禁止令前日の相談
翌日、ホルンがマーリングにやってきた。予備呪文をかけるための定期的な訪問だ。ヌーティとサロモンは、いつもの通り夕方に宿で落ち合い、夕食を共にする。
ホルンの定宿に行くと、いつもは階下の大部屋で他の客と一緒に飲むのだが、今日は亭主に二階の隅の部屋に案内された。
「今日は部屋を取ったんだね。何かいいことがあったのかい?」
ヌーティがすでに部屋で待っていたホルンに聞くと、ホルンは、苦笑いしながら答えた。
「別にいいことは無いねえ。今日は他の人に聞かせたくない話があるんだよ」
「ふうん。人に知られたくない悪い話ってことかい」
他の人に聞かせたくない話なら、魔法禁止令のことに決まっている。
「まあ、いい話じゃないね。でも、あたしもまだ予告されただけだよ」
ホルンの情報も乏しいようだ。
「じゃあ、知ってることを摺り合わせるんだな」
「それもあるけど、あたしが話したいのは、ちょっとだけ救いがある話さ」
「救いって、あの命令が何とかなりそうだってことかい?」
「いやあ、多分無理だね。ルンドフェルト郷主は教主の暴走かも知れないなんて言ってるけど、本気でそう考えてるとは思えない。救いってのは、もう少し現実的な話だよ」
ヌーティは、首をひねった。魔法禁止令が出るのなら、それの撤回以外に現実的な良い話など思いつかない。
ホルンは、ヌーティの様子を見て笑った。
「サロモンが来て料理が揃ったら話すよ。店員に聞かれてもやっかいだからね」
「うん、まあ、この手の話は部外者に聞かれるとまずいよな。郷主にも迷惑がかかりそうだ」
そのとき、扉が叩かれた。ヌーティとホルンは、びくっとして同時に入り口の方を見た。視線でヌーティから頼まれたホルンが、ノックした者の入室を許可する。
「どうぞ」
扉が開くと、亭主がサロモンを連れて入ってきた。
「よお、お連れさんの到着だぜ」
「何だ、あんたか」
ヌーティのほっとした表情を見て、亭主が笑った。
「内緒の商談でもしてんのか? 俺には聞こえなかったけど、ここにはカニンの小僧もいるからな。ちょっとした声でも廊下で聞かれるぞ。そういう話は扉を閉めてても小声で頼むぜ。人の商売に鼻を突っ込むなとは言ってるんだが、若いのは好奇心が強いからな」
「そうだな、分かったよ」
ヌーティがうなずくと、サロモンも礼を言った。
「ご忠告、感謝する」
亭主は困ったようにサロモンに笑いかけた。
「あんたも相変わらず堅苦しいなあ。この町の兵士はもっと砕けてるぜ。まあ、近衛なんてすごいもんじゃなくて、田舎の郷軍だからなんだろうけどな」
「いや、謙遜することはないぞ。彼らは良い練度を保っているよ」
「あんたは、視点が軍人さん過ぎるよ。まあ、この町自慢の郷軍ではあるな。じゃあ、注文をもらおうか」
亭主は、各々から注文を取ると、少々お待ちをと言いながら出て行った。
「さて、ホルンがなんだかよく分からない救いのある話を持ってきてくれたそうなんだが、料理が来るまでは別の話をしていようかね」
ヌーティは、亭主の忠告を容れて、給仕に魔法禁止令がらみの話を聞かれないように、ティルダがサロモンの弟子になった話を始めた。
ティルダが弟子になった経緯や教育方法の改善についてヌーティが手短に話すと、ホルンが眉をひそめた。
「今の状況をティルダや親御さんに話したのかい?」
「郷主から口止めされてるんだ、話せるわけ無いだろう。それに、あのころは摂政に魔法普及を急かされるかも知れないと思ってたんだ」
ヌーティは、ばつが悪そうな顔になった。
「ああ、まだそういう時期だったっけ。でも、弟子にするのは学校を出てからでも良かったろうに」
「あの子の熱意に応えないなど、私にはできなかったよ」
サロモンがぼそりと言った。
「この話は今はやめとこう。当てが外れたとは言えあの時期としては間違っていない判断だったと思うし、亭主が言ってた内緒の商談に立ち入りそうだ。それより、新しい教育法をどう思う?」
ヌーティが話を逸らすと、ホルンは、あきらめ顔で鼻を鳴らした。
「最初に魔法職人の教育をするというのは、面白いね。それで成果が出ているらしいのも、いいことだ。魔法職人の訓練が、魔術師訓練にも役立つとはねえ。あたしもその方法で弟子を育ててみたいもんだ」
ホルンが感想を言うと、サロモンがポロリと漏らした。
「自分の訓練もこの方法でやってほしかったと思うくらいだよ」
「アルヴォの魔術の幅を広げるために同じようなやり方が役立ったりしないかね?」
「さあ、どうだろうな。ティルダの進歩の早さは、あの子が熱心に練習するからなのではないかな」
「アルヴォも真面目じゃないか」
「真面目過ぎる」
息子を褒められて照れているんだか本気でそう思っているんだか、サロモンが眉を寄せてそう言うと、ホルンが笑い出した。
「あんたにゃ、それを言う資格が無いんじゃないかねえ」
そこへ、亭主と若い給仕が料理と酒を持ってきた。若い給仕は、人間だった。どうやら耳のいい小僧をこの部屋に近寄らせないように配慮してくれたようだ。
「で、あんたの言う微妙な救いのある話ってのは何なんだ?」
亭主達が退出すると、ずっと待っていた話題について、ヌーティがホルンに早く話すよう急かした。
「追放されるときに逃げ出すための手段なんだけどね」
「おいおい、もう逃げ出す算段をするのかい?」
ホルンが魔法禁止令により追放されることを前提としていることに、ヌーティは驚いた。
「そりゃそうだろ、近いうちに出るのは間違いないんだから」
ホルンは、当然のような顔をしている。
ヌーティは、心許なげに反論した。
「でも、本当に摂政が出すのかも分かってないし、まだ、郷主や領主がその辺りを確認しようとしているところじゃないか」
「そうだけどね、最悪の事態には備えておいた方がいいんじゃないかい? あんた、その辺はいつもしっかりしてるのに、どうしたんだい?」
「どうしたって言われてもなあ……」
摂政が王の意向に反して魔法を禁止するなどとは考えないようにしていたヌーティは、言い淀んだ。教主の暴走を摂政が押さえてくれるはずだなどと期待しても、問題から目を逸らしているだけだとは分かっていた。その可能性にすがり、現実に魔法が禁止される可能性が高いと認めることから逃げていたのだ。亡き妻と二人で始めてマーリングとルンドフェルトで成果を挙げ、領主や王陛下からも期待されてきた魔法を普及させる活動が、妙な教義により価値観が狂っているとしか思えない神聖教の手先にあっさりと潰されることなど、考えたくもなかった。
「ヌーティ、状況は非常に厳しい。郷主達の努力はありがたいが、当てにはできない。最悪の事態に備えなければならんだろう」
サロモンが、ヌーティを真っ直ぐに見ながら指摘した。
ヌーティは、額を揉みながらしぶしぶ同意した。
「分かった。最悪の事態になってから慌てるようじゃいけないよな。そうだよな。分かったから、ホルン、さっき言ってた救いの話をしてくれ」
ホルンは、力なく背を丸めながら話を促すヌーティを気遣わしげに見やりながら話し始めた。
「まあ、救いってほどの話じゃないんだけどね。サロモンとアルヴォが西の国から逃げるときに散々苦労したと聞いたから、その苦労を少しは減じられそうな道具を手に入れたのよ」
サロモンは、黙って聞いている。あのときは、アルヴォと二人だったので身軽だったし、二人とも軍人としての訓練を積んで体力もある。それでも色々と苦労をした。今回は、ホルンという初老の女性やハンナマリを連れて逃げねばならない。ヌーティも十分な体力があるとは言えない。追放される者のうち最も体力が無いホルンが手に入れたという道具とは何だろう?
「ルンドフェルト郷主から大きな橇をもらったんだよ。冬山から丸太を運び出すための橇でね、幅は一尋半、長さは五尋くらいあるかな。かなり大きいから、荷物も余裕を持って積めるし、食料だって十分持って行ける。冬なら水の心配も無いし、大分楽に旅ができると思うのよ」
具体的な話を聞いているうちに、ヌーティの顔つきが変わった。暗い目の色は変わらないが、ホルンの話を検討する鋭さを見せ始めた。
「大きいのはいいんだが、どうやって動かすんだ。そんな橇じゃ、重輓馬が何頭か必要だぞ。馬付きでもらえるとしても、餌だけで橇が一杯になっちまって、人の乗るところなんか残らないだろ」
ホルンは、予想していた質問に、にやにやしながら答えた。
「あたしのアルセスが引くのさ」
「どういうこった?」
ヌーティは、あっけに取られた。確かに、アルセスなら餌の量が少なくて済む。しかし、アルセスは大きいが、引く力はたいしたことがない。たとえ荷物を積まなくても大きな橇を引けるとは思えない。
サロモンは相変わらず黙っているが、目を見開いて首をかしげている。
「その橇には鉄板がたっぷり貼り付けられていてね、魔法で持ち上げるんだ」
「乗って動かしたらひっくり返るんじゃないか?」
魔法で自分が乗っているものを動かすと不安定になることは、魔術師の間ではよく知られている。荷車に乗って魔法で引いたり押したりしても進路が定まらず、道から転げ落ちかねない。そのせいで、魔術師であっても旅をするには歩かなければならない。魔法で動かす橇など使い物にならないはずだ。
「魔法は持ち上げるだけに使うんだ。動かすにはアルセスに引いてもらうんだよ」
「大丈夫なのか?」
サロモンが疑わしそうに尋ねた。
「練習がいるけどね。ルンドフェルトじゃ、魔法職人一人と御者と補助者で乗用馬一頭を使って木を運び出してたよ」
サロモンは、まだ信じられない。
「持ち上げたところで、そもそも乗用馬一頭じゃ動かせそうにないんだが?」
「補助者が動き出すときに押すんだ。歩く速度くらいまで押してやれば、後は仔馬でも大丈夫だよ」
「上り坂でもかね?」
「魔法の力を加える向きを少し変えるだけさ」
「なんと、そんな魔法の使い方があるのか。マーリングでは見たことが無いな」
サロモンは、橇の使い方には納得したようだ。
「マーリングは林業をやってないからな。橇一台に魔法職人を貼り付けるより、他の場所に割り当てた方が得だよ。ところで、その橇は真っ直ぐ進むのかい? アルセスじゃ進路を安定させるだけの力が出ないだろ」
相変わらず浮かない顔をしているが、ヌーティにいつもの調子が戻っている。
ホルンは、そんなヌーティを満足そうに見ながら応えた。
「ランナーが薄い板のようになってるから、雪に食い込んでまっすぐ進むよ。林業用の橇だってことを忘れないでよ。斜面を横切れるように作ってあるんだ」
「なるほど。早く見てみたいものだ」
魔法を産業利用する新しい一例を知ったサロモンは、興味津々だ。
「次来るときに持ってくるわ。動かし方をそのときに教えるよ。予備呪文もかけておくからね」
「私に予備呪文は要らないぞ」
「ヌーティやハンナマリに扱えなきゃ困るだろう」
「そうだったな。考えが至らなかった」
「もしかしたら、あんたの新弟子でも扱えるかも知れないね。随分進歩が早いようだから」
ホルンはにっこりと笑いながら言ったが、サロモンは渋い顔を見せた。
「あの子を連れて逃げるつもりは無いのだ。彼女の意思次第だが、まだ魔法が使えるわけではない。逃避行に加わらず、この町に残ることができるはずだ」
「そうだねえ。でも、その子は大分熱心なようじゃないか。魔法が無くなって豊かでもなくなったマーリングに残るのと、一緒に逃げるのと、どっちがいいかは分からないよ」
「だが、一緒に逃げれば、どこかで殺されるかも知れない」
「残ったって、貧乏になり不潔な生活になるだろうし、治安も悪化するだろうよ。ほんの十数年前にそうだったようにね。いつ何で死ぬか分からない生活さ」
「ううむ……」
まさに西の国は、ホルンが指摘したような状態だった。マーリングを知ってしまうと、たとえ生国とは言え、あのような場所に戻りたくはない。サロモンは、ティルダを残すべきか否かが分からなくなって、黙りこくってしまった。
ヌーティは、殺されるのなんのという二人の話を聞いて青くなっていた。
「ヌーティ、あんたも魔術師の訓練を受けたんだろ。そういう状況があるってのは知ってるだろうに」
ホルンがあきれたように言うと、ヌーティは、顔をこわばらせたまま返事をした。
「ああ、俺はそうした訓練を受けてる。でも、娘がそれに巻き込まれると思うと、ぞっとする」
それに対して、ホルンは、何も言えなかった。




