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遠雷  作者: 北野 いまに
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郷主

 昨夜西の方で聞こえた雷はしばらくして収まり、マーリングでは夜が明けるまできれいな星空だった。

 朝は大変に冷え込んで、その年初めての霜が降り、朝日が落とす隣家の長い影の中で枯れ草が白々と浮き上がって見えた。ヌーティのお気に入りの庭のテーブルと椅子も白く化粧をして、朝日の当たったところだけが黒く湿っている。

 ヌーティは、温かい窓の内側からそんな様子を眺めながらお茶を飲み、冬が間近に迫ってきたなあとのんびり考えていた。まだ昼には温かくなるから、今は真っ白な庭のテーブルもすっかり乾いて、そこで夕方のお茶を飲めるだろう。その楽しみは、まだ半月位続けられそうだ。

 その光景を頭に思い描いた時、その平和なくつろぎとは縁遠い昨日の魔術師の話を思い出した。

 恐ろしい話だった。あのように魔法が迫害されるようなことがあったら、自分達魔法職人も、たとえ魔術師ではないとしても、ただではすまないだろう。

 しかし、マーリングでは魔法が重宝されている。郷主も魔法が役に立っていることを喜んでいらっしゃるし、王も理解してくださっていると聞く。西の国のようになる心配はないと思う。

 この話については、あの魔術師の希望通り、近隣の魔術師達に伝えてやればよいだろう。


 それより、今考えるべきことがほかにある。当座の問題は、自分の工場の職人を魔法職人にできないかと相談を持ち掛けている砂糖工場の工場長だ。教育費用を取るにしても、長い目で見れば魔法職人組合の収入減につながるのだから、簡単に承諾はできない。だが、今後も長く付き合っていく相手だから、あまり邪険に断るわけにもいかない。

 うまい落としどころを見つけたいものだ。規模拡大を考えているようなら、その分に工房の人員を当てることにして受け入れてもいい。ただ、教育したからと言って必ずしもものになるとは限らない。職人を魔法職人に育て上げることではなく、教育すること自体に費用を払ってもらわねば。

 今日の午後に予定している会議では、これが主な話題だな。きっと相手もそのつもりでいるだろう。まだ時間かあるから、落としどころをよく考えておこう。


 ヌーティがそんなことを考えていると、扉がノックされた。


「ヘルミネンさん、おはようございます」


 兵士のロニーの声だ。ヌーティは、扉を開けて、家に招き入れた。


「おはよう。やあ、寒いな。入って早く閉めてくれよ。この寒いのに朝早くから仕事かい?」


 ヌーティは冷たい外気に身震いせんばかりなのに、ロニーは薄いお仕着せを着ただけの軽装だった。


「冷え込みましたね。これくらい冷えると、俺達カニンは気持ちよく過ごせます。でも、ヘルミネンさんには堪えるでしょう」

「まあ、フェイだからね。三種族の中では一番寒さに弱いんだ。でも、人間とはあまり変わらないぞと思うぞ。あいつらもカニンと違って体に毛が生えてないんだから」

「そうですね、俺達カニンだと、この程度の寒さなら、薄物を着て風さえ防げばへっちゃらですよって、いや、世間話をしに来たわけじゃないです」


 うっかりヌーティの世間話に乗りかけたロニーだったが、すぐに仕事を思い出した。


「すみませんが、一緒に来ていただけませんか。隊長がぜひ来てもらえって、俺を呼びに寄こしたんですよ」

「昨日の魔術師の件かい?」

「そうそう、今から彼らの話を聞くんですが、ヘルミネンさんにも聞いていただいて、昨日彼らから聞いた話と突き合わせて欲しくて」

「彼らが昨日と違う話をするとは思わないけどなあ」


 ヌーティは仕事が気になって、気乗りしない返事をした。


「そうですね。でも、昨日話したことを話し忘れたりすることはあるでしょ。だから、そういうところは補足して欲しいんですよ。彼らの夕食に付き合った私も呼ばれてます」


 ヌーティは、今日の予定を頭の中でおさらいした。午前中には打ち合わせなどは入っていない。この季節になると風邪をひいて動けない魔法職人が出てくることもあるが、自分に連絡が取れなければ副組合長がうまくやってくれるだろう。


「そういうことなら行かにゃならんだろうな」

「ハンナマリにも来て欲しいんです。ほら、ヘゲール通りでの一件についても聞きたいと言われてるんですよ。私達が見つける前のことは魔術師の息子とハンナマリじゃないとわかりませんから」

「しょうがないな、おーい、ハンナマリ」


 ヌーティは、学校に行く支度をしているハンナマリを呼び、学校を休むと隣の娘に伝えて、事情聴取に同行するよう言いつけた。


「えー、学校にはちゃんと行かなくちゃいけないわ。終わったら詰め所に行くから」


 もっともなことを言っているが、大人に囲まれてあれこれ聞かれるより学校で友達と遊びたいと思っているに違いない。ヌーティは、口答えを却下し、ハンナマリを戸口から追い出して、隣に押しやった。

 ヌーティがコートや帽子を身に付け終えたころにハンナマリが戻ってきた。ロニーは、頬を膨らませたハンナマリを見て、ちょっとご機嫌を取ることにした。


「ハンナマリ、肩車してやるよ」


 高いところが大好きなハンナマリは、すぐに機嫌を直してロニーの首にまたがった。カニンの長い耳が頭に回した腕にかぶさって温かい。




 ロニーが二人を連れて行った先は、マーリングの町と周辺のいくつかの村を支配する貴族であるマーリング郷主の館だった。郷主は、田舎町の主にすぎないとはいえ、支配地域の中では絶大な権力を持つ支配者である。


「ロニー、詰め所に行くんじゃなかったの?」


 ハンナマリの声はこわばっていた。郷主邸なんて、子供が行くところではない。


「とても大事な話だからとおっしゃって、郷主様がここで事情を聴くことにされたんだ」

「あたし帰る」


 ロニーは、 あせって肩の上でじたばたし始めたハンナマリを下ろし、しっかり肩を捕まえて郷主邸に向けた。


「大丈夫だよ、郷主様はそんなに怖い人じゃないよ」


 そう言われても、この辺りで一番偉い人だし、貴族だ。ハンナマリの緊張が解けるはずもない。コチコチに固くなって右手と右足を一緒に出しながら大人達の後についていった。

 入り口の脇に控える兵士が安心させるようににっこり笑いかけてくれたが、ひきつった笑みを返すのがやっとだった。

 ヌーティも少し驚いていた。昨日バレッシュとロニーが夕食を共にしながら話を聞いたとすると、郷主が報告を受けたのは今朝のはずだ。聴取の判断は即決だったに違いない。

 郷主は、サロモン・ユバというあの魔術師の話をそれほど重要と考えているのだ。遙か西方で起きた騒乱の話で自分達には直接関係ないと思っていたが、そうではなかったということだろうか。魔術師達に話を伝えるだけのつもりだったが、それではすまないかもしれない。

 そう思うと、腹の底に重いしこりができたような気がした。




 ロニーは、入ってすぐのところにある会議室に一行を案内した。大きな会議机があり、すでにサロモンとアルヴォが椅子に座っている。その後ろには、ロニーの上司であるバレッシュが立っていた。

 ヌーティとハンナマリはサロモン達の向かい側の席を勧められた。

 ロニーは、バレッシュの横に立った。その部屋には、さらに四人の兵士が立っていた。二人は部屋の入り口を守り、他の二人は奥の扉の脇を固めていた。

 物々しい雰囲気にハンナマリは心細くなり、父親にすり寄った。

 ヌーティは、そんなハンナマリを見て、安心させるように肩を叩いて微笑むと、腹の中の重く冷たいしこりを無視しようと努めながら、いつものように世間話を始めた。


「やあ、昨夜はよく寝られたかい」


 難しい顔をしていたサロモンだったが、ヌーティの問いかけに表情を緩めた。


「ああ、良い宿だった。あなたが勧めてくれた鳥の燻製は、確かにうまかったよ。他の料理もうまかったし、久しぶりに十分な食事ができた」

「それは何よりだ。息子さんはまだ疲れているんじゃないかね。ボーっとしているようだ」

「アルヴォ、どうだ?」


 サロモンが水を向けると、アルヴォは、一生懸命に背筋を伸ばした。


「大丈夫です!」


 妙に力が入った返事がサロモンとヌーティを微笑ませた。兵士達は真面目な顔で立っているが、目を見ると笑いをこらえているのがありありだ。

 ハンナマリは、それを見抜けず、知り合いのバレッシュやロニーですら厳しい顔を崩さないので、ますます緊張した。

 心細くなって父親の顔を見上げると、落ち着いて、いつもと変わらずにこにこしている。


「お父さん、すごい…」


 思わず漏らしたささやきが耳に入ったヌーティは、ハンナマリの目に尊敬が浮かんでいるの見て、娘がなぜそんなに緊張しているのかを理解した。


「バレッシュ、ロニー、仕事中なのはわかるが、あんた達くらいは表情を緩めてもらえないかな。兵士が皆怖い顔をしているから、娘が怖がっているんだよ」


 それを聞いたロニーは、頬をぴくぴくさせながらも表情を崩さず、バレッシュに目をやった。


 バレッシュは、すまなそうに返事した。


「気分を緩めると、反応が遅れることがあるからなあ、そうもいかんよ」

「にやつくのを我慢するのは問題ないのかい?」


 ヌーティの突っ込みに、バレッシュは、つい笑みを漏らしてしまった。


== No.9聴取


 奥の扉が開いて、貴族らしい豪華な服を着たがっしりした男が護衛の兵士と共に入ってきた。マーリング郷主だ。

 郷主が椅子に座ると、護衛はその後ろに立った。笑ったところを見られたバレッシュは、慌てて顔を引き締め背筋を伸ばした。


「バレッシュとロニー、ユバ親子の両脇に座れ」

「は、しかし…」


 戸惑うバレッシュに、郷主は手を振った。


「今日はお前たちも聴取対象だ。それに、ヘルミネンの娘が緊張しきっておるではないか。あれでは聴取に差し支える。せめてお前たちくらいは気分を緩めておれ」


 入室前の会話が郷主に聞こえていたらしい。


「仰せの通りに」


 護衛の任を解かれたバレッシュとロニーは、リラックスした様子でサロモンたちの両側に座った。

 ロニーは、ハンナマリに手を振って笑って見せた。だが、ハンナマリは、まだ緊張が解けないようだ。

 そんなハンナマリを見た郷主は、苦笑いをした。


「では始めよう。サロモン・ユバ殿、まず、あなたの警告を聞かせていただこうか」




 サロモンの話の内容は、バレッシュとヌーティにより昨日した話と同じであることが証言された。

 サロモンの家族や生い立ちについては省略されていたが、ヌーティも、それについては不要と考え見逃した。

 ハンナマリは、サロモンの話を顔に恐れを浮かべて聞いていた。昨夜父から大筋を聞いていたので平静を保てたが、当事者の言葉で聞くと、父の軽い語り口とは違って、恐ろしく、終いには父にしがみついていた。


 アルヴォの話は、ハンナマリが街灯点灯のために家を出たところから始まった。事実はハンナマリが覚えている通りだった。話半分に聞いていた護衛という言葉も、アルヴォの視点から語られると真剣なものだったことが分かる。

 反省したハンナマリは、後でアルヴォに謝ろうと思った。だが、ハンナマリが扉でロニーを吹っ飛ばした時のことまで詳しく語られると、そんなことはきれいに忘れてしまった。

 アルヴォの発言が終わり郷主が子供たちに退室を命じた頃には、当初の緊張はすっかり解れたが、アルヴォに対してぷんぷんと怒っていた。




「組合長の娘は面白いな」


 郷主は、怒って赤くなったハンナマリを見送りながら、そう笑った。


「恐れ入ります」


 ヌーティは、本当に恐れ入っていたが、郷主は楽しそうだ。


「バレッシュとロニー、尋問は終わりだ。任務に戻れ」


 郷主が手を振ると、二人は素早くサロモンの後ろに立った。


「さて、ユバ殿、あなたの警告についてはよく分かった。西の国で起こったことを、残念に思う」

「仰せの通り、実に残念なことでした」


 話すことにより記憶を新たにしたサロモンは、唇を噛みつつ答えた。

 郷主は、椅子に深く座り直し、話を続けた。


「私は、この国でそのようなことが起こってほしくはない。少々時間を取らせることになるが、さらに詳しく聞きたい。私がこの国の現状を説明するので、あなたの国やその周辺国の状況と比較した意見を述べていただきたい」


 サロモンは、郷主に話を真剣に聞いてもらえただけでも満足だったが、魔法排斥に至った西の国の実態をさらに詳しく知らせるのに否やはなかった。


「仰せの通りに」


 郷主は、サロモンを真っ直ぐに見据えて、話を始めた。


「現在のマーリングでは、いろいろなところで当然のように魔法が使われているが、以前はこうではなかった。魔術師は主に貴族に仕えており、武士と同じように町や国を守るための存在だった。一部には平民相手に商売をする魔術師もいたが、報酬が高いため顧客が非常に限られていた。

 マーリングに限らず、この国ではどこでもそのような状況だった。あなたの生国のサンデでも同じだったのではないか?」

「はい、同じでございました。魔術師は、基本的には軍務につきます。お話したように、仕える主人の命令で普請のようなこともいたしましたが、それは例外でした。軍に所属しない魔術師もおりましたが、貴族や豪商の依頼を受けることを生業とするのであって、一般の平民相手の商売をするような魔術師はおりませんでした」

「やはりそうか。魔術師の置かれる立場はどこの国でも変わらぬものと見受けられるな」

「はい、そのようです。サンデのみならず、その周辺国でも同じでした」

「だが、十五年ほど前にヘルミネン夫妻がこの町に来ると、ここマーリングではその事情が一変したのだ。ヘルミネンの妻ハンナは、一級の魔術師だったにもかかわらず、貴族に仕えず、また、貴族相手の商売もせず、平民に魔術を提供し始めた。やはり高価ではあったので、それだけならば魔法がこれほど普及することはなかっただろう。

 しかし、ヘルミネン夫妻は、予備呪文と言うものをもたらした。ハンナの予備呪文を使って魔法を安価に提供し始めたのだ。サロモン殿は、予備呪文と魔法職人については聞いているのだったな?」

「はい。昨日ヘルミネン氏自身から聞きましたし、先ほどお話した通り、息子のアルヴォはヘルミネン氏のお嬢さんがその仕事をするところを見ています」


 サロモンが返事をしてヌーティに目をやると、彼はゆっくりうなずいた。ヌーティも、郷主の前では軽口を挟んだりしないようだ。

 郷主は、話を進めた。


「ヌーティとハンナは、私に魔法職人について説明し、魔法職人組合の設立の許可を求めた。許可すると、ヌーティは十数名の魔法職人を育て、ハンナの予備呪文と併せて、まるで十数名の魔術師がいるかのような成果を上げ始めた。

 これには私も驚いたものだ。魔法職人になるには、魔術師ほど希有な才能を必要としない。従って、魔法職人の費用は、魔術師のように高くない。そのおかげで、産業を担う平民にも利用できるようになった」

 郷主から視線を向けられたヌーティが補足した。

「魔法職人の報酬は、魔術師の何分の一かに過ぎません。普通に人を雇うよりは高いですが、より多くの仕事をこなせるので、結局かなり安上がりということになります」


 郷主はうなずいて、話を続けた。


「マーリングの土地は砂糖芋の栽培に向く。昔から製糖工場があり、大事な産業になっていた。砂糖産業には大量の熱源が必要だ。だが森の木をそればかりに使うと、町民の暮らしや、他にもいろいろと支障が出る。配分のバランスを欠くと、利益を損ない、治安の悪化を招き、政情が不安定になりかねない。そのため、思うように拡大できなかった。

 しかし、魔法職人により熱が潤沢に供給されるようになると、そのような心配が無くなる。製糖業は、今でははるかに大きな規模になり、マーリングは、周辺国も含めて砂糖の一大生産地になることができた」


 サロモンは、郷主が言葉を切った隙を捉え、昨日驚いたことについて質問した。


「昨日、薄暗くなってからヘルミネン氏のお嬢さんが街灯点灯の仕事に一人で出向いたことに驚きました。ヘルミネン氏の説明では、この町の治安は非常に良いと言うことですが、これもやはり魔法職人が関係しているのでしょうか?」

「うむ。砂糖産業が発展して町が豊かになったことが大きい。他にも魔法を利用した産業はいくつかある。また、町の要所に街灯を設置し、犯罪を犯しやすい環境を減らすこともできた。マーリングの犯罪の少なさは我々の自慢とするところだし、それ自体が町をさらに発展させる」

「私が住んでいたサンデでは、暗くなってから出歩くことは危険とされていましたし、それを魔法で解決できるとは想像もしていませんでした。あまりの成果に言葉もありません」


 その言葉に、郷主は笑みを漏らし、ヌーティは得意げな表情になった。魔法を平時に利用する術を彼らが誇りに思っていることがよく分かる。

 サロモンは、昨日のロニーとの会話の後で感じたこと、魔法と民衆がもっと近しい関係であれば神聖教の台頭を抑えられたのではないか、サンデの発展と幸せが奪われることもなかったのではないかという考えの確証を得たような気がした。


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