感覚把握3
「ヘルミネンさん、一体どうしたのですか?」
あ、まずい。先生、怒ってる。先生に肩をつつかれたハンナマリは、首をすくめた。ハーマニコフ先生が姓で呼ぶ時は、本気で怒っている時だ。
「顔色を見る限り、体調が悪いわけではなさそうですね。宿題は何もやってない、授業中に居眠りする、せっかく起きていても上の空、本当にどうしたの?」
「ごめんなさい。魔法のことで気になることがあって……」
「あら、それは大事なことね」
「そうなんです!」
言い訳をさらりと受け入れてくれた先生に、ハンナマリは力説する。
だが、そんなものが通用するわけがない。
「でも、学校の勉強も大事よ。魔法を使うためにも大事だって言ってたでしょう」
「そうでした」
自分でそう言ったんだった。ちゃんと勉強しよう。
そうは思ったものの、やはり昨日の街灯のことを考えてしまい、その後の授業も上の空だった。
ハーマニコフ先生は、二度までは注意したものの、それ以降は諦めてしまった。
ハンナマリは、夕方、街灯点灯作業に出た。
都合の良いことに、今日も昨日と同じ通りでの作業だ。昨日と同じ灯り石を使って練習できる。
昨日はスムーズに呪文を唱えている時に何かを感じたのだから、今日も同じようにしてみよう。また何かを感じるに違いない。
最初の街灯に向かって呪文を唱えていると、昨日よりはっきりと呪文の構造が見えた。目に見えるわけではないが、昨日のようにべったりとした平面的な感じではなく、なんだか立体感が感じられる。
ほんの一部、皺が寄って歪んでいるような場所がある。そこをきれいにするにはどうすればいいんだろう。
ハンナマリは、呪文詠唱を中止して、呪文をどう直せば良いのかを考えた。何も思いつかない。まあいいや、もう一度やってみよう。
再度呪文を唱えていると、歪んだ箇所をどう直せばいいのかひらめいた。その通りに呪文を変えて唱え続けた。
唱え終えると、街灯は、ちゃんと光った。
「やった!」
思わず声が出たが、なんだか暗い。こんな光り方ではだめだ。
あの歪んだ部分の直し方が悪かったのだろうが、何が悪かったのか分からない。
仕方なく、もう一度最初から、これまで通りの呪文で点灯してみた。そうすると、きちんとした明るさで光る。
と言うことは、呪文を直したつもりだったのに、逆に壊してしまったのだ。そう思うと、がっかりした。
ハンナマリは、やむなくその場での呪文の改良を諦め、残りの街灯では呪文の歪みをしっかりと感じ取ろうとした。
その日はハンナマリが夕食当番だったので、家に帰っても夕食を終えるまで練習できなかった。昨日は、夕食後の練習を父親に禁じられてしまったが、今日はなんとしても練習したい。
「だから、お願い!」
ヌーティは、服をつかんで迫るハンナマリから、思わず顔を逸らした。
「だから、今日も帳簿付けがあるんだ。これが終わらないと職人達に週給を払えないんだぞ。灯り石を使ってもらっては困る」
「でもでも、見えたんだもん、呪文の変なところ」
それを聞いたヌーティは、妙な表情になってつぶやいた。
「お母さんみたいなことを言うなあ」
「え、お母さんも呪文が見えたの?」
魔術師だった母親と同じものが見えると言われ、弾んだ声を出したハンナマリ。
「あいつにとっては、呪文も見えたり触れたりするようなものだったらしいぞ。そんな風に感じるだけだとは言っていたけどな」
「わあ、じゃあ、あたしもお母さんみたいな魔術師になれるわよね! ねえ、お願い、灯り石を使わせて!」
ヌーティは、鼻を鳴らした。うっかりハンナの話をしたら、随分と食いつかれてしまった。どうしたものかな。
ハンナマリは、ここが押し所とばかりに押してくる。ハンナみたいに呪文が見えるなんて言われてしまっては仕方がない。
「どうかな? 灯り石がないと困るかい?」
サロモンとアルヴォは、ヌーティの問いに首を横に振った。
「じゃあ、使っていいぞ。好きなだけ練習しろ」
ハンナマリは、飛び上がって喜んだ。
「やったー! お父さん、ありがとう」
だが、すぐ心配そうな顔になった。
「本当にいいの? 帳簿付けは?」
「気にするな。事務用の灯りにはランプを使うから」
油のランプは、灯り石に比べるとかなり暗いので事務仕事には使いたくないのだが、やむを得ない。
「分かった! じゃ、練習しよ!」
帳簿付けの邪魔にはならないことに安心したのか、ハンナマリは、すぐに灯り石を暗くし始めた。
ヌーティは、それを横目で見ながら、帳簿一式とランプを持って自分の部屋に引っ込んだ。
暖房のない寝室は寒いので居間との間の扉を大きく開いておいたが、どうにも手がかじかんで字を書きづらい。
サロモンは、ハンナマリがあれこれ試しながら灯り石を付けたり消したりしているのを見守っていた。
これまで教えたことをよく身に付けているらしく、経験豊富な魔術師から見ると間違いだらけだが、呪文の変更方法に一応の筋が通っている。もっと勉強して経験を積めば、正しく修正できるようになっていくだろう。
それより面白いのは、ハンナマリが石の反応を感じているらしいことだ。石の反応に応じて呪文を修正している。たった二週間で、少しとは言え魔力行使の感覚を把握できているようだ。これは驚くべきことだ。普通は魔法を使えるようになってから最低でも数ヶ月かかる。
魔法職人の訓練は魔術師の訓練の前段階として有効に違いない。普通、技術の習得は、簡単なことから順に段階を追って高度なことに進むものだ。だが、これまで、魔法にはそういうものがなかった。魔法職人というものが入門段階として有効なのかも知れない。何とか試してみたいものだ。
その頃、隣のピリス家では、夕食後のくつろいだ時間を見計らったティルダが魔法を習いたいと言い出していた。
「だから、今はそのために学校の勉強をしっかりするんだろ」
タルッティは、また言い出したと言わんばかりの渋面だ。
それに対して、ティルダのまなざしは真剣だ。
「そうなんだけど、それと一緒に魔法の勉強をしたいの、ハンナマリはそうしてるわ」
「そりゃ、前に話した時に言われた通り、あの子の家の仕事に役立つからだ。お前とは違うじゃないか」
「でも、ハンナマリがどんどん魔法が上手になってるの。私もハンナマリみたいに早く使えるようになりたい」
「そう言うけれど、卒業までは学校の勉強を頑張ろうってことになったはずだ」
うるさそうに答えるタルッティ。
なかなか分かってくれない父親に、ティルダがじれったそうに抗弁する。
「ハンナマリが教わってることを一緒に聞いたりするんだけど、とても面白いの。もっと分かるようになりたいのよ」
でも……と渋るタルッティに、娘を応援しようと妻のパニラが声を掛けた。
「前から魔術師になりたいって言い続けてるんだし、お隣のサロモンが先生ならマーリングから出る必要もないじゃない。ハンナマリも一緒に勉強する友達がいる方が頑張れるんじゃないかしらね、もちろんティルダもね。もう一度お願いしてみましょうよ」
「どうしても魔法の勉強をしたいの。お願い!」
以前からティルダはティルダ自身がなりたいものになればいいのだと言っているパニラは、早く認めろと圧力をかけてくる。
かわいい娘は、一生懸命な顔で寄ってくる。
タルッティは、少しずつ押されていた。
「いやでも、卒業後って約束だし……」
ここぞとばかりにパニラは畳みかけてきた。
「ティルダがやる気を出してるんだから今が始めるには一番いい時なのよ」
「そ、そういうもんかな」
「そういうもんでしょ」
この妻が娘に味方すると、タルッティには逆らいようがない。




