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遠雷  作者: 北野 いまに
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限界

 摂政就任の知らせを都合良く理解して際限なく盛り上がっていたハンナマリを、ティルダがどうやって落ち着かせたのかは分からない。だが、学校から帰ってきたハンナマリは、朝の興奮からすっかり醒めていた。それでも、やる気は全く失われていない。

 その日以来、ハンナマリとティルダは、これまで以上に熱心に勉強した。町の人々や郷主だけではなく、王家の方々まで魔法に期待してくれていると考えたからだ。魔法の普及を急かすということは、摂政の方が王より大きな期待をしているようだ。これで張り切らないわけがない。

 多分ティルダの意見だろう、学校の勉強と魔法理論や魔法職人の訓練を、時間を決めて次々に進めた。そのスケジュールに従いながらも、ハンナマリは、より早い進度やより深い説明をアルヴォに求めて困らせていた。アルヴォは、なんとかその要求に応じるべく、寝る前に次の日に教えることの計画を立てたり、調べ物をしたりした。調べ物と言っても本などの資料をサンデ国から持ってこられなかったので、サロモンがアルヴォをサポートするために付き合うことになる。

 たったの一週間で四人とも疲れが見えるようになり、ヌーティは、だんだんと心配になってきた。サロモンとアルヴォは少々寝不足のようだ。ハンナマリとティルダも同じく寝不足らしく、あれだけ多かった口数も減ってきている。こんなことを続けていると、すぐに限界が来るに違いない。


 だが、限界は、四人とは別のところからやってきた。


「こんにちはー、ヌーティ、ちょっとお邪魔するわよ」


 扉を開きながらノックして、ヌーティが返事する間も与えずに入ってきたのは、ティルダの母親のパニラだ。


「やあ、こんちわ……」


 パニラは、不意を突かれて反射的に半端な挨拶をするヌーティに軽く会釈をしながら、ティルダのところにつかつかと歩み寄った。


「いたいた、ティルダ、勉強ばっかりしてないで、ちょっと色々手伝ってくれない? さ、家に戻るわよ」

「わ、お母さん、あとちょっと、ここだけやってから」


 むんずと襟首をつかまれたティルダは慌てて石版にかじりつこうとしたが、パニラはティルダの手を素早く掴み上げ、背中を軽く叩いて立ち上がらせた。


「それは手伝いの後でね。はいはい、歩いた歩いた」

「アルヴォが戻ってくるまでに、あそこの部分を覚えたいの」


 戸口の方に押しやられながらも、ティルダは一生懸命訴える。


「大丈夫。なぜ覚えられなかったか、ヌーティが説明してくれるわよ。ね、ヌーティ」


 ティルダの願いをあっさりと却下したパニラは、ヌーティに目配せした。


「あ、ああ、そうだな。きちんと説明しておくよ」


 ヌーティは、とりあえずパニラに請け合った。ここ一週間、子供達は限度を超えて勉強に集中し過ぎていた。こんなことを何ヶ月も続けられるとは思えない。これをちょうど良い機会と捉えて、継続できるように変えさせよう。


「さて、ハンナマリもだな」


 向き直ったヌーティがこちらも石版にかじりついているハンナマリに声を掛けると、ハンナマリはびっくりした。


「え、だって、あたしはちゃんと仕事もしてるし、家のこともやってるわよ」

「いいや、全く足りていないところがある」


 ハンナマリは、顔を引きつらせた。


「えーっ、これ以上何ができるのか分かんない」

「お前に足りないのは、体の鍛練だな。それから休養だ」

「それって、勉強と関係ないじゃない」

「魔術師の訓練とは関係あるんだ。まずは、これを持って外に行け」


ヌーティは、戸口の脇で埃をかぶっていたかんじきを抗議するハンナマリに押しつけて、戸口に押しやった。


「これ、玉運び用のかんじきじゃない。これで何をするのよ?」

「その玉遊びをしてこい。真剣にやるんだぞ。十分な運動量と、仲間との連携が必要だ」


 ヌーティは、ハンナマリを外に追い出し、さっさと扉を閉めてしまった。

 ハンナマリは、少しの間、途方に暮れたように庭に立っていたが、そのうち、首をかしげながら歩き去った。

 夕方、ハンナマリは、アルヴォと一緒に帰ってきた。渋々のように家から出たハンナマリだったが、広場に着いた後は、久々の玉運びに夢中になって仕事を忘れ、通りかかったアルヴォが手伝う羽目になったらしい。




 次の日、ハンナマリが学校に行った後、ヌーティは、サロモンとアルヴォに魔術師訓練の方法について相談を持ち掛けた。


「なあ、ハンナマリとティルダだが、ここのところ随分と頑張ってるようだな」

「そうだな。あれほど熱心な弟子はなかなかいない」

「特にティルダはハンナマリに追いつこうとしているのでしょう、本当に真剣ですよ」


 サロモンもアルヴォも、娘達の異常なほどの頑張りを肯定的に捉えているようだ。だが、ヌーティは、その頑張りを常識的な範囲に抑えたい。


「でも、今の進め方は、少々バランスを欠いている気がするんだけどな。あんなに朝から晩まで勉強ばかりしているんじゃ、体を壊しそうだよ」


 サロモンは、少し考えてから応えた。


「ふうむ、そうかも知れない。座学と実習以外何もしていないようだからな。体に悪影響が出ても困るから、運動の時間を追加しよう」

「そうですね、魔術師は体も鍛えておかなければいけませんから」

「まあ、お前が思うほど体を鍛える必要は無いんじゃないかな。別に軍魔術師を育てようというわけじゃないんだから」

「あ、そうでした。では、昨日のハンナマリのように玉運びのような遊びを勧めれば十分かも知れませんね」


 サロモンとアルヴォは、ヌーティが指摘した問題点について楽しそうに話し合っている。問題点を指摘するとすぐに改善策を探そうとするところなど、遙か西方の国の出身であっても、やはり魔術師なのだなと思わせる。

 だが、話し合いの方向性がヌーティが望む方向とは違う。ヌーティは勉強・運動・休養のバランスを欠いていると言ったつもりだったのに、この二人は訓練の幅を広げることばかり考えて、休養には思い至らないようだ。婉曲に言わずにはっきり指摘しないと分かってもらえそうにない。


「おいおい、今でも一日中訓練でびっしり埋まっているのに、運動なんか追加したら寝る時間も無くなるぞ。それに、休養も十分に取らないと続かないだろう」


 サロモンは、うっかり忘れていたという雰囲気で、指摘を素直に受け入れた。


「ああ、そうか。運動時間を追加するのは無理だな。どうしたものか」

「勉強の時間を削って、運動と休養に回してくれよ」

「それでは、訓練の進みが遅くなるぞ。今の状況を考えると、できるだけ頑張ってほしいのだよ」


 サロモンは、顔に軽い焦りを浮かべて指摘した。どうも、現状に対する認識がヌーティと違うようだ。


「今の状況と言うと?」

「摂政殿下に対する教主の影響力が定かではないだろう。摂政周辺で何らかの工作をされる前に、できる限り成果を見せておきたいではないか」


 やはり、辛い経験を招いたサンデ国の状況の記憶に引きずられたようだ。


「あんたも通知の写しを見ただろ。摂政殿下は、陛下の方針を踏襲すると書いてあったじゃないか。魔法を排除するような働きかけを受けたって、陛下が魔法に期待してらっしゃるんだから、聞き入れるはずが無いだろ」

「……そうだったな。郷主もそう考えていた」

「あんたもだったよな」

「そうだった。サンデ国での神聖教の振る舞いが思い出されてしまって、この国の現状を考えていなかったようだ。この国の状態なら、子供に無理をさせる必要はなさそうだな」


 サロモンは、訓練の密度を考え直してくれるようだ。アルヴォは、どういう結論になるのかと、サロモンとヌーティを見つめている。


「あいつらは、今は勢いで勉強できているが、近いうちに息切れして続かなくなるぞ。そこで無理をさせると、長期的には悪い影響が出かねない。分かるだろ」

「あり得ることだ」

「僕達は、いつも必死で訓練してましたけど、ずっと戦時だったからですよね」


 アルヴォも、サンデ国との違いを分かっている。

 ヌーティは、思う方向に話が進み始めて、ほっとした。


「この国はそんな状態にはなっていないだろ。それに、サロモンが言った通り軍魔術師を育てたいわけじゃない、魔法屋をやれる献身的で商売上手な魔術師を育てたいんだ。魔術師とは言っても、普通の町の大人になるのが理想的なんだよ」

「ホルンのようにだな」

「そう、ホルンのようにだ」


 サロモンは、少しの間黙って考え、結論を出した。


「うん、魔法職人の訓練によって魔術師訓練期間の短縮も期待できるし、無理に急ぐ必要はなさそうだ。体力も付けねばならんし、人との付き合い方などもしっかりと身に付けてもらいたいと考えると、訓練の中に休みや遊びなどもうまく組み入れねばならんだろうな」


 期待した方向性の結論だったので、ヌーティは、やっと気が抜けた。

 すると、軽口が出る。


「サンデ国じゃ休みや遊びまで訓練扱いなのか? 堅苦しくてかなわんなあ」


 サロモンは、いつものように真面目に返した。


「アルヴォが言った通り、ずっと戦時だったのだ。余裕が無かったのだよ」

「今は平時だからな。進み方に影響が出てもかまわないから、子供として健康的に過ごせるようにしてくれよ」

「どうも適切な速さの感覚がつかめん」


 サロモンは、自信がなさそうだ。だが、弟子によって進み方が違うのは普通だし、ましてや魔法職人になってから魔術師の訓練をした者などだれもいないのだから、仕方が無い。


「初めてだから、しょうが無いさ。無理をさせずにどのくらいの進み方になるかを調べることも重要だろ」

「そうだな。試すしかない。計画を立て直そう。ヌーティ、一緒に考えてくれるな」

「いいとも」




 夕食後、サロモンはティルダをヘルミネン家に呼び出した。十分な睡眠時間と体力を付けるための時間を確保するために訓練時間が減らされると聞いたハンナマリは、冗談ではないと抗議を始めた。


「そんなに魔法の勉強の時間が減ったら、いつまで経っても魔術師になれないじゃない。あたしは、八十才になる前に立派な魔術師になりたいのよ。ティルダだって、同じだわよ」


 まだ、サンデ国の大魔術師アレステンデンの話が尾を引いているようだ。


「八十才でも勉強するってのは、魔法が奥深いって話だったろう。サロモンだって、まだ八十才になってないのに、立派な魔術師じゃないか」

「まだ八十才ではないと言うより、まだその半分にもなってないんだが……」


 妙な例に出されたサロモンは、小声でつぶやいた。

 ハンナマリは、そのつぶやきにかまわず、抗議を続けた。


「でも、早く魔術師にならなくちゃいけないでしょ。もっともっと頑張りたいくらいなのよ! ねえ、ティルダ」


 勉強にかまけて家の手伝いを何もしていなかったことを叱られたティルダは、下を向いて手をもじもじと動かした。


「私、勉強ばかりじゃいけないって叱られちゃったの」

「うーん、じゃあ、これまで通りの勉強に追加すればいいじゃない!」


 理屈が通じない分、ハンナマリの方がサロモンより手強いかも知れない。


「いやいや、これ以上増やしたらとても続けられないぞ」

「大丈夫よ、頑張るもん」

「お前が大丈夫でも、先生が疲れてしまうだろう。アルヴォの顔色を見てみろ」


 ハンナマリは、ちらっとアルヴォの顔を見た。


「昨日と同じじゃない」

「何言ってるんだ。ここ数日、顔色が悪いじゃないか」

「疲れたってこと? どうして先生が疲れるのよ」

「お前達に教えることの予習と、お前達に分からないところをどう教えるかを、寝る時間を削ってサロモンと相談しているからだ」


 考えもしなかった事実に、ハンナマリは目を丸くした。


「えー、そんなことしてるの?」

「そうだ。何であっても、教わる方より教える方が大変なんだ」


 ティルダは、心配そうにアルヴォの顔を覗き込んだ。


「体調、悪いの? 大丈夫?」

「うん、まあ、少し寝不足かも。でも、まだ大丈夫だよ」


 そっと見上げるようにティルダに見つめられたアルヴォは、ドギマギして赤くなった。

 ヌーティが厳しく指摘した。


「今何かあったら、十分に動けるか?」

「すみません。十分な力を発揮できないような気がします」


 アルヴォは、しょんぼりと答えた。

 ハンナマリは、アルヴォの顔色の変化をめざとく見つけ、反論した。


「えー? でも、さっきより血色も良くなったし、元気そうじゃない」

「いや、これは……」


 ヌーティは、この話題が進むとアルヴォがかわいそうだと判断し、話を打ち切ることにした。


「こら、ハンナマリ、アルヴォの血色については気にしなくてよろしい。とにかく、二人とも、サロモンとアルヴォの指示に従え」


 その夜、ハンナマリは、大人達が決めた就寝時間にベッドに追いやられた。寝る準備をする間中ぶつぶつ言っていたが、やはり疲れていたのだろう、ベッドに入った途端に寝息を立て始めた。

 翌日の朝に目が覚めたときには、頭がとてもすっきりしていた。


「おはようっ」


 元気良く居間に入ったハンナマリを、朝食当番のヌーティが迎えた。


「どうだ、よく眠れたか?」

「うん、すっごく元気になった。あたし、疲れてたのかもね」


 ヌーティは、ハンナマリもこの経験から何かを学んでくれたのだろうと、嬉しく思った。


「そうだろう。何かに夢中になると、疲れてるのに気付かないこともあるからな」

「今日はいくらでも頑張れそうな感じよ。昨日より一杯勉強しちゃおう!」


 ヌーティは、昨日の話し合いで何かを学んでくれたなどと一瞬でも思った自分を罵った。ハンナマリは、昨日の話を全く理解していない。もういいや、訓練のさじ加減を押しつける相手ならいるんだから。


「そうだな、アルヴォの言うことをよく聞くんだぞ」

「わかった!」


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