最後の夜
追い出されるようにしてピリス家を出たヌーティとサロモンは、家に戻って手早く食事を作った。パンにハムを乗せただけのものと水という味気ない献立だった。
「旨くないな。ジャムでも乗せてみよう」
「酸味の強いジャムがいいぞ。肉と意外なくらい合う」
ヌーティがサロモンの勧めに従って蜜柑のジャムを乗せていると、パーティの片付けを終えたハンナマリが帰ってきた。
「あっ、お父さん、またそんな甘いものを夕食で食べてる。お腹が弛んできてるんだから、やめてよ」
ハンナマリは、父親を咎めながら、持ち帰ったパーティの残り物をどんとテーブルに置いた。
「ジャムより、こっちの方が太るんじゃないか。芋と肉だろ。しかも、肉には脂身がたっぷりだ」
「あら、じゃあ、もったいないからあたしが食べよ」
「いや、サロモンと俺で食っちまおう。今から一仕事だからな。アルヴォはどうした。まだ戻らないのか?」
ハンナマリは、肉を一切れつまんで口に運んでから答えた。
「ティルダと話してたわよ。元気付けてるんじゃないかな。あの子も少し分かってきたわね」
「そうか。タルッティがアルヴォのそういうところに気付いてくれればいいんだがな」
「おじさん、とっくに作業を始めてるわよ」
「ああ、アルヴォも間が悪いなあ。少しかわいそうになる。こら、油が付いた手でそこらを触るんじゃない」
「アルヴォはおじさんにアピールする気が無いもんね。ちょっと努力が足りないのよ」
ハンナマリは、そんなことを言いながら、厨房に手を洗いに行った。
「サロモン、俺は副組合長の所に行ってくる。あんたと子供達は、旅支度をしてくれ。食料はありったけを持って行こう。寝具は明日の朝に荷造りすればいいだろう」
ヌーティは、せっかくのお裾分けを急いで食べると、サロモンに後のことを頼んで家を出ていった。
夜が更けると空を覆っていた雲が引いていき、黒々とした空と明るく瞬く星々が現れた。真夜中になる頃には、気温が大きく下がり、タルッティは作業を続けるためにしばしば手を焚き火で温めなければならなくなった。
タルッティが少しでも早く手を暖めようと火にかざしたりこすり合わせたりしていると、アルセスの引く橇がやってきた。年かさの女性とカニンの若者が乗っている。タルッティが見ていると、カニンの若者が橇をアルセスから切り離し、ヘルミネン家の家畜小屋に引いていった。年かさの女性は、タルッティの所にやってきた。ホルンだ。
「こんばんわ。あんたがサロモンの弟子のティルダって子の親父さんかい?」
「やあ、こんばんわ。そうだ。タルッティだ。一緒に追放されるからよろしくな」
「うん。サロモンからティルダには才能がありそうだと聞いてるよ。旅の間、あたしも彼女の訓練に協力しよう」
ホルンは、楽しそうにティルダを話題にしたが、すぐに橇に視線を転じた。
「この橇、なんだかすごい改造をしてあるね。まるで動く家だわ。あんたが改造を引き受けてくれたと聞いてる。間に合わせてくれてありがとうね」
「おう。でも、少し間に合ってないんだ。外側はできたけど、設備がまだな。明日の昼までには使えるようにするつもりだ」
ホルンは、タルッティが徹夜するつもりでいると察した。
「何か手伝えることがあるかい?」
「いや、ヌーティやサロモンにも言ったんだが、魔法を使える人は休んでくれ。特にあんたは橇を動かすのに必要な予備呪文とかいうのの使い手だろ。疲れるようなことをしないでくれ」
「そうだね。あんたの言うとおり休んでおくべきだろうね。予備呪文については任せておくれ」
ホルンは、手を振ってヌーティの家に向かった。
タルッティが手を温めながらホルンを見送っていると、アルセスの世話を終えたらしいカニンの若者が戻ってきた。
「こんばんわ、ホルン師匠の弟子でペールといいます。一緒に逃げますので、よろしくお願いします」
カニンらしい、明るい声だ。
「タルッティだ。よろしくな」
タルッティが挨拶を返すと、ペールは、ニコニコしながら持っていた大きな桶を差し出した。
「寒いですから、これを使ってください。もう十分温まってますよ」
「何だこれは?」
「携帯用の火鉢です。師匠が寒がりでね、橇に乗っている間中それを抱えて暖を取ってたんです。石には呪文をかけなおしておきましたから、明日の朝までは十分持ちます。焚き火と違って、手元に置いておけますから便利ですよ」
「こりゃいいや。簡単に手を温められそうだ」
「その横が外れます。開けておくと、石の光が当たって暖かいですよ。ずっと焚き火の横に立ってるような感じになります」
火鉢の横に蓋があり、開けてみると、赤熱した石が発する熱が直に伝わってくる。
「お、これで手元を暖めれば、中断せずに作業を続けられそうだ。これは助かるぜ」
ペールは、嬉しそうにうなずいたが、すぐにすまなそうな顔になった。
「申し訳ありませんけど、私はこれで休みに行きます」
手伝うと言い出さなかった者は初めてだ。
「あんたの師匠に言ったことが聞こえたのか?」
「はい。師匠の声を聴き逃すと叱られるので、いつも耳を澄ましてますから」
ペールは、耳を大きく立てた耳を振りながらヘルミネン家に向かった。
真夜中になる頃、ハンナマリが自分の部屋から出てきた。
「荷造り、やっと終わった」
「ちゃんと夏物も入れたか?」
「入れた。ある服全部荷造りした。沢山あった」
ヌーティの問いに、ハンナマリは眠そうなぼうっとしたで声言葉少なに答えた。目の焦点がどこにもあっていない。
「よし、じゃあ、もう寝なさい」
「えー、他にやることないの? 食べ物とか食器とか」
「できるものは全部サロモンとアルヴォが済ませた。食料庫には、明日の朝の分しか残ってないぞ。さあ、さっさと寝るんだ。アルヴォもな」
「はい」
アルヴォは、すぐに寝室に行ってしまった。
「あの子、よく寝る気になるわね。明日までしかマーリングにいられないってのに、とても寝られないわよ」
「アルヴォは、休める時には休まなければならないと分かっているのだよ。寝られないなら目を閉じているだけでも良い。とにかく休みなさい」
「ほら、お前も見習って、寝室に行け」
サロモンの応援を受けたヌーティは、ぶつぶつ呟くハンナマリの背を押して部屋に押しやった。
ホルンは、ハンナマリがふらふらと部屋に入るのを見て微笑んだ。
「ハンナマリでもこんな時には寝られないのかね」
「いやあ、緊張してるのは確かだけど、寝られないことはないと思うよ。朦朧としてたじゃないか」
「ふうん。ところで、明日はどういう予定を考えてるんだい?」
「出発は夕方にしようと思ってる。急だったから、挨拶もできてないんだ。さっき窯業協会に頼まれた最後の仕事もあるしな」
「まだ仕事があるのかい?」
「明日焼き窯の温度を上げておかないと、ここ数日の作業がだめになるんだと」
「なるほどねえ」
「午前中はその仕事と、荷積み。午後は荷積みの続きと確認。二時くらいから子供達に最後の街灯点灯をさせて、それが終わったら出発するつもりだ」
ホルンは、意外そうに顔をしかめた。
「この期に及んで、街灯点灯かい?」
「この町には世話になったからな、最後までちゃんと働いとこうと思うんだ」
「ふうん、まあ、町を去るにしても、義理は尽くしておく方がいいよね。灯り石を使う馬車ランプを持ってきたから、夕方出発でも大丈夫だろう」
「馬車ランプって、前を照らすやつかい?」
「そう、結構明るいよ。おかげで今日ここに来る時も快調だったわ。あたしでも明るく感じるんだから、ペールやアルセスなら眩しいんじゃないかしらね」
「師匠、眩しくまではありません」
ペールが、師匠がまた大げさなことを言っていると、迷惑そうに否定した。
「そうかね、そんなに目玉が大きいのにかい? さて、あたしも寝るよ。おやすみ」
ホルンは、おもむろに立ち上がった。
「じゃあ、俺達も寝るか。ペールは、師匠の隣の部屋を使ってくれ。他の部屋の発熱石は、全部橇に積んじまったんだ」
ハンナマリの部屋の前を通ると、気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。大人達は目を見合わせ、くすくす笑いながら音を立てないようにそっとそれぞれの部屋に向かった。




