司祭
「当初は、他領の領主達も予備呪文には興味を持っていたようだ。ここマーリングでの成果は明らかだし、アンデルベル領全体でも成果が出始めていたからな。
その鍵が魔術師と予備呪文にあることを領主達に教えたから、それぞれに色々試したようだ。
ただ、それらの領地では、予備呪文を指導する者がいないせいで思わしい成果が出なかった。一部の領主はマーリングに魔術師を派遣して色々と尋ねてきたし、また一部の領主は東の国に魔術師を派遣するつもりもあったらしい。
当然、王もアンデルベル領の成果に注目しておられ、将来は国全体で魔法の産業利用を進めたいお考えだった。マーリングをはじめとするアンデルベル領の発展が急速だった初期にはすぐにも取り入れたいと思っておられたようだ」
素晴らしい内容だが、郷主は、すべてを過去のこととして表現している。
サロモンは、不穏な方向に話が転じるのではないかと心配になった。
「ちょうどその頃、我が国で最も広く信じられているオルディルン教の教主が変わったのだ」
サロモンは、神聖教がオルディルンの教えから派生したものであることを思い、ここマーリングでも同様に魔法が排斥されることになってしまうのではないかと思った。
しかし、サンデ国やその周辺の国々でも、オルディルンの教えが信じられているのに魔法が受け入れられていたのだ。
オルディルンの教え自体が魔法を排斥するわけではない。教えを解釈し、指導する者の考えが鍵なのだ。教主とは何者だろう? どのくらいの影響力を振るえるのだろう?
「教主とはどういう立場の方でしょうか?」
サロモンの問いに、郷主は苦々しげに答えた。
「国内のオルディルン教の神官達を統括し、神学的な導きを与える者だ。
新たな教主は、魔法とは神の力を私欲のために窃用するものだとお考えのようだ。
陛下の周辺では、新教主の活動によるのだろう、裏でどう動いたのかは知らぬが、魔法を快く思わない者が増えたと聞く。
アンデルベル領の発展が滞っている現状では、王も彼らを押し切ってまで魔法を積極的に取り入れる根拠がないとお考えなのだろう。残念なことに、他の領主達も同じような様子見の姿勢に後退してしまった」
サロモンには、その教主という者が神聖教の影響を強く受けていることが分かった。神聖教の影響は、これほど東にまで及んでいたのだ。彼らが軍事と宗教の両方をうまく使って勢力を広げる様は、恐ろしいほどだった。
魔法が大事にされているこの町でもそれが始まっているらしい。郷主自身が認めたように、魔法の恩恵が国全体にいきわたっているわけではないようだ。
警告を発することはできたが、これまで通過してきた国々と同じように、この国にとっても手遅れだったのではないだろうか。
サロモンが自問している間も、郷主は話を進めていた。
「私は、領主、そして隣町のルンドフェルト郷主と協力してこの状態を打破しようと試みている。魔法が産業に浸透することによる恩恵を王周辺に理解させ新しい教主を抑えられれば、国全体が豊かになるはずなのだ。
しかし、現在のように成果の伸びが停滞していては、そうはいくまい。王だけが理解してくださっていても、国を動かすのは無理だ」
それを聞いたサロモンの顔が厳しくなった。郷主は、サロモンが話を理解していると見て、サロモンにまっすぐ視線を向けた。
「先ほど周辺領主達が様子見に後退したと言ったが、それは、アンデルベル領の成果を注意深く見守っているということでもある。今は、領内でより多くの成果を出すべく努力する局面と考えられる。
今以上の成果を出すには、魔法の供給量を増やさねばならん。つまり、予備呪文を使えるか否かにかかわらず、魔術師を増やすことが重要なのだ」
郷主は、姿勢を正し、サロモンをまっすぐに見た。
「思うに、新教主は、あなたの言う神聖教の影響を受けているのではないだろうか」
サロモンは、暗い思いにとらわれながら同意した。
「確かに、魔法を神の力を剽窃したものと考えるところはよく似ています。ここより西ではほとんど魔法が見られなくなっていることを考えると、神聖教と何らかのつながりがあると考えるのが自然でしょう。すでに、このあたりまで勢力を伸ばしてのだと思います」
ヌーティの顔がこわばった。
郷主がこれほど素早くサロモンと会談する機会を設けたのは、すでに神聖教がこの国に影響を及ぼし始めているのではないかと恐れたからだ。
昔から魔法を恐れ嫌う者はいた。魔術師は、その時々の権力者に仕えることが多い。当然、権力者の勢力争いや権謀術策に協力する。そのような争いに巻き込まれる庶民からは、魔術師は害を及ぼすものにしか見えない。
権力者達も、実のところ不思議な力を振るう魔術師を恐れている面があるのだ。そこに付け込む野心家も時々現れ、一時的に支持を集めて勢力を得ることがある。
ヌーティは、今の教主もその手合いだろうと思い、魔法の利益を広く見せつけることで排除できるものと考えていた。
しかし、サロモンが戦ったという神聖教のような組織力と勢いがあれば、そんな目算など吹き飛んでしまいかねない。魔法の利益への理解を広めるのは、それほどにも喫緊の課題だったのだ。
ヌーティは、自らの甘い認識を悔やんだ。
だが、正しく認識していたとしても、今より多くの何かができたわけではない。郷主がヌーティに何も言わなかったのは、それが分かっていたからに違いない。
郷主は、身を乗り出して話を続けた。
「私は、今あなたがマーリングに来たことに神の導きを感じる。ちょうど良いときにこの国に来たのではないかね。
この国は、神聖教の教義を広めようとする一派が力を持ち始めたところだ。あなたがここにとどまって魔法の活用に貢献していただけると、あなたの警告する破局を押しとどめることもできるのでなかろうか」
「王の周辺に魔法の否定派が多いということは、すでに国の上層部に神聖教が入り込んでいると考えるべきでしょう。押しとどめられるかどうか……」
「その心配は分かる。しかし、王は彼らを排したいと考えておいでだし、魔法による利益を捨てがたく思っている者も多い。それにな、私の知る限り各地の司祭達は、新しい教義にまだ馴染んでおらんのだよ。
教団のトップを占めたとは言え、その基盤は脆弱で、支配的とは言えない。まだ対処する時間は十分にある」
「やあ、賑やかだね」
穏やかだがよく通る声が子供達を振り向かせた。広場と敷地続きにある神殿の司祭だ。お供に連れている修道士と同じ質素な修道服を着ているが、司祭であることを表す紫のストールをかけている。
子供達は、口々に「こんにちわ」と挨拶した。司祭は、全部の子供ににこやかに挨拶を返したが、全員を見回しているうちに一人だけこわばった態度のアルヴォに気づいた。
「おや、新顔がいるね」
「この子、西の国から来たんです。サンデって国だっけ? 昨日この町に着いたの」
ハンナマリの言葉を聞いた司祭の柔和な顔に、暗い影が走った。
アルヴォは、めざとくその影に気づき、黙って司祭の反応を窺った。
少しぎこちない間が開いて司祭とアルヴォの間の緊張に気づいたハンナマリは、言わない方がいいことを言ってしまったのかと話を続けることを躊躇した。
その間を捕らえた他の子供達が、司祭の挨拶は終わったと考え、色々なことを一斉に話し出した。
「さあさあ、少し静かにな。新顔に挨拶をさせておくれ」
いつもならやさしく子供達の相手をする司祭だったが、今日は困った顔を見せて子供達を黙らせた。子供達は、司祭の邪魔をしては大変と、素直に口を閉じた。
司祭は、にこやかな表情を取り戻してアルヴォに歩み寄った。
「何というお名前かな?」
アルヴォは、つい正直に答えそうになった。
だが、神殿の入り口に飾ってあるシンボルや銅像は、この司祭がオルディルンの教えを伝える者であることを示している。
アルヴォ自身もオルディルンの教えの信者だが、神聖教も元はと言えば同じだ。これまでに寄った町と同じようにこの町にもすでに神聖教が入り込んでいる可能性がある。
もしそうなら、サンデから脱出した魔術師の名が伝えられているかもしれない。その可能性を考えると、この司祭に名前を教えるわけにはいかない。
司祭は、アルヴォの態度からその考えを読み取り、返事を要求しなかった。
「ハンナマリ、あの街灯を点けたのはこの子だね」
「はい」
「この時間に点けると夜中には消えてしまうのではないかね?」
「大丈夫です。今日はあたしがこの通りの担当だから、夕方に魔法をかけ直しておきます」
「ありがとう。頼むよ」
司祭は、胸を張って答えたハンナマリの頭をなで、アルヴォに話しかけた。
「君もハンナマリを手伝って上げておくれ。街灯点灯は毎日のことだから、子供には大変なのではないかと心配だよ」
「はい」
アルヴォは、つい返事をしてしまった。自分が魔術師であることを司祭に認めたことになりそうだ。この司祭からは神聖教の影響が感じられないが、後で父と相談する必要がある。
アルヴォは、司祭が自分を安心させるためにこの会話をしたのだとは、気づかなかった。
司祭の供の修道士は、神殿に入ると、まず、司祭がこれ以上体を冷やさずにすむことに安心した。
すると、次の心配事が気になってくる。
「司祭様、あの二人の子供は魔法職人ではないでしょうか。あのように魔法を使っていては、魔法から離れないままに大人になってしまいます。まだ魔法にすっかりのめりこんでいない子供のうちに正しい道に導いてやる方が彼らのためなのではないでしょうか」
「ふむ」
司祭は、修道士に先を続けるようにうなずいた。
「先日届いた教主様からの命令書にも、魔法に誘惑されないよう導くようにとあったではないですか。子供だからと言って神の力を盗用するような真似を見逃していては、彼ら自身のためになりません」
一瞬思案するような表情を浮かべた司祭だったが、すぐに修道士に微笑みかけた。
「正しい道を歩めるように、だね」
「はい」
自分に向けられた微笑みと言葉から、修道士は、司祭が子供達を神の力の簒奪者に陥る道から救い出してくれるものと信じ、安心して仕事に戻っていった。
しかし、司祭は、新しい教主から示された教義の解釈や命令と、ヘルミネン家がこの町に対して行った善行の、それぞれが意味するところの食い違いに悩んでいた。
司祭にも、あの修道士のように上位聖職者から示された解釈を疑うことなく受け入れられた時期があった。しかし、そのような未熟な修行時代以降長い経験を積んできたし、ヘルミネン家の献身によるマーリングの発展を間近で見てきたので、どうしても新しい解釈を受け入れることに抵抗が残った。
一介の司祭としてはあるまじきことに、上位聖職者に異議を感じていたのである。
学校管理人が鐘を鳴らし、昼食の時間を告げた。
校舎から何十人もの子供達が出てきて近づいてきた。もう噂が伝わったらしい。
「おい、お前、昼飯どうするんだ?」と、それを見つけたハンス。あれに巻き込まれたら、お昼を食べ損ないそうだ。
昼食時に一緒に家に帰るハンナマリとティルダを促して、アルヴォともども道路の方に移動した。
「いつも通りよ。家で食べるわよ」
ハンナマリが返事をすると、ハンスが鼻で笑ってあしらった。
「お前じゃない。アルヴォだよ。親父が郷主様に捕まってて宿が分かんなかったって言ってたじゃないか。食う当てがあるのか?」
「宿で父と食べるよ」
当然のような顔で答えるアルヴォに、ハンスは首を振った。
「宿の場所が分かんないんだろ」
「跳ねる子馬亭って言うんだ。知ってる?」と、言われてやっと自分が道を忘れていたことを思い出したアルヴォ。
「あそこは町の反対側だ。連れてってやりたいけど、俺が昼飯を食う時間がなくなる。うちで食べてけよ」
ハンスが背中に手を回して促そうとすると、アルヴォはすまなそうな顔をして辞退した。
「いいよ、悪いから。人に道を聞きながら行くよ」
「しょうがないな。ハンナマリ、あの宿、何通りにあるんだっけ?」
「ベルクベーゲンじゃなかったかな、ねえ、ティルダ」
「そうだったかしら? わたし、あの近くってあまり行かないのよ」
「そっか、あたしだって仕事がなきゃ行かないもんね。そう言えば、あの宿の隣にねえ・・・」
ハンスは、女の子達の話が脱線しないうちに急いで割り込んだ。
「どっちにしろあのへんだよな。まあいいや。学校が終わったら連れてってやる。まずうちに来て食えよ」
「アルヴォ、いいじゃない、ハンスの言う通りにしなさいよ。うちの近くだから一緒に行こ」




