迷子
ハンナマリは、一緒に歩くアルヴォに目もやらず、ずかずかと歩いて郷主邸を出た。
入り口の見張りは、険しい顔をして大きな足音を立てるハンナマリを見て、後ろをついて歩くアルヴォに問いかけるような目配せをした。アルヴォは、困り切った表情を返しただけだ。
「じゃ、あたし、学校に行くから」
郷主邸を出たハンナマリは、高飛車にそう言うと、ぷいっと顔をそむけて大股に歩き出した。
ハンナマリの態度に押されて返事もできなかったアルヴォは、郷主邸の門の左右を見回した。
今朝は寝ぼけていたものだから、どちらから来たのかよく覚えていない。魔術師であることを隠し続けなくてもよくなって気が緩み、疲れがどっと出たのだろう。確か、樽が二つ扉の脇に並んでいた家の前を通ったはずだなどと、一生懸命に思い出そうとするが、やっぱり分からない。
一旦町の入り口まで行けば昨日通った道を思い出せるかなあなどと考え込んでしまった。
学校へに向かう道の角を曲がろうとした時にちらっとアルヴォの様子をうかがったハンナマリは、何やら彼が困っているらしいことに気づいた。
「どうしたのよっ」
「うわ」
どうしても思い出せない道を確認しようと風景を睨んでいたアルヴォは、戻ってきたハンナマリが大きな声をかけたものだから驚いて飛び上がった。手が素早く腰に伸びたが、郷主邸に入るために短剣を宿に置いてきたので、単に手を泳がせただけになってしまった。
「何やってんの? 腰の短剣を探してたんでしょ。まだあたしの護衛をやってるつもり?」
「いや……」
「護衛対象のあたしに短剣を向けようというんじゃないでしょうね。西の国の護衛って、一体何なのよ」
郷主様への恥ずかしい報告に加えて、護衛の時の勘違いで困らされたことを思い出し、腹立ちが倍加している。
それにしても、追われる立場から脱しても思わず身を守ろうとしてしまうかわいそうなアルヴォに対して、ずいぶんな言いようだ。
アルヴォは、ハンナマリを怒らせてしまったことを分かっているから口答えせず、なんとか怒りをやり過ごそうと黙っていた。
「ひょっとして、宿への道が分からないの?」
「まあ……」
「えー、しょうが無いなあ。跳ねる子馬亭なら分かるけど、あたしは学校に行きたいのよね。どうしようかな。一緒に来る? お父さん達はまだしばらく郷主様とお話ししてるみたいだから、すぐに宿に戻らなくてもいいんじゃない?」
ハンナマリは親切で言ったが、アルヴォは躊躇した。
アルヴォは、学校に通ったことがない。家庭教師や魔法の先生から聞いた学校は、平民向けに簡単な読み書きといった基本的な教育をするところだ。サンデから出た後見聞きした学校は、神聖教の修道院により運営されていたし、神聖教の教義も教えていたようだ。つまり、平民の子ども達に反魔法教育を施す役割も担う場所だったはずだ。
魔法職人であるハンナマリも通っているのだから多分そんなものではないと思っても、不安は拭えなかった。
「大丈夫かな……?」
「大丈夫って、心配なんかないわよ。昨日顔を合わせた子達もいるから、平気だって。行こ行こ」
アルヴォの不安を誤解したハンナマリは、ちょうど目の高さにあるアルヴォの腰を押して、無理やり学校の方に進ませた。
アルヴォは、せっかく気を使ってくれたのだからと不安な気持ちを押し殺して、おとなしく歩き始めた。それに、やっと怒りが解けたみたいだから、また怒らせたくなかった。
ハンナマリは、アルヴォを押しながら、まだ話し続けていた。
「ところでさ、あんた、報告が上手ね。とっても分かりやすかったわ。あんたが言ってた護衛なんて冗談かと思っていたら、本当に真面目に護衛してくれてたのね。本気にしなくてごめんね。
でもさ、扉をうっかりロニーにぶつけちゃったことまであんなに詳しく話さなくてもいいんじゃない? 郷主様まで笑ってたじゃないの。恥ずかしいったらありゃしない。大体ねえ……」
ハンナマリは、まだ怒っていた。町で一番偉い人に笑われる原因を作ったアルヴォに対する怒りは、そんなに簡単に解けるものではなかった。
郷主は、マーリングの事情にとどまらず、アンデルベル領内へと話を広げていた。
「現在、魔法の産業利用をここアンデルベル領内に定着させようとしている。
ヌーティは、貴族お抱えだった魔術師達を説得して平民相手の仕事も請け負うように誘導した。
これを承知した魔術師にはハンナが予備呪文を教えることにしたので、多くの魔術師が受け入れた。彼らは、地位を失い、職務もがらりと変わってしまうのに喜んで受け入れていたのだ。
なぜそうなるのか私にはよく分からなかったが、ハンナとヌーティは、魔術師とはそういうものだと言っていたな」
郷主とヌーティは、このことについて何度も話をしたのだろう。ヌーティが、お決まりの返答の如く自然に応じた。
「魔術師とはそういうものです。地位も魅力的ですが、新しい技術はもっと魅力的です。サロモン、あんたも分かるよね」
「そうですね、そういう者が多いと思います」
そう応じたサロモンに、郷主は、眉を上げた。
「魔術師は、ここアンデルベル領でも、あなたの西の国でも、ヘルミネンの生国である東の国と同じと言うことか。面白い連中だな、魔術師とは」
「何度も申し上げたではありませんか、郷主。魔法という技術を身に付けるには、そのような好奇心が必要なのです。才能だけではどうしようもありません」と得意顔のヌーティ。
「何度も聞いたし、よく分かっているよ。魔術師には勉強する機会を多く与えよということも分かったから、そのようにしただろう」
郷主は、うるさそうに手を振った。
「ありがたく存じます」
ヌーティは、郷主の苦情を澄ました顔で流してしまった。
サロモンは、あの朴訥なヌーティが、郷主を相手にこのように堂々とした態度で接することに驚いた。
単に商売で魔法職人として働くだけではなく、その仕事を広めるための度胸と能力もあるようだ。それに、妻と二人で東の国からやってきて魔術の産業利用を進めたということは、長期的な方針と実行力も持っているに違いない。
己の力を発揮する場を求める魔術師は、通常であれば貴族のような支配階級にそれを求めるものだが、平民が生業とする産業に魔法を活かすことにより結果的により大きな活躍の場を作り出している。
魔術師がもっと平民と共にあるべきだったと昨日から何度も思い知らされているが、単に魔法が受け入れられるか否かではない、魔術師・貴族・平民の三者が共に実際的な利益を得るためにも必要なことだったのだ。
郷主は、ヌーティの軽い態度にため息をつき、話を続けた。
「マーリングが先鞭を付け成果を示したので、領主も魔法の産業的な利用に理解を示してくださっている。様々な便宜も図っていただいているのだが、中心となっていた魔術師が病死したため、ここ十年はあまり進展がないのだ」
ヌーティは、その言葉に頭を下げた。
「申し訳ございません。私もあのようなことになるとは思いも致しませず、大変なご迷惑をおかけすることになりました」
中心となっていた魔術師とは、病気で亡くなったと聞いたヌーティの妻のことだろう。ヌーティはかみさんと組んで商売をしていたと軽い表現をしたが、実際には重要な人物だったはずだ。
ヌーティが魔法職人の訓練を担当し、妻のハンナが魔術師に予備呪文を教えていたということならば、どちらが欠けても魔法職人の広がりは滞ったはずだ。
郷主は、ヌーティに向かって大きく手を振った。
「病は人の都合などかまわずに襲ってくるものだ。迷惑だなどとは思っておらんぞ。それまでに上げた成果から後退しても仕方のない状態だったのに、魔術師を再組織して維持できるようにしたのは其方の手柄であった。感謝しても良いくらいだ」
「中心人物を欠いた状態で十年にわたって成果を維持し続けていると?」
サロモンは、驚いて口を挟んだ。
「完全ではないけど予備呪文を使えるようになった魔術師が何人かと、一人だけだけど予備呪文を使いこなせるようになった魔術師もいるんだよ。
その人たちのおかげでサービスの低下を免れたから、領内の産業をあまり後戻りさせずに済んだんだ。
一番上手に予備呪文を使える人が数日中にマーリングに来るから、紹介してあげるよ。その人は、予備呪文を教えることもできる。習ってみると面白いと思うよ」
サロモンは、強く興味を引かれた。
昨晩アルヴォから聞いた話では、予備呪文のかかった灯り石だと光り始めるまでの時間が数分の一で済んだらしい。予備呪文には魔法職人達が魔法を使えるようにする以外にも、素早く魔法を発動させる効果があるようだ。
そのような予備呪文のかかった武器があれば、サンデ国王一家を守りながらの逃避行中に受けた不意打ちにも対処できたかもしれない。サンデのことはすでにどうしようもないが、神聖教を押しとどめるためには必要になりそうだ。
ヌーティは、予備呪文を使える魔術師は時々しか現れないと言っていた。しかし、この領内に何人の魔術師がいるのか知らないが、そのうちの何人かは使えるようになっているようだ。
自分も使えるようになる可能性は高いのではないだろうか? もしそうなら、是非覚えたいものだ。




