第一六九話 強欲の魔王(アウァリティア)
「ふんふーん、お水をあげて、肥料をあげたらおーきくなーれー♪」
楽しそうな声で調子っぱずれの歌を歌いながらララインサルは手元にある小さな鉢植えに植えられた苗の手入れをしている。その苗は複数の色が入り混じったような、不気味な色合いをしており彼の歌に合わせて身をくねらせるように動いている。
そんな彼の元へ、一人の男性……金髪に赤い眼をした東欧の貴族然としたスーツの男性、アンブロシオが姿を現す。黙ったまま部屋に入ってきた彼に既に気がついていたのか、ララインサルはそっと苗を撫でると敬愛する魔王様に向かって向き直る。
「魔王様の大事な用事は終わりましたか?」
「ああ、無事終わった。ところでそれは間に合いそうか?」
ララインサルの背後にある不気味な色合いの苗を指差して、アンブロシオは少しだけ薄い笑みを浮かべて笑う。ああ、魔王様が嬉しそうだ……ララインサルは心に感じるほのかな喜びを感じながら、ぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる。
だが問われたララインサルはあえて背後の苗でなく、別の方向を指差して口を開いた。
「既に一輪……ほぼ完成体にまで持っていってあります。こちらは魔王様への献上品として別に育てていますよ」
彼の指差す方向に、その不気味すぎる植物が聳え立っている。どこまでも黒く漆黒の闇のような幹、その周りを蠢く触手のような蔦が辺りを探るような動きを見せる。そして……幹の先には腫瘍のような蕾がついており心臓の鼓動のようにリズミカルに蠢いている。
その不気味な植物を見上げて、アンブロシオは軽く頷く……彼の記憶の中にあるその植物と同じ、そして神話に語り継がれてきた伝説の……禁忌とも言える史上最悪の遺物。
「この植物の花弁が開き、異なる場所にある世界同士が繋がる……矮小なこの世界の人間が怪物を相手できるかな? いや出来ないな……一方的な虐殺が始まるだろう」
アンブロシオの顔には既に笑みは浮かんでいない、そこにあるのは哀れみと悲しみ。慈愛の心が、この世界に住む人間の行く末を想像すると強く痛む、悲しい、悲しい、哀れな地球人よ。
そうだ、この世界の人間は弱すぎる……彼が古い名で呼ばれていた世界では人間だけでなく全ての者は強かった。それに応じて魔物も、悪魔も、全ての存在は圧倒的に強い。
この世界に異邦者を連れてきた時に驚いた……あまりに抵抗が出来ない人類に、そして弱々しい人類に絶望したのだ。
『……手に入れなさい、この世界をキリアン……いえ魔王、強欲のアンブロシオ』
自らの中に響く声……その声に導かれるように、彼は異世界侵攻を決定した。この弱すぎる世界を蹂躙し、支配し……そして彼の世界の住民に安息の地を約束するのだ。
私は変わった、顔も心も……そして存在全てが。新居いや、彼女の中にいるノエル・ノーランド……私の真の友人よ、今私は敵として、この世界を滅ぼす魔王として君臨している。
早く止めに来い、いや止めて見せるのだ……お前が勇者の仲間であったのであれば、世界の敵であるこの魔王を倒しにくるのだ。
「それがお前の友人だった成れの果てでもな……ノエル、剣聖として私を殺せるものなら殺してみせよ」
「……そういえば最初に名乗ってましたっけ? 僕の名前は狛江といいます」
狛江はバキバキと指を鳴らしながら、目の前の鬼へと問いかける。彼は名乗ったのに自分が名乗るのを忘れていた気がする。先ほどから犬神とか獣人とだけしか呼ばれていないので、多分自分からは名乗っていないはずだ。
「狛江殿……失礼した、ワシは名乗ったのに貴殿には名乗らせずにそのまま戦ってしまったな」
鬼貞はグフフと笑いながら、軽く会釈を交わし首を左右に振ってバキリと鳴らしたあと、何度か軽く腕を回して筋肉をほぐすような動作を繰り返す。既に傷が回復し始めている。それはこちらも同じだが、このまま行くと千日手のような状況に落ちるのは明白だ。
「あなたほどの傑物がどうして魔王の味方を?」
「既に鬼へと堕ちた身……そしてワシの存在も忘れた者へ味方する気にもならん。この国にもほんの少しだけワシを信じてくれるものもいるが、大半はそうではないからな」
狛江は目の前にいる鬼が少しだけ寂しげな表情を浮かべたことに驚いた……獣人も似たようなものだ。狛江自身もそうなって見て初めて分かったが、古くから連なる伝承や怪異はもはや忘れられつつある過去の存在に近い、いやこれまでは近かった。
アマラも世間一般は魔法使いという存在に対し、次第に意味が薄れていっていると話していたことがあった。狛江が外国で遭遇した怪異の一部には、そういった人間からの無関心に怯えているものすら存在していた。
「再びこの身を顕現することができたのは、彼のおかげでな……それと、いつも行動を共にしている藤乃がお前らと戦うと決めた。戦う理由なぞ、その程度で構わん」
そこまで話すと鬼貞は再び戦闘態勢をとる……お互い倒れるまで戦うしかない。狛江の目にも決意の色を感じ取ったのか、鬼貞は嬉しそうに笑顔を浮かべると目の前の獣人へと躍りかかる。
この世に再び戻ってきて、こんなに満足する戦い、そして強敵に出会えるとは思っても見なかった。拳を繰り出し、相手の拳を受け止め、そして再び殴り返す。
『貞ちゃん……本当は人を嫌ってなんかいないでしょ?』
この戦いに赴く前、唐突に藤乃が口にした言葉、この戦いの中で急に思い出してしまい鬼貞は心で違うと否定する。ワシは鬼だ、鬼は醜い、鬼は怖い、鬼は人を殺す……自分が貞隆という名前の時に、もう顔も思い出せなくなっている母親が小さな彼に繰り返し教えてくれた。
彼が生まれた時代は物の怪や、怪異が身近にあり信仰や恐怖の対象として信じられていた時代だ。もちろんそれ以上に人と人の諍いや争いは絶えず行われており、命が安価な時代であった。
『貞ちゃん結構優しいもん……本当に憎んでたら、私に対しても対応違うよね』
藤乃がニコニコ笑いながら彼に話しかけるのを見て、そんなことはないと返して彼女から顔を逸らすが……そんな仕草を見て不貞腐れた子供を見るかのような屈託のない笑顔を浮かべる藤乃。
鬼貞が人であった時に、このような形で話した女性がいたな……あれは誰だったか。不遇な生活を余儀なくされていたが強い意志と人懐っこい笑顔で鬼貞……いや貞隆を見ていたものがいた。
名前が思い出せない……あれはいつだったか、そして誰だったか……もう記憶から薄れているのか。ただその美しい女性のことを思うと、少しだけ心がざわつくのだ。
「ぬうっ……技量は其方が上か……」
次第に狛江の攻撃が鋭さを増し、防ぎきれない攻撃が鬼貞の体を傷つけていく。もう分かっていたことだが、最初の奇襲以降はっきりと理解した。目の前の狛江という獣人の攻撃力は恐ろしく強く、そして誇り高い。
彼自身は気がついていないかもしれないが、根本的な能力からすると鬼貞よりもほんの少しだけ強い、相対して解るその微妙な差がこの攻防にも如実に現れ始めている。
「だが……引けん!」
お互いの拳が衝突する……鬼貞は腕に強い痛みを感じて少しだけ顔を顰める。だが、ここで引き下がるのは鬼としてのプライドが許さない。
狛江に向かってその丸太のような太い脚を振り抜く……蹴りが狛江の腹部に衝突するが、鎧のように硬化した筋肉に阻まれる。だが衝撃は凄まじく、なんとか堪えようとする狛江の体が少しだけ揺らぐ。
「……ぐっ……ああああああっ!」
狛江の顔が苦痛に歪む……勢いは受け止められたが、体の芯まで届くような衝撃は確実に彼の肉体へとダメージを与える。だが、狛江は体を回転させるように回し蹴りを鬼貞の胴体へと叩き込む……鬼貞の胸に狛江の蹴りがクリーンヒットし、巨体が大きく後ろへと跳ね飛ばされる。
鬼貞の体は数メートル近く跳ね飛ばされるが、彼は倒れることを拒否してなんとか踏みとどまると狛江を見てニヤリと笑う。
両者とも正直いえば全く余裕はない……だがここで弱気な姿を見せれば一気に攻め込まれる。それが分かっているが故に無理にでも笑みを浮かべて、相手につけ込まれないようにしているだけだ。
狛江は……いまだに体の芯に残るような鈍い痛みを感じながらも、一歩だけ前に出る。出ないといけない、ここで引き下がれないのだから。
鬼貞も一歩だけ前に出る……鬼とはいえ肉体構造の基本は人間とそう変わらない、そして先ほどの蹴りで肋骨に当たる部分の骨がへし折れた。強い痛みが走るが、彼は鬼だ……それ故に倒れない。
「やりおるわ、ワシがここまで傷ついたのは死ぬ間際だけだぞ」
鬼貞は大きく手を広げて身構える……動作の一つ一つで体全体が強い痛みを発している。回復能力が落ちている? そうではない、あまりに損傷が大きくなってきていて、能力が追いついていないのだ。
ふううっ、と大きく息を吐く……強者ゆえに分かってしまう、次の攻防で決着がつくだろう。じり、と脚を前に出す……相対する狛江もほんの少しだけ前に出る。
「……狛江殿……楽しかったな」
鬼貞の顔に笑みが浮かぶ……つられるように狛江の口角が上がるのが見え、鬼貞は心が打ち震えるような喜びを感じた。
そして次の瞬間、両者が前に出る。お互いの右拳を振りかぶり……吠えるような雄叫びをあげて両者が拳をかわす。
一瞬だけ早く鬼貞の攻撃は狛江の顔面に叩き込まれる……手応えあり、ダメージは凄まじいだろう、意識が飛びかけた狛江の目がすぐに鬼貞をぎろり、と見る。
「僕も楽しかった、ですよ……鬼貞さん」
次の瞬間、狛江の拳が鬼貞の腹部へと叩き込まれる。まるで肉体毎削り取るかのような、そして超大質量の物体を叩きつけられたような凄まじい衝撃が鬼貞へとねじ込まれる。
鬼貞の体の奥、その中心に位置する場所で小さな『パキン』という何かが割れる音が響いた。
狛江は拳をそのまま振り抜いていく……鬼貞の巨体が大きく宙を舞う。彼の視界に夜に輝く満月の光が入る……鬼貞は腹の底から全ての空気を吐き出すかのような呻き声をあげた。
「う、うぉおおおおおお……ああああああっ!!!」
_(:3 」∠)_ 異世界の魔王様はこの世界が欲しい(白目
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