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遠雷  作者: 北野 いまに
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さよならマーリング

 修道兵達は、追い抜きざまに左右から一人ずつ、同時に後部デッキに上がろうとした。サロモンは、杖で一人の肩を殴りつけて動きを止め、杖の長さを活用して反対側から乗り込んできた男を叩き落とした。殴られた修道兵はなんとか耐えてデッキまで上がってきたが殴られた側の手が痺れて使えず、サロモンは容易にあしらって橇から落とすことができた。

 雪面に落とされた修道兵達は、すぐに立ち上がり、徒歩で追ってきた。一歩毎に膝の上まで雪に埋まって速度が出ていないが、無理に走れば橇に追いつくかもしれない。サロモンは、デッキから身を乗り出して前方の様子をうかがった。修道兵が昇降用ステップに足を掛けて前部デッキに上がろうとしていた。心配ではあるが、追ってくる修道兵がいる以上、前方に応援に行くわけにはいかない。アルヴォがうまくやってくれると信じるしかない。


 サロモンの指示に従って前部デッキに来たアルヴォは、すぐに、一人でそこを守るのは無理だと判断した。ヌーティが中央の御者席でアルセスを操っているし、その後ろではペールがガラス瓶を見ながら何か呪文を唱えている。これでは杖を思うように動かせず、両側から同時に乗り込まれたら防げない。だが、ここには、もう一人魔術師がいる。

 アルヴォが目を向けた途端、ホルンは断った。


「いや、あたしにゃ無理だよ」

「予備呪文がかかっている方の杖を使っていただければ」

「どうしてもって言うならやってみるけど、狙いもあやふやになると思うし、年で反応がとろくなってるからねえ、あまり当てにしないでおくれよ」

「いえ、頼りにしています!」

「そんな無茶を言わないでおくれ」


 それでも渋々ながら、ホルンは、アルヴォの杖を受け取った。

 そんなやりとりを見て不安になったのか、ティルダがタルッティの手を握った。


「お父さん……」


 それまで魔術師二人の様子を見てオロオロしていたタルッティの表情が、突然変わった。


「アルヴォ、それを寄越せ。お前がホルンの杖を使え」


 タルッティは、ホルンに渡した杖の代わりにアルヴォが持った予備呪文がかかっていない杖を取り上げ、助手席の左側に陣取った。

 アルヴォは慌てた。魔術師でも兵士でもないタルッティに戦わせるわけにはいかない。


「相手は剣を持っています。危険です」

「体に当たらなければ大丈夫だろ」

「そんな」


 御者席の横を修道軍の馬が通った。

 ホルンは、持っていた杖を、急いでアルヴォに押しつけた。

 その直後、前部デッキを狙う修道兵達は、間に合わせに付けられた後部デッキのステップとは違って使いやすい昇降用ステップをうまく使い、浮き上がるように御者席の両側に現れた。


「アルヴォ!」


 ティルダが叫んだ。

 タルッティの方を向いていたアルヴォは、振り向きもせずに杖を後ろに突き出した。

 杖の石突きで腹を突かれた修道兵は、そのまま宙を飛んで橇から落ちた。


「あんた、器用だねえ」ホルンが少々緊張感に欠ける感想を述べた。

「ありがとうございます」


 アルヴォは、それを褒め言葉と受け取って礼を言うと、修道軍の橇に飛び降りて馬を操る修道兵を橇から叩き落とした。そして、落ちた手綱を拾い川沿いに歩くよう馬の向きを変えると、修道軍の橇から降りて、雪面の下にあるはずの氷を踏み抜かないよう用心しながら、ちょうど側に来た後部デッキに登っていった。


 タルッティは、修道兵がまだステップにいるうちに突き落とそうと、杖を突き出した。その動きを読んでいた修道兵は杖を剣で強く払った。魔術師の杖を想定した力は素人が突き出しただけの棒を払うには強すぎて腕が上がってバランスを崩しかけた。

 杖を払われたタルッティは、こちらも勢いが余って修道士の方につんのめった。橇から落ちそうだと慌て、たまたま手頃な位置に来た修道兵の体を思い切り突き飛ばした。おかげでタルッティはバランスを取り戻し、修道兵は橇から落ちていった。

 タルッティが落とした相手の様子を見ようとデッキから身を乗り出すと、素早く跳ね起きた修道兵を後部デッキのサロモンが杖で跳ね飛ばすところが見えた。

 左側の橇を操る最後の修道兵は、少し離れたところを進んで前に出た。


「アルセスを狙ってるぞ!」


 そう叫んで、ヌーティは、アルセスを右に誘導して距離を保とうとした。だが、急使用の橇と木材積み出し用の大型橇では機動性が違いすぎる。

 少しでも修道兵を邪魔しようと、タルッティが杖を投げつけた。アルセスに切りつけるために剣を抜こうとしていた修道兵の肩に当たり、修道兵の動作が一瞬止まった。だが、修道兵は、顔をしかめながらもゆっくりと腕を動かして剣を抜いた。修道軍の橇がアルセスに近づいていく。

 タルッティは、修道軍の橇に飛び移ろうと、デッキの手すりに足をかけた。

 その時、橇がいきなり加速した。タルッティは、デッキに転げ落ちた。パニラが狭い前部デッキに無理に滑り込んで、「大丈夫?」と気遣いながら助け起こした。

 アルセスが速度を上げて前に進み、大型橇が背後に迫ったことに気付いた修道兵は、衝突を避けるために慌てて橇を遠ざけた。




 魔法の助けを得た大型橇はじりじりと加速を続け、ようやく並足程度まで速度が上がった。人ならば早歩き程度である。梶棒の重りと魔法により体重の一部を支えられているアルセスは、雪にあまり沈まずに軽快に歩いている。


「ふうー、間に合った」


 ペールは、ずっと見つめていた下げ振りを収めたガラス瓶から目を離し、天を仰いだ。

 ずっとヒヤヒヤし通しだったヌーティが、ほっとしながらも愚痴を漏らした。


「もうちょっと早くできなかったのかなあ」

「すみません。あれ以上はちょっと」と、済まなそうなペール。

「無理だよ。早く加速するだけならできるけど、向きが安定しなくなるし、うっかり速くしすぎるとアルセスに怪我をさせかねないからね」


 ホルンがペールをかばった。

 だが、ペール本人がその心遣いを台無しにした。


「梶棒が上がる頃に加速が始まるように、もう少し早く呪文を唱え始めれば良かったですね」

「そうだよな」


 ヌーティは、チラリとホルンに目をやった。


「ふん、街の魔術師に何を求めてるんだい」ホルンは、少し気分を害したようだ。

「まあ、よくやってくれたよ。世界一遅い橇レースに勝利したんだ。十分さ」なだめるようにヌーティが言った。


 後ろを見張っていたサロモンとアルヴォが橇の前部デッキに戻ってきた。


「奴らは諦めたようだ。川の深みにはまる危険を冒したくないのだろう」

「もう大丈夫だな。一杯やるか」


 ヌーティが祝杯を上げると言い出したが、ホルンが止める。


「まだだめだよ。川を渡り終えて平原に出てからだ。梶棒の重りを元に戻して、アルセスから支えの布を外してやらなきゃ」

「ずっと付けてれば、アルセスも軽く走れるじゃないか」

「あれを付けっぱなしにすると、だんだん息が苦しくなってくるようなんだ。胸と腹を圧迫するからね」

「そうなのか、そう都合よくは使えないんだな」

「なぜ急に加速したんだ?」


 そのせいで転倒したタルッティが聞いた。


「ペール、説明しなさい」と、ホルン。

「はい。下げ振りはご存じですよね」

「ああ。鉛直を出すために使う道具だ」

「普通は、ランナーにかかる荷重を軽くして橇を動かしやすくするために、鉛直方向に魔法で力を掛けています。その力の向きを少し前方にずらしてやれば、橇が前に進むんです」

「なるほど。簡単な理屈だな」

「原理は簡単です。でも、実際にやろうとすると大変なんですよ」

「力の向きのずらし方で、どうにでもできそうだがな」


 ペールの説明は、タルッティには、単に押す方向を変えるだけとしか思えない。


「ずらし方を安定させられればできるんですけど。でも、やってみると難しいんです。速度が変化するときには本当の上がどっちだかよく分からなくなりますし、ランナーが雪面の影響を受けますから、力の向きが狂って、橇が予想通りに動いてくれません。だから、下げ振りが狙った向きで安定することだけを考えて魔法を使うわけです」

「それでこの下げ振り入りのガラス瓶を睨んで呪文を唱えてたのか」

「そうです。それに、すでに発動してる魔法との干渉を避ける必要もありますし、力の向きを変えすぎると橇を持ち上げる力への影響が大きくなってランナーが雪の中に沈みます。それを防ごうとして力を大きくすると、また力加減が分らなくなってしまうんです」

「面倒だな。手押し車だって道の傾きや柔らかさに合わせて押す方向を変えたりするけど、おんなじ事だろ。そんな理屈を捏ねながらやること自体が悪いんじゃないのか?」


 ペールが「そりゃそうなんですけど」困った顔をすると、ホルンが助け船を出した。


「結局、自分の魔法で自分自身が動くところが難しいんだよ。目が自分の顔にくっついてる以上、自分がどう動いてるかを客観的には見られないだろ」

「うう、よく分からんが、その説明で俺には十分だ。それ以上は魔術師に任せるよ」


 タルッティは、理屈っぽい魔術師の話に辟易して顔を逸らした。

 その代わりに、屋根の上で聞いていたハンナマリがこの話に食いついた。


「そうかあ、だから魔術師は空を飛べないんだ」


 ティルダが驚いたように仰向いて、屋根の上から顔だけを覗かせているハンナマリを見つめた。


「ハンナマリ、分かったの?」

「うん。ちゃんと理由があったって分かった」


 ホルンも驚いたように上を向いた。


「その理由を理解できたのかい?」

「そのうち理解できるわ」

「なあんだ、それじゃだめだねえ」


 少し期待外れな方向に自信満々のハンナマリを見て、ホルンはがっかりした。

 ティルダも、別の意味で自信満々だった。


「アルヴォが教えてくれます。絶対理解できます」


 ティルダの目に浮かぶ父親にも見せない信頼に気付いて、タルッティは、アルヴォを睨んだ。

 そのなんとも言えない圧力に、アルヴォは、何と言えばいいか迷った。

 その時ホルンが指示を出し始めた。


「ほら、対岸まで来たよ。そこの土手を上がるからね。ヌーティ、橇を止めて。まず、梶棒の重りを元の場所に戻そう」

 皆がその指示に従って、すぐに動き始めた。

 アルヴォは、タルッティの視線から逃れられて胸をなで下ろした。




 橇は、無事土手を上がり、平原を走り始めた。辺りは、少しずつ薄暗くなってきている。

 小高い丘のなだらかな斜面を登った時、屋根の上が気に入って降りてこないハンナマリがティルダに話しかけた。


「ねえ、ティルダ、マーリングが見える」

「本当?」

「上がっておいでよ」

「うん」


 ティルダは、幌越しに返事をすると、前部デッキに出た。

 下げ振りの瓶を見張っているペールが気を利かせて、ティルダを屋根の上に押し上げた。


「ここなら手を突いても大丈夫。屋根のてっぺんにまたがって」


 ティルダは、ハンナマリが言う通りに屋根に這い上がり、姿勢を安定させた。

 橇の斜め後ろにマーリングの町並みが見えた。随分と遠い。だが、まだ薄明るいので、町の建物がよく分かる。

 偶然、一つの通りが一直線に見通せた。そこには、いくつもの光点が並んでいた。


「あ、きっとヘゲール通りだ! 街灯が光ってる」

「あ、本当。明るい」

「どれがティルダの点けた街灯かなあ」

「ハンナマリも点けたのよ」

「ティルダの点けたのが分かれば、あたしが点けたのも分かるもんね。あ……」


 橇の移動に従って角度が少し変わり、街灯が見えなくなった。


「見えなくなっちゃった」残念そうなハンナマリ。

「あ、ほら!」ティルダが、建物が少ない部分に新たな光点が現れた事に気付いた。「あれ、神殿の街灯だわ」

「明日の昼まで光るかなあ。途中で邪魔されちゃったからなあ」


 ハンナマリは、気がかりそうだ。

 ティルダは、信じている通りに答えた。


「きっと、大丈夫よ。ハンナマリが点けたんだもん」

「そうよね、最後の仕事だから頑張ったんだ。ずっと光ってて欲しいなあ」

「いつまでも光るといいのにね」


 二人は、少しずつ遠くなるその小さな光を見つめ続けた。

 やがて、それも見えなくなった。


 マーリングの町は、ゆっくりと闇に覆われていく。


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