短い呪文
夕方と言うにはまだ早い時間だが、北国の秋の日は短く、太陽はすでに地平線近くまで落ちている。
辺りが薄暗くなり始めたころ、ハンナマリは、毎日の街灯点灯の仕事に出かけた。
父親に手伝いを言いつけられたアルヴォも一緒だ。
「絶対おかしいわ」
突然そう言われたアルヴォは、面食らった。
「何が?」
街灯はちゃんと光っている。明るさもハンナマリが点灯したものに遜色ないし、光が斑になっているわけでもない。安定した光で、持続時間も違わないように思える。
「アルヴォの速さよ。だんだん速くなってきてるんじゃない? どうしてそんなに短い時間に呪文を唱えられるわけ? あたしがいくら早口で唱えても、あんたより二倍も時間がかかるのよ」
アルヴォの街灯点灯が、教えた時より速いのだ。
今では、ハンナマリの半分の時間で光り始める。ハンナマリがいくら早口で呪文を唱えても追いつかない。
「同じ呪文を唱えてるはずだよ」
困惑した顔で答えるアルヴォをにらんだハンナマリは、そのうち何かに思い当たったらしく、がっくりと肩を落とした。
「どうしたの、大丈夫かい?」
アルヴォは心配そうに声をかけたが、ハンナマリは、うつむいたまま手を振って黙らせた。
「いいの。気にしないで。きっと、これが魔力の差なんだわ。あんたは両親とも魔術師だっていうもの。あたしはお母さんだけが魔術師で、お父さんは魔力が足りなくて魔法職人になったのよ。
きっと、あたしの魔力は、アルヴォの四分の三なんだわ」
アルヴォは指折り数えて四分の三を理解しようとしたが、無理だった。
「どういう計算?」
不思議そうに首をかしげるアルヴォに、ハンナマリは顔を上げ、妙に得意そうに説明を始めた。
「子供って、両親を足して二で割ったようなものでしょ。
あんたの場合、お父さんとお母さんが魔術師だから、一足す一割る二で一でしょ。
あたしは魔術師と魔法職人の子だから、一足す二分の一割る二で四分の三よ。あんたが一であたしが四分の三なんだもん。
ほら、あたしはあんたの四分の三の魔力しかないことになるじゃない」
ハンナマリは、最近習った分数で魔法の効きの速さを説明できたと考え、胸を張った。
「魔法職人は二分の一なの?」
アルヴォは、相変わらず不思議そうだ。
「そうよ、たぶん」
「四分の三なら、速さが半分なのはなぜ?」
ハンナマリは、肝心なところの計算を考えていなかった。
「そういえば変ね。数字が合わないわ。まあいっか」
あっさり計算を捨て去ったハンナマリは、別のことを思いついた。
「じゃさ、次の街灯を点ける時にアルヴォの呪文を聞かせてよ。そしたら、きっと何かが分かるわ」
「うん、いいけど、同じ呪文だよ」
「そうかもしれないけど、何かが違うのよ。あたしに違いが分かるように、はっきり発音してよ。ほら、次に行こう」
ハンナマリはアルヴォの背を押して隣の街灯まで急がせた。
「じゃあ、点けるよ。はっきり発音するからね」
アルヴォは、呪文の言葉を教わった通りに丁寧に発音しながら唱えた。街灯は、これまでと同じように光り始めた。
「同じ呪文だっただろ」と、アルヴォ。
「同じだったわ」と、ハンナマリ。
だが、納得できないという表情だ。
「でも、あたしと同じだけ時間がかかったわ。いつもと何か変えたでしょ?」
「えーっと」アルヴォは少し考えて「少しまとめて唱えてるかもしれないなあ」と首をかしげながら言った。
「何よそれ、呪文の言葉をまとめて唱えられるってこと?」
そんなことができるとは思っていなかったハンナマリは、目を丸くしてその言葉に食いついた。
「うん、意識してなかったけど、長い呪文が面倒で、同じ効果が出せるように呪文を組み替えて短くしちゃったみたいだ。でも、ほんのちょっとだよ、自分でも気が付かないくらいだから」
「どうやるの? 教えてよ!」
背伸びをして迫るハンナマリに、アルヴォは残念そうに首を振った。
「呪文の一部と同じ効果が出るように自分なりに言葉を作るんだ。自分の魔力に合わせないとうまくいかないから、魔術師じゃないと無理だよ」
「えー、そんなのずるい。魔法職人じゃ無理ってことじゃない」
ハンナマリは、大げさにのけぞって後じさりした。アルヴォは、慌ててフォローした。
「魔法職人って魔力の弱い魔術師みたいなものだよね? だったら、ちゃんと勉強すれば大丈夫なんじゃないかな」
「勉強かあ」
勉強があまり好きではないハンナマリの勢いが一気に弱まった。今日の午後も、宿題を忘れたことが先生にばれてハンスと一緒に叱られたのだ。
それでも、心を励まして聞いてみた。
「魔術師の勉強って、どんなの?」
アルヴォは、ハンナマリの不安そうな顔を見ておかしくなった。また怒らせないように、緩みそうになる顔を手で押さえて取り繕う。
「学校の勉強とあまり変わらないと思うよ。算術とか物の成り立ちとか動きの特性とか」
「算術は分かるけど、物の成り立ちなんて学校じゃ習わないわ」
「そうなの? 僕、学校に行ったことがないから知らなかったよ」
アルヴォは少し意外そうだ。厳しい状況下で特殊な教育を受けたという自覚がない。
「幾何とか習うわね。魔術師の勉強に幾何はあるの?」
いかにもあんなややこしいものがなければいいという顔だ。
「幾何は大切だよ。動きの特性と関係が深くて、魔力を上手に使うには欠かせない」
ハンナマリは、目を丸くした。まさかあの面倒くさい幾何が魔法に関係があるとは思っていなかったのだ。
「本当? 三角とか四角が魔法に関係あるの?」
「僕にもよく分からないけど、あるはずだよ。偉い魔術師たちは、『様々なことへの理解が魔力の有効活用につながる』って言ってる。
確かにね、一生懸命勉強すると魔法を使うのが楽になるんだ。魔力をどう使えばいいか感覚で分かるっていうか、魔力を及ぼす相手の動きが予想できるというか」
ハンナマリは、ほんの少しの間額を指で押さえながら考えたのち、決然と顔を上げて宣言した。
「よし! 私、勉強が好きになったわ! 魔術師の勉強って、学校の勉強と物の成り立ちなのね!」
「いや、他にも魔力行使の感覚把握とか、呪文と魔力行使の関係とか・・・」
「そんなにいろいろあるの? きっと、勉強が終わるころにはおばあさんになっちゃってるわ!」
驚いて大げさに言っただけなのに、アルヴォは大まじめにうなずいた。
「そうなんだ。僕の国で一番の魔術師が、わしは勉強が足りないって悲しそうに言ってた。その人、八十才くらいだったんだ」
ハンナマリは、頭がくらくらしてきた。これは大変だ。予備呪文を使える立派な魔術師になりたいのに、うかうかしてると、勉強が終わる前に本当におばあさんになってしまう。早く魔術師の勉強を始めなくちゃ!
アルヴォのおかげで、それから幾らも経たないうちにすべての街灯を点灯し終えた。
昼に点灯した寺の入り口にある街灯はまだ光っていたが、朝まで明るく光るように特に念入りに魔法をかけなおした。
仕事を終えると、ハンナマリは飛ぶように走って家を目指した。アルヴォは、また道に迷ってはかなわないと、懸命に追いかけた。
ハンナマリは、道に沿って回るわずかの距離を節約して隣家の庭を突っ切った。
母屋と家畜小屋の間を走り抜けようとした時、ちょうどティルダが家畜小屋から空の水桶を片手にぶら下げて出てきた。
ハンナマリは、その水桶に足を引っかけてバランスを崩したが、思い切り地面を蹴り空中で姿勢を立て直した。
「大丈夫? きゃっ!」
ティルダは、無理な姿勢で着地してたたらを踏んだハンナマリに心配そうに声をかけたが、こちらは避けきれなかったアルヴォの腕が当たって転んでしまった。
「あ、ごめん」
アルヴォが慌てて謝りながら、起き上がるティルダに手を貸した。
「何なのよ、人の家の庭で……あら、昼間の子じゃない。二人とも何を急いでるの?」
「そうなの、急いでるのよ! 早く勉強しなくちゃ!」
スカートの土ぼこりを手で払いながら怪訝そうに言うティルダに向かってそう叫ぶと、ハンナマリは身をひるがえして再び走りだした。
「何あれ? ハンナマリが勉強しなくっちゃって、どうなってんの?」
「魔術師には勉強が必要だって話をしたら、急に走り出しちゃって」
アルヴォは、水桶を拾って、首をかしげるティルダにもう一度謝りながら渡し、急いでハンナマリを追いかけた。
ティルダは、水桶をかたずけながらつぶやいた。
「ハンナマリは、昨日来た魔術師に魔法を教えてもらうのかな?」




