芋の芯
ユバ親子がヘルミネン家に住み始めて三日後、隣町のルンドフェルトに住む初老の女性魔術師ホルンがやってきた。ヌーティの妻ハンナから予備呪文を教わり、ルンドフェルトで魔法屋を営んでいる。
ハンナが他界した後はマーリングの予備呪文を一手に引き受けるようになった。月に二回ほどマーリングを訪れ、顧客を回って種々の予備呪文をかけるのである。
ヌーティは、マーリングに滞在することになったユバ家について、あらかじめ手紙を送ってホルンに知らせていた。
ホルンは、話をする時間を十分に取ろうと、弟子に馬車で送らせて、いつもよりだいぶ早く昼にはヘルミネン家にやってきた。
慌てたのは学校から昼食のために戻ってきたハンナマリである。
いつもは午後にやってくるし、夕食は父と出かけて外で摂るので初日の食事の用意など不要なのに、急に昼前にやってきたからだ。何も準備していないのに、昼食を出さないといけない。しかも、もうすぐ師匠になる人だから、あまりいい加減なものを出したくない。
あらかじめ知らせてくれればいいのにと不満たらたらだが、手紙が往復する時間はなかった。商用の手紙をやり取りするために各種の同業組合が共同で運用する通信使を使って手紙を送れば、届くのに二日はかかる。
「すまないね、ハンナマリ。手紙を受け取ったのが昨日だったんだよ。返事を出しても、届くのは明日になっちまうからねえ。無理しないで、あり合わせでいいよ」
ホルンは、彼女が部屋に入るなり慌てて厨房に駆け込んだハンナマリに声をかけた。
「はーい、大丈夫でーす」
ハンナマリは、大きな声で返事を返したが、そう言ってもらっても、何とかそれなりの食事を短時間に用意しようとてんやわんやだ。
「ホルン、こちらが手紙に書いたユバ親子だよ」
「初めまして」
「よろしく」
ホルンにサロモンとアルヴォを引き合わせたヌーティは、手紙にも書いたがと前置きして、ユバ親子の立場と郷主の方針をホルンに説明した。
マーリング郷主の持つオルディルン教の変化への懸念は、ホルンの住むルンドフェルトの郷主も共有している。
ルンドフェルト随一の魔術師であるホルンも同様だ。ハンナから予備呪文を教わったホルンは、当然ながらヌーティとハンナが目指す魔法による発展という理想を理解しており、マーリング郷主とヌーティが立てたオルディルン教の変化に対抗する作戦にも納得できた。
「マーリング郷主のおっしゃる通り、魔法の供給量を増やすのは大事なことだね。魔術師が二人増えただけじゃ大したことないけど、予備呪文を覚えられれば、そりゃ効果的だろう」
そう言いながらふんふんと頷くホルンを見ながら、サロモンは考えた。ホルンというこの女性魔術師は、ヌーティと妻のハンナがこの町に来た時、すでに今の自分より年上だったはずだ。ヌーティの話では、予備呪文を使えるようになるか否かは、訓練を早いうちに始める方が有利ではあるものの、生まれ持った適性の方が重要だという話だった。どうやらそれは本当のようだ。学び始めるには年を取りすぎているのではないかと心配していたが、杞憂と考えてもいいかもしれない。
「どうかね、教えてもらえるかな」
サロモンが問うと、ホルンはあっさり了承した。
「いいよ、教えてあげよう。マーリングには月に二回しか来ないけど、大丈夫だよ。ハンナがあたしに教えた時と同じだし、その方法も教わってる。何とかうまくやれるさ」
「ありがたい。よろしく頼む」
「ああ、もちろんだ」
「ホルン、その費用なんだが、マーリング郷主が持つことになっているから、そっちに請求してもらえるかな」
「おや、郷主が直々に費用を負担するのかい。そりゃあ、責任重大だねえ。でも、こればっかりは成果を保証できないよ。ハンナほどは上手にできなくてねえ、教えた魔術師のうち、ものになったのは一人もいないんだから」
「でも、少し使えるようになったのが二人ほどいたはずだよな。いやいや、郷主も分かっていらっしゃるさ。郷主は、打てる手をすべて打ちたいとおっしゃってるんだ。そのうちの一つと考えてくれよ」
「そう言ってもらえると気が楽になるけど、郷主が打てる手の中じゃ一番重要な手かもしれないね。早速今日から始めるとしようか」
それを聞いたアルヴォが目を輝かせた。とても強く期待しているようだ。
ホルンは、その子供らしい向学心にうれしくなった。気付くと、サロモンも同じように目を輝かせ、わくわくした表情だ。
あたしが教わった時も予備呪文に対する期待と不安でどきどきしたっけ。ハンナには、あたしもこの二人と同じように見えていたのだろう。
ハンナマリは、みんなをそれほど待たせずにまあまあの昼食を用意できた。とはいえ、ちょっとだけ失敗した部分もあった。
「おや、せっかくおいしく味がついているのに、この芋は芯があるね」
男どもはあまり気にしていなかったが、ホルンが気付いて指摘した。
「あ、本当だ。発熱石がもう弱くなってたからかなあ」
ハンナマリは、唇を突き出してスプーンに乗せた芋を睨んだ。
「急ぐ時には、もうちょっと小さく切ればいいんだよ。火が通りやすくなるから」
「どうして? お芋が小さくたってお湯の温度は一緒なんだから、煮え方なんて変わらないんじゃないの?」
「小さければ、芯に熱が伝わりやすくなるだろ。それだけ芯の部分が煮えやすくなるから、生煮えの芯が残りにくくなるのさ」
ハンナマリは、ホルンの説明についてしばらく考えてから、また質問した。
「どれだけ熱が伝わりやすいかって、お芋の大きさから分かるの?」
料理のコツを話しただけのつもりだったホルンは、目をぱちくりさせた。
いつものハンナマリなら、「ふーん」という生返事で終わらせて、また同じ失敗を繰り返すところだ。あるいは、運よく覚えていた結果小さく切りすぎて、固い部分が残らないだけではなく、芋が溶けて形も残らなかったりする。
聞いたこと以上には考えない子だったのに、今回は、芋の大きさと熱の伝わりやすさを関連付けようとしている。
ホルンは、体をヌーティの方に乗り出して、小声で尋ねた。
「ねえ、ヌーティ。ハンナマリに何かあったのかい?」
「どうした? 芋の皮はちゃんと剥けているようだが?」
「はあ、何も話を聞いてないんだね。違うよ。ハンナマリが随分とものを考えるようになっているみたいなんだけど」
「ああ、一昨々日からだな」
ホルンは、いい加減な返事をしたとしか思えないヌーティに向かって顔をしかめた。
「なんだい、そりゃ。そんなにぽんと変わるもんかい」
「それがな、一昨々日にアルヴォから立派な魔術師は八十才になっても勉強し続けるって話を聞いて以来、ずっとあんな調子なんだ。学校の勉強も、去年の復習から始めてる」
「去年の復習ってことは、去年教わったことが分かってなかったてことかい。やれやれ」
ホルンは少しあきれたが、すぐに思い直した。
「でも、勉強をする気になってるなら、いいことだわ。魔術師には大切なことだものね」
褒められたハンナマリは、これをチャンスと話を切り出した。
「ホルンさん、お願いがあるんです」
「おや、突然丁寧になったね。何か頼みごとかい?」
一言目でおねだりを見破られたハンナマリは一瞬言葉に詰まったが、気を取り直して続けた。
「せっかく魔術師がうちに住むことになったんだから、ホルンさんにちゃんと弟子入りする前に魔法の予習をしたいんです。お父さんにそう言ったら、ホルンさんに相談してみろって」
「ふうん、そうかい」
ハンナマリは、合わせた両手を握りしめて目を輝かせ、ホルンに迫った。
「お願い!」
「ヌーティ、あんたはどう思う?」
ヌーティは、曖昧に微笑し、ホルンに向かって手を振った。
「ホルン、あんた次第だよ。師匠以外の魔術師から教わるんじゃ礼儀には反する気がするが、兄弟子から教わったりすることは普通にあるからな。師匠以外の指導を受けちゃいかんということはないだろ。
だから、あんたに相談するように言ったんだ。ただ、あんたの教育計画から外れるようなら、やめた方がいいだろうな」
「えー?」とハンナマリ。お父さんは味方ではなかったのかと、唇を尖らせた。
ホルンは、期待と不安が半々のハンナマリの表情を見ながら考えた。
よく知らない魔術師から弟子を引継ぐのは、なかなか大変だ。魔法への理解は、魔術師によって異なる。
多分魔法の基礎になる原理は一つなのだろうが、まだそれがどのようなものが分かっていないから、それぞれの魔術師が独自の理解をしている。それが弟子からそのまた弟子へと受け継がれて、同種の理解を共有する流派が出来上がる。
異なる流派間では理解が大幅に異なることも珍しくなく、弟子の引継ぎはそれだけ難しくなる。
目を見開いて見つめるハンナマリの視線を避け、ホルンは、天井を睨んで考え続けた。
才能ある弟子なら、異なる理解をする複数の流派で訓練を受け、新たな、より強力な魔力を発揮できる理解に達することがあるらしい。
しかし、今のハンナマリには無理だ。ハンナの娘だから才能がないとは思えないが、基礎もできていない子供にできることではない。
まずは一つの流派で基本をしっかりと身に付けさせねばならない。西の国から来た魔術師は、大きく理解の異なる流派に属すると考えるべきだろう。あまりに違えば、ハンナマリを混乱させて才能をつぶすことにもなりかねない。
やはり、この話を受け入れるわけにはいかない。
いや、そうは言っても、ハンナマリがやる気を出しているのだから、今が基礎を身に付けるチャンスではある。何とか自分の指導の下に置きながら、このチャンスを活かす方法がないだろうか。
ホルンが視線を戻すと、不安一色のハンナマリと視線が合った。目を逸らすと、今度は、サロモンと視線が合った。
「この国の魔術師教育については何も知らないので失礼かもしれないが……」
サロモンが口ごもったので、ホルンは手を振って先を促した。
「基礎だけを私が教えてもいいだろうか? ハンナマリは、今度の春にあなたに弟子入りすると聞いている。ほんの数か月しかないのだから、ごく基本的なことだけを教えることになる。あなたもしばしばここを訪れるのだから、問題は生じないのではないだろうか?」
ホルンは、首をかしげ、少し考えてから答えた。
「基本はどの流派でも大体似たようなもんだから、大丈夫かもしれないね。でも、たまに変わった流派もあるからねえ。遠い西の国から来たあんたの流派の基本って、どんなものなんだか気になるわ」
「アルヴォの魔法を見たら分かると思う。アルヴォには私が教えたし基本に忠実だから」
「あたしもせっかくのハンナマリのやる気を無駄にしたくはないし、そうだねえ、見せてもらおうかね」
ホルンとヌーティは、午後の仕事にアルヴォとサロモンを伴うことにした。アルヴォの魔法をチェックし、合わせてサロモンに予備呪文の実際を見せるためである。
当然、ハンナマリも行きたがった。
「あたしも行くっ!」
「学校に戻れ。勉強は大事だぞ」
ハンナマリは、この一言で引き下がった。
ヌーティは、良い殺し文句ができたと喜んだ。




