第二〇話 前世の憧憬(ロンギング)
「あっ……なんでもう一体が……うぐっ……」
拝啓、お父様、お母様、私は今超ピンチに陥っています。人生でこんな体験をするのは初めてかもしれません。
ノエルとの切り替えのタイミングで運悪く……というか三体目の呪屍人は完全にスキを突くことを狙っていたのだろう。私は首を締め付けている呪屍人の太い腕を掴んで、脚をばたつかせて何とか引き剥がそうと必死になっているが、身動きが取れない。
「ブラブラブラ……ウフィスモディソシ……」
そうやら私を背後から締め上げている呪屍人は笑っているようで、声が完全に嘲笑のそれになっている。
呪屍人の腕力を完全に見誤っていたのかもしれない。そして私は呪屍人の数を確認していなかったことに気がついた。そうだ、博物館に入る前に横断幕に書いてあったじゃないか。
『まるで生きているかのような保存状態の三体の木乃伊が見れる!』
なんて迂闊……確認をしていたはずの情報をすっかり失念していた。こんな間抜けな姿を前世の仲間が見たらどう言われただろうか? やだもう私ったら恥ずかしい。
『まあ、ノエルだしなぁ……』
『だってノエルだから仕方ない』
『なんでノエル兄は細かいところを確認しないのよ!』
『助けてほしかったら、まな板って言ったの謝りなさいよ』
案外同じだったことを思い出して、黒歴史をほじくり返した気分でさらに恥ずかしさが増した。しかし首がさらに締め付けられた苦しさで現実逃避をやめ、反撃に移る。とはいえ動かせるのは足だけか。
足で後ろにいるはずの呪屍人を必死に蹴る……がすでに地に足がついていない状態で足を振っているので、十分な威力が出ない。さらに呪屍人の硬い肉体と防御結界の前に、あまり効果は出ていない。
「ううっ! ……くうっ! は、離れ……っ!」
息ができない……目尻から涙が零れ落ちる。いや、これは悲しいとかじゃなくて、首への締め付けが強烈すぎて涙腺が開いているんだろう。 私の視界が赤く染まっていく、ああ、これまずいパターンだ。最後に見る光景が博物館の壁とは……なんとも締まらない。口元から苦しさで涎を流して……とてもではないがお嬢様としては残念な状況に苦しむ。
「あぅ……ぐぇ……こ、こんな……えっ?!」
「ムゥシ……ムゥシフィスプ……」
いきなり呪屍人の力が緩んだ。え? と思う間もなく私は急に落下して、か弱いお嬢様のように地面へと倒れ伏す。
いや、私一応こう見えてもいいところのお嬢様なので……決してか弱くはないけどお嬢様であることは事実ではあるのだけどね。
ようやく呼吸できた私は必死に咳き込んで、酸素を体内に入れ……首を触るが、強く締められただけで特に傷などはついていなかった。
よかった……死んでいなかった。涙目でへたり込む私の前に、銀色の毛を纏った大きな狼獣人が私を庇うように立つ。
前世では私は守る側だった……こうやって守ってもらった記憶は……ずっと昔子供の時に、あれはいつだったか。
必死に私を……ノエルを庇ってくれたあの人は誰だっただろうか? 心の底から強い憧憬の感情が湧き出し、私は思わず息を呑む。前世の記憶が強烈なくらいに私の心を揺さぶっている……心臓が大きくドクン、と鼓動する。
目の前の、その銀色の狼獣人の美しい毛並みの輝きが、私の記憶の中のその人とリンクしてすり替わっていく。
「大丈夫かい? 新居さん」
その声は狛江さんだった。そして呪屍人は胸にぽっかりと空いた大穴を見つめて驚いている。そうか……狛江さんが私を……。何となくホッとしたような、少しだけ温かい気持ちになる。
なんだろう? 私の心臓が早鐘のように鳴っている、これはどう言うことなんだろう? 現世でこんな気持ちを抱いたのは初めてかもしれない。どうしても手が届かないような、でもそれでいて手を伸ばしたくなるようなそんな気持ち。
なんでだろう? 私はどうしてこんなに頬を熱くしているのだろう? なんで冷静な自分でいられないのだろう?
私の前世は男性なのに……どうして強い衝動を感じているのだろうか?
私の密かな動揺とは関係なく、目の前では狛江さんと呪屍人の戦いが始まっていた。
狼獣人となった狛江さんは、そのまま敵を引き裂いていく。銀色の狼獣人……前世でも見たことがないな。狛江さんはそのまま何事もなく、呪屍人が動かなくなるまで完全に叩き潰すと、周りを警戒しながら私の元へと戻ってきた。
「大丈夫? 立てるかい?」
「あ、ありがとう……ございます……狛江さ……あっ」
私は日本刀を鞘に収め、杖代わりにして立ち上がろうとする……が、全身に痛みが走り、崩れ落ちそうになる。何というか、ノエル効果と全身の切り傷の痛みが合わさって、軽い拷問のような状態だ。
フワッと銀色の毛皮に包まれる私、あら? 狛江さんが倒れそうな私を優しく抱きしめてくれている。何だろう、この心地よい感触……そうかモフモフだからか。少しだけホッとした気分で彼に身を預ける。
「大丈夫? 新居さん……無理はしないでね。本部、降魔は倒しました、よっと」
「え? あっ、ちょっと狛江さ……!」
狛江さんは狼獣人状態のまま、私をいわゆる『お姫様抱っこ』の状態にして抱えた。思わず私は自分の心の動揺に焦って両手で口を覆ってしまった。
心臓が大きく高鳴る……自分自身が現世ではうら若き女性であることを再認識させられるような、とても強い羞恥心を感じて恥ずかしさから目を開けることすら出来なくなっていく。
こ、これは……死ぬほど恥ずかしい!
女性によっては彼氏にされたい体勢としてよく話題に上がる『お姫様抱っこ』だが……私、前世が男性なので……まさか自分が散々女性にしてきた格好にされてしまうなんてことが……。
なんてことだ! ちなみに前世ではベッドに女性と向かうときにこれをすると、どんなにツンケンしていたあの娘も、その娘も、ついでに本当のお姫様だってみんなコロッと落ちたものだった。
ちょっと待って! 私は前世が男性なのに、どうして今コロッと行きそうになってるの!? そんな無茶苦茶なことあり得なくない?!
前世で私にこの格好にさせられた女性たちの気分を強烈に味わわされて、私は内心気絶しそうな気持ちに陥る。
あまりの恥ずかしさに、これまでの人生で体験したことのないレベルに顔を真っ赤に染めて下を向いてしまった私を見て、狛江さんが狼の顔のまま悪気なく笑う……いや、ほんとこれ表現できないくらい恥ずかしい! どんどん熱くなる顔を両手で覆って、とにかく穴があったら隠れたい気分で体を震わせる。
「あ、とこの格好のままじゃ外には出れないから、ダメか。元に戻るね……」
少しブルリと体を震わせると、狛江さんがスルスルと元の人間の姿へと戻っていく。この人は私より背が低いのに、しっかりと私をこのポーズで支えている……上半身裸なのもあって、彼の思っていたよりもしっかりとした体格、筋肉質な肉体を見ることができた。
そして、かなり多くの傷が体に刻まれているのが見える。この人の身体は、戦士の肉体だ……見惚れるような肉体を見て、思わず傷跡をそっと撫でてしまう。その手の動きに、狛江さんは驚いたように体を震わせる。
「あ、新居さん? 急にどうしたの?」
「す、すいません……志狼さん……わ、私……」
何事かと私を見下ろす志狼さんの目と私の目が合い、思わず……見つめてしまうくらい榛色の目は美しかった。なんて綺麗な瞳なんだろう……少しの間、私たちはじっとお互いを見つめていた。私の頬が熱い……今世で初めて感じる感情、そして暖かさ。
私は呼吸すらできないまま、彼の目を見つめている……も、もうどうにでもなっていいかな……私。
「えええ、あ……灯ちゃん! そ、その男は誰かな〜……」
「あ……」
二階展示室の入り口に金髪で頬に大きな傷が入っていて、ラフな格好の男性が口をあんぐり開けて立っていた。
コードネーム火炎の魔法使いこと……バックアップとしてくる予定だった全力のセクハラ野郎墨田 悠人さんだ。よく見ると怒りのあまり軽く震えている。
この人は常日頃『おっぱい揉ませろ』とか『処女を予約している』とか、『もっと興奮することをしようか』とか散々にセクハラをしてくるコンプライアンスの敵なのだ。今の私と狛江さんの雰囲気を見て……愕然とした表情になっている。
「あ、灯ちゃん……お、俺というものがいながら……ど、どぼじで……」
いやいや、あんた会う度にセクハラしかしねえじゃん。ショックを受けても困るんですけど……。急に冷静さを取り戻してきた私は、この格好のままだと恥ずかしいだけだと気がついた。
「あ、志狼さん。もう大丈夫です、立てます……」
私は志狼さんに謝って、自分の足で地面に立つ。悠人さんに言われるまでもなく、いつまでもあの格好は流石に恥ずかしい……少し痛みがあるが、歩けないレベルではない。
「あ、灯ちゃん……いつの間にその男とそんなに仲良くなったのかなー……?」
「え? あ、そ、その……」
そこで気がついた、私は名前で人を呼ぶことはあまりしていない……KoRJのメンバーを下の名前で呼んでしまったのは初めてかもしれない。なお、悠人さんはそう呼ばないとめちゃくちゃしつこいので、仕方なく呼んでいるだけである。
自分の感情が訳のわからない状態になってどうしたらいいかわからず、再び顔を真っ赤にして両手で顔を覆う私を見て……悠人さんがショックを受けた顔をしている。当の志狼さんはよくわかっていないようで、ポケーとしている。
「あ、灯ちゃん……俺の灯ちゃんが……嘘だろ……」
そんな彼らの姿を遠くから見つめる姿があった。
その男はフード付きのパーカーを目深に被っており口元しか見えていない。パーカーは量販店で買えるような安目のもので、ジーンズとスニーカーもそれほど高価なものに見えない。
あの時……一番最初のきっかけを作ったあの男……フードをあげると……白髪に緑色のサファイヤのような目、そして尖った耳。肌は褐色をさらに煮詰めたような濃い色をしている。
「フフフ……日本には面白いのがいるねえ……二つの魂を宿す娘か……」
「なあに? 面白いのがいたの?」
彼の背後から声がかけられる。耳の尖った男が振り返るとそこには、黒髪の白い肌をした妖艶なドレスの女性が立っていた。
「ええ、あれはいい逸材ですよ」
耳の尖った男が妖艶な女性へ笑いかける、少しあどけなさを感じる笑顔だ。
「魂が二つ……好きなように表と裏に切り替えられるようです。普段は可憐な女性の魂が全面に出ていますけど……裏の顔がとても……残酷で僕らみたい」
男性のあどけない笑顔が、不気味なくらいに歪む。
「ずっとそのままで過ごせばいいのに……敵を殺して殺して殺し続けた人の魂ですよ、あれは」
_(:3 」∠)_ あの娘もこの娘も、お姫様も……前世が男性でもイチコロだ!
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