摂政2
ヌーティが王の病気と摂政就任を内密に知らされてから二日経った。朝、起きたばかりのハンナマリとアルヴォは、家から道路までの通路を雪かきしていた。夕べ降った雪は、たかだか二寸くらいだったので、雪かきと言っても、箒で掃くくらいだ。アルヴォは雪を積み上げる場所を考えて慎重に雪を寄せ、ハンナマリは気の向くままに跳ね散らかしていた。
そこにバレッシュがやってきた。誰も歩かない早朝では道路の雪がまだ踏み固められていないものだから、膝まで舞い上がった雪の粉が付いている。
バレッシュは、それを手で払いながら、挨拶した。
「やあ、ハンナマリ、アルヴォ。お父さん達は家にいるかい?」
「おはようございます、バレッシュさん。お父さんとサロモンさんは、中で朝ご飯の用意をしてます」
ハンナマリは、振り回していた箒を脇に避け、除雪したばかりの部分にバレッシュを導いた。
「やあ、ありがとう。通りやすいな」
バレッシュが礼を言いながら戸口に立ち、扉を叩こうとしたとき、ハンナマリが足をパタパタと叩いた。
「うん?」
「まだ一杯雪が付いてるの。そのまま入ったら、床がびしょびしょになるでしょ」
ハンナマリは、最後の仕上げに腿の後ろ側まで叩いてから顔を上げた。
「お父さん達、厨房にいると思うわ」
「ああ、すまん。ありがとな」
ハンナマリは、もう一つバレッシュの腿を叩いて、扉を開けた。
「お父さん、バレッシュさんよ!」
「おお? まあ、入ってくれよ」
家の奥からヌーティが返事をした。
バレッシュは、雪かきに戻っていくハンナマリにもう一度礼を言って、戸口から入った。
ヌーティは、布巾で手を拭きながら厨房から出てきた。
「朝早くから大変だな。朝飯はもう食べたかい? うちで食べていくか?」
「ありがとう。でも、詰め所で食べてきた。それより、郷主から伝言だ」
ヌーティは、いつもののほほんとした表情を崩さないが、目には真剣な光が宿った。
それに気付いたバレッシュは、大した用ではないと手を上げて示した。
「昨日の夜半、王弟殿下が摂政に就任されたという通知が届いた」
「正式なものかい?」
「そうだ。領主が摂政殿下の花押を確認されたということだ」
ヌーティは、正式な通知の内容が自分達の予想とどのくらい一致するかが気になる。
「内容も教えてもらえるのかな?」
「ああ。王陛下の政策を踏襲するから、これまで通りに物事を進めろとのことだ。俺も郷主に届いた文書の写しを見せてもらったが、言葉を飾っているだけで、内容はそれだけだった。まあ、陛下の体調が回復するまでの間だけの摂政ということだから、当然だろうな」
ヌーティの視線がバレッシュから外れ、柔らかくサロモンに向けられた。
サロモンはそれに気付き、他にも気にすべきことがあるだろうと少し眉を持ち上げた。
ヌーティは、その合図の意味を読み取り、うっかりしていたと軽く首をすくめた。
「司祭には何か連絡とか命令とか来てるのかな?」
「いや、郷主がおたずねになったようだが、今のところ何も無いらしいぞ。あんた達が気にしているのは、魔法がどう扱われるかだよな? 摂政殿下は陛下の政策を変える気が無いんだから、魔法の扱いだって変わらないだろ」
バレッシュが当然のような表情で言う。
今度こそサロモンも満足そうな様子になった。
「王弟殿下は、陛下に忠実なようだな」
「そのようだ。通知の文面を見ても、殿下の権力を誇示するような感じは受けなかったし、はっきりと陛下の代役だと強調してあった。王家がよくまとまっているのはいいことだ」
「なんだか偉そうだな」
バレッシュの言葉を、ヌーティは、にやっと笑って冷やかした。
「まずいことになったときに真っ先に巻き添えを食うのは俺達だからな」
「そりゃそうか。混ぜっ返すところじゃなかったな。すまん」
「いや、いい。気にするな。摂政の魔法に対する態度が陛下と違うなら、あんたらの方が俺達より影響を受けるだろ。急かされるにしろ、止められるにしろ」
ヌーティは、意外なことを言われて目を丸くした。
「そうか、摂政殿下に魔法の普及を急かされる可能性もあるんだ」
「陛下は辛抱強く待って下さっているが、殿下も同じとは限らん。あの小うるさい教主を早く黙らせたいと思うかも知れんだろ」
「それは考えてなかったな。サロモンはどう思う?」
「ふうむ……」
問いかけられたサロモンは、眉根を寄せて考え込んでしまった。
ヌーティは、思考の海に沈没してしまったサロモンを見て、この場での会話を諦めた。
「まあいいや。他に何か伝言は無いかい?」
バレッシュはサロモンの考えを知りたかったが、彼が結論を出すのを待ってはいられない。
「ある。この件を知らせる文書を、今日の午前中に町中の告知板に張り出す。それから、早めに機会を作って、組合員が不安にならないように説明しろとのことだ。魔法職人達は心配するだろう?」
「そうだな、いろいろ想像して心配しそうな奴が何人かいるな。今日か明日に説明するよ」
ハンナマリは、朝食時にこの話を聞かされて、やる気満々だ。摂政殿下が魔法の普及を急かす可能性が彼女の心に火を付けたらしい。
「そうよね! 誰だって、皆が魔法を利用できればいいって思うわよね。よーし、勉強、頑張るぞ!」
ヌーティは、思った。すぐに何かを始めると言い出さないあたり、どうやら自分の力量を分かっているらしい。魔術師の勉強を始める前なら、今すぐ何かをするんだと言いかねなかった。実力が伴わなければ実現しないという現実を理解し始めたのだろう。
ところが、ハンナマリは、ヌーティの想像を超えて楽観的だった。
「魔法職人をしてるあたしの進歩がすっごく速いのよね? だったら、魔法職人の皆に魔術師の勉強をしてもらえばいいんじゃないかな。そうだ! あたしの友達にも魔法職人になりたいって子がいるのよ。その子にもティルダと一緒に魔法職人になってから魔術師を目指してもらったら、ほら、あたしとティルダとその子、あっという間に三人も魔術師ができるわよ。来年には魔術師が五人よ!」
「誰もお前の進歩がすっごく早いなどと言っとらん。それに、そんなに簡単にいくわけ無いだろう。第一、魔力の足りない魔法職人がいくら頑張ったって、魔術師にはなれん」
「やってみなきゃ分からないじゃない」
「やってみている間、職人の仕事が滞るじゃないか。それに、今いる職人のうち魔術師の才能がありそうなのはお前くらいだ。他の職人に無駄なことをやらせる余裕は無い」
「ティルダは?」
「ティルダには、期待している。だが、まだ分からん」
「えー、そんなあ」
ハンナマリは、父親の台詞に不満そうに頬を膨らませた。
「お前なあ、まだ一日しか練習してないんだぞ。分かるわけが無いだろう」
「そうだったわ。じゃあ、早く何日も練習すればいいのよね」
「早く何日もってのは、どうやりゃできるんだ?」
「毎日、二日練習すればいいじゃない!」
あんまりな台詞に、ヌーティは、それ以上話をする気が失せてしまった。
「分かった。まずその方法をティルダと相談してくれ」
「うん! じゃ、学校に行ってきます!」
ハンナマリは、大張り切りで出て行った。ハンナマリの気持ちを反映したのか、扉がいつもより大きな音を立てて勢いよく閉まった。窓から、ピリス家に走って行くのが見える。登校中にティルダと相談するつもりらしい。ティルダは常識のある子だから、うまくハンナマリを落ち着かせてくれるだろう。
その時、ヌーティは、アルヴォが何も言っていないことに気付いた。
「アルヴォは、どう思った?」
「毎日二日練習するのは無理だと思いました」
「そうじゃなくて、摂政のことだよ」
アルヴォは、一瞬しまったという顔をしたが、すぐに返事をした。
「これまでと変わらないことが分かったので、気になることはありません。これまで通りにやればいいだけですよね?」
ヌーティは、アルヴォの落ち着いた反応をうらやましいと思った。どうしてうちの娘はああなんだろう。
サロモンは、溜息を吐くヌーティを見て苦笑いをした。
「少し行き過ぎかも知れないが、あれがハンナマリのいいところじゃないか」
「そうかなあ。どこまでも行き過ぎちまいそうで、不安になるよ」




