第一七八話 煉獄の花(ヴルトゥーム) 〇六
——負けた。そうか、僕は負けたのか。
ララインサルは全身を斬り刻まれ血を流している今、ようやく新居 灯……剣聖に何をされたのか理解した。あの多重分身攻撃……テオーデリヒを一瞬で斬り裂いたあの斬撃を喰らった。
泥への入れ替えは……発動できなかった、彼女を視界に収め入れ替えの技を発動させる前に斬られたのだ……何百年も自らを守ってきた絶対の防御が崩された、という驚きを感じる。
「……くそ……どこで間違ったんだ……あんな攻撃かわせるはずだったのに……」
テオーデリヒが負けるのもわかる……切り裂かれたのに痛みをそれほど感じていない、おそらく痛覚よりも早く切り裂かれたのだろう、それくらい不可視の斬撃に近かった。
咄嗟に展開したはずの魔法の盾もあっという間に崩壊していた……ただあれが無ければ、即死していたかもしれないのだ。
彼の視界に入るのは、どこまでも遠くに広がっている月夜……この月夜は異世界のものとそう変わらない、そして視界の隅には煉獄の花がゆっくりとその花弁を広げようとしているのが見える。
ああ、そうだ……魔王様に怒られてしまうよ、早く煉獄の花を開花させなくては……。
「……邪魔が入る前に……足止めをしなくては……」
首を動かしてあの剣聖を探す……少し離れた場所で刀を地面に突き立てて膝をついている。息も荒い……なんだ、ギリギリじゃないか。
僕が魔法を放てば……相手は死ぬ……見ていろ剣聖……いま殺して……そう思って自分の腕を持ち上げて、あるはずの右手がないことに気がつく。
「……僕の手が……なぜないんだ……?」
慌てて立ちあがろうとしてさらに驚く……体のほとんどが切り裂かれている。両足も、左手……いや左腕は肩から切り飛ばされている。
傷口からは血が流れだし、見える範囲には自分の切り裂かれた足が転がっているのが見える。
僕の肉体を切り裂いたものなど戦ったことがなかった。それもたった二〇にも満たない少女が……何百年も生きている自分を倒したのか?
「う、嘘だ……お前みたいな、小娘に僕が負けるはずはない……これは現実じゃない……」
だが体は言うことを効かない、喉の奥から血が溢れて我慢しきれなくなって吐き出す……なんだこれは、どうして僕が死に掛かっている。死ぬのは僕の敵だけ、遊び相手だけなのに。
僕はどんなことがあっても死なない、死んではいけない、死ぬわけにはいかない……魔王様の仕事を最後まで完遂していない。奥歯を噛み締めると、ララインサルはじっと魔力の流れを探る。
「煉獄の花……僕の命を持って行け、僕を媒介にして異世界との扉を開くのだ……」
呼応するように煉獄の花がララインサルの命へと触れる……ああ、これから僕は死ぬ、いや既に半分死んでいるようなものだ。だがその代償はこの世界のものに払わせよう。
剣聖……お前が全てどうにかして見せるのだ……だから地獄で待っているぞ、僕は死ぬ、今から死ぬが……僕を殺した代償を払わせるのだ。
ララインサルの意識が暗闇へと落ちていく……ああ、魔王様にごめんなさいを言ってなかった、ごめんなさい魔王様……僕は、僕はあなたにもう一度頭を撫でて欲しかった。
「……な、なんかまずいね。あの巨大な花に凄まじい量の魔素が集まっている」
志狼さんの言葉で、私は荒い息のまま煉獄の花を見上げると、花弁はほぼ一〇〇パーセント近く開いており、中央から立ち上る光は輝きを増しているようにも見える。
刀を支えにしていた私は、震える足を手で支えるようにしながらもなんとか刀を鞘へと収める。今になって熱狂毒で酷使した肉体へのダメージが表面化してきており、あちこちに鈍い痛みを感じる。
『彼の言う通りだな、煉獄の花はほぼ開花した……早く止めないとこの世界に異世界の軍隊がなだれ込むぞ』
「あれを止めないと……早く行かなきゃ……」
とは言っても……私の足は生まれたての子鹿のように震えており、まともに歩けそうにもないのだ。そんな私を見た志狼さんが、状況に気がついたのか少しだけ考えるような仕草で私をじっと見つめる……うう、志狼さんに呆れられちゃってるのかな……。
だが彼はすぐに私の体に手を回して……いつ以来なのかお姫様抱っこの姿勢で優しく抱き抱える。ふああああああああああ! 私の心臓が高鳴る……両手で口を覆いつつなんとか悲鳴を上げずに我慢する。
「……僕が君を上まで連れていく。しっかり捕まっていてくれ」
「……は、はぅいっ!」
思いきり上ずった声で答えつつ私は彼の胸に手を添え……え? これもしかして彼に抱きつくような格好になるのか? 脚以上に震えながら私は彼の胸に抱きつく。うう、恥ずかしい……。
なんだろう……とても心地よい匂いがする……そしてとても暖かい。私がしっかりと捕まったのを確認すると志狼さんは一気に走り出す……空を飛ぶような、恐ろしいまでの浮遊感というか……まるで竜、いや飛竜に乗っているかのような速度で森の中を文字通り跳ぶように駆け抜けていく。
「……すごい……すごいですね……」
思わず口に出てしまうが……ほんのり頬が熱い。これは恥ずかしいのもあるけど……今私は前世でキリアンと一緒に飛竜に乗った時のような、そんな気持ちを味わっている。
恐ろしく太い煉獄の花の幹が目の前に出現する……のたうつ蔦が見えるが、彼はそれを意に介せず咆哮で薙ぎ払うと、大きく跳躍して、最初の低い枝葉に飛び乗った。
凄まじい速度だった……独特の浮遊感というかこの疾走感はちょっとバイクや乗馬では感じられそうにない。自分で走らせる乗り物とはちょっと違った感覚にほんの少しだけ私の心が弾んでいる。ちょ、ちょー楽しい……これ子供の時だったらもっとやって! って頼んじゃったかもな。
上に乗っても煉獄の花の葉は撓むこともなく、わたしたちの体重を支えている。しかしそこから上に登るにはさらに高い位置までも登らねばならないだろう。
「捕まって、一気に花弁の上まで出るよ」
「失礼します……」
志狼さんは私を左腕で抱え直し、右腕が使える状態を作り出すと、私に軽くウインクをする。そのウインクの意図を感じて、私は軽く頷くと彼の首筋にそっと自分の腕を回して抱きつく格好になった。モフモフだ……こ、これ超幸せだなあ……毛皮の厚い動物って手触りいいんだよね。
次の瞬間、凄まじい速度で幹と葉を飛ぶ回って煉獄の花を駆け上がっていく志狼さん、そしてその彼にしがみついている私の髪が夜空に靡く……ふと下を見ると恐ろしい高さまで私たちは弾丸のように駆け上がっていく。
私と志狼さんが煉獄の花の幹を駆け上がっていくと、ところどころにある獲物を捉えるための牙の生えた捕獲器官を備えた蔦が迫ってくるが、彼は片手でその蔦を切り裂くと勢いを殺さずに一気に進む。
煉獄の花の花弁はほぼ開ききっているが、異世界との扉はどうコントロールするんだ? ララインサルは死んだ、魔力を集中したとしても花弁自体をコントロールする者が必要になるのではないだろうか?
『……そうだな、術者不在で異世界との扉が開くとは思えない……』
全て破壊するものの不安そうな声で、私はまだ戦いが終わらないかもしれないという気がしている。ララインサルが斃れたなら、次はアンブロシオか? それとも私たちが知らないだけで、彼の部下はまだ存在しているのかもしれない。
「到着するよ、舌を噛まないようにね」
志狼さんの言葉に私が我に返ると、私たちは大きく夜空に身を躍らせる。彼はそっと両手で私の体を支えると器用に何度か空中で姿勢を変え、回転しながら花弁の上へと降り立つ。
志狼さんは私をそっと花弁の上に下ろすと、淑女を守る騎士のように恭しく私の手をとって立ち上がらせる。大丈夫、体力の回復は少しだけ出来ている、刀を振るうくらいはできるはずだ。
「……大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
あらためて花弁の上に立つ私はあたりを見渡す……かなり高い位置にあるためか、少し肌寒いな。
花弁の上は中心となる部分に大きな穂のような器官が空に向かって直立しており、器官が眩しいくらいに光り輝いて空に向かって光を放っており、言い方としてはおかしいかもしれないが荘厳な雰囲気を漂わせている。
さらに煉獄の花全体がまるで脈動するかのような振動を小刻みに放っており、空の上でありながら辺りに耳障りな高周波のような音を響かせているのだ。
「きたか……剣聖とその仲間よ」
直立する穂の根本、花弁の中心近くにその男が居た。異世界からこの世界への侵略をおこなっている降魔を指導する存在であり、魔王と呼ばれる者……アンブロシオが立っている。
アンブロシオは、まるで私たちを待っていたと言わんばかりの優しい笑みを浮かべる……その笑顔が恐ろしく慈愛に満ちたものであることに私は内心驚きを隠せない。
「アンブロシオ……」
私の言葉に志狼さんが相手が敵であることをあらためて認識したのか、全身の筋肉に力を入れて牙を剥き出しにして威嚇を始める。
魔王は、そんな私たちを見て薄く笑うと軽く腕を振るう……まるで空間から取り出したかのように、一本の直剣がその手に出現するが、私はその剣を見て心臓が跳ね上がるような感覚に襲われる。
「な、なんで……その剣を……どうして魔王が……」
『……光もたらすもの……』
私はその剣に見覚えがあるからだ……前世の友人、そして勇者として共に戦い、涙し、笑い、励ましあった彼の……キリアン・ウォーターズの所有していた聖剣である光もたらすものそのものだったからだ。
動揺で手が震える……刀の柄に当てている手が震えて上手く握れない……足も軽く震えているかもしれない。どうして、どうして彼があの聖剣を所持している……キリアンから奪った? それとも後の世の勇者が魔王に負けたのか?
アンブロシオは私の呆然とした顔を見て、くすくす笑い出す……まるで前世でしょうもない悪戯を仕掛け、ノエルの困った顔を見たキリアンのような、風貌や印象は全然違うのにまるでそっくりな仕草を見せる魔王。
「……お前は変わらないな……この世界にいても、ああ本当にお前は変わらないな……美しくなっても、その魂は猛々しく、そして愛おしい」
_(:3 」∠)_ ちょっと最初に執筆した時から色々修正してなんとか一旦まとまった感じに……
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