もふリストな美少女は、野獣王子が人間に戻るのを阻止したい。
「ね、モフらせて?」
「嫌だ。帰れ!」
「ケチっ。私も嫌です。帰りません」
「くそっ! 何なんだお前は!」
◇◆◇◆◇
とある村の近くにある、鬱蒼とした森の奥深くにそびえ立つお城には、恐ろしい見た目をした男が住んでいる、という噂がありました。
男は野獣のような姿をしている、と。
「あぁ、傲慢な王子様だろ? 十何年かまえに、魔女を見た目だけで判断して、手酷い扱いをしたせいで呪いを受けたらしいぜ? なぁ、それよりもさぁ――――」
そんな噂を聞いた、村一番の美貌の持ち主と言われているジーナは、翡翠色の瞳をキラキラと輝かせて、その噂を教えてくれた少しモサめの幼馴染――ジョンの胸ぐらをガッシリと掴み、ガクガクと揺すります。
「呪いを受けて野獣に⁉ 獣? どんなもふもふなのかしら⁉」
「いや、知らねぇよ。だから、そ、れより――――」
「ちょっとお城に行ってくるわ!」
「――――あ! おーい!」
ジーナは、重度のもふリストでした。
夜空のようだと皆に褒め称えられている、煌めく紺色の髪を振り乱しながら、ジョンへの挨拶もそこそこに走り出していました。
ジーナは着の身着のままで、村人が絶対に近付かない鬱蒼とした森に入った為、当然の如く遭難してしまいました。
「お腹…………減った」
森には井戸や湧き水などなく、春先であれば普通あるはずの果実さえもありませんでした。ジーナは丸一日なにも飲み食い出来ずにいたのでフラフラです。
――――旅の準備を整えてから来れば良かったわ。でも、もふもふにはすぐに会わないとだし。
意識朦朧としつつも、頭の中は人語を話すらしい獣の妄想でいっぱいです。
どんなもふもふなんだろうか。ハリのあるストレートな毛並み? それともふかふかでカールした毛並み? 声は? 瞳は? 手足は? 服は着ているのかしら? 言葉が通じるのよね? 妄想が止まることはありません。
木の根に引っかかり転けて泥まみれになろうとも、一途にもふもふを求めて、森の奥へと進み続けました。
◆◇◆◇◆
憂鬱な顔をしてのそりのそりと庭を散歩していたベスティアは、ドサリと何かが倒れたような重たい音が庭の奥から聞えたので、様子を見に行きました。
「なっ⁉ 死んで――?」
泥まみれ、蜘蛛の巣まみれ、すり傷だらけの、鳥の巣のような頭をした、『たぶん』としか言いようのない女性らしき人間が、動物用の罠である落とし穴に頭から落ちて、天に向け両足をピーンと突き出した状態です。
すうすうと眠っているような息遣いが聞こえるので、たぶん死んではいなさそうだとホッとしました。
さて、これをどうすべきかと悩んでいると「ぐごぎゅるるる」と何かの獣の鳴き声のような音が聞えてきたので、ベスティアは鳥の巣頭の人間を脇に抱えて急いで屋敷の中に入りました。
鬱蒼とした魔の森は、何年住んでいても謎の魔獣が闊歩していて、身体を鍛えたり強化されているベスティアは平気だとしても、か弱い人間は対抗できないのです。
「ベスティア様⁉ その女性はどうされたのですか!」
「裏庭の罠にはまって気絶していた」
「えぇ?」
老齢の侍女の困惑した様子に、ベスティアは心から同意しつつも、この汚い人間の身体を清めて客間に寝かせておくように。目が覚めたら人間の村の近くまで送ってやるように。と、彼女に指示しました。
そして、騒ぎに気付いて執務室から出てきていた、幼い頃からの側仕えでもある執事にも同じく指示を出しました。
「おい、運ぶだけで、覗くなよ?」
「ははっ、わかってますよぉ」
――――半笑いなところが、全く信用ならないなコイツ。
◇◆◇◆◇
「…………ハッ⁉ あれっ⁉」
鬱蒼とした森にいたはずなのに、何故か清潔そうな真っ白でふかふかのベッドに寝ていたジーナは頭上にクエスチョンマークを浮かべつつ、首を傾げました。
ゆっくりと起き上がり、どこのお貴族様かというほどに豪奢な部屋を見廻し、自身が着ている妙に高級そうな薄ピンクのワンピースを見て、さらに首を傾げつつ、ふかふかベッドから下りると、裸足のままでそうっとそうっと歩き、部屋のドアから廊下に出ました。
「あら? お目覚めに――――」
「ぎ、いぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ…………あ……れ?」
廊下にはシワシワ顔の老齢の侍女がいただけでしたが、現状の把握が全く出来ておらず軽やかにテンパっていたジーナは、腹の底から全力で叫びました。
そして、空腹のあまりに腰を抜かし、へたりと床に座り込んで動けなくなりました。
「あらあら。お嬢さん、大丈夫でございますか?」
「へ? あ、はい――――」
「どうした⁉ 今の叫び声は――――」
んごぎゅるるるる、ぐごっ!
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
廊下に響き渡る聞き慣れない異質な音。
心配顔の侍女服を着た老婆。
可憐な薄ピンクのワンピースを着た美少女。
その美少女の叫び声。
高級なスーツを着た二足歩行のオスライオン。
そこ――廊下は、完全にカオスと化していました。
ジーナは、侍女が用意してくれた食事を口にもりもりと詰め込みながら、城のような巨大な屋敷に住んでいるという二足歩行のライオンのような見た目をしたベスティアに、これまでの経緯を説明しました。
「むごっ、ひょうでひゅ。ふぐ、こりぇ、おいひい! あ、で、ひひにほひがひははひゃ――――」
「…………食事中に話しかけてすまなかった。ゆっくり食べなさい」
「はひっ!」
ベスティアは、昔は思ったことをズバッと口に出して、大人を怒らせるような少年でしたが、魔女に呪いをかけられてからは、かなり空気を読める大人の男に成長していました。
「ふほへぇ、べすひあはまは、だいひょんおーじべ、さんじゅっはいなんでふ……グゴホッ!」
「……ああ、第四王子で、今年で三〇歳だ。ほら、冷たいお茶だ、ゆっくりと飲みなさい」
「んぐっ……ありがとうございます!」
パッと見では落ち着いているように見えますが、ベスティアはかなり混乱していました。
自身のおぞましい獣の姿を見て叫んだはずの美しい少女は、今はにこにこ笑顔でベスティアの真横でもりもりと食事をしているのです。
「君は、私の見た目が怖かったのでないのか? かなり叫んでいたが……」
「へ?」
ベスティアに怖くないのかと聞かれ、ジーナは全く意味がわかりませんでした。二足歩行のライオンで、人語で意思疎通ができ、驚くほどに丁寧な仕草と言葉遣い。どこを怖がれというのだろうか、と。
「では、先程の絶叫はいったい?」
「だって――――」
ジーナは、怒涛の勢いでもふもふの良さを説明しました。そして、ベスティアの見た目は完全に自分の理想であることも伝えました。
「…………あ、うん」
予想もしていなかった方向性の話に、ベスティアは完全にドン引きしてしまいました。
食事が終わったら、執事に魔の森の入口まで送り届けさせ、二度と戻ってこないように釘を刺させようと心のなかで決意していると、ジーナにジッと見つめられていました。
ベスティアは、十三歳の時に魔女に獣になる呪いを掛けられてからの十七年間、老齢の侍女以外の女性との交流がほぼなかった為、ジーナの真っ直ぐな視線にドキリとしました。
「ベスティア様……もふらせて下さいっ」
ベスティアは、ドキリとした事を心から後悔しました。
「ね、モフらせて?」
潤ませた翡翠の瞳で下から見上げるようにして、両手をベスティアに向けて指をワキワキと動かしながら近付いてくるジーナに、ベスティアは身体をブルリと震わせました。
「嫌だ。帰れ!」
「ケチっ。私も嫌です。帰りません」
「くそっ! 何なんだお前は!」
ジリジリと近付いてくるジーナの顔を鷲掴みにして、これ以上自分に近付けないようにすると、掌か妙に擽ったくなりました。
「ふひっ、ふひょひょひょひょ、ぷにぷに肉球ぅぅぅ」
「ひぃっ⁉」
ジーナの変な笑いと荒ぶる異様な吐息のせいで擽ったかったのだと気付き、ベスティアは本気で気持ち悪くなり、ちょっと情けない声を出してしまいました。
「ほわっ! ベスティア様かわいい! 大丈夫、怖くないですよぉ。よしよしなでなでわしゃわしゃしてあげるだけですよぉ」
「いや、気持ち悪い! ちょ、本気で気持ち悪いから! 帰れ!」
「やだ、怖がって荒い口調のベスティア様、超かわいいぃぃぃ」
「こちらの話を聞け! 帰れ!」
「嫌ですー。私、ここに住みます」
全身の毛を逆立て、フーッ、フーッ、と怒りながら「帰れ!」と言っているのに、ジーナは「かわいい!」と言うだけです。
「ベスティア様、諦めましょう。この変態美少女、絶対に帰りませんよ」
「まぁまぁ、特殊ですが、可愛らしいではありませんか。ちょうど人手が欲しかったですし」
対岸の火事扱いの執事と、完全に人手欲しさの侍女に説得され、ベスティアは渋々ジーナの屋敷滞在を許可する羽目になってしまいました。
呪いをかけられたベスティアの見た目を恐れず、ずっとそばにいてくれた二人の言葉を、彼は必ず受け入れようと決めていました。
「うぐ……う…………あ、ぅ。わ、わかった。いていい……」
……が、かなりの抵抗感があったようで、ありえないほどに渋々と許可をしました。
「……が、我慢する」
かなり、渋々で。
ジーナがベスティアの屋敷に滞在するようになって二ヶ月。
ベスティアの屋敷は、いつも笑い声が絶えず聞える、とても明るい空間になりまっていました。
「ベスティア様、ほんと大変ですよねぇ。心から人を愛し、愛されなければ呪いが解けないなんて」
「私は、ジーナがその相手だと嬉しいのだが?」
この二ヶ月の間、ジーナの底抜けの明るさや優しさに触れ、心癒やされていたベスティアは、彼女の事がとても好きになっていました。
「えー、絶対に嫌です!」
いつもジーナに気持ちを伝えるのですが、何故か断られてしまいます。この屋敷に来た頃はあんなにも『もふもふもふもふ』と煩いほどに言っていたのにです。
「…………グルッ」
ベスティアはジーナの言葉を聞いて、鼻筋に皺を寄せ、牙を剥き小さく唸りました。普通ならば恐れるはずのその表情を見て、ジーナは破顔して背伸びをしながらベスティアの頭をワシワシと撫でて来ます。
こんなにも近くにいるのに。こんなにも触れてくるのに。ジーナはベスティアと恋仲になろうとはしてくれませんでした。
「触るなっ!」
「いっ…………」
気持ちを受け取ってもらえずモヤモヤとしたベスティアは、たてがみを柔らかく撫でてくるジーナの細腕を勢い良く振り払いました。
バシンという音とともに妙な感触の直後、ジーナが呻いて蹲ってしました。
「じ……ジーナ?」
「あは。大丈夫、大丈夫ですよ」
大丈夫だと言うジーナの右手からは真っ赤な血が滲み出ており、パタリパタリと絨毯に落ちてシミを作っていました。
「っ、すまない! すまない、傷付けるつもりは……」
――――傷付けるつもりは毛頭なかったのに。大切にしたいのに。
ベスティアの手は人間と獣の間のような形で、爪が鋭く尖っています。どんなに強く握り込んでも自身の手は傷付けられないのに、人は簡単に傷付いてしまいます。
獣の姿になって直ぐの頃、自分的には幼馴染の執事と軽くケンカしたつもりだったのですが、二人のケンカを止めようとした人たちに大きな怪我を負わせてしまった事がありました。
執事はあまり気にしていないのですが、ベスティアの心にはとても大きな影が降りてしまっていました。
「本当にすまない」
「大丈夫ですってば! ちょっと切れちゃっただけですよぉ」
「もう、嫌だ………………人間に戻りたい」
――――人間に戻れないのなら、生きている意味など。
ベスティアの心が闇に包まれそうになった時でした。ジーナが立ち上がり少し背伸びをして、怪我をしていない左手でまたベスティアの頭を撫でて来たのです。
「人間に戻らないでくださいよぉ。もふもふのベスティア様が大好きなのにー」
「…………私のことが、好き……なのかい?」
「はい! 大好きですよ」
思いが通じたと思った瞬間、ベスティアの身体が眩く輝きだしました。
光が収まると、焦げ茶色の少しウエーブした髪をオールバックにし、金色の瞳を潤ませた人間の姿のベスティアがそこにいました。
三〇代の妙な妖艶さが加わって、もともと美少年と言われていた彼は、立派な美丈夫になっていました。
…………が、目の前にいたジーナの顔たるや、苦虫を噛み潰したかの如くでした。
「うわぁ、ないわー」
どこから出したのかと思うほどのジーナの低い声の後、人間に戻ったはずのベスティアの身体がぐにゃりと歪み、むくりむくりと膨らむと、またもや二足歩行のライオンに戻っていました。
「…………は?」
「わぁ! ベスティア様、かっこいいっ!」
「…………あ、うん」
ベスティアは嫌な予感が頭の中を巡りました。そして、無謀とも言えそうな、心の奥底では結果のわかっている実験をしてしまいました。
「ジーナ、この姿の…………私の事が好き?」
「はい! 大好きです!」
またもやベスティアの身体が輝き、人間の姿へと戻ります。そして苦虫顔のジーナと目があった瞬間、また獣の姿へと戻ってしまいました。
満面の笑みなジーナと、地獄を見てきたような絶望顔のベスティア。
遠くから二人の動向を見守っていた幼馴染の執事と老齢の侍女は、今回は無理だなと素早く諦めて、ジーナの手当てをすることにしました。
それから、魔の森の奥にあるお城のようなお屋敷では、想い合っているのにすれ違いまくりの獣姿の男と、理解され難い趣味の美少女の、奇妙な攻防戦が繰り広げらることとなりました。
「ぜひ、ぜひっ、そのモフモフな姿のままで!」
「いやだ! 私は人間に戻りたいんだよっ」
「いやですっ!」
二人に幸せな未来は訪れるのか。答えは神のみぞ知る、なのかもしれません。
「ハァ……そんな君も好きだよ」
「私もですよ!」
「「…………あ」」
―― fin ――
閲覧ありがとうございます!