大事な勉強
数日後の夕方、ティルダの父親のタルッティが尋ねてきた。
「やあ、ヌーティ、今、時間があるかい?」
「やあ。まあ、入んなよ。ここじゃ寒い」
ヌーティがタルッティを引き入れると、後ろにティルダが付いてきた。
「ヘルミネンさん、こんばんわ」
父親について入ってきたティルダは、ヌーティに行儀良くあいさつした。そして、部屋の中をさっと見回してサロモンを見つけ、嬉しそうな顔になった。
ティルダと目が合ったサロモンは、微笑んで軽くうなずいて見せた。
「今日はなんだい? ティルダと一緒だね」
ティルダの様子から要件は簡単に想像がついたが、ヌーティは椅子を勧めながら一応問うた。
「ほら」
タルッティは、隣に座るティルダを肘でつついた。
ティルダは。どうしようと少し逡巡したが、「お父さん、お願い」と小さい声で父親を頼った。
娘のお願いに弱いタルッティは、ヌーティとサロモンに向かって身を乗り出した。
「ご存知と思うんだが、ティルダが魔術師になりたがっているんだ。
これまではマーリングに魔術師がいなかったから、弟子入りすると他所の町に出ていかなければならないだろ。だから、だめだと言っていたんだ。
でも、サロモン、あんたがこの町の魔術師になっただろ。もし町から出ずに弟子入りできるなら、娘の願いをかなえてやりたいんだよ」
ティルダは、不安と期待がないまぜになった顔でサロモンの表情をうかがっている。
「どうだろう、サロモン、ハンナマリもあんたに弟子入りしたと聞いている。ティルダも弟子にしてやってくれないだろうか」
最初に会った時からティルダに良い印象を持っているサロモンは、ティルダに微笑みかけた。
ティルダは、その微笑みに力づけられ、思わず立ち上がって大声を出してしまった。
「お願いしますっ!」
あまりの大声に自分でびっくりして、慌てて座り直し、顔を真っ赤にしてうつむいた。
タルッティは、娘が示したあまりの熱意に当惑気味だ。
ヌーティの見たところ、タルッティが娘の将来を見越して頼みに来たと言うよりは、娘の熱意に押されて付き合わざるを得なくなったようだ。以前からティルダが望むなら町を出してもいいじゃないかと言っていた奥さんにも押されたのかもしれない。
ティルダの大声に、厨房からハンナマリとアルヴォが顔を突き出した。ティルダを見つけたハンナマリが嬉しそうに手を振った。
ティルダは小さく手を振り返したもののその笑みはこわばっていた。
ハンナマリは、そばに付いていなければいけない気がして、アルヴォに鍋の世話を頼むと、ティルダの椅子にもたれて立った。ティルダのこわばりが少し緩み、改めて熱意を込めた目でサロモンを見つめた。
ハンナマリとはずいぶん違うなあと、ヌーティはティルダを見て思った。ハンナマリがこれほど熱心に何かを頼むなら、こちらが「だめ」とも「良い」とも言う隙すらなくしゃべりまくるだろう。そしてしゃべり疲れたころには、頼まれている方も聞き疲れて、うっかり頼みを受け入れてしまったりする。
ティルダは、最初に大声こそ出してしまったものの、相手の返事をじっと待っている。いい子だ。サロモンもきっちり考えて返事ができそうだ。
ヌーティがティルダを嬉しそうに見ているサロモンに目をやると、サロモンもヌーティに目を合わせてきた。問いかけるような目だ。ヌーティに判断して欲しいらしい。
ティルダの父親もヌーティを見ていた。顔に「何とかしてくれ」と書いてある。
ヌーティは、自分にはそんな義務も権限もないと思ったが、他に判断を下すつもりのある者はいないようだ。
やむなく、素早く適当な落とし所を考えた。ティルダの望みとか、ハンナマリがその味方だとか、タルッティはともかく彼の妻も味方だとか、サロモンもティルダを気に入っていそうだとか、色々と受け入れた方が良い要素もあるが、今の状況では結論を急ぐのはまずい。とりあえずは無難で常識的な線で進めよう。
「なあ、ティルダ、お前さんが魔術師を目指してくれるのはいいことだと思うよ。魔法職人組合としても、魔術師が増えるのは歓迎だ。でも、なぜ今なんだ? そんなに慌てなくてもいいじゃないか」
「前から魔術師になりたかったし、せっかくサロモンさんがこの町に住み始めたんだから、今がチャンスだと思うの。ハンナマリも魔法の勉強を始めたんだから、私も一緒に勉強したい」
子供らしい理由だ。学校卒業後に弟子入りするという慣例を破るほどの理由にはなっていない。これなら、説得は簡単だ。
「そうだな、仕事を早く覚えるのはいいことだからな」
「そうでしょ!」
「でもな、どの仕事でも学校を出てから弟子入りするだろ。その理由を考えてみよう」
「?」
「どんな仕事でも基本と常識が大切なんだ。
たとえばお前のお父さんは木工職人だよな。木工職人は、鋸と鑿さえ使えればいいわけじゃない。どの地方でどんな木材が取れるとか、それをどうやって仕入れるかとか、商品を売るには誰を通じてどこに売れば良いかとか、売り上げと仕入れの帳簿とか、木を加工する以外の仕事が山のようにあるし、いろんな知識が必要だよな。この手の知識はどんな仕事にも必要なものだろ。木材を加工する腕がいくら良くても、それ以外のことを知らないんじゃ職人としては失格なんだ。
そして、その基礎が算数や地理だ。算数もできないのに帳簿は作れないし、地理も知らずに仕入れも販売もできない」
「そうなの?」
父親を見上げるティルダ。
「お、おう」とタルッティ。
そこまで意識していなかったのだが、言われてみればその通りだと納得する顔だ。
ヌーティはタルッティを説得したいわけではないが、援軍が増えるのは歓迎だ。
「でも、ハンナマリは? もう魔法の勉強をしてるわ」
ティルダは、なぜ自分はだめなのかと不満顔だ。
ヌーティは、ティルダの目を見つめながら答えた。
「ハンナマリは、家の仕事が魔法職人だから、上手に手伝いをするためにちょっと早めに教わり始めたんだ。でも、基礎中の基礎だけだ。ティルダがお父さんからスプーン作りを教わってるようなもんさ。ナイフの使い方や木の目の見方を教わったろ?」
「うん。ハンナマリはそういうことを習ってるんだぁ」
納得顔のティルダ。
それを見たヌーティは、せっかくだからと、ティルダが受け入れやすい代替案を出すことにした。
「そうだ。でも、それだけじゃだめだから、学校の勉強もやってる」
「そうね、ハンナマリ、このところ凄く頑張ってるもんね」
「本当はちょっと面倒くさいけど、しっかり勉強すると魔法が使いやすくなるんだって」とハンナマリ。
「そうね、そうよね」
ティルダは、考え込みながら一人でうなずいている。
「魔法以外でも同じだぞ。仕事のあちこちで学校の勉強で教わったことが顔を出す」
ハンナマリが口を挟んだおかげで、説得が楽になった。
「だから、まずは、学校を終えるまで、しっかりと基礎を覚えることだ。焦ることはない。その方が魔法を覚えるのも早いんだから」
ティルダは、少し心配になって眉をひそめた。
「ハンナマリは学校をやめちゃうのよね。大丈夫なの?」
「いや、師匠になるホルンにルンドフェルトの学校に通わせてもらえるよう頼もうと思ってる」
「えー、そんな話聞いてないよ」
初めて聞く話に、弟子入り後は魔法の勉強だけすればいいと思っていたハンナマリは、びっくりした。
「魔術師になろうかというのに、学校を終えんわけにはいかんだろうが」
「だって、魔法の勉強ばっかりしてたいもん。よし、今年中に来年の分まで終わらせるわ」
ハンナマリはやる気満々だが、ヌーティは首を振った。
「それは無理だ。学年が進めば勉強も難しくなるんだ。それに、お前、まだ去年の範囲も終わらせていないだろう。春までには四ヶ月くらいしかないのに、そんなことができると思ってるのか?」
「お父さん、教えてぇ」
厳しく指摘したはずなのに、意外な反撃が来た。
「俺は色々と忙しい。アルヴォに教えてもらえ。大丈夫だよな、アルヴォ?」
すでに教わったことの大半を忘れたヌーティは、とっさに、素直なアルヴォに押し付けた。
「多分大丈夫です。父にたたき込まれましたから」
「よし、頼んだぞ」
ヌーティは、信頼しているぞとうなずいた。この類の芸は、商売で鍛えられている。
「でも、この辺りの地理は分かりません」
真面目なアルヴォは、自分のできないことは最初にはっきりさせておかねばならないと考えたようだ。
ヌーティは、急いで新たな押し付け先を探した。
「それは、えーと、タルッティに聞けばいい」
「俺か? えーと」戸惑うタルッティ。
ティルダは、そんな父を頼りにしているとばかりにじっと見る。
「分かった。任せとけ」
ティルダの信頼に負けたタルッティは、顔を引きつらせながら引き受けた。
ヌーティは、ほっとした顔を見られないように、顔をそむけた。




