「腹が減っては戦は云々と申す輩に限って満腹でも大した戦はしないものです」
見計らったかのように、赤毛の副官風の男前がひょっこり顔を覗かせた。
「お話は終わりましたか?」
と、のたまう筋肉ダルマの男前、アンタ絶対盗み聞きしてたろ、というような絶妙なタイミングだ。
「食事をお持ちしましたよ」
赤毛氏の一言で私はにわかに色めき立った。見れば赤毛氏、両手に湯気の立つスープの椀をふたつ持っている。
彼は私を見、カノン様を見て呆れたように、
「まーたそんな渋い顔なさって。人だって馬だって食わなきゃ動けなくなるんですよ」
そーだそーだ! 私は心の中で赤毛氏にシュプレヒコールを送っていた。この筋肉ダルマいいこと言うじゃん。
「まさかカノン様、聖女様にこんな粗末なモノは食わせられないとか――」
「私なら構いません」
私は食い気味に言った。
「いきなりホームから突き落とされて死んだかと思ったらここに来てて、何やようわからんけどあちこち怪我してて体中痛くって……あ、怪我はカノン様が治してくれてありがとうさぎですけど、正直お腹が空きました」
お前さっき弁当食ってたろ、というツッコミは却下だ。アレはアレ、コレはコレだ。小難しいお話を拝聴してお世辞にもいいとは言い難いおつむをフル回転させて色々考えるのって、肉体労働とはまた違うエネルギーを使うのよ。
それに、目の前に私の為にと供された湯気の立つ椀がある。これを拒むという選択肢があるか? いや、ない(反語)。
自作のお弁当はそれはそれで美味しかったし、当座のチャージはできた。だが、それとは別に私は温かい汁物に飢えていた。
「ですよねー」
赤毛氏はうんうんと頷いて私に椀を渡し、カノン様にも半ば無理矢理押しつけた。
「毒見なら済んでますんでご安心を。カノン様もどうぞ。腹が減ってはいくさはできぬって、よく言うじゃないですか」
あぁこの赤毛氏とは気が合いそうだわー鎧着てても丸わかりな筋肉ダルマだし。マッスルマンセー。
私は赤毛氏に名を尋ねた。彼は芝居がかった騎士風の礼を取り、
「申し遅れました。俺…っとわたくしはポールと申します。お見知りおきを、聖女様」
赤毛氏改めポール殿が流れるように私の手を取り、恭しく口づけまでかまそうとしたので私はヒエェェェっと奇声を上げた。
カノン様がポール殿の手をぺちん、と払って、私を庇う位置に立った。
「いやあのこれはやましい意味は皆無でしてね……」
たじたじのポール殿にカノン様は、
「メイスでなかっただけ有難いと思いなさい」
「いやいや貴殿のメイスは特別仕様……じゃなくて俺は本当に純粋に、騎士として、貴婦人に対する型通りの挨拶なぞをですね……」
「まだ言いますか。ライトニングで目潰しとアイスストームで氷漬けと、どちらがよろしいでしょうね。騎士の情けです、選ばせて差し上げますよ」
「どちらも遠慮します!」
「そうですか」
ふぅ、とカノン様は息をつき、
「でしたら今後、そのような真似はお控えなさいポール殿。貴方曰くの『貴婦人』方からちらほら苦情も来ております」
それから、とカノン様は物憂げな眼で、しかし口調だけは淡々と続ける。
「それから、腹が減っては戦は云々と申す輩に限って、満腹でも大した戦はしないものです」
あぅぅ……とポール殿が、そして私も撃沈した。
カノン様、あなた大した芸人殺しでしたのね……。
赤毛の筋肉ダルマことポール殿が森のくまさんよろしくすたこらさっさと退散し、再び沈黙が下りた。
「部下が失礼を致しました」
カノン様は殆んど直角90°くらいに腰を曲げ、私に頭を下げる。オイオイ汁物の椀を持ったままそれはないだろスープがこぼれる!
「いえ、そんな……」
私は戸惑い、ただ首を振る。
とりあえずその体勢は腰椎を傷めるからやめた方がいい。腰は大事だ。何たって月 (にくづき)に要 (かなめ)って書くくらいだし。
「とりま直立、いえ頭を上げて下さい。カノン様の起立筋が心配です。あと、お椀の中身も」
「きりつきん……?」
「いえ、何でもないです」
今はカノン様の腰部の心配をしてる場合じゃなかったか。私は適当に誤魔化した。
「私こそ大袈裟に騒いじゃってすみませんでした。
日本では…前いた所では、その……キ、キ、キスとか…そういうのはあまり、馴染みがなかったので……」
「その点でしたらご安心を」
カノン様は通常の姿勢に戻り、口角を上げ、
「ユタの街でも似たようなものです。ポールはヴァルハラにいた頃と同じような振る舞いをユタでもしてしまうので、少々困っているのですよ」
「はぁ…」
私は吐息のような相槌を打った。
どうもこの口ぶりだと御婦人方の苦情とやらをさばいているのはカノン様っぽいな。何か……気苦労多そうだなこの人。
「とりあえず、いただきません?」
私は両手を温める椀を視線で示した。
「腹が減っては以下略は、私もポール殿に同感です。糧は恵みとも言いますし」
前者は私の座右の銘だが、後者はケイ先生の受け売りだ。
鍼灸師のケイ先生は『体にいいこと』に対する意識がとても高かった。彼女は食べることをとても大事にしていた――。
「そうですね、冷めないうちにいただきましょう」
カノン様は言って、小さく微笑んだ。あぁ綺麗な人だな、と何の含みもなく思う。
アウトドア仕様のスープは、謎の肉のぶつ切りを塩で味付けしただけの野性味溢れるものだったが、五臓六腑に染み渡る。この寒さの中、温かいというだけで充分ご馳走だった。
お読み下さりありがとうございます。
すたこらさっさと逃げるのは森のくまさんじゃなくてお嬢さんの方ですよ、と、ここでこっそりツッコんでおきます。