第一九七話 専門家(プロフェッショナル)
「へい、らっしゃい」
僕の名前は折田 隆史……都内に住む男子高校生、そして僕の女神様である新居 灯、都立青葉根高等学園の女学生を信奉する愛の戦士である。
先日僕が通い詰めていた『マウンテン・ラーメン』に女神様が現れ、巨大な山脈を軽々と登頂していたのを見た僕は、自らを恥じた……あの女神様ですら登頂できる山を、なぜ僕は登りきれないのかと。
「僕は彼女に並び立つ男になりたい……」
それからの僕は修行僧のように毎日ラーメンを啜った……時には大盛りを、時にはヤサイマシマシを、そして時には小ラーメンを……、僕は戦場へと赴く兵士の心持ちでラーメン店へと通い詰めていたのだ。
食ロガーの口コミでも、僕は毎日の感想と思ったことをきちんとレビューし続けた、その甲斐あって僕のレビューに押される『いいね』の数は次第に数を増していき、ハンドルネーム、カラスヤマのタカちゃんとしてブログ活動も活発になってきている。
『毎日ラーメン食べるなんて猛者ですね!』
『タカちゃんのレビュー、正確ですごい! 参考になります!』
『紹介されていたお店、めちゃくちゃ美味しかったです!』
ブログにつくコメントを見て僕は満足感を覚えている……これも全て僕の女神様のおかげだと信じているから。そんな気持ちを覚えつつ、だが人間にとって毎日ラーメンを食べ続けることは心と体のバランスを崩す行為。
だからこそ、僕は今日……ラーメンを裏切る……入り口の戸を開けて、僕が入店したのは、近所にある立ち食い蕎麦屋なのだ。この店は僕の胃が疲れた時に訪れる誰にも話さない普通のお店。本当に普通の立ち食い蕎麦なのだが、ホッと息をつきたくなるそんな癒される味なのだ。
僕はいつもこの店に来るときに定位置にしている店の少し奥まった場所へと移動し、荷物を置いて定位置を確保する。
「コロッケ蕎麦……大盛り、ネギ多めで、あとおいなりさん」
「あいよ」
少し無愛想な店主が手際よく麺を茹で始める……ぐつぐつと音を立てる寸胴で茹でられる音を聞きながら、僕は入り口近くに設置されているセルフ式の給水器へと向かい、給水口へとプラ製のコップをそっと差し込むように、それでいて優しく力をかける。
おっと、氷が先に出るんだったな……ガラガラと音を立てて少し乱暴に氷が吐き出された後、キンキンに冷やされた水がコップへと注がれていく。
「素晴らしく冷えている……これが、欲しかった……」
手に伝わる冷えた感触……ラーメン屋によっては少しぬるめの水が出てしまうことがあるが、その点この店は限界まで冷やしているのか、恐ろしく冷えた水が出るのが特徴だ。
立ち位置に戻ると、コトリと音を立てて僕の目の前においなりさんを載せた小さな皿が置かれる……まごうことなき黄金、そして少し控えめなサイズだが、二つ乗せられたその神々しい姿を見てほぅ……と息を呑む。
「へいおまち……コロッケ大盛り、ネギ多めね」
僕の目の前に少し大きめのそば丼が置かれる、その姿……まさに完璧……ッ! コロッケそばが邪道だと妄言を吐く全てのものに僕は喝を入れたい。
一見すると邪道に見えるそのシルエット、そして炭水化物に油を纏った炭水化物を乗せてしまうというその背徳感、だがその深淵を覗き込むものがいれば、また深淵も見つめ返すかのように、コロッケのサクサクな衣がじわっと汁を吸い始めて少しずつ色を変化させていくその瞬間が……まさに至高ッ!!
「いただきます……」
まずは軽く汁を啜る……黒いスープは強い塩気を感じさせる醤油の風味、そしてその奥に隠れた出汁を感じさせる。うん、素晴らしい……ナチュラルな風味を楽しんだ僕は次に七味を軽くふりかける。
そして割り箸を片手で割ると、僕は黒い汁の下に隠れるシコシコの蕎麦を持ち上げていく……ヌラッとした黒い光沢に藻を踊らせた蕎麦は、空気に触れると白い湯気を放っている。
軽く口に含む……そしてずるり、ずるりと軽く啜る……口の中で弾ける弾力のある蕎麦を何度噛むと、飲み込んでいく……なんという喉越し、そして時折感じるピリッとした刺激、これぞTHE SOBA!
そして少し汁を吸ったコロッケへと箸を入れる……ほろり、と崩れるような柔らかさが指に伝わる……そのままコロッケを口へと運ぶ。
まるで幼い頃母が忙しい最中、近所のスーパーマーケットで購入してきた惣菜のような、スタンダードな味……だが今はこれでいい、このチープでジャンクな味わいが僕の胃袋を掴んでいる。
そして間髪入れずさらに追い討ちのおいなりさん……このハーモニー、全てが調和するような快感の中僕の体はうち震えているのだ……完璧!
「へい、らっしゃい!」
ガラガラと戸を開けて元気よく入ってくる女性の声……この声は、そ、そんな……女神様……僕の女神様である新居 灯、そして最近東京へとやってきたという彼女の同級生である四條 心葉がこのお店へとくる……だと?
気のせいか若い女性二人の登場で、主人の声も心なしか嬉しそうな気もする。新居 灯はコップを二つ持って給水器で水を注ぐと、入り口近くの場所に陣取へと注文を入れる。
「私はかけ蕎麦ネギ抜きで大盛り、あとおいなりさんください〜」
「……天玉蕎麦……」
天玉蕎麦だと? ……四條 心葉……それは邪道だ、まさに罪ッ!! 確かにお腹いっぱい食べる時は、その選択肢も頭をよぎるだろう……だがしかし、立ち食い蕎麦道においてその選択肢は、まさに罪。
天玉蕎麦とは、かき揚げと生卵を載せたいわゆるリッチな蕎麦……立ち食い蕎麦の中における贅沢品……だがしかし、それを選んでしまうのは仕方がない。 成長期の体がカロリーを欲するのはもはや仕方のないことなのだ。
そっと僕は一人納得したかのように頷くと、自らの蕎麦を食していく……この二人はどういう道を見せてくれるのだろうか?
「へいおまち、かけ見蕎麦大盛りと天玉蕎麦ね」
「わあ、いただきまーす!」
「いただきます……」
ドンッ! ドンッ! と二つのそば丼が彼女たちの前へと置かれる……まずは四條 心葉の様子を見よう。彼女は関西生まれ……関東風のつゆには慣れていないはずだ。
僕の想像通り、彼女は黒いつゆに浸った蕎麦を見て、なぜか二度見している……初めて、初めてなのだな……関東風蕎麦処女……勇気を出すのだ、その一歩が君の価値観を変える……密かな僕の応援に答えるように彼女はそっと丼に口を軽くつけてつゆを飲む。
「関東風って塩辛いですね……」
「私こっちしか知らないからなあ、大阪って違うんだ?」
新居 灯の問いに黙って頷く四條 心葉……そうか、女神様は関東から出たことがないのか、これはいいことを聞いた……僕と君が結ばれる時、新婚旅行は関西方面にしてあげよう。
四條 心葉は次にかき揚げを手に取り、軽く齧る……小さな唇が油で少し濡れ、艶かしい色合いへと変化していく……そして蕎麦を持ち上げて軽く音もなく啜る。
何度かもぐもぐと口を動かしているが、とても小動物的な動きで僕も店の主人も見惚れてしまったようで手が止まっている……素直に可愛いお嬢さんだ。
「あ、こういうの悪くないですね……」
「でしょ? たまーに食べると美味しいんだなこれが」
新居 灯はまずおいなりさんを一つ口に放り込んでいる……そのスタイルは初めて見たな……そして冷水を一口。満足そうな顔でもぐもぐと口を動かす。
ああ、ものを食べているだけでも本当に美しい……僕の女神様……そして次に彼女は卓上にある七味の缶を手に持つと驚くべき行動に移る。
「……七味はね、多い方が美味しいんだぁ」
一、二、三、四、五……だめだ! 女神様! その量は多すぎる……ッ! 蕎麦の風味を生かす七味……だけど、量が多ければその七味はまるで違った姿を見せるようになる。
関東風の汁は塩気が強い、そこへ七味を乗せることでハーモニーを醸し出すのだが、多くなればなるほど七味が前へと出てきてしまい結果的に美味しく食べるには少しずづキツイものへと変化してしまうのだ。
そうか、彼女はそういう女だったのか……僕の中に悲しみと、怒りが渦巻く……立ち食い蕎麦を美味しく食べるために必要な、そんな心意気、それを失ってしまったかのような大量の七味の投入に僕は内心うち震える。
「じゃあいただきまーす!」
そうか、静かに食べてくれ……僕が最後のおいなりさんを口に入れようとしたその瞬間……凄まじい音が鳴り響く。ズゾゾゾゾッ! ズバッ! ……なんだこの地獄の中を這い回る魔物のような音は……。見ると新居 灯がまるで立ち食いのプロのような勢いで、かけ蕎麦大盛りを一瞬で平らげていく姿がそこにはある。
一瞬で蕎麦を平らげた新居 灯はそのままの勢いで汁まで完飲していくと、口元をそっと拭って丼を台の上へと返す……今僕は何を見たんだ? これは現実なのか? それとも……。
「ご馳走様〜、やっぱり熱いのがいいですね」
「お嬢ちゃん、手慣れてるね? もしかしてそっちの人?」
お店の主人が興味深そうな顔で新居 灯に話しかける……彼女は残ったおいなりさんを口に入れながら、キョトンとした顔で主人を見ているが……苦笑いを浮かべると首を振って軽く否定する。
そっちの人? この主人の言葉に僕は困惑する……まさかとは思うが、本当にそちら側の、立ち食いのプロと呼ばれる暗闇に身を置いたあの存在が実在しているのだろうか?
「いえいえ、私なんか普通の人ですから……」
「新居さん、ちょっと早すぎますよ……第一なんですか、そのそっちって……」
四條 心葉は少し不満そうな顔で隣にいる新居 灯を見ながら蕎麦を啜っているが、新居 灯はニコニコ笑いながら給水器から冷水を注ぎ直すと、そのまま四條 心葉の隣に立って笑顔でお店の主人と談笑している。
その姿は手慣れた、立ち食いのプロ……百戦錬磨の武人だけが見せるその凜とした立ち姿に心が震える思いを感じている。僕は来てはいけない場所へ……本物が集まる店へと来てしまったのかもしれない……僕は残ったおいなりさんを食べ終えると冷水を一気飲みし、台の上に丼と皿を、そしてお金をおいてその場を逃げるように店の外へと歩き出す。
「……ごっそさん」
「ヘイまいど、次もよろしく」
店の主人の少しだけ高揚した声が聞こえるが、僕は後ろを振り返らずに店の外へと歩み出る……心が震える、そう僕は遭遇してしまったのだ、立ち食いのプロ……本物だけが兼ね備えたその凛々しい姿を。
そして僕の女神様の真の姿を目の当たりにし、心が大きく震える……そんな、そんな世界があるなんて……今までラーメンブロガーとしてやってきたことは、もしかして無駄だったのではないかと、矮小な自らを自覚させられるような、そんな強い敗北感を感じて駅へと歩き出す。
「……また最初から……やり直さなくてはいけないな……僕もプロへと……本物になるための旅路を歩むんだ……」
_(:3 」∠)_ 個人的には天玉、コロッケそばは大正義です(白目) ズゾゾゾゾゾ、ズバッ!
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