたんでしょうね。まったく、女々しい女ね」
「し、仕方ないではないですか! グレイス王国が滅んだのは大魔王サタンの影響で、その魔力がアルに宿っているんですから!」
ジブリールの反論にナーマは呆れた様に溜息を吐いて肩をすくめる。
「だからって魔力の事を詳しく知らないのはアル様にとって自殺行為に近いことですのよ?」
「それはそうですが……」
二人のやり取りを聞いて、アルの中で疑問符が大量に浮かび、二人に問いかける。
「ちょっと待て。ジルが天使だっていうのは昔本人から聞いたけど、天使と悪魔の事ってなんだ? それと大魔王の魔力がどういった関係があるんだ? それと、ナーマはさっき魔力暴走した時に俺から魔力を吸ったけど、ナーマは何で平気なんだ? それと──」
「アル様、落ち着いてください。一つずつ答えますわ」
「あ、ああ、悪い」
アルはナーマに宥められて、前のめりになっていた姿勢を正して深く深呼吸をし、聞く態勢を整えた。それに倣ってジブリールも姿勢を正し、ナーマの話に間違いがあった場合にすぐに訂正出来る様心の中で身構えた。
二人が話を聞く姿勢になったのを確認したナーマが口を開く。
「まず、私がアル様の魔力を吸魔しても平気なのは、私が大魔王サタンの眷属だからですわ。簡単に言えば、大魔王サタンの魔力の塊みたいな物が私ですの」
「お前、結構凄い悪魔だったんだな」
「あら? 意外でしたか?」
「まぁ、服装もだけど、いきなりキスしたりとかしてたから痴女なんじゃ? と思ってた」
「失礼しますわ! いくらアル様でも許せませんわね」
「わ、悪い……」
「ふふ、冗談ですわよ。そう思われても仕方ないですわ。私はサキュバス達を束ねる上位悪魔ですから。この格好も殿方を誘惑するのに効果的なんですのよ? まぁ、アル様にはまだ刺激が強いようですけど」
そう言いながら、ナーマはスカートを少したくし上げて艶かしい太腿をアルに見せつける。
アルは顔を赤くしながら抗議の声を挙げる。
「そ、それは分かったから、早く太腿を隠せ!」
「あらあら、やっぱりアル様の反応は良いわねぇ」
アルの慌てように快くしたナーマを見てジブリールが注意する。
「真面目にやってください!」
「こわ~い、アル様助けて~」
「ナーマ!」
おちょけるナーマに向かってジブリールが拳を繰り出す。それをひょいと躱したナーマが話を続ける。
「次は天使と悪魔についてですが、元々同じ世界──神界──の住民ですわ」
「神界……確か1000年前までは俺たちの世界と交流があったって古い本で読んだけど、今はその神界への門が閉ざされているから悪魔や天使は珍しいんだよな?」
「そうですわ。今この世界に存在する天使や悪魔はその時に神界へ戻る事が出来なかった者達ですわ。そうでしょ?」
そう言ってナーマはジブリールを見る。ジブリールはバツが悪そうに頷くだけだった。
「神界を説明するには魔力について説明しなければならないですわ」
「魔力……」
「1000年前は人間も普通に魔術を使っていましたのよ」
「そうなのか!? 今では使える人間は珍しいのに」
「ええ、ではどうして今では魔術を扱える人間が少ないと思いますか?」
「それは……魔力を持たない人間が増えたから?」
「それは結果でしかないんですの。そう、神界への門が閉ざされた結果ですわ」
「どういうことなんだ?」
アルは頭の中がこんがらがりそうになる。
「アル様は魔素をご存じですか?」
「いや、初めて聞いた」
「1000年前は世界中が魔素に溢れていたんですの。魔力というのはその魔素を凝縮した様な物なんですの。そして、今の世界には魔素があまり存在していないんですのよ」
「つまり、魔素が無くなった事で魔術を使える人間が減った……?」
「その通りですわ。そして魔素は天使と悪魔にとって必要不可欠な物ですの。大気中の魔素を取り込んで魔力に変換して己の存在を維持していますのよ」
初めて聞く1000年前の世界、そして魔素の存在。その魔素が魔術には必要で、かつ、天使や悪魔達にとって無くてはならない物。魔素の減少で魔術が消えかかってしまっていること。それらを聞いて、アルの中で一つの疑問が浮かぶ。
「それだとナーマやジルは力の補充が出来てないって事なのか?」
「そうですわね、魔力は普通に活動しているだけで漏れ出てしまって、魔素を吸収出来なければ存在の維持ができなくなり消滅してしまいますわ」
「なら、尚更二人はなんで大丈夫なんだ?」
「それは簡単ですわ。他者から奪えばいいんですの。私の場合はリリスやサキュバスを使って殿方から生気を吸い取って活動していましたわ。そして……」
ジブリールは追い詰められた犯人の様に自白する。
「私は毒だと知りながら、アルから吸魔を行って自分の力にしていました」
ナーマとジブリールが何故今でも存在出来ているのかが判明する。ジブリールには魔力暴走をした時に吸魔で救われてきた。だが、ナーマは罪のない人々を犠牲にしている事に怒りを覚えた。いくら自分の存在を維持する為とはいえ、他人を害する行為にアルは怒りを露わにした。