第一六六話 儚い人形(フラジャイルドール)
ニムグリフ暦五〇二八年……旧魔王城改めラサラデン城の一室にて。
「……ば、馬鹿にしてるの?! 私がアンタのなんだって?!」
私は目の前に立つ男性に怒鳴りつける……金髪で赤い眼を輝かせた男性、この世界を救った勇者キリアン・ウォーターズは私の怒りを感じてもなお、少し軽薄そうな笑みを浮かべている。
キリアンはとても質の良い服装に身を包み、その腰には聖剣光もたらすものを下げているがここ一年ほどはその刀身を引き抜いたことすらないだろう。
「馬鹿になんかしてない、君は僕の妾として迎えようと思っている、本気だ。その代わり僕は君がノエルを甦らせるのを手伝いたい」
「ふ、ふざけんじゃないわよ。私は……アンタを愛せない、アンタに抱かれるなんてまっぴらよ!」
私は彼の頬をそれでも手加減した力で叩くと、すぐにその場を離れようとするがキリアンは私の手を握ったまま話そうとしない。
振り払おうとするも、彼の力は強く握られた手に強い痛みを感じて私は顔を顰める。そんな私の顔を見つめて、感情のこもらない赤い目でニヤリと笑うキリアン。
な、なんなのこいつは……昔はそんな目で私を見たりしなかったじゃない。まるで獲物を見る狼のような、そしてその奥にある感情の感じられない薄暗い光を見た気がして私は身を震わせる。
「……もういい加減現実を見ろ、ノエルを甦らせるには君一人では無理だ。絶対に僕の助けがいる」
キリアンの言葉に私は彼の手を振り払った後、再び頬を思い切り叩く……信じない、あんなに強かった彼が死ぬなんて……絶対に認められないのだ。
あの時、死を目前にして私と目があったノエルは本当に悲しそうな顔で私を見ていた……確かに私は彼の死を目撃した。でも信じられなかった……絶対に私が彼を復活させるのだと決めた。
もう一度あの優しい声で読んでほしい、もう一度あの大きな手で頭を撫でてほしい、そして今度は私を見てほしいのだ。
「私は、絶対に一人でも彼を蘇らせてみせる……だから私に構うなキリアン……」
「君もみんなと同じだな……一人では手に入らないものを求めている」
戦いの後、勇者パーティは解散した、正確にはそれぞれの道へと進んでしまった。
シルヴィはあの後私たちの前からいなくなった……戦いが終わったら戻ろうとノエルと約束していた田舎の家に引きこもり、そこに彼の墓を立ててずっとそこで何事かを考えているのだと聞いているが、彼女自身は世俗との関わりを拒んでいるとも伝えられている。
アナは教会の重鎮として迎えられるはずだったが、本人が荒廃している地方の復興のために、と自ら巡礼の旅へと出ていくことになった。お供としてウーゴが彼女についているので、安全は保証されているだろうが……アナはキリアンと結婚するのかと思っていたのに、何があったのだろうか?
「貴方が変わったのよ、第一私は都合のいい玩具じゃないわ」
キリアンはパーティの中で唯一、貴族として叙任された……いや正確には死んだノエルも名誉称号として男爵の地位を与えられたが、死人にはいくらでも賛辞や祝福が許されると思っている人間が寄ってたかってノエル自身が望まないであろう美麗字句で彼を上部だけで称賛し続けている。
下らないったらありゃしない……ノエルの本当の素晴らしさや、優しさは私やシルヴィしか知らない。あの笑顔をもう一度見たいのだ。
そしてキリアンは私に目をつけた……大魔道としての知識と才能、その力を強く欲した。
「……君は無駄なことをしている……一人で動く限りノエルは絶対に戻ってこない。現実を見ろ、僕の力も必要なはずだ。その代償に僕の子供を産んでほしい、僕と君の血を後世に残したいんだ」
「……少なくともアンタの子供なんか欲しくない、私がほしいのは一人だけ。女に優しくされたいのであれば、街の娼婦にでもお願いしなさいな」
そのままひらりと杖に乗ると、私はそのままキリアンの前から離れていく……背後でキリアンが悪態をつく声が聞こえるがもう構うものか。
そのまま私は出口へと向かっていく……私を見て、憧憬の眼差しを向けてくる人間、子供、色々な視線を感じるが私はそんなものは欲しくない……ほしいのはひとつだけなのだ。
『また杖乗ってんのかよ……歩いて体力つけろよ、風邪ひくぞ?』
『うるさいわね……なら私を背負って歩きなさいよ、ほら』
『……ったくしょうがねえなあ……ほんとぺったんこだな、お前』
『……死にたいようね』
そういえばノエルはよく私が杖に乗って移動することを揶揄ってきたけど、あれは彼なりの優しさなのだなと今では感じる。
最近本当にノエルのことをずっと考えている……彼が今まで私にかけてくれた言葉を、優しく撫でてくれたことを、私の悪態にも笑って微笑んでくれる彼のことをずっと、ずっと。
「……なんで死んだのよ……ばか……」
——あれから何年も経った……私はその間に様々な知識や魔術、怪しい呪術を習得し実践し……そしてノエルの魂にすら触れることが出来ていない。
風の噂でキリアンはラサラデン城を中心に新しい国を興した、と聞いている……残っていれば? 私も王宮魔術師に? キリアンの愛妾として残れたかも? 馬鹿馬鹿しい。着飾ることがなんだというのだ、権力の座に着くのがどうだと……下らない。
『なんで見つからないの……どうして……どこへ行ってしまったの?』
私は本当にシンプルな目的のために、今生きている……いや生き延びている。神話の時代に立てられたという塔にあると伝えられていた伝説の秘宝を手に入れようとした、でも既に破壊されていた。
破壊された秘宝を前に私は数日絶望感と、焦燥感で動けなくなった……でも再び歩き始めた、諦めたらそこで全てが無駄になるとわかっていたから。
『どうして……どうして私の前に現れないの? 二度と奪われることがないように、私が保管するべきなの』
闇妖精族の秘術を学ぶために混沌の森へと足を踏み入れ、彼らに師事を願ったが、最終的に彼らは私に呪いをかけ、侮辱してきたため止むなく私は森を炎で消し去った。
その呪いは私を苦しめ、不治の病として全身に耐え難い苦痛を与えてくる……どうしたらこの痛みは治るのか、いまだにわかっていない。
『どうしてみんな疑うの……私はただ知りたかっただけなのに、だからみんな殺した』
神の領域へと至る道を探し、異界へと足を踏み入れた。そこに至るまでに私の体は限界まで酷使されていて、あの人に言われた通り体を少しでも鍛えておけばと本気で後悔した。
異界では失われた命を再び現世に戻すのは神々の定めた規定に反すると冷たくあしらわれた。私は異界へとくることを禁じられた。私は神々を呪った……そして絶望の中再びもがき始めた。
『絶対に貴方ともう一度会うの……だから私は絶対に諦めない、それが人の道を外れても』
諦めない、諦めない、貴方の声がもう一度聞きたい、貴方の顔をもう一度そっと撫でたい、貴方の大きな手をそっと握りたい、貴方に私の名前を読んでほしい、朝起きたら僕にそっと囁きかけてほしい。
どうしてあの時貴方は死んだのか? 死んでしまった後、私の人生はなんだったのか? 今ここで僕は死のうとしているのに、貴女はなんで側にいてくれないのか? あの黒髪の美しい少女は。
『でも、見つけたの。あの娘は……あの魂はノエルなの、私のただ一人愛した男性、今度は奪わせない、私が手に入れるの』
どうやったら手に入れられるだろう? 私を受け継いだ僕は彼女をその腕で抱きしめたい。この手で彼の体を直に触りたい。私は彼の、僕は彼女の魂を愛しているのだから。
僕の欲望を彼にぶつけてしまいたい、私は彼女の全てを受け入れたい、既に別の女性では満たされなくなっているから、私の魂が僕の心をおかしくしているのだから。
僕は私、私は僕……エツィオ・ビアンキという男性の中には、異世界の大魔道……エリーゼ・ストローヴの精神が崩壊し始めた魂があるのだから。
どうして僕は彼女を手に入れたいのか……ずっと心の奥底に押し込めていた言葉を、僕ではない他の誰かのような、私の声が暗く寂しげに呟く。
『ノエルを手に入れるには……新居 灯を殺すしかない、そして彼の魂だけをずっと私が愛でるの……子供の頃に大事にしていた、壊れかけのお人形のように』
「……起きたまえ」
夢現にいた僕の意識が覚醒する……ひどい夢だ。上半身を起こして辺りを見ると、そこは仄暗い石造りの空間で、ただ地平線の向こうまで暗闇がずっと続いている。
ぼうっとした頭で今どこにいるかを考えるが……そうだ、ララインサルの攻撃で汚泥に沈んだのだっけ……そこまで思い出した瞬間、先ほど僕に声をかけてきた存在に気がつき、慌てて立ち上がる。
「……エツィオ・ビアンキ、KoRの猟犬。そして前世の魂に翻弄されるもの……まあそれは彼女も同じか」
目の前に立つ男性は、金髪に赤い眼、血色の悪い顔をした東欧の貴族然とした風貌で僕をじっと見つめている。この男は……そうだ、アンブロシオだ。
僕は素早く距離を取ると、魔力を集中させる……敵の首魁がここにいるのであれば、僕はこいつを殺してここから脱出する。こいつを倒してしまいさえすれば、こんな戦いはすぐに終わる、そうしたら僕は……。
「いい度胸だな、僕の前にノコノコと姿を表して……今すぐお前を殺してや……」
「……エリーゼ。お前の探し物は見つかったか? 探し物は手に入るのか?」
アンブロシオがぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる……それまでの貴族的な風貌からは想像もできないくらい、邪悪に不気味にそして嫌悪感をもたらすくらいの歪んだ笑顔。
ふと、僕は頬に流れる冷たい液体の感触に気がつき、構えを解いて自分の頬を触るとボロボロと涙を流している自分に気がついた。
「……な、なんで……涙が……なんで……」
「見つけたのに手に入らないのだろう? エリーゼ……目の前で他人に愛するものを奪われる気持ちは辛いだろう?」
アンブロシオは歪んだ笑みのまま、僕へと近づいてくる……彼は優しく僕の頬に流れる涙を拭うと、僕をそっと抱き寄せた。体が動かない……魂が、エリーゼと呼ばれた狂いかけた大魔道の魂が泣き叫ぶかのように、僕は涙を流し続ける。
まるで僕ではないかのように、僕は心の奥底から搾り出すように彼へと訴える。
「……手に入れたい……手に入れたいよ……キリアン……お願い……彼を手に入れたいの……」
僕は何を言っているんだ……これではまるで、僕は魔王の部下として働くとでも言うようではないか?! でも強い欲求と、絶望感と、屈辱感が心の中に荒れ狂うような叫びを、呻き声を上げている。
そうだ……僕はあの少女を自分のものにしたいんだ、青梅には渡さない、アーネストにも渡さない……世界がなくなってしまってでも、裏切り者と言われようと私はノエルを絶対に手に入れるのだ。アンブロシオは泣き続ける僕の頭を優しく撫でながら、頬へとそっと口付ける。
「……安心しろエリーゼ、私はお前の友人だったのだから、昔のことなど許すに決まっている……だから二人で手に入れよう、この世界では私だけが君の理解者なのだから」
_(:3 」∠)_ エリーゼさん主役の短編を書きたいと思ってたりもします。
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