第八〇話 黄金の瞳(ゴールデンアイ)
「キャス! 次はどこへ行こう?」
萌は怪猫の背に乗って夜の空に身を躍らせている。
あれから数日、怪猫は遥かに巨大な怪物へと変化していた……既に大きさはネコ科の猛獣であるライオンを遥かに大きく超えて、六メートル近い巨躯と化しており萌はなんとかその背中にしがみついている状態ではあるのだが。
『モエが嫌いな奴はまだいるかな?』
「もういないよ……でも最後にお父さんに会いたい……」
萌は少しだけ寂しそうな表情で……最後に見た父親の顔を思い出す、本当に寂しそうな顔で何度も萌の頭を撫でていたお父さん……どうして出ていってしまったのだろうか?
『お父さん……? それが次の標的かな』
怪猫が萌の思考を読んだように、ボソリと呟く。
これまで彼女が思い浮かべる人物は悉く殺戮してきた……そしてその命を吸収することで、より邪悪に狡猾な魔物へと変化している。
萌と契約したのはよかった、無抵抗の人間を殺すことで安全に狩りができているのだから。戦士や兵士がいる場所に遭遇していないのは僥倖……。
「お父さんはそれほど嫌いじゃないよ?」
『そう……でも顔だけ見に行くかな?』
「うん……久々に会いたい」
怪猫は萌に見られない場所でニヤリと笑う……では向かおう、美味しい肉を食べるために、彼女が思い描くものを殺し尽くし、最後は絶望という感情を食らうのだ。
彼女の記憶を読むと、単なる一般人……容赦なく殺せるだろう、萌が抵抗した時は? 契約を破棄させて彼女を食らって仕舞えば良い。
まあ、もはやそういうこともないのだろうが。
『ではお父さんに会いに行こう』
ふわりと夜の闇の中へと身を躍らせる怪猫……その目が黄金に輝き、口元はまるで人間のように歪んだ笑みを浮かべている。
その邪気に当てられ、萌も少しずつ歪んだ笑みを浮かべる。さあ、今夜も狩りをしよう、人という蛆虫を刈り取る狩猟を……。
「全く……何が起きているんだ……」
東京に住む三〇代後半の会社員浮間 永和はその日も疲れて帰宅の途にあった。
妻との生活に疲れて別居している彼だが、子供である萌は可愛がっていた……ただ、離婚調停中の身であるため日本の法規では母親側に親権が優先されており、現状では母親に預けていたのだが、必ず手元に取り戻すと決めていた。
だが先日警察からの連絡で、別居中の妻が亡くなったと聞かされ少なからず動揺を隠せず、仕事でもミスが続いていたのだ。
「まさか幸江が亡くなるとはな……」
「……お父さん」
急に愛する娘、萌の声が聞こえたような気がして彼は慌てて周りを見渡す。
誰もいない……幻聴か、今日もうまくいかなかった。疲れ切っているのかもしれないな……そう考えて再び歩き出そうとする彼の耳に再び娘の声が聞こえた。
「……お父さん……」
「萌?」
永和の呼びかけに、暗闇の中からふらりと娘の姿が現れる……ああ、少しだけやつれているが、紛れもない娘の姿だ。
彼は慌てて娘の元へと向かう……愛する父親の姿を見て、萌も走り出す。
「お父さん!」
「どうしてここへ……お母さんが亡くなったって聞いたが、お前は無事なのか?」
娘を抱きしめて、久しぶりに娘と会えたことを驚きつつも受け入れる……警察の話では強盗に妻は襲われて、娘は行方不明だと聞いたのに、今僕の前には娘がいる、手の中に娘が。
「……お母さん嫌い」
不意に娘から発せられた感情のない言葉に、背筋がゾクリとした気分になり腕の中にいる愛娘の姿を見る……そこで彼は異変に気がついた。
「目が……萌? 何があったんだ?」
娘の目は黒ではなく、黄金のような美しい目となっており、それはまるで人間ではないかのような輝きを放っている。
「お母さん私をいじめたの、だから私はお母さんをいらないっていったの」
萌はふらりと父親の手を振り解き、少しだけ距離を取る。あまりに力強い腕力に、永和は少しだけ驚き、強い違和感を感じた。
「萌? 何をいっているんだ? 確かにお父さんとお母さんは喧嘩してるけど……強盗に襲われたって」
その言葉に萌は不気味に歪んだ笑顔を見せて咲う。
「お母さんはいなくなった、キャスが全部やってくれたの。お母さんを馬鹿にしたおばちゃんも、私を片親だっていった先生も……みんなキャスが無くしてくれたの」
「も、萌? 何を……何をいっているんだ?」
確かに娘や妻が住んでいた近所で失踪事件が頻発しているとは聞いていたが……もしかして娘が関わっているというのか?
グルル……不意に娘の後ろに見えた暗闇から不気味な猛獣の唸り声が聞こえた気がした。
娘の背後に何かがいる……金色の目がぎらりと輝くと、漆黒の毛皮をまとった不気味な豹のような顔がのそりと現れる……その大きさは異常だった。
人間であれば丸呑みにできそうなくらいの巨大な顔、そして六本のしなやかな脚、背中には蝙蝠のような巨大な羽が伸びている。
「な……ば、化け物……」
永和は腰を抜かしてその場にへたり込むが、体を震わせながらも必死に距離を取ろうとする……その姿を見て、萌が呆れたような笑いを浮かべる。
怪猫はその笑みを見て、この娘が完全に自らの支配下に入ったことを認識して、満足そうに舌なめずりをする。
「キャスがお母さんをないないしてくれたの……だから、お父さんはどうしようか?」
「……やめなさい」
不意に永和の背後から声をかけられ、彼は慌てて声の方向を見上げる。
そこには漆黒の黒髪を夜風に揺らした、制服姿の女性が立っていた……警戒心から怪猫は萌を庇うように警戒の吠え声をあげて、その女性を威嚇する。
その女性は不思議な印象を持っていた、紺色の制服姿は一般的な女子高生の服装だ。
スカートは膝上からも高く、白く滑らかな素足が覗いているがその足元にはやたらにゴツいブーツを履いており、恐ろしく違和感がある。
高校生にしてはグラマラスで恐ろしくスタイルが良い……ただその手にはその印象にそぐわない日本刀が鞘に収められたまま握られている。
「萌ちゃん、お父さんを襲ったら貴方を愛してくれる人がいなくなる……それだけはしてはいけない」
女性は歪んだ笑みを浮かべる萌を見つめて説得するかのように優しく声を掛けるが、萌は新しく現れた女性を警戒して怪猫の影へと隠れる。
「お父さんはここから離れてください、そこに仲間がいます……指示に従ってください」
永和は震えながら頷くと、慌ててその場から走り出す……娘を何度か名残惜しそうに見ていたものの、恐怖からなのかすぐに後ろを見ずに走り始めた。
怪猫は追いかけたいと思ったが、目の前の女性の殺気に気圧されてその場から動くことができなかった。
不安そうに怪猫の顔と、その女性の顔を交互に見つめる萌に気がつくと、怪物は優しく声を掛ける。
『モエ……隠れておいで、この女は危険だ』
萌は頷くと、後背の物陰へと身を隠す……それを見届けると、怪猫は再び女性へと向き直ると唸り声を上げ始める。
その声に反応したかのように女性は片手で日本刀をすらりと抜き放つ……怪しく輝く刀身を見つめて怪物は目の前に立つ女性が明らかに危険人物だと改めて認識する。
『貴様……何者だ?』
「私からするとお前こそなんだ、と言いたいわ。なんという化け物なの?」
怪猫の問いに女剣士が油断なく日本刀を構えたままジリジリと距離を測る……僕が何かわからない? そんなことはない、僕はこの世界に生み出された時から、自分が何者かわかっている……。
背中の毛を逆立てて、牙をむき出しにしながら自分の起源を思い返す。
『僕は怪猫……騎士と戦った古き者、この現代に蘇った幻獣だ』
「そう、なら幻のままにしてあげるわ、あなたにはこの時代を生きる資格なんかないの」
怪猫はゾクリと殺気を感じ咄嗟に鋭い爪で防御をするが、いつの間にか距離を詰めた女剣士の日本刀が爪に食い込んだ。
慌てて腕を振るって食い込んだ日本刀をふり払うと、お互いがそれぞれの攻撃範囲から外れた位置まで距離を離す。
『……ッ! なんて速度だ』
「反応速度が早いわね……厄介」
女剣士は片手で日本刀を構え直すと、少しだけ腰を落とした姿勢でジリジリと距離を測るように移動していく。彼の記憶にある騎士という存在はもっと、重武装で正面切って戦いを挑む大馬鹿者だらけだったが、目の前の女剣士はそいつらよりもよほど……戦闘慣れしている。
怪猫は頭を低く保ち、大きく羽を広げると自らに満ちる魔の力を解き放っていく……背中の毛が逆立ち、筋肉が膨れ上がる。
『お前は危険だ……ここで必ず殺し、喰ってやる』
怪猫は大きく咆哮をあげる……獣人達と同じ咆哮、狛江 アーネスト 志狼も使用した貫通だ。
地面が二つに割れたかのように直線的に見えない力を放出する……押し寄せる力の波が女剣士へと超高速で迫っていく。この攻撃で何人の騎士を串刺しにしてきたか……鎧や盾を簡単に貫き血反吐を吐いて倒れ伏す騎士の記憶、悔し涙を流しながら絶望に満ちた表情を浮かべる男達の顔を思い出して怪猫は笑みを隠しきれない。
『死ね! 人間!』
「ミカガミ流大蛇剣の型……螺旋」
女剣士は咄嗟に構えを変更して日本刀を中段へと構え、貫通の衝撃波を日本刀でいなす様に後方へと受け流した。
勢いはそのまま後背にあった壁に衝撃波が激突し、轟音と共にコンクリート造りの壁が粉々に粉砕され、穿たれた穴と共に粉塵をあげて崩壊していく。
そんな馬鹿な! 怪猫は目の前の女剣士が行った一連の動作を見て、驚愕する。記憶にあった騎士たちが誰もがなし得なかった貫通の防御を……目の前のたかが二〇歳に満たない女性がやってのけたのだ。
ふっ……と少しだけ乾いた笑いを浮かべる女剣士を見て、怪猫の背中に冷たいものが流れたような気分になった。
『お、お前はこの世界には存在してはいけない……僕よりも怪物じゃないか……』
_(:3 」∠)_ 戦闘開始〜
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