最後の朝
暗い部屋の中で、小さな明かり取りの窓に嵌まっている歪んだガラスが、外の光を受けてそこだけ明るく光っている。ふと目を覚ましたハンナマリは、春が近づいて日の出が早くなったのに明かり取りの窓を塞いでおかなかったのは失敗だったとぼんやりと考えた。塞ぎに行くと、目が完全に覚めてしまう。明るいのは布団に潜れば気にならないから、もう少し寝ていよう。
寝返りを打って布団に潜ると、居間の方から声が聞こえてきた。父親が話す声だ。まだ早いのにうるさいなあ、静かにしてほしいもんだわ。そんなことを思いながらもう一眠りしようと頑張ったが、さらにホルンやアルヴォの声まで聞こえてきて、バタバタ歩き回る音までし始めた。とても落ち着いて寝ていられない。
やむなく着替えて目をこすりながら居間に行くと、全員が起きて朝食を摂っていた。
「皆、早いなあ。目が覚めちゃったよ。こんなに早くから、どうしたの?」
ハンナマリの眠そうな声に、全員が顔を向けた。
ヌーティが食卓から手招きして、ハンナマリを急かした。
「やっと起きてきたな。さあ、朝飯を食べろ。今日は忙しいぞ」
「ええ? 何かあったっけ?」
「寝ぼけてるんだな。昨日夜更かししたからしょうが無いか。ほら、しっかり目を覚ませ」
寝起きの仏頂面で突っ立っていたハンナマリだったが、父親の言葉を聞いているうちに、今日がどういう日かを思い出し、急にしっかり目が覚めた。
「そうだったわ。最後の荷造りをしなくちゃ!」
「こら、まず朝食を食べろ」
ヌーティは、慌てて部屋に戻ろうとするハンナマリを引き止め、食卓に座らせた。
「だって、急がなきゃ」
「急ぐなら、まず食べてくれ。他の人はもう食べ終えるぞ。お前が食べ終わらないと、調理道具や食器を積み込めないじゃないか」
「あ、そうか」
やっとの事でハンナマリが食事を始めた。
それからすぐ、ホルンの弟子のペールが一番に食べ終わった。それに気付いたホルンが杖を持ってくるよう言いつけた。はいと返事をして部屋に行ったペールは、杖を二本持ってきた。大ぶりで太めの杖だ。
「サロモン、アルヴォ、この杖を使ってくれるかい。古い物だけど、まだ十分使えるはずだよ」
「ほう、これは戦闘用の杖じゃないか。これはありがたい」
「どうだい? 手に合うかい?」
「ちょうどいい太さだ。女性には太すぎるようだが、あなたの物だったのか?」
「私の師匠のだよ。引退するときにもらったのさ。あんた達に使えそうで良かったよ」
「随分と堅い木を使っているな。両端には鉄の重りまで埋め込んであるではないか。これを私がもらって良いのか?」
その杖を少し触っただけですっかり気に入ったサロモンが、期待を込めた目をホルンに向けた。
「いいよ、そのために持ってきたんだから。出発して時間ができたら、予備呪文をかけてあげよう。少し練習するだけで使えるようになるよ」
「面白そうだな。予備呪文がかかった杖など使ったことがないから、どんなものなのか興味がある」
「ホルンさん、僕のにも予備呪文をかけて頂けますか?」
アルヴォがサロモンが受け取ったものより少々小ぶりの杖を握りしめて目を輝かせた。
「もちろんだよ。そうだ、ヌーティ、あんたの杖にもかけたげるから、持ってきて」
「え、俺のもかい? 俺は魔術師じゃないぞ」
訓練は受けたものの長らく杖など使ったことのないヌーティは、腰が引けている。
「魔術師の訓練を受けたんだろ。使い方を知ってるはずじゃないの」
「まあ、知ってるけどな。じゃあ、持ってくるか」
やむなくヌーティが杖を取りに行こうとすると、ホルンが引き止めた。
「今持ってこなくてもいいよ。出発してからやるから、橇に積んでおいて」
「ああ、使う気が無かったから荷造りしちまったけど、どうせ持って行くつもりだったんだ」
ホルンは、いいことを思いついたと笑顔を向けた。
「ハンナの杖も持って行くよね?」
「ああ、そのうちハンナマリに使わせようと思ってる」
朝食を大急ぎで食べていたハンナマリが、慌てて口の中のパンを飲み込み大声を出した。
「お母さんの杖をもらえるの? やった!」
「ちゃんと魔術師になれそうならな」
「大丈夫よ。やる気満々だもん。ホルンさん、私の杖にも予備呪文をかけて!」
ヌーティは、あきれた顔でハンナマリを睨んだ。
ホルンは、驚いた顔を作って断った。
「いやいや、まだだめだよ。まだ杖の使い方も知らないじゃないの」
「えー、そうだけど、練習するから」
唇を尖らせて主張するハンナマリに、ホルンは少し厳しい表情を作った。
「ちゃんと魔術師になって、自分で予備呪文をかけなさい」
ハンナマリは、一瞬しょんぼりとしたが、すぐにホルンの言葉の意味に気付いた。
「そうよね、自分で魔法をかけるのよ! よおし、やるぞぉ」
「そうそう、しっかり勉強しなさいよ」
ハンナマリは、うんっと力を入れてうなずき、残りの朝食を猛烈な勢いでかき込み始めた。
ヌーティは、小声でホルンに呟いた。
「ホルン、あんた、ハンナマリの操縦がうまいなあ」
「明確な目標を与えるのは、師匠の務めだろ」
「それが予備呪文じゃあ、今のハンナマリには目標っていうよりは夢だなあ」
「それでいいんだよ」
「そういうものかね」
朝食を終えたヌーティは、アルヴォに今日の仕事を指示した。
「午後一番で窯業組合の共同窯の昇温作業に行ってくれ。これがマーリングでの最後の仕事だ」
指示されたアルヴォは、心配そうに尋ねた。
「あの、魔術師の仕事は昨日から禁じられているはずですけど、良いのですか?」
「いやいや、予備呪文がかかっている窯なんだから魔法職人の仕事だぞ」
「でも、本焼き用の昇温は魔法職人には無理ですよ。本当に大丈夫ですか?」
ヌーティは、心配性なアルヴォに苦笑いしながら説明した。
「郷主の許可を取ってあるから、大丈夫だよ。高級品ばかり仕込ませたっておっしゃっていたから、魔法が使えなくなった後の資金を少しでも確保したいんだろう」
「そうなんですか。郷主も大変ですね。今後は大丈夫なんでしょうか」
アルヴォは、今度は郷主を心配した。
「俺も心配だけど、もうどうしようも無いよ。そういうわけで、朝から窯専門の魔法職人が素焼き程度までじりじり温度を上げてるから、それを引き継いでほしいんだ。いつも通り組合長が指示を出してくれるから、従ってくれ」
アルヴォは、納得してうなずいた。
そこに、歯を磨いていたハンナマリが戻ってきた。
「あたしの最後の仕事は?」
「お前は、学校に行ってこい」
自分も最後の仕事をしたかったハンナマリは、唇を尖らせた。
「学校どころじゃないでしょ。あたしだって、マーリングに最後の貢献をしたいのよ。それに荷造りもあるしさ。荷物を積むにも人手がいるでしょ」
「お前な、今日が学校に行ける最後の日だぞ。明日からは会えなくなる先生や友達にちゃんと挨拶をしてこい」
「あ、もう会えないんだ……」
思ってもいなかったことを言われて驚いたハンナマリの動きが止まった。
「だから、学校に行け。帰ってきたら、お前の荷物をまとめろ。積むのは俺達がやる。荷物をまとめ終えたら、街灯点灯だ。それがお前の最後の仕事だ。できるだけ長く光るように頑張れ。明日来る修道軍とやらに、何を失ったのかを見せつけてやるんだ」
ハンナマリは、黙ったままうなずいた。めがうつろだ。
そのまま動かないので、ヌーティは、ハンナマリの肩を掴んで向きを変え、壁に掛かっている外套の方の押しやった。
ハンナマリは、これといった反応も見せずに外套を羽織り、おぼつかない足取りで外に出て行った。
急に元気をなくしたハンナマリを心配したヌーティは、ピリス家の方に歩くハンナマリを窓から見守った。
ハンナマリは、うなだれたままティルダが出てくるのを待っていた。すぐに出てきたティルダと二・三言話すと、ティルダがべそをかき始めた。ハンナマリは、急に元気が出たように背筋を伸ばして、ティルダの背中を叩きながら学校に向かって歩き出した。
「優しい子だね」
部屋の奥からヌーティと同じようにハンナマリを見ていたホルンが言った。
「そうだな。ティルダのために空元気を出したんだろうな」
「今日になるまで友達と別れることに気付いていなかったみたいだね」
「ああ。……そんな迂闊なやつに魔法なんか教えていいのかな」
「いやいや、敢えて考えないようにしてたに決まってるじゃないの。そのくらい分かってあげなさいよ」




