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リンデンホフ物語  作者: 雨晴気嵐(あまはらしけあらし)
第ー部 秘書と信頼
21/323

20. Day7.1 出国の日 土産なんて

 スマホの目覚まし音が鳴っている、今日は22時45分リンデンホフ空港発の飛行機でスナバランに帰る日だ。この飛行機の運行スケジュール、スナバランからリンデンホフに来た観光客の帰国をメインターゲットに考えたものだろうから出張者は大変だと思っていたのだが、よく考えたら仕事を終業までやってビール一杯だけ飲んでそのままとっとと帰る、というビジネス出張者向けのスケジュールなのだろうか? 実は皆、金曜夜の便で帰るのかな? なんてぼんやり思う。支倉さんがホテルは20時チェックアウトで大丈夫なように調整してあると言っていた。20時にニコラウスが社用車で迎えにきて、空港まで送ってくれると言われている。タクシーで行くから運転手に休日出勤させなくて良いと言ったのだけれど、押し切られた。20時だったらまだ寝ていてもいいよね。目覚まし音が鳴り続けている。ちょっと待て、そもそも今日目覚ましかけたっけ?と思い、はっとスマホを見るとそれは目覚ましではなく、スマホの着信音が鳴り続けているのだった。画面は支倉さんからの発信だと表示している。

「おはようございます、朝っぱらからすみません、よくお眠りになれましたか」

 明るい声が響く。昨晩ニコラウスの車でホテルまで送ってもらったとき、そのまま彼女の自宅まで送ってくれるということを彼に確認して車を降り、服を脱いでハンガーにかけ、歯だけなんとか磨いてそのまま倒れ込むように寝てしまったのだった。ベッドサイドの時計はちょうど10時を示している。もうとっくに朝っぱらという時間ではない。

「おはようございます。あれからずうっと寝てました。今起きたところです」

 そうなんですねー、と明るい相槌が聞こえる。電話の向こうは笑顔な気がする。

「今日、ご出発の際にお見送りと思っていたのですが」

 社用車のドライバーを休日出勤させるのだ、その上秘書まで動かす必要はないといって、それは断っていた。

「いやいや、子供じゃないから飛行機には乗れるので大丈夫です」

「と、おっしゃると思いまして。お腹が空いたのでランチご一緒していただきたいな、と思ってお電話しました」

 ランチか、それは悪くないなあと思う自分がいる。頭が全然動いていない。まだ帰国荷物のパッキングに全く手がついていないが、ランチ後チェックアウトまでに終わればいいからそれは大丈夫か。

「わかりました、じゃあ何時にしましょう?」

「今から家を出ますので、11時にロビーでいかがでしょう?」

 それは早いな?それはまあいいですけど、いったい何時からお腹空いているんですか?


 シャワーを浴びて、髭を剃って、帰国用に取っておいたカジュアルなシャツとチノを出して着替える。靴は会社用の革靴ではなく行きに履いてきたスリップオンにした。飛行機にはできるだけ楽な格好で搭乗したいと思っている。帰国後すぐにオフィスに行ってミーティング、なんて非人道的なスケジュールが組まれていればスーツと革靴で乗ることも止むなしだが、十二時間以上も椅子に縛り付けられるのはある種の苦行だから。それに今日は朝から良い天気のようだ。窓から見える市街も窓からちょっとだけ見える湖も強い日差しに輝いているから、ビジネスはちょっと忘れて軽い格好で行こう。

 一時間あれば出かける格好になるのは余裕だ。僕の起床から家を出るまでの最少準備時間は二十分だ。約束の五分前にロビーに降りていくと、支倉さんはもう待っていた。


 Vネックの紺色のワンピースというのか?それとも胸からつづく大きなスカート?そのインナーにはごく薄いベージュ地に織りで表現されているストライプのハイネックブラウス。足元は真っ赤なスニーカー。いつもの白い大きなトートバッグを持っている。ああ、格好良いですね。

「おはようございます。ご帰国の日に、ご無理言って申し訳ありません」

「おはようございます。そのワンピースというかスカートというか、なんていうんでしたっけ?」

「最近はこういうのサロペットなんていいますね。ずいぶん前に流行ったと聞いてますけど、また最近復活しているみたいです」

「休日の雰囲気は、オフィスの時の雰囲気とずいぶん違うんですね」

「私のこの背丈なので、服は自分に合うか合わないかよりもサイズ優先になってしまうんです。着れるものは買え、という感じで。なので、これ、私はあまり合っているとは思わないんですけれど。本当はもう少し足首に近いところまで布地があってほしいんですけれど」

「そうでしょうか。ハラスメントだと思わないで欲しいですのですが、かわいくていいなあと思います」

「え?あ?か、かわいい?あ、ありがとうございます」

 これ以上はやめておこう。真面目にハラスメントだと言われかねない。支倉さんがくるりと後ろを向いて、玄関に向かって歩き始めた。機嫌損ねたかな?僕らはホテルを出発した。

「ところですみません、ランチお誘いしてしまいまして」

「パッキングに全然手をつけていないという問題はあるのですけど、まあでも夜までになんとかできるでしょうし、そもそも荷物は大した量はありませんから。今日は一日ぼんやりするぐらいしかすることはありませんでしたので、却ってありがたいのですが、支倉さんはお休みの日にいいんですか?」

 彼女は花のような笑顔だ。そんな笑顔見せる人なんですか?

「お休みの日だから美味しいもの食べに行けるんですよ?」

 そうか、笑顔はごはんに対してのものなんだ。あやうく誤解するところだった。

「ところで、お店の開店までまだ少し時間があるのですが、どなたかへのお土産は買われましたか」

「お土産持っていく先がないんですよ」

 スナバランの商社は僕を最初からこの子会社への派遣要員として雇っており、自分自身のチームがあるわけではないので、土産を持っていっても受け取る相手がいない。家族はいない。友人は何人かはいるが、出張土産をわざわざ持っていかねばならないような面倒な関係はない。あ、でも姪っ子にチョコレートでも持っていけば喜ぶかな、とふと閃いた。今年大学受験のはずだ。社会学を勉強したいと言っていたな。

「一ヶ所、チョコレート贈ると喜ぶかも、って先があります」

「どなたですか?」

「妹の娘で姪っ子ですね。今、高校三年生なので、かわいい甘いものがあれば」

「それはおじ様としては評価の上げどころですね」

 いや、そこまでの話ではないのだけど。

「近くにいくつかチョコ屋さんとかショコラティエが店を出してますので、良さそうなものを買うのはいかがでしょう。その後ランチという形でどうでしょうか」

 全く異論ございません。


 僕たちは今、横並びになって中央駅前から湖にかけて伸びる大商店街の中を歩いている。ここは毎日朝から夕方まで歩行者天国になっている。地上階部分は殆どがさまざまな商店になっていて、カントナー国を代表するようなメガブランドのチョコレート屋も皆、大きな基幹店舗を出している。

 ここはスナバランにも支店があって最近はスーパーでも売っているところだ。ここのはちょっと砂糖が強くて甘すぎるんだよな。別の店、こちらはスナバランでは輸入菓子を扱うような店でしか見ないのだけど、空港には大展開しているからちょっと触手が動かないな、パッケージがかわいいという観点では色々選択肢はあるのだけど、ミルクの味が強すぎて子供っぽいんだよな。店には一旦入るものの、大量に並べられた商品をぐるっと見るだけで外に出てくる。

「イースターの季節ですから、卵型のばっかりですね」

「昔、バレンタインのお返しに、かわいいと思ったので卵型のチョコの中が空洞になっていて、そこにチョコやらマカロンやら入っているのを差し上げたら、ドン引きされたことあります。なぜだったんだろう、いまだに謎です」

「そうなんですね、私ならきっと小躍りしちゃいますけどね」

「別の人なんですけど、15cmぐらいのウサギの立像型のチョコ送った時も反応薄かったですね。おうちに持って帰ったら子供に泣かれたとか言われました」

「え、お子さんがいらっしゃる方に差し上げたんですか?」

「だって、義理チョコのお返しですよ?うさちゃんを頭からガブっといってほしかったんだけどな」

「ネタだってわかってもらえなかったんですね」

 あれこれ言いながら二人で歩行者天国の中を歩いていくと、前方にショコラティエの看板がかかった店が見えてきた。

「ここはどうでしょうか。アルチザン系のショコラティエなんですけど」

 店内にはカカオの含有量別に作られたタブレットや、豆の産地毎に作られたタブレットが並び、壮観だ。だけど、ぱっと見、全ての商品がタブレットに見える。

「チョコ屋の甘い雰囲気が微塵もなくて、むしろ求道者とかマニアの香りがぷんぷんしてますねぇ、ここは」

 この寄らば切る、の雰囲気は、ちょっと残念だけど女子高生が喜ぶような代物じゃないな。

 うん、そうですね、それではですね、と言いながら彼女はスマホを見ながら歩行者天国になっている通りを抜け、小道に入っていく。高級ブティックが持つ特有の喧騒が遠のき、地元の人々の生活に密着したカフェや生活小物を売る店やパン屋などが立ち並ぶ通りにチョコ屋らしき店が一軒見える。ここですか?と言うと支倉さんが頷くので、緑色の扉を開ける。

「はろー」

 挨拶をして中に入ると、店主と思われるおじいさんが一人、いらっしゃいと言いながら笑顔で座っている。主にプラリーネンとトリュフが並んでいる。他に客はいない。室内は甘い香りに包まれている。

「うちのプラリーネンはクラシックスタイルでね。普通は中身にナッツをペーストにして練るのだけど、砕いたナッツの歯応えを残したくてペーストを最小限にしてます。ナッツぎっちり、という感じかな。トリュフは、まあトリュフだな。色々なフレーバーありますけど、トリュフは賞味期限が短いので注意ですね」

「このショコラはあなたが作られたものなのですか」

 支倉さんがローラン語で聞いている。

「私の妻が上の階で作っています。二人でもう五十年ここでショコラだけ作って売ってきましたけど、いつまでできるやら」

 とローラン語で答え、カラカラと笑っている。彼女がその内容を訳して僕に伝えてくれる。なるほど。熟練ショコラティエールの作ということだな。

「その十六個入りのプラリーネンの箱を一つと、四個入りのトリュフの箱を二つください。あとそのオランジェットも一袋お願いします」

試食(デギュスタシオン)もできますよ、どうです?」

 とおじいさんが言ってくれるけれど、ここのは間違いなく美味しい、と思う。

「ありがとうございます。きっと美味しいと思うのでいいです」

 おじいさんが表情を崩す。

「そうかい、嬉しいこといってくれるね。口に合ったらまた来てください」

 支倉さんがいう。

「あれ、お土産ひとつでよかったのでは?」

「プラリーヌは姪っ子に。トリュフはあなたと私の分。オランジェットは飛行機の中でのおやつ」

 ここはスナバラン語なので、おじいさんには聞こえていない。

 代金を支払い、袋はいくつ要るね?と聞かれたので追加を二つもらい、ありがとうといって店を出る。店を振り返るとおじいさんが扉まで出て見送ってくれている。軽く会釈をする。

「連れてきてくれてありがとう。この手のお店はきっと高い確率で美味しいと思います」

「女子高生には、かーなーりー地味かもしれませんけどね」

 確かにかわいいと言えるかというと、逆に渋いんだろうな。

「さっきのタブレット屋とは違う、求道者の強い香りがしましたね」

 ランチの店はここからホテルの反対側なので、一旦お土産を部屋に置いてから行きます?と彼女から言われ、そうしましょうと答えた。



 ホテルのロビーで、私は藍見さんがさっき買ったお土産を部屋に置いてくるのを待っている。ここから目的のピッツェリアには徒歩で十分間あれば大丈夫だ。日差しはどんどん強くなっているけれど、さわやかな風が吹いていてぶらぶら歩いていくには丁度いい距離だろう。例の秘書課のデータベースだが、純粋に接待に使えるレストラン以外にも秘書たちがこれは良かったという店を手当たり次第に入力しているので、中にはデート用のものもお土産用の店も入っている。真面目な話、この情報は本当に侮れない。さっきのおじいさんがいたショコラトリー、マダム・カードルもこれから行くピッツェリア、アドリアーノもそこから探してきた。

 藍見さんがお部屋から降りてきたので、さあ行きましょう。電話の時にお腹がすいたと言ったのはとっさに出た方便というものだったのだけど、実際それから慌てて着替えてお化粧して電車に飛び乗って街中に出てきて、チョコ屋を回っていたらお腹すきました。

 ホテルの中央駅側の通りを西方向に向かって歩いていくと、やがて歩行者天国を外れる。小さなカフェ、花屋、ワインシュトゥーベ、この辺にそんなものあるんだ、今度調べてみないとねと思っていると目的のピッツェリアは意外にすぐ見つかった。

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