広場
ハンナマリは、ローブを振り回しながらヘゲール通りに向かって走っていた。
一人で仕事を片付ける羽目になったので、急がないと何時になるかわからない。全部の街灯を点けないうちに暗くなったらまずい。渋ちんの商業組合から値下げを要求されてしまうと苦い顔をする父親の顔が目に浮かぶ。
そのくせ、今日は一人で行けだなんて、親って勝手よね。
一生懸命走ったものだから、ヘゲール通りに着く前に息が切れてしまった。
走るのをやめ、少しは魔法職人らしい格好をしようとローブの袖に手を通していると、後ろから男の子が走ってきた。家にいた客の子供の方だ。年齢はハンスくらいだろうに、厳しい顔をしているので少し老けて見える。
ハンナマリは、あんまり仲良くしたいタイプじゃないなあと、心の中で手厳しい評価を下しながら彼が追いついてくるのを待った。
「やっと追いついた」
その子は、ハンナマリの横に並んでもにこりともせず、くそまじめな表情を崩さなかった。まるで、そばにいるのが義務のような感じだ。
女の子に用があるならお世辞でもいいから優しく笑いかけるもんだわよ。
「何の用?」
むっとしながら言ったものだから、何かとげのある言い方になってしまった。
ハンナマリは少し後悔したが、その子は全く意に介さず、相変わらずの調子で答えた。
「父の指示により、君の護衛を務める」
「護衛って、何?」
ハンナマリは、思いもよらないことを言われてびっくりした。
「君に何か危険が迫ったら、僕が守るということだ」
「護衛の意味くらい知ってるわよ。あんた……えーっと」
「僕の名前はアルヴォ」
「アルヴォ、あんた武士なの?」
「いや」
「そうよね、全然そんな風に見えないもんね」
「武士じゃないけど、必要なことはできる」
少し馬鹿にするような言い方をしたハンナマリに、今度はアルヴォの方がむっとしたらしく、ぶっきらぼうだ。
「必要なことって何よ。いやん、そんなに怖い顔しないでよ。言い方が気に障ったなら謝るからさ」
アルヴォは、黙ってうなずき、それ以上話をしなかった。
ハンナマリも気まずくなって、口を閉じた。二人は、黙りこくったままヘゲール通りに向かった。
途中にある広場では、子供たちが玉運びをして遊んでいた。ハンナマリが帰った後も、まだ続けていたのだ。
フェイも人間も、それらとは別の種族であるカニンも、入り乱れて走り回っている。身長の低いフェイはリーチでは人間に負けるが、素早さでは決して負けていない。棒を使って玉をゴールまで運ぶ玉運びは、体格が大きく異なる三種族がともに遊べる数少ない遊びの一つだ。
ハンナマリのライバルであるハンスは、棒の先で巧みにボールを操ってほかの子の妨害を見事にかわしている。
「ああ、あたしのチームが負けてる。あんな手に引っかかったりするから!」
ハンナマリは、ゴールを守る少年がハンスのフェイントにやすやすと引っかかって得点を許してしまったの見て悔しがった。
ボールを中間地点に戻しているその少年がハンナマリに気づいて手を振った。
ハンナマリは、その子に向かってげんこつを振り回した。
「こらー、ブロル、強く打つと見せかけてボールを上に跳ね上げるなんてハンスのいつもの手じゃないの。あんな馬鹿の一つ覚えに引っかからないでよ!」
「わりい、わりい、次は気を付けるから」
ブロルと呼ばれた人間の少年は、いつもながら口の悪いハンナマリの言葉を、毎度のこととばかりにさらりと聞き流した。
その少年とは逆に、ハンスはハンナマリの言葉を聞きとがめ、肩を怒らせながら歩み寄ってきた。
「なんだよ、馬鹿の一つ覚えって。実力じゃかなわないからって、悪口を言うなんてみっともないぞ」
ハンスは、ハンナマリの喧嘩友達だが、女の子を相手に腕力に訴えたりはしない。どちらが気の利いた悪口を言えるかが勝負を決める。
ハンナマリは、いつものように受けて立とうとした。
だが、急に何かに視界を遮られ、驚いて口を閉じた。
いつの間にか、アルヴォがハンナマリの前に背を向けて立っていた。肩を怒らせるでもなく、ただ立っている。
それを前から見るハンスは、アルヴォから明らかな敵意を読み取り、ハンナマリに向けていたふざけ半分のしかめっ面をひっこめた。
「なんだよお前。初めて見る顔だな。俺の邪魔をすんのか?」
アルヴォは、黙ったまま値踏みするような目でハンスの全身に視線を走らせた。
「この野郎、俺には返事もできないってのか!」
アルヴォに向かって足を踏み出したハンスの前に、慌ててハンナマリが割り込んだ。
「ちょっと、ハンス、やめてよ。うちのお客さんなのよ」
「でも、こいつが……」
「いいからやめなさい。あんたも一体何をやってるのよ」
ハンナマリは、ハンスを黙らせると、振り返ってアルヴォにも抗議した。
アルヴォは、ハンスから目を逸らさないまま一歩脇に寄り、謝罪した。
「すまなかった」
「全然すまなそうに見えないんだよ!」
ハンスはアルヴォにつかみかかろうとしたが、ハンナマリに体を押し戻された。
「ちゃんと謝ったじゃない、つまんないことで人の頭越しに喧嘩しないでよ」
「くそお、この場はハンナマリに免じて許してやらあ。またあんな目で睨んだらこれじゃ済まさないぞ。覚えてろよ」
ハンスは、捨て台詞を吐いて手をひっこめた。だが、怒りが収まらない。
「ハンナマリ、こいつは何なんだよ。いきなり人に喧嘩を売りやがって、そのくせ、あっさり謝ってみせたり、しかもそれがまるで他人事みたいな言い方だし、気に入らねえ。お前と一緒にいるってことは、さては隣町の魔術師の弟子か何かだな。だからお高く留まってやがんだ」
「違うわよ。この子、うちのお客さんなの。今、この子のお父さんがうちのお父さんと話をしてるわ。魔法の御用なんじゃないかな」
「客の息子ってことか、そいつが何だって俺に喧嘩なんか売ろうとするんだよ」
ハンスは、またカッカとしてきたようだ。ハンナマリは、ハンスのその怒った顔を見て笑い出した。
「ハンス、人相が悪いわ。そんなに怒ってるからよ。この子、あたしの護衛なんだってさ。あんたが悪いことをしそうだったから、あたしを守ってくれたんじゃないかな」
「護衛って、お前の?」
意表を突かれたハンスは、目と口を真ん丸に開いて一瞬絶句し、呆然としながら聞き返した。
「お前に護衛?」
「何か文句あるの?」
ハンナマリは、ハンスのシャツの腹をつかんでがくがくと揺さぶった。だが、ハンスには堪えていない。
「護衛なら、俺についてほしいや。お前がボール運びの棒で俺の足を殴るから、見ろ、腫れちまってるぞ」
ズボンの裾をずり上げて赤い痣のできた脛を見せたハンスに向かって、ハンナマリは、ふんと鼻で笑ってみせた。
「そんなの、あたしが棒を出したところに足を出すからよ。あんただって、下手なくせに頑張りすぎて、あたしの足をだいぶ叩いたでしょ。見てよ、赤くなって腫れてるわよ。反則よ、わかってんの?」
「反則してるのはお前だろう。こいつにお前を止めてほしいもんだ」
言い合いをする二人を黙ってみていたアルヴォが、口をはさんだ。
「僕は、審判じゃない」
ハンスは、思わず笑いだした。
「確かに護衛の仕事じゃないな。そういや、お前何か仕事だって言ってなかったか?」
気が収まったハンスに指摘され、ハンナマリは慌てた。
「いけない! 街灯を点けるのよ。今日はお父さんが来ないから、あたし一人なんだ。早く行かなくちゃ暗くなる」
「どこだ?」
「ヘゲール通りとジャンカー通り」
「ついていってやろうか?」
「護衛がいるのよ」
ハンナマリは、アルヴォを指さした。
「そうだったな。俺は、護衛より審判がほしいよ」
「まだ言ってる。それくらいで泣き言を言わないでよ、みっともない」
ハンスは、あきれたという表情で肩をすくめた。
「早く行けよ、点けるのが遅れると、また仕立屋の親父にぶつぶつ言われるぞ」
ハンナマリは、それを聞いて頬を膨らませた。
「あのおじさん、文句が長いから嫌なのよね。まだ仕事が残ってるって言っても放してくれないんだから。おかげでますます点けるのが遅くなるってのに。じゃね」
ハンナマリは、ハンスとほかの子たちに手を振って走りだした。アルヴォも後を追う。