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遠雷  作者: 北野 いまに
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出張報告

 数日前にホルンが予備呪文をかけた客間の発熱石は、ちゃっかり居間に移動されていた。以前から使っている発熱石と合わせて熱を発するので、居間は春のように温かくなっている。

 発熱石が一個だけだとこうはいかず、少し厚着をしないと寒い。ホルンはヘルミネン家のための予備呪文にも料金を取るので、魔法職人組合長とは言え贅沢はできないのだ。

 だが、ヌーティがちょっと仕組んだ成り行きで予備呪文をかけてくれたので、しばらくの間は暖かく過ごせる。しかも、二十日ほどの間、薪を消費せずに済むのだ。薪の追加購入の心配がなくなって、ヘルミネン家の家計が大助かりだ。

 ヘルミネン家に住む面々は、その日最後の仕事だった街灯点灯の仕事を終えて、居間でそれぞれに過ごしていた。

 ハンナマリは、勉強中だ。ここ2ヶ月ほど精を出したので、かなり進んだ。もう少しで去年の授業の範囲を終えられそうだ。

 アルヴォは、逃亡時に大半を捨ててしまって今はいくつも持ってない装備品を手入れしている。

 武器と言えるものは短剣だけだ。アルヴォとしては杖もなしでは持つべきものを持たないような気がして物足りないのだが、現在遂行中の作戦、つまり、各種業者への熱や動力の供給では、軍魔術師らしい物は何もいらない。

 ヌーティは、魔法職人組合の事務をしていた。

 郷主が魔法の供給を増やすという方針を掲げているのだが、予備呪文の供給に限界があるから魔法職人を増やすわけにもいかないし、戦闘向きの魔術師であるサロモンが出張勝ちなので、他に回せる魔術師がアルヴォだけになってしまっている。

 これらの戦力をやりくりして最大限に活かすのは、なかなかに難儀な仕事だった。


 考えすぎで頭が痛くなってきたヌーティが伸びをしてふと窓に目をやると、外はもう真っ暗だった。

 今日の午後早くにマーリングに戻る予定だったサロモンが、まだ家に帰ってこない。先に依頼主に報告に行ったにしても、遅すぎる。

 何か事故などが起きていないか少々心配になったヌーティは、最初にその類の連絡が行くはずのマーリング郷軍指揮官に聞いてみようと、出かける準備を始めた。


「どうかしましたか?」


 アルヴォが尋ねた。浮かない顔をしている。彼もサロモンを心配しているのだろう。


「ちょっと郷主邸に行ってくる。サロモンの帰りが遅いのが気になるんだ。護衛する商隊に何かが起きたのかもしれない。もしそうなら、軍には連絡が入っていると思うんだ」


 ヌーティが言うと、アルヴォも立ち上がった。


「僕も行きます」

「そうかい? でも、サロモンを派遣した俺のところに連絡が来ないんだから、もし何かあったとしても大ごとではないと思うよ」

「でも、連絡を忘れてるのかもしれません。やっぱり行きます」


 ヌーティは、アルヴォの心配な気持ちもわかるので、彼も連れて行くことにした。

 すると、当然ハンナマリも行きたがった。


「あたしも行くっ!」


 ヌーティが返事をしないうちに椅子から飛び降り、コート掛けに駆け寄る。


「家で石を見てろ。暖炉の反対側に裸で置いてある石は、誰かが見てないと危ないだろう」

「えー、それなら、冷やしてから行けばいいじゃない」

「冷やす時間が惜しいし、あまり急いで冷やすと割れちまうじゃないか。いいから見てろ」


 ハンナマリがコートを取り上げようとする手を押さえてヌーティが命じたが、ハンナマリは当然の反論をした。


「あたしも先生が心配なのよ」

「お前の先生はホルンだ」

「じゃあ、兄弟子?」

「どうしてサロモンが誰かの弟子なんだ?」


 面食らって眉をひそめるヌーティ。


「ホルンさんから予備呪文を教わってるじゃない。あら、あたしの方が先に弟子入りが決まってたんだから、あたしが姉弟子かしら?」

「お前がサロモンの姉弟子なわけないだろう。いいから石を見てろ。行くぞ」


 ヌーティは、ハンナマリの頭を軽く叩くと、アルヴォに合図した。

 ハンナマリは、ぷーっと頬を膨らませて椅子に戻った。




 その時、急に扉が開き、驚いて取っ手を掴みかけていた手を引っ込めたヌーティの前に、サロモンが顔を出した。


「おっと! やあ、やっとお帰りだな。どうしたね、何かあったのか?」

「いや……」


 サロモンは、妙に疲れた感じだ。ヌーティは、急いで全身を見回したが、着衣は乱れておらず傷もないようだ。どこかに怪我をしたようには見えない。しかし、顔色が悪く、動きが鈍い。


「こりゃあ随分と疲れちまってるぞ。ハンナマリ、アルヴォ、早めに晩飯を作ってくれ。俺は、とりあえずサロモンを休ませる」

「ひょっとして、お昼を食べてないの? きっとそうね。すぐ何か作るから待っててね」


 ハンナマリは、アルヴォを引っ張って厨房に飛び込んだ。

 サロモンは、脱いだコートを入り口わきのフックに掛けると、ヌーティが用意してくれた暖炉の前の椅子に座り込んだ。


「どうしたんだい? えらくお疲れじゃないか。途中で事故でもあったのかい?」

「いや、旅は順調だった。遅くなったのは、郷主邸で報告したからだ」


 いつもの調子で話しかけるヌーティに、サロモンは小声で答えた。


「なるほど」

「後で話すよ」

「うん」


 ヌーティは、いつになく短く答えただけだった。

 それっきり、二人は黙り込んだ。

 厨房でハンナマリが仕切る声と、何かを命じられたアルヴォがどたばたする音だけが、静かな居間に響いていた。




 子供達が寝た後、ヌーティは、サロモンに疲れを取ってもらおうと酒を持ち出してきた。


「冬の護衛は大変だっただろう。こいつを飲めよ。一杯飲んで寝れば疲れが取れるよ。俺も仕事が忙しい時には結構世話になってるんだ」


 ヌーティが、褐色の酒をカップに注いで差し出した。


「うん? こりゃ、甘いな」


 サロモンは、妙に甘ったるい酒に顔をしかめた。


「いろんな薬草を砂糖と一緒に酒に漬け込んであるからな。砂糖を入れると薬草のエキスがよく出るんだそうだ」

「それはありがたいが、ちょっと甘すぎる」

「その甘すぎてたくさん飲めないところがよいって言われてるぞ。酒代が浮くだろ」


 ヌーティは、カップを遠ざけようとするサロモンを軽い口調で説得した。


「なるほど、確かに、この甘さでは多くは飲めないな」

「口直しに他の酒を出してきちまうから、結局あまり節約にはならないんだ」

「では、最初から他の酒を頂こうか」


 サロモンは、他の酒があるならと逃げ腰だ。


「いやいや、疲れが取れるのは本当だよ。まず、それを飲んじまってくれ。他の酒はそれからだ」

「うーん、甘いんだがなあ」


 サロモンは、固く焼いた塩辛いパンをつまみに、何とかその酒を片付けた。


「どうだったね?」


 ヌーティは、新たにグラスを出し、辟易とした顔のサロモンに辛口のワインを注ぎながら尋ねた。


「やっぱり甘すぎたよ」

「いや、旅の方だよ。他の領地や王都の様子はどうだった?」


 そこまで甘い酒が嫌なのかとあきれつつ、ヌーティが問い直した。

 サロモンは、考えをまとめるように目を閉じ、溜息を一つついてから答えた。


「想像していた以上に良くなかった。アンデルベル領以外では、教主が思った以上に大きな影響力を持っているようだ。

 例えばロースベル領のニューテンゲルであなたが紹介してくれた魔術師は、活動に制約を感じているそうだ。最近は新しい仕事の依頼が減っただけではなく、これまでの依頼主も魔法を使うのを避けるようになってきたと言っていた。

 彼はニューテンゲル郷主と話す機会を作ってくれたのだが、郷主は魔法の扱いに迷っている。住民が魔法を使うことを嫌がるらしい」

「うーん、俺はここしばらく領外に出てないから実際に見たわけじゃないけど、伝え聞くとおりの様子だなあ」


 ヌーティは、テーブルに肘をついた片手で顔の半分を覆い、眉をひそめて、最近受け取った他領の魔術師からの手紙にあった近況報告を思い出した。その手紙への返事には、その魔術師を元気づけ踏みとどまってもらうために、マーリングの近況と今後の目論見を記したのだった。


「ああ。それから、他の町では神殿にも行ってみた。司祭の説教が、マーリングとは全然違う場所もあった。マーリングの司祭は神や人について語るが。そういう町の司祭は、魔法について語るんだ。如何に罪深いものなのかを」

「神の力を盗むとかってやつか?」


 ヌーティは、がっくりと頭を落とし、肘をついたままの手で髪を掻き乱した。


「そうだ。神聖教の考えそのままだ」


 魔術師らしい知的な顔にも関わらず、灯り石の光で照らされたサロモンの深刻な表情は、岩のような印象を与えた。


「魔法を使うと神に見放されると言って信者を脅すのが、神聖教のお得意パターンということかな」

「まるでサンデ国での出来事をもう一度なぞっているような気がした」

「魔術師であるあんたに何か言ったりしなかったかい?」

「杖もローブも無いからな、剣士ということになっていたんだ。奴らは、悪魔の手先が近くにいても気づかないようだ」


 サロモンは、表情を変えず、鼻息だけで嘲った。

 ヌーティは、頭を落としたまま、目だけをサロモンに向けた。


「今の教主は、間違いなく神聖教の回し者だな」

「そう思う」


 ヌーティは、予想以上の状況の悪さに溜息を吐き、黙ってしまった。


「だが、意外だったこともある」


 口調が変化したサロモンに、ヌーティは目顔で先を促した。


「王都では魔法を嫌う雰囲気が薄かったのだ。

 この辺りのような魔法屋こそ無かったが、杖を持った魔術師が町を歩いていても、住民にはこれといった反応が見られなかった。

 飲み屋で他の客に鎌を掛けてみても、魔法を避けようとしている者はあまりいないようだったな」


 ヌーティの表情が少し緩んだ。まだ、マーリングで始めた活動は、手遅れではないかもしれない。


「王自身が魔法を利用したいと考えておいでだから、その影響じゃないか? まだ教主より王の意見が強いんだろ」

「多分な。マーリング郷主のおっしゃるとおり、今はアンデルベル領内での実績を誇示できるよう努力する局面なのだろう」

「うん、そうだな。今は手駒が少ないけど、アルヴォとハンナマリが予備呪文を覚えれば、手が足りてくる。魔術師と魔法職人を王都に派遣することを考えてもいいかもしれない」


 手遅れの可能性が高い状況でありながらも強気の見通しを語るヌーティに、サロモンも気を取り直した。


「子供達を当てにするのは少々気が早いと思うが、なかなかの積極策だな」

「王様が魔法を気に入ってるなら、そこから広げるのが一番楽じゃないか」


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