西からの訪問者
秋の日の午後半ば、早くも斜めになった日が隣家の壁の古びた漆喰を弱々しく照らしている。
そこに影を映す草はすでに枯れ、屋根にかぶさる木々の葉も色づきの季節を過ぎて茶色く縮れ、日ごとに数を減らしていた。
だが、空は高く澄んで風もなく、少々遠慮がちとはいえ、まだ太陽はぬくもりのある光を投げかけている。おかげで、庭の陽だまりにはくつろげるだけの温かさが残っている。
午後の仕事が一段落したヌーティ・ヘルミネンは、その陽だまりの古いベンチに座って茶を飲んでいた。
ヌーティの属するフェイという小柄な種族に合わせて作られたベンチは座面が低く、地面が近くに感じられて心地よい。
ヌーティはすっかりくつろいで、まだろくに手を付けていない冬支度についてのんびりと考えていた。
ずっと東方の丘陵地帯に住む親戚のように、地下の穴を主にしたフェイらしい住居に住むなら寒さの影響を受けづらいのだが、街中で人間と同じように地上に建てた家に住んでいるとそういうわけにはいかない。
去年はまれに見る厳冬だったせいで、暖冬を期待して少なめに手配した薪が足らなくなり、とんでもない高値で追加購入する羽目になった。二年続けてそんな目に遭ってはかなわないから、今年は薪を十分に備蓄しておきたい。
ところが、皆が同じことを考えたのだろう、去年の同時期よりずいぶんと値段が上がっていて、十分な量の質の良い薪を買うには少し予算が足りない。だからと言って、食料に回す金を減らすわけにもいかないから、もう少し季節が進んだら山に薪を集めに行く必要がありそうだ。
請け負う仕事を増やせばそんなことをせずにすむのに、残念だ。需要はあるのだから、あとはやり方次第のはずなのに。とはいえ、現状のままでは思うようには増やせない。何とかもっと多くの仕事をこなす方法を考え出したいものだ。
ヌーティの考えは、自宅の冬支度から離れ、彼が代表を務める同業組合の業務を拡大する方策へと向かっていった。
時間が経つにつれて木立の影が長く伸び、庭のベンチを覆い始めた。
足に当たる日のぬくもりが感じられなくなってそれに気づいたヌーティは、茶道具をまとめて立ち上がった。
日が傾いて寒くなる前に庭から退散しないと、風邪をひいてしまう。とはいえ、まだ空は明るい。日が沈むのは、まだ一時間以上後のことだ。
ヌーティは、家に入って台所に茶道具をしまうと、戸口のわきに貼ってある紙を確認した。仕事の予定表だ。
夕方から町の街灯の点灯作業が入っている。今日は十五か所が割り当てられていた。娘のハンナマリと二人でやれば、一時間もかからない。
とはいえ、そろそろ取りかかる方が良さそうだ。
ヌーティは、そのハンナマリがまだ帰宅していないことを思い出した。
農繁期に滞った分を取り戻そうと教師が午後まで授業を詰め込んだとはいえ、学校はとっくに終わっているはずだ。また友達と遊んでいるに違いない。
子供達が農閑期に羽を伸ばしたくなるのは分かる。
だが、ヘルミネン家の仕事は、農閑期だからといって減ったりはしない。夕方に作業があるから早く戻るようにと念を押しておいたのに、あの子はすぐに忘れてしまう。
もう少し日が傾くまで待とう。それでも戻ってこなかったら、少し厳しく叱ることにしよう。約束を守ることは、仕事の基本だ。ハンナマリは、そういうことを理解できる年ごろになっているはずだ。
来月の組合員への仕事割り当てについて考えながらしばらく待ったが、娘は、まだ帰ってこない。
困った奴だ。やはりまた仕事の予定を忘れてしまったんだろうか。一人で全部の街灯を灯すなら、そろそろ出かけないと暗くなる前に終わらない。
ヌーティがため息をつきながら仕事着のローブを羽織った時、外で人の気配がした。ハンナマリがちょうど間に合うように帰ってきたようだ。中に入ってこないのは、そのまま仕事に出るつもりだからだろう。
ハンナマリのローブは、まだ壁にかかっている。遊び着のまま仕事に行くつもりらしい。
そろそろ服装にも気を配ってもらいたいものだ。そもそも、仕事着と言っても、普段着の上にローブを羽織るだけのことなのに、なぜ嫌がるのかが理解できない。
「ハンナマリ、ローブをきちんと着なけりゃだめだぞ。お前は格好なんぞどうでもいいと思っているかも知れんが、客に信用してもらうためには、身支度もきちんとしなければならないものなんだ」
ヌーティは、ハンナマリのローブを持ち、厳しい声に聞こえるようにと腹に力を入れてそう言いながら庭に出た。
「大体、家に帰ったら、ただいまの挨拶くらいするもんだろう」
だが、庭にいたのは、ハンナマリではなかった。
汚れた旅装の人間の男が二人、戸口の前に並んで立っている。
一人はヌーティ自身と同じくらいの年齢らしい、考え深そうなまなざしを持った精悍な男だ。軍人だろうか。だが、外套の上からでもうかがえるすらりとした体躯は、武器を振り回すのには向きそうにない。
もう一人は明らかに子供だ。十一才のハンナマリよりは一才か二才年上らしい。だが、旅で苦労したのだろう、その年の差以上に大人びた雰囲気を持っていた。その立ち姿には疲労がにじみ出ているが、目にはもう一人と同じしっかりとした光が宿っていた。雰囲気のよく似たこの二人は、多分親子なのだろう。
ヌーティが相手を値踏みしていると、男が、フェイの身長に合わせて腰をかがめつつ会釈をした。
「挨拶が遅れてすまなかった。ここが目指す家なのか自信がなかったものだから」
ヌーティは、間違って叱りつけた相手に、丁寧に背丈まで合わせて謝られてしまい、慌てて言い訳をした。
「いや、こちらこそすまんかった。外で気配がしたもんだから、娘だと思ったんだよ。なかなか帰ってこなくてな。あんたに言ったんじゃないんだ」
「そういうことか。やれやれ、失礼をしたのでなくてよかった」
男は、気にした風もなく、腰を伸ばすと屈託のない笑顔を浮かべた。
ヌーティは、それを見てほっとした。気の短い男でなくてよかった。
「俺に何か用かい?」
「あなたがヌーティ・ヘルミネンだね?」
「そうだよ」
「少し話したいことがあるのだ。申し訳ないが、少し時間を割いていただけまいか」
ヌーティは、空を見た。太陽は低くなっているが、よく晴れている。街灯の灯るのが少々遅くなったところで、問題はないだろう。
もうしばらくのうちにハンナマリが帰ってくれば十分に間に合うことだし、名指しされたということは仕事の話だろうから、うまくいけば薪代の足しになるかもしれない。
「少しなら大丈夫だよ。まずは家に入ってくれ。日が陰ると急に寒くなるから」
その二人は、ヌーティに促されて外套を脱いだものの、手に持ったままどうしたものかと持て余していた。
扉の脇に外套をかけるためのフックがあるのだが、背の高い人間の目には入らないらしい。人間の客もあるから、彼らのコートを床に擦らない程度の高さにはしてあるのだが。
ヌーティは、ごめんよと断りながらその外套を取り上げ、フックにかけた。
彼らの外套は、汚れてはいるが、毛織生地を使った良い品だった。金には不自由していないらしい。
まだ日のぬくもりが感じられる窓側の椅子を勧め、彼自身はテーブルを挟んで彼らと向かい合う位置に座った。気軽な雰囲気を作ろうと、世間話から始める。
「お二人さんはどこから来たんだい? だいぶ遠くから来たようだね」
だが、この二人は、世間話には乗ってこなかった。それどころか、表情をこわばらせ、何かを警戒する様子すら見せた。ヌーティは、わざとらしくならないように話題を切り替えることにした。
「少しお疲れのようじゃないか。今日の宿は決まったかい? この町にはいい宿が何軒かあるから紹介してあげるよ」
父親の表情が少し緩んだ。
「ありがとう。でも大丈夫だ。もう決めて、荷物も預けてきたのだ。あなたのことも宿の主人に聞いたのだよ」
「どの宿だい?」
「跳ねる仔馬亭という名前だったと思う」
「いい宿を選んだね。そこなら、あまり上等とは言えないけれど、値段も手ごろだし清潔だ。あそこのかみさんの作る鳥の燻製はうまいよ。滞在中に一度は食べてみるといい。腿肉なんか絶品だよ」
「ふむ、では、早速今晩にでも試してみよう。良い酒もあるかね?」
「お勧めは、この町特産のワインだね。あの宿はこいつを切らしたことがない。多分聞いたこともない銘柄だろうと思うけど、値段は安いし、味もいい」
やっと緊張が解けてきたようだ。場を和ませるには、食い物の話に限る。どこから来たかを聞いた時の反応から訳ありの連中かと思ったが、犯罪を犯して追われているというわけではなさそうだ。
親子連れらしいし、この二人と取引しても妙なことに巻き込まれる心配はないだろう。
「さて、俺の名前はもう知ってるね。ヌーティ・ヘルミネンだ。よろしく」
「私は、サロモンだ。サロモン・ユバ。この子は、私の息子でアルヴォ」
男は、軽く礼をしてから名乗った。
「俺のことを聞いてきたってことは、魔法の御用だね?」
男は、少し考えてから返事をした。
「まあ、そう言ってもいいだろう。あなたがこの町の魔術師だと聞いてやってきたんだから」
ヌーティは、ため息をついた。この町の連中は魔法を使う者を皆魔術師と呼ぶ。魔法職人と魔術師は違うんだと言っても、そんなことを客が気にするいわれはないと思っているようだ。確かにそうだろうが、実際のところ魔術師とははっきりとした差があるわけだから、説明しないわけにもいかない。
「すまないが、俺は魔術師じゃないんだ」
サロモンは、怪訝な顔をした。
「宿の主人は、出入りの魔法屋はあなただと言っていたぞ。魔術師でもないのに魔法を生業とするとは妙なことだな?」
「俺は、魔法職人だよ。知ってるかい?」
サロモンは怪訝そうな顔のまま首をかしげた。
「知らないな。魔法職人とは何かね? 魔術師ではないのか?」
「ふうん、あんたは、西の方に住んでいたんだね。それも、だいぶ遠くだ」
サロモンは、返事をせず、また用心深くなった目で、妙にしたり顔でそう言ったヌーティを見つめた。
ヌーティは、サロモンが予想通りの反応を示したので、してやったりと微笑んだ。
「当たったかい。まあ、そんなに用心しないでくれよ。魔法職人ってのは、ここ二十年くらいで広まった職業なんだ。ここらより少し東の方が発祥の地でな、このあたりには十五年前くらいに伝わってきた。なぜ知ってるかって言うと、俺がこの町に伝えた本人だからさ。今はもう少し西にも広がっているんじゃないかな。だから、魔法職人を知らないとしたら、ずっと西の方から来たはずだって見当が付くんだ」
ヌーティが言葉を切って眉を上げてみせると、サロモンは、分かったとうなずいた。
「でな、魔術師ってのは、魔法を発動させられる連中のことだろ。普通、魔術師が魔法を発動させるには、毎回同じ手順を踏むよな。つまり、呪文を最初から最後まで唱える。一度魔法をかけたからって、次にもその魔法が有効ってことはない」
サロモンは、その通りだとうなずいた。
「大抵の魔術師はそういう連中だ。でも、数十年前に、そうする必要のない魔術師がいるってことが分かったのさ。時々だが魔法の効果を残せる奴がいるんだ。そんな奴らは、魔法の発動寸前まで呪文を唱えておき、その状態を保つことができる。これを予備呪文って呼んでるんだが、いざ魔法を発動させようって時には、ほんの短いちょっとした呪文で済むんだ。すごいだろ」
「聞いたことがある。本当のことだったのか」サロモンは、驚いたようにつぶやいた。「諸々の貴族達から引く手あまただろうな」
それを聞いたヌーティは、大きくうなずいた。
「そうなんだ。だが、中には偉い人に仕えずに魔法屋をやる奴もいる。で、ここからが俺達魔法職人の出番だ。魔法職人ってのは、自力じゃ十分な魔力を発揮できないんだ。そういう奴なら割と大勢いるだろ。我ながら残念だけれどな。こればっかりは持って生まれた才能の問題だからどうしようもない。だが、予備呪文がかけてあれば、そういう奴らでも十分に魔法が発動するんだよ」
「予備呪文をかけた魔術師以外でも発動するのか?」
「誰でもいいってわけじゃないし、どの魔法でも同じように発動するわけじゃない。それに、さすがに短い呪文ですむというわけにはいかないけどな。でもまあ、訓練と工夫次第で、それなりには発動するよ」
「だが、特別な魔術師が必要なのでは、役に立たないのではないか?」
ヌーティは、否定的な感想を漏らしたサロモンに対してふんと鼻を鳴らした。
「それが結構役に立つんだよ。うまく予備呪文をかければ、何日も効果を残すことができる。一人の魔術師がそんな予備呪文をかけておけば、そのあとは魔法職人がいれば魔法を使えるんだよ。魔術師一人で何人もの魔法職人のために魔法をかけられる。てことは、大勢の魔術師がいるようなもんだ。この規模の町で魔術師が十人もいるなんて考えられないけれど、魔法職人なら大丈夫だ」
「つまり、魔法職人がいれば魔術師の人数が何倍にも増えたのと同じことだということか」
サロモンの顔に理解の色が浮かんだ。
ヌーティは、満足して話を続けた。
「そういうことだ。じゃ、分かってもらったところで、最初の話に戻ろうか。この町には、魔術師はいないが、十五人の魔法職人がいる。同業組合を作っていて、予備呪文を使える者を含む近隣の町の魔術師達と取引がある。俺は、その魔法職人組合の代表だ。だから、魔法の仕事なら大抵のことは手配できる。普通に魔術師に依頼するのと同じに考えてくれて大丈夫だよ」
サロモンは、少しの間うつむいたまま黙っていたが、次に顔を上げた時には、ようやく緊張が解け、用心深く様子をうかがっている雰囲気が消えていた。
「魔法の依頼ごとがあるわけではないのだ。最初に言ったように、話したいことがあって来たのだよ。あなたにとっても大切な話のはずだ」
ヌーティは、少し首をかしげ、誠実そうな男の目を見つめた。