橇
魔術師がいないマーリングの予備呪文を請け負うホルンは、隣町のルンドフェルトに住んでいる。大体二十日に一度の割合でマーリングに来て、三日ほどで仕事を片付けてルンドフェルトに戻る。
今回もそのような日程でマーリングを訪れていたホルンだが、最終日の午後早く、最後の訪問先である砂糖工場での仕事を終えて外に出た途端、風に煽られて転びそうになった。仕事前にはまだしばらく持ちそうだった天気が急変して猛吹雪になっていた。
あまりの風に橇を引くアルセスがどうしているかと気になり、腰をかがめて風に耐えながら工場の庭に駐めてあった橇まで走った。
引き綱を外して杭につないであったアルセスは、風上に顔を向けて座り込んではいたものの、涼しい顔をしていた。
「ああ、この程度の吹雪じゃ、お前には堪えないんだね」
安心したホルンは、少々慌てた様子で走り寄ってきた彼女を不思議そうに見るアルセスの首を叩いた。
「何を慌ててるんだい。びっくりしたじゃないか」
ホルンは、一瞬アルセスが口をきいたのかと思ったが、声の主はヌーティだった。
「断りもなく人を風除けにするようなちゃっかり者に言われたくはないよ」
「断りもなく急に走り出すようじゃ、立派な風除けにはなれないぞ。アルセスなら、このくらいの吹雪なら大丈夫に決まってるだろ。野生のアルセスは、一冬中吹きさらしの草原で過ごすんだから」
「まあ、そりゃそうなんだろうけど」
アルセスは、寒い地方に住む、肩高が人の背丈ほどもある鹿の一種で、本来は草原で群れを作って暮らす動物だ。人になつきやすく粗食に耐えるので、家畜にしやすい。
ただ、アルセスは、寒さには強いが引く力が弱いから、このあたりで橇や馬車を引くのは牛馬の方が一般的で、アルセスが使われることは少ない。
とはいえ、荷が軽ければ速度を出せるし、積雪にも強いので、今回のマーリング訪問のように冬でも移動することが多いホルンは、軽い二人用のそりを引かせるためにアルセスを使っている。
「天気なら大丈夫だよ。この吹雪は明日には止んでるさ」
ヌーティは、渋い顔をしているホルンに請け合った。
「そうかもしれないけど、明日の朝に予定があるのよ」
「ルンドフェルトに帰るために無理したっていいことないよ。万一事故でも起きたら仕事どころじゃないだろ」
「うーん」
ホルンは、それでも帰りたそうだ。
「この季節のマーリング訪問には予備日を作っておかなきゃだめじゃないか。取り敢えず、うちに寄ったらどうだい。暗くなる前に吹雪が止めば帰ればいいし、だめなら泊まっていけばいい。明日の朝早く出れば間に合うんだろ?」
「それは悪いよ。明日まで待つなら宿を探すから」
「なに、かまわんよ。人間が泊まることも一応はできるし、ハンナマリの弟子入りの条件もそろそろはっきりさせなきゃいかん時期だろ」
「明日の朝出ても大丈夫かねえ」
ホルンは、途切れなく吹きすさぶ吹雪から手で目を守りながら心配そうだ。
「問題ないさ、凄い吹雪に見えるけど、ほとんど地吹雪だ。新しく積もる量なんて知れてるし、道標が埋まるようなこともないさ」
猛烈な地吹雪の中でも、アルセスは快調に橇を引く。長いまつげが目を守り、横から飛んでくる雪の粒など気にするまでもないようだ。
だが、人間やフェイは、そうはいかない。二人は、フードの風上側を引っ張って、目に雪が直接入らないように頑張っていた。それでも、ちょっと風向きが振れると、ぴしぴしと雪粒が顔に当たり、目を細めていないと痛い思いをする。
そんな中で、ホルンがふと思いついたように言った。
「ヌーティ、ハンナマリは学校かい?」
ヌーティは、ホルンの腰のあたりに顔を寄せて風を避けながら答えた。
「ああ、そろそろ終わるころだ。でも、この吹雪じゃ帰るのは無理だなあ。教師が子供を学校から出さずに、親が迎えに来るのを待ってるんじゃないだろうか」
「じゃ、少し遠回りだけど、学校に寄って拾っていこうかね」
学校の近くに着くと、予想と違って何人かの子供達が歩いていた。
教師が良いのか、親達が良いのか、このあたりの子供達はみな仲が良く、自然に助け合う。今も互いに寄り添い合い、大きな子は、小さな子の手を握り風上に立って強風からかばっていた。
だが、そんな子ばかりという訳にはいかず、何人かはこの猛吹雪の中でもはしゃいで跳ね回っている。風に背を押させて走ったり、わざとコートを広げてジャンプしたり、風上に向かって斜めに立ったまま歩いたりと、難しい技術を互いに競っているようだ。
中には、そんな風を利用した技に失敗してしまう子もいる。今も一人、吹きだまりに突っ込んだ子がいた。
「あれは……」
「……うちのお転婆だ」
なかなかのお調子者ぶりを将来の師匠に見せてくれたものだ。もうちょっと娘らしくしても罰は当たらないだろうに。
「わあ、アルセスだ。かわいい!」
ヌーティ達が橇を止めて様子を見ていると、子供達がアルセスに気づいて歓声を上げた。アルセスの首と足首の周りには真っ白な毛がふさふさと生えており、触ると気持ちが良いし、何より見た目がかわいらしい。だから、子供達は、アルセスが大好きだった。
子供達は、強風に煽られてふらふらしながら、ヌーティ達のアルセスに寄り集まってきた。
「こら、アルセスの前と後ろに入るなよ、踏まれたり蹴られたりしたら大変だぞ」
ヌーティが注意するが、風の音で聞こえないのか、子供達はアルセスを取り囲んでしまい、体をなでたり、白い毛を握ったりした。
アルセスは、困った顔をして手近の女の子の顔を一嘗めした。おとなしくて優しいところも、アルセスに人気がある理由の一つである。
一人だけヌーティの声が聞こえたらしい子が、感心にも他の子をアルセスから遠ざけようとしている。
ヌーティは、橇から降りて、子供達をアルセスの前後から引き離しながら、年長の人間の子に話しかけた。
「お前達、ちゃんと先生に断って出てきたのか?」
その子は、びっくりした顔で堪えた。
「もちろんだよ、おじさん。だってほら、管理人さんも一緒だよ」
そう言えば、感心な子が妙に大人びていると思った。学校管理人のタイナさんだったのか。しまった、こちらを見てにやにや笑っている。同じフェイなのに子供と見間違えるとは、うっかりしてしまった。
「あの、タイナさん、気づかずに失礼しました」
ヌーティが赤面しながら声をかけると、タイナは、愉快げに笑った。
「ヘルミネンさん、ちょうどいいところでお会いしました。もし家に帰られるのなら、同じ方向の子供達を連れていってもらえませんか。子達を同じ地区ごとにまとめて家まで送っているのですが、何分引率者が足りず、学校にまだ残っているんです。その子達も早く帰してやりたいんですよ」
ざっと子供達の顔を見渡すと、数人は連れて行けそうだ。隣に住むティルダもいるから、手伝わせればいい。頼りにならないハンスとハンナマリを計算に入れなくても十分手が回りそうだ。
「いいですとも。小さい子は橇に乗せましょう。その方が安全だ。いいだろ、ホルン?」
「もちろんよ」
そういう訳で、最も小さな三人の子供を橇に乗せ、他の子は橇の風下を歩かせるようにして出発した。大きい子達は、橇からあぶれて歩く小さな子達がアルセスに近づかないよう見張る係を仰せつかった。
子供達全員を家まで送り届けたので少し大回りになったが、橇のおかげであまり余分な時間をかけずにヘルミネン家までたどり着いた。最後の小さい子が降りた後、ハンナマリは橇に乗せてもらって、ご機嫌だ。
家に帰り着いてホルンがアルセスから引き綱を外している間、ハンナマリは、アルセスの横に立って首の白い毛をなでていた。
「アルセスの橇は気に入ったかい?」
「はい、ホルンさん。とても楽しかったです!」
ホルンは、アルセスから輓具を外し終えた。
「ハンナマリ、アルセスを家畜小屋に連れて行け」
ヌーティが命じると、ハンナマリは一瞬うれしそうにしたが、すぐに顔をこわばらせた。アルセスは大きい。人によく慣れるのだが、とにかく大きいのだ。荷馬より少し大きいくらいだ。身長がアルセスの足の付け根くらいまでしかないフェイの少女としては、とても一人で扱える気がしない。
「大丈夫だよ。手綱を優しく引けばおとなしくついてくるし、面繋を外すときには下に引けば頭を下ろす。言葉で命令しても言うことを聞くように訓練してあるから、やってごらん」
ホルンがそう言ってアルセスの前に押しやったので、ハンナマリは、真正面からアルセスと目を合わせることになった。はるか上から見下ろしてくる目は、穏やかだった。面繋の扱いなら友達の家の馬でやらせてもらったことがあるからわかる。吹雪の中で迷っていても寒いばかりだ。
ハンナマリは、思い切ってやってみることにした。
普段は単なる物置になってしまっている家畜小屋にアルセスを連れて行くハンナマリを見送った後、ヌーティとホルンは、家に入った。




