魔法禁止令公示
次の日の朝、ハンナマリを学校に送り出して少し経った頃ヌーティが仕事に出る準備をしていると、またロニーがやってきた。いつもとは違って、のんびりした様子でもない。幸い道路から玄関までの通路は雪をかいてあったので前回のように転ぶこともなく、キビキビと戸口まで来てノックした。
「ヘルミネンさん、ユバ魔術師、いらっしゃいますか?」
「いるよ。入ってくれ」
少し間があって、ヌーティが扉越しに返事をした。ロニーが扉を開けると、ヌーティは、濡れた手をタオルで拭いていた。
「朝食の片付けをしていたんだ。今朝はなんだい?」
「朝早くからお邪魔してすみません。郷主から、九時に郷主邸まで来るよう言付かってきました」
ヌーティは、サロモンと目を合わせた。歯を食いしばったサロモンの顎に影が現れた。
「分かった。呼ばれているのは、俺たちだけかい?」
「いえ、これから、各組合長に十時に集まるように伝えに行きます」
「ふうん、ご苦労さん。戻ったら、九時に伺いますと郷主に伝えてくれ」
「はい。では、間違いなくおいで下さい」
ロニーは、いつものような無駄口を叩かずに出て行った。
「来ちまったかな」
ヌーティは、独り言のようにつぶやいた。
「そうだろう。我々だけ早く呼ばれたということは、特別に状況説明をして頂けるのだと思う」
「王都の様子が分かったのかも知れない。一時間も早いんだから、相談する時間を設けられたということじゃないかな」
「あんなに簡単な伝言では、何が起きたかを想像することもできん。魔法禁止令が出たことだけは間違い無いのだろうが、摂政や陛下と教主との関係はどうなっているのだろう?」
「うーん、落ち着かないなあ」
二人は、朝食の片付けを終えても落ち着きを取り戻せず、呼ばれた時間より半時間も早く郷主邸に行ってしまった。
学校を終えたハンナマリが昼時に家に帰ったとき、まだヌーティとサロモンは戻っていなかった。ハンナマリが今日の当番は自分じゃないのにとブツブツ言いながら昼食を作っていると、アルヴォが帰ってきた。
「お帰り、アルヴォ。ねえ、お父さん達がいないんだけど、どうしてか知ってる?」
アルヴォは、ハンナマリを手伝うために腕まくりをしながら厨房に入ってきた。
「多分、郷主邸にいるんじゃないかな。今朝君が学校に行った後、ロニーが呼びに来たんだ。同業組合の組合長達が皆呼ばれたらしいよ」
ハンナマリは、ふうんと呟きながら、鍋を指さした。
「他はもうすぐできるから、その鍋の麦粥をよそってよ。で、どうして呼び出されたの?」
「ロニーは言ってなかった。お父さん達は心当たりがあったみたいだったよ。言われた時間より随分早く行ってしまった」
「あたしには、相手が困るから約束の時間よりあまり早く行くなって言うのにねー。郷主様を困らせたらだめじゃないの」
「何か気になることがあったんじゃないかな。ロニーが来た後、そわそわしてた」
「ふーん。まあいいや、できたから食べよ」
ハンナマリ達が昼食を食べ終えた頃、ティルダが午後の勉強のためにやってきた。鍋に残っている麦粥はすっかり冷え、このまま夕食にしてしまおうと考えたハンナマリが寒い食料庫に移動した。少しだけ出したハムは、大人達の分が余っていたので、三人のおやつにした。
勉強が一段落した時、そろそろ母親を手伝う約束をした時間だからと、ティルダが帰った。ハンナマリは、アルヴォを独り占めできる機会を逃さず、改良に失敗した呪文の悪いところを探すのを手伝わせた。アルヴォは、大人達からハンナマリ自身に考えさせろと言われているので重要なポイントを指摘するだけに留め、ハンナマリからケチ扱いされた。
街灯点灯作業の時間が近づいた頃、ヌーティとサロモンが帰宅した。二人とも顔色が悪く、疲れた様子だ。
ハンナマリは、昼時に戻らなかったことへの文句を引っ込めた。
「どうしちゃったの? 急ぎのお仕事でも入ったの?」
「いや、魔法職人達とずっと話をしてたんだ」
ヌーティは、上着を脱ぐと、椅子に座りだらりともたれかかった。
「郷主様に呼ばれたって聞いたけど、組合の会議だったの?」
ハンナマリが首をかしげた。
ヌーティは、仕方なさそうに椅子に座り直した。
「郷主と話した後に組合員達と話したんだ。郷主から厳しい話があったんだよなあ」
「やっぱり、もっと早く魔法職人を増やせとか、そんな話よね。ティルダのことも話した?」
ヌーティは、それを聞いて苦笑いした。ハンナマリは、常に前向きだ。こんな娘に、郷主の命令を聞かせたくない。
背を伸ばして座り二人の話を聞いていたサロモンが、躊躇するヌーティを視線で促した。
それに気付いたヌーティは、気を取り直そうと大きく息を吸った。
「ハンナマリ、アルヴォ、そこに座れ」
テーブルの反対側の椅子を示された二人は、怪訝そうに首をかしげながらも、大事な話らしいと素直に座った。
「いいか、ハンナマリ、落ち着いて聞けよ。びっくりして大声を出すんじゃないぞ」
「何の話か知らないけど大丈夫よ。心配なのはアルヴォだわ」
「え? 僕の話?」
いきなり名前を出されてびっくりしたアルヴォ。
「いや、皆に関係がある話だ。ハンナマリ、お前にも関係があるんだぞ」
「分かってるわよ。アルヴォが一番びっくりするんじゃないかと思っただけだもん」
「いや、騒ぐのはいつもお前だろう」
そこにサロモンが割って入った。
「ヌーティ、脱線しているぞ」
「ああ、すまん。ハンナマリ、ちょっと黙ってろ」
「ぶう」
不満そうな顔をしながらも、ハンナマリは口を閉じた。
「実は、魔法禁止令が出た」
アルヴォは表情を消し、姿勢を正した。
ハンナマリは、首をかしげた。
「禁止令って何?」
「魔法を使うなということだ」
「変だわ。郷主様が魔法を使うなって言ったの?」
「いや、摂政と教主だ。摂政はご病気の王様の代役なんだが、教主と一緒に魔法を使うなと言っている」
ハンナマリは、再び首をかしげ、今度はしばらく考え込んだ。
「この間は魔法を早く広めろって言ってたのに?」
ヌーティは、ハンナマリのこの前向きな勘違いを否定したくなかった。だが、そうはいかない。魔法禁止令は、出されてしまったのだ。
「なあ、摂政が魔法を広めたがっているだろうというのは、俺たちが予想したことだ。実際に摂政がそう言ったわけじゃない。とにかく、摂政は、この国で魔法を使うなとおっしゃっているんだ」
ハンナマリは、目をまるくして、思わず立ち上がった。
「でも……」
口をぱくぱくと動かしているが、それ以上の言葉が出てこない。
「お、意外に静かだぞ?」
「こら、ヌーティ」
深刻な雰囲気には嫌気がさしていたヌーティが面白そうに言うと、サロモンがたしなめた。
ヌーティは、チラリとサロモンを見て、ハンナマリとアルヴォに向けて説明を続けた。
「まあ、二人とも冷静に聞いてくれ。本当に摂政がこの命令を出したのか分かっていないんだ。摂政は王陛下と同じ考えだったはずだから、教主が独断で出したのかも知れない。領主が確認の使いを送ったそうだ。だから、その結果が分かるまではこれまで通りに魔法を使ってよろしいと言って頂けた」
いきなり魔法を使えなくなるわけではないと分かって少し安心し、声が出るようになったハンナマリは、心配そうに尋ねた。
「偉い人の言うこと聞かなくて大丈夫なの?」
「もし教主が独断で出したなら、一番偉い摂政は魔法を使うつもりだということだろ。だから、それを確認するために、領主が使いを出したんだよ」
「そうかあ、なあんだ。じゃ、大丈夫なんだ。禁止って命令は、そのうち取り消されるのね」
ヌーティの説明を楽観的に捉えたハンナマリは、溜息をついて座り直した。
アルヴォは、無表情のまま動かない。ハンナマリは、そんなアルヴォの背中を叩いた。
「大丈夫よ、明日には間違いでしたって取り消されるわ」
「……そうだね」
アルヴォは、一応同意したが、その目には楽天家のハンナマリをうらやむ色がある。
ヌーティは、この機会を捉えて、禁止令の話を打ち切った。
「さあ、少し遅くなっちまった。街灯を点けに行ってくれ。町の皆を困らせないように。それに、商業組合に値下げ要求のネタを与えないようにな」
ハンナマリとアルヴォが仕事に出て行くと、ヌーティとサロモンは冷え切った麦粥を手早く平らげて、夕方の仕事のために身支度を始めた。
そこに、ティルダの父親、タルッティが飛び込んできた。
「おい、魔法禁止令ってのは何だ? 木工組合長から聞いたんだが、よく分からなかった。何が起きてるんだ? 教えてくれ!」
タルッティは、作業場から走ってきたのだろう、肩で息をしている。
ヌーティとサロモンは、互いにどこまだ話して良いかを問いかけるように目を合わせた。サロモンが先に結論を出した。
「ティルダを魔法職人と見做して説明すべきだろう」
「うん、そうすべきだろうな。よし、タルッティ、俺が知る限りのことを話してやる」
ヌーティは、魔法職人に話したことを全てタルッティに伝え始めた。魔法禁止令が本当に出されたこと、教主が暴走している疑いがあること、現在領主が確認中であること、結果がはっきりするまで魔法を使い続けて良いことである。
聞き終わったタルッティは、矢継ぎ早に質問し始めた。
「と言うことは、魔法禁止令が撤回される可能性があるんだな」
「うん。だけど、領主が知らせてくれるまで、どうなるか分からないんだ。郷主は、一週間くらいのうちには分かるはずだとおっしゃっていた」
「撤回される可能性は高いのか?」
「それは……」
ヌーティが助けを求めて視線を向けると、サロモンは小さく首を振った。弟子であるティルダの父親には、正直に伝えなければならない。
「あまり高くなさそうなんだ。教主と摂政が結託しているかも知れない」
「撤回されない場合、魔術師はどうなる?」
タルッティの単刀直入な質問に、ヌーティは、渋々答えた。
「魔術師なら追放されると思う」
「そうか。魔法職人は?」
「サロモン、答えてくれ」
ヌーティは、魔法職人である自分が答えても、信用してもらえないだろうと考えた。魔法排除の現場を経験したサロモンに答えてもらう方が良い。
サロモンは、冷静な声で答えた。
「なにもされないだろう。だが、仕事を変えざるを得まい。もし魔法を使ったりすれば罪を犯したと見做されるだろうが、そもそも予備呪文をかける魔術師がいなくなるのだから、そんな心配も無いだろう」
タルッティは、サロモンをぎろりと睨んだ。不安と怒りを湛えた眼差しだ。
「ティルダは、魔術師なのか?」
「いや。魔術師ではないし、まだ、魔法職人とすら言えない」
「ティルダは、まだ追放されるような立場じゃないということだな」
サロモンは、一瞬躊躇した。魔法禁止令を聞いたティルダがどう考えるか、容易に予想できたからだ。だが、質問には簡単に答えられる。
「そうだ」
タルッティの目から、不安が消えた。だが、怒りは残っている。
「いつからこうなると分かってたんだよ。ティルダが弟子になるときには、こんなこと言ってなかったじゃないか!」
「今でもはっきりと分かってはいない」
「でも、魔術師は追い出されるんだろう」
「それも、摂政の姿勢次第だ。まだはっきりとは分からん。こうなる可能性に気付いたのは、ティルダを弟子にした二日後だ」
タルッティの顔が真っ赤になった。
「たった二日後か! なぜすぐに知らせないんだ! もう、ティルダをこの家には寄越さん。これ以上魔法を教えないでくれ!」
タルッティは、そう怒鳴ると、凄い勢いで出て行った。勢いよく閉められた扉が、ハンナマリが閉めたときより大きな音を立てた。
それを見送った後、ヌーティがぽつりと漏らした。
「なあ、サロモン、あそこまで露骨に知らせる必要があったのかなあ?」
サロモンは、しばらく黙っていたが、しばらくしてから、ぼそぼそと答えた。
「多分な。彼は、ティルダの親として、あやふやなものではあっても、真実を知る権利がある」
「あんたらしいよ。まあ、同じ意見ではあるんだけどな」
ヌーティは、夕方の仕事のための身支度を再開し、サロモンもそれに倣った。家を出ても二人とも無言だったが、それぞれの目的地への別れ道でヌーティが尋ねた。
「ティルダはどうするかな?」
サロモンは、ピリス家の方に視線を向けた。
「ホルンの橇にティルダの家族を乗せられるように準備すべきだろう」
「やっぱりそう思よな。橇が大きくて良かったよ」




