昼食
ハンスの家の前で二人と別れて脇道を二本も横切ればもう家だ。
ティルダは、手を振りながら隣の家に入っていった。
扉には鍵がかかっていた。
ハンナマリは、納屋の隠し場所から鍵を持ってきて扉を開けた。やっぱり、父親は帰っていない。
そろそろ予備呪文が切れかけている発熱石の上に朝のうちに作っておいたシチューの鍋を乗せて呪文を唱え、パンを何切れか切った。
そして、郷主様にお会いしたからお腹が空いたわと意味のない言い訳をつぶやきながら、さらに追加でチーズを持ち出してきた。
シチューはまだ十分温まっていなかったが、お腹が空いていたので待つのが嫌になり、ぬるくなっただけのシチューを皿によそってさっさと食べ始めた。具の芯がまだ冷たかった。
たくさん取ったのでシチューが少なくなってしまったが、最近父親も太り気味だからちょっと控えるくらいでちょうどいいということにした。
「ああ、ハンナマリ、帰っていたのか」
扉が開いてヌーティが入ってきた。
「お父さんお帰り。今までかかったの?」
「ああ、ずいぶんといろんな話があったからな。お客さんを連れてきたぞ。今朝作ったシチューを出してくれ」
ヌーティの後からサロモンが入ってきた。
「おや、これじゃ足りないかな。たくさんあったはずだがな」
鍋を覗いたヌーティが大きな声を出した。
あんなこと言われたらまるで私が大食いみたいじゃないのと思いながら、ハンナマリは急いで食料庫から適当な根菜を取り出してきた。
「最初から少なかったのよ。具を足すから、煮えたら食べてね」
ハンナマリは、手早く根菜の皮を剥き鍋に放り込みながらそう言った。
「食べ盛りだからな」とヌーティ。
「最初から少なかったの!」
反射的に言い返すハンナマリ。
だが、ハンナマリの皿にたっぷりと盛ってあるシチューの具を見れば、どれほど鍋にあったかは分かってしまう。
サロモンは、それに気づかないふりをしながらヌーティが手を振って示した椅子に座った。
「あの子はどうした?」
ハンナマリは、皿に目を据えて、スプーンから逃げる小さな芋のかけらを追いかけながら答えた。
「アルヴォは、ハンスの家でご飯を食べてるわ」
「宿に戻ったと思っていた」
「郷主様のお屋敷を出たとたんに迷子になるんだもん。あきれちゃうわよ」
ハンナマリは、目を上げてそう答えた弾みに、せっかく捕まえた芋を逃してしまった。代わりに、手近にあった肉の切れっ端をすくい上げながら、
「ほっとくのもかわいそうだから、学校に連れて行っちゃった」
「うちで食べてもらってもよかったんじゃないか」
「そしたら、お父さん達のお昼がなかったわよ。ハンスの家なら四人兄弟だからアルヴォ一人くらい増えても大丈夫なんじゃないかな」
「そうだな」
ヌーティは、先ほど具を追加した鍋を覗いてみた。まだ全然煮えていない。
「ああそうだ、ハンナマリ、今日からサロモンとアルヴォにはうちに住んでもらうことになった」
ハンナマリは、スプーンを下ろして目を丸くした。
「へえ、客室に泊まるの?」
「いや、弟子用の部屋を使ってもらう。泊まるんじゃなくて、住むんだからな」
「じゃ、ここで旅は終わり?」
「ああ、郷主と話してそういうことになった」
アルヴォの疲れた顔を思い出したハンナマリは、大人達が相談して決めたらしい結論に明るい声で応じた。
「アルヴォが喜ぶわ。
学校に行く途中でいつまで旅をするのって聞いたんだけど、アルヴォは分からないって言ったの。そのあと難しい顔で黙り込んじゃったから、旅を続けるのが嫌だったんじゃないかな。
そのあと学校でみんなとおしゃべりした時には、返事がすごく鈍かったの。あの子絶対疲れてるわ。何日かゆっくり休む方がいいわね」
ヌーティは、気遣わしげにサロモンを見やった。
「そうだなあ、子供でなくても長旅では疲れるよ。サロモン、あんたもだな。ハンナマリ、食べ終えたら、学校に戻るついでにサロモンをハンスの家まで連れて行ってくれ」
「はあい」
「サロモン、息子さんを連れてくるといい」
ハンナマリに案内されてアルヴォを迎えに行ったサロモンは、ほんの数分で戻ってきた。
後ろに従っているアルヴォは、少々元気がない。
「どうした?」
今朝より元気のないアルヴォに体調でも崩したかと心配になったヌーティが尋ねると、サロモンは苦笑いをして答えた。
「昼食を食べ損ねたそうだ」
「なんでまた?」
ハンスの母親はけちではない。どちらかと言うと、客にご馳走するのが好きな方だ。アルヴォと同じく人間だから、分量の見当を間違えたとも思えない。
不思議そうに聞いたヌーティに、アルヴォはしょんぼりと答えた。
「食べ物に手を伸ばす隙がありませんでした。ハンスのお母さんはたっぷりと食べ物を出してくれたんですけど、ハンスの兄弟達がものすごい勢いで食べるものだから、一つか二つしか食べられなかったんです」
ハンスの兄弟の面々を思い浮かべたヌーティは、サロモンと同じように苦笑いになった。
「あの四人兄弟が相手じゃ無理ないかもな。奥さんが出したアルヴォの分まで取っちまったんだろう。やれやれ、またシチューの具を追加しないといけない。
いや、午後の予定もあるし、これ以上煮えるのを待てないよ。パンを余分に出そう」
ヌーティは厨房の奥にある食糧庫から生で食べられる野菜やパンを取り出してきて、昼食に追加し始めた。
その間、サロモンは、アルヴォに郷主とした話を伝えた。
「警告の旅はこの町で終わりですか」
アルヴォは、ほっと体の力を抜いた。
警告の旅を終える条件が満たされた。魔法の利益を守るための行動がこの町で起こされようとしている。
親子が自らに課した義務を果たし終えたことに安心すると同時に、体にも心にも疲れが感じられた。この町の人たちと一緒に神聖教と戦うことになるとしても、その前にしばらく休みたい。
しかし、父親の表情には懸念が潜んでいた。アルヴォは、進まぬ気を引き立てて背筋を伸ばし、父親に問いかけた。
「何か、心配なことがあるんですか」
「この国にはすでに神聖教が入り込んでいるのだ。政治的にうまく動いて教主の地位を得てしまった。幸い、今はまだ国内に定着したというほどではないようだ。とはいえ、魔法についても、神聖教に対抗できるほど定着しているとは言えない。どちらがより早く広く受け入れられるか、時間の勝負になるだろう。西から応援を呼べばいくらでも人員を増やせる神聖教に比べると、魔術師はあまりに少ない。かなり不利な条件で戦わねばならないのだよ」
浮かない表情で状況の厳しさを語りながらも、父の目には明るい色が見える。
「でも、お父さんにはここに留まろうと考える理由があるのですよね?」
「ああ、ヌーティだよ。ただの朴訥な田舎者に見えるが、商売人としてはたいしたものだ。彼なら積極的に魔法を広めることができるだろう。
今は魔術師の手が足りていないから思うに任せていないのだ。我々が協力すれば、その状況を好転させることができる。郷主とヌーティは、うまくやれば神聖教と十分に戦えると予想している。
お前か私が予備呪文を覚えられれば、本当に勝てるかもしれない。この機会を逃すことはできないよ」
サロモンは、一息おいて息子が状況を飲み込むのを待ってから続けた。
「今しばらく戦いを続けなければならない」
アルヴォは、表情を引き締めて応じた。
「戦い方なら知っています」
サロモンは、小さくうなずき少し笑ったようだ。そして、久しぶりに近衛の上官としての顔つきを見せた。
「これまでとは大きく違う戦いになる。ヌーティを指揮官と考えよう。お前と私は、魔術を使う実働部隊だ」
アルヴォは、職人組合長が上官だなんて変な部隊だと思った。
だが、父が考えている戦いは、これまで経験したものとは全然違うようだ。だから、これまで聞いたこともない部隊編成の方がいいのかもしれない。
「おーい、呼んだかい?」
厨房からヌーティが顔を出した。会話に出た自分の名前が聞こえたらしい。
「すまんな、呼んでいないよ。アルヴォに郷主邸での話を説明していただけだ」
「そうかい。ちょっと厨房に来てくれよ。運ぶものが多くて一人じゃ無理なんだ」
そう言うとヌーティは顔をひっこめた。二人は、上官の命令に従って厨房に手伝いに行った。
昼食を終えたヌーティは、ユバ親子を家に残して砂糖工場との打ち合わせに出かけた。砂糖工場は町の郊外にあるが、ヌーティの家からそんなに遠くはない。
移動の短い時間でヌーティは、どのようにユバ親子を魔法職人組合の業務に組み込むかを急いで考えた。
午前中に郷主と持った会議では具体的なところまで話し合う時間がなかった。郷主より先に砂糖工場と話を付けてしまうのは少々気が引けるが、郷主は任せるとおっしゃった。信頼してくださっているわけだからお応えしなければならないし、それより、ここしばらく完全に停滞していた魔法を広く普及させるという夢を実現させる行動を再びとれるようになったことがうれしい。
砂糖工場はマーリングの財政に直結しているから、ユバ親子で増えた魔法の供給量を優先的に割り当てるべきだろう。
魔法職人では対応がむつかしい仕事も数多くあるのだ。特に設備の保守作業のうち、たまにしか行わない大型設備の洗浄などは、無理に魔法職人を使うより、人手と時間をかけた方がその間設備を使えないことを考えても安く上がる。ここに魔術師の投入を提案してみよう。
それに、古くから使っているあの大きな濃縮鍋を魔法を前提としたものに変えれば、もっと大きくして、しかも保守期間を短くできるはずだ。鍋をあんなに竈で覆ってしまわずに見える部分をもっと増やせば、予備呪文の効きもずっと良くなる。
具体的な提案内容を考えていると、あっという間に砂糖工場の前まで来た。
建物を見たとたん、工場長がしつこく要求していた砂糖工場の職人への魔法職人教育のことを思い出した。
ユバ親子の位置付けでは、それを跳ね返すのは無理そうだ。
まあ、しょうがない。魔法職人を増やすのも大事なことなのだから、今朝考えた通り、教育費用を払ってもらうあたりに落とそう。
ヌーティは、気合を入れて工場に入った。




