深夜のお礼セラピー ~頸部に関する怖い話~
「肩と首をほぐしてあげると頭痛も軽くなってくと思いますよ。頭痛持ちなら、後で瘂門と風池も押しときましょうね」
「あもん? ふうち?」
「頭痛に対して効果があるとされている経穴です」
未知なる異世界の単語を鸚鵡返しするカノン様の頭板状筋を四指で(拇指=親指を除く)軽く揉みながら私は言った。頸部は基本圧迫NG。当然、揺するのもイクナイ。大事なことだから何度でも言う、首は急所だ。
同じ学校に通ってる――通ってた、か――某チェーン店で施術スタッフやってるメガネ君に怖い話を聞いた。彼が以前働いていた系列店では、アトラス何ちゃらとか称して首をバキバキ鳴らすんだそうな。いわゆる頸部をガッ! と急激に旋回し、無理矢理ゴキッ! と言わす危険な施術だ。メガネ君は研修の段階でその店を見限り、今の店で働くことにしたと言っていた。
メガネ君(仮名)曰く、その系列店では研修と言っても座学も何もなく、ただただ強圧し! 強圧し! と強要されるだけで何ひとつとして得られるものはなかった1週間だったと――そう、1週間! たった1週間で現場に放り出されるのだ! ありえへん!!――頑張って何か得たものを無理矢理探すとすればそれは練習台になった時につけられた裏大腿部の内出血の痕だけだったと、彼は遠い目をして語った。写真を見せてもらったけど酷い痣だった。コレ出るトコ出たら勝てるんやないの、と半ば本気で私が言うと、彼は黒い笑みと共に、その時の為にコレは永久保存版、と言っていた。
恐ろしいのはその系列店がショッピングモールや大型スーパーにバンバン出店していることだ。事実、院の患者さんでもいた。つい出来心で新しくできた某モールのアトラス何ちゃら(仮名)に行ったら、肩こりひどいですねーほっとくと首回らなくなりますよーって脅されて回数券買うようにと執拗に勧められ、挙句は首ゴキッ! されたって。その後、首が痛くて痛くて整形外科に駆け込んだら、まさかの頸椎捻挫・全治2週間。その人は、2週間どころか1ヶ月経ってもまったくよくなる気配がなくて、藁をも縋る想いでフクムラ鍼灸整骨院に新患さんとしてやってきた。
院長は問診しながら珍しく義憤にかられて怒っていた。あんな不倫クズ野郎でも施術者としての志は失くしてなかったらしい。私は、頸椎捻挫ってむち打ちやん! 交通事故と一緒やん! とひたすら慄いていた。つらいのはせいぜい肩こりぐらいでまがりなりにも健康だった人が、健康になりたくて行った場所で不健康体にされて帰って来るなんて酷い話だ。
メガネ君は整体師の資格持ちだったから、アトラス何ちゃらの首ゴキッ! がどんだけヤバイか判ってて、上手いことトンズラできた。でも普通の人はそうじゃない。『セラピストさん』に勧められたらそんなモンかな、って勧められるまま受けてしまうだろう。
メガネ君曰く、その系列店は無資格者を大量に募ってたった1週間の『研修』だけで『セラピスト』に仕立て上げ、施術をさせているのだという。手技や触診、筋肉のことなんかロクにわからなくたっていい、制服着させてそれらしく見せて、強圧しさえさせときゃいいだろ、というわけだ。
もし何かあったらどうするんだろう、と思いきや、社員の人()は得々として言ったんだそうな「保険入ってるから問題ないよ」――それを聞いてメガネ君、いやいやいやそういう問題じゃないでしょう、ってなって、研修期間もそこそこにアトラス何ちゃらには見切りをつけたとのこと。利益第一、いざとなったらカネでカタをつける、お客様の体なんてどーだっていいんだよあーゆートコは、と、彼は嘆いていた。
さらにメガネ君は、その系列店では『研修中の事故』も多発しているとも言っていた。とにかく強圧し! 強圧し! 強圧しできる奴しか価値がない! って感じだったから、背部の圧迫で肋骨骨折とか(じわーっと垂直圧じゃなくって弾みつけた反動でドリャァッ! って押し込みやがったな多分)、上腕旋回で亜脱臼とか(オイオイどんな練習してんだよこえぇーよ)、表沙汰にはならないだけでそりゃあ色々あったらしい。メガネ君あーた痣だけで済んでヨカッタネー……。実際、お客様の肋骨折っちゃった『セラピスト』もいて、そのことはネットの口コミサイトにも載っていた。
アトラス何ちゃら(仮名)は「誰がしても、同じ施術」を目指しているそうで、言うなればコンビニのように決まった手技を決められた手順でやっていくのを『セラピスト』に強いるそうだ。首ゴキッ! は熟練セラピスト()だけに許された技、とその系列店ではさも素晴らしい手技ででもあるかのように謳っていたが、実際は頸椎に大ダメージを与える「絶対的禁忌」だ。ゆくゆくは俺も熟練セラピスト()として、店舗に行って1ヶ月かそこらもすればその危険技を強要されるんだろうな、と悟って早々に退散したメガネ君大正解。
今の店は歩合制で(アトラス何ちゃらは業界ではレアな月給制を大々的なウリにしていた)収入には波があるけど危ない技は避けられる自由があるからよかったよ、と、メガネ君は言っていた。働く場所も慎重に選ばないととんでもないことになるよ、とも。
頸部に関する怖い話はまだある。
これまた同じ学校の最年少ちゃん(高卒後、ストレートで入学してきた。同級生では一番若い)が、メガネ君も金髪チャラ男君もミオさんも働いてるしわたしもバイトしなきゃ的な義務感に駆られて(実家暮らしなんやしガツガツせんと甘えときゃええやんか、と私なんかは思うのだが)、でもどうせ働くなら施術系がいいなってことで、数ある募集中の店の中から「初心者歓迎! 無資格者OK! 研修充実! 週1~OK! 人に感謝される仕事をしませんか?」のキャッチフレーズに魅かれて某激安店(これまたチェーン店、アトラス何ちゃらともメガネ君の今の勤務先とも別、こちらの店は郊外路面店が多い)に応募したところ、履歴書の提出すらなく即採用。彼女曰く、研修期間は1ヶ月で「ヘッドから足裏までを網羅した全身マッサージ」の「充実した研修」を、何と無料で受けられるという。
「マッサージ」という単語に引っかかった私は彼女に訊いた。ねぇその店ホンマに大丈夫なん? と。『マッサージ』という単語を使っていいのは「あはき」の人だけ――按摩マッサージ指圧師・鍼師・灸師の人だけだ。だからこそ巷には『もみほぐし』だの『ボディケア』だの言う言い換え語が頻発しているというのに、あえての『マッサージ』とは……余程の無知か、あるいは法律に全力で喧嘩売ってるのかとしか。
チャラ男君(整体系の専門学校卒、ブラインドトップは伊達じゃない!)は見た目に反して堅実な人で(失礼!)、フツー技術習得って金払ってでもさせてもらうヤツだよな、鍼灸学校だってそーじゃん、研修タダとかヤバくね? と言った。メガネ君は、この業界ではソレはよくあるよ、と言ったが、でも履歴書不要は危ないな、とも付け加えた。要は、ハードルを低くしてとにかく人を集めたいってことだからロクなことなさそうだ、ということだ。社会人経験者の心配を余所に最年少ちゃんは、家から自転車で通える場所に店舗があるし自由出勤制だから学校とも両立しやすいと思う、と張り切っていたが――。
ウマイ話には罠がある。タダより高いものはない。最年少ちゃん(仮名)は身をもってそれを知ることとなった。
「充実した研修」は、他の応募者と二人一組で1時間ごとに交替で施術の練習をし合うのだそうだが、最年少ちゃんは初日で頸部の施術ばかりを4時間もされたとのこと。その日の帰宅途中、彼女は猛烈な眩暈と吐き気に襲われ、スクランブルスクエアのトイレで嘔吐し動けなくなった。恥を忍んで緊急ブザーの世話になり、病院に担ぎ込まれてついた診断が「頸椎捻挫・全治2週間」。そりゃあ首ばかりを1時間もぶっ続け×4回もやられちゃあね。それにしてもこの文言――「頸椎捻挫全治2週間」って、交通事故の患者さんの診断書でもよく見る。判で押したかのように皆ことごとく頸椎捻挫は全治2週間。医者の間で診断書はコレでお願いね☆ みたいな縛りでもあるんだろうか。
最年少ちゃんがそのことを店側に伝えたところ、「ふーん、で、次いつ出てくるの?」と、トレーナー()に言われたんだそうな。それを聞いて私は、うわぁー私が勤めてたブラック会社のクソ上司と同じこと言ってるわー……とドン引いた。どこにでもクズはいる。
しばらく練習行けません、と最年少ちゃんがSNSから連絡すると、トレーナー()から電話がかかってきて「要は自分がやる気があるかないかだけの話でしょ? 最年少さん(仮名)練習中から頭痛いとか目まいするとか言ってたけどやる気ない人がいると他の人の士気も下がるからさ」と言われたと。むちうちで全治2週間です、と最年少ちゃんが返したら、トレーナー()は少しトーンダウンして、「まぁインフルエンザとかじゃなくてよかったねー」とかまるきり的外れなことを言ってそそくさと電話を切ったとのことだった。
練習中()に頭痛や眩暈の症状が出てたって……しかも異常を訴えてたというのにトレーナー()は、「は? 何言ってんのそのぐらい我慢しろリラクゼーションじゃないんだからさ。研修だよ、研修」と最年少ちゃんを皆の前で叱責し晒し者にしたそうだ。彼女からその話を聞いた私は怒った。頸椎捻挫の典型的な症状を訴えてたというのにストップもかけず、危険な施術を継続させたなんて何がトレーナー()だ、そんな店だから法律無視で「マッサージ」とか言っちゃうんだよ、と。
私はとても怒ったが、メガネ君も怒ったし、チャラ男氏も怒った。視覚障碍者のちょいポチャおばちゃん(ブラインドでメガネ君と同率3位になった人、私はブラインドでこの人に最高点をつけた)は最年少ちゃんに、あんな店行くのやめなさいよ、ちゃんとしたセラピストにそっぽ向かれて素人を大量にかき集めて使い捨てにするようなコトだよ、と言った。ちょいポチャさんもどうやら何か知っているらしい。蛇の道は蛇、狭い世界だ。
最年少ちゃんはその激安店に辞退を申し入れた。するとトレーナー()は、「研修中での辞退はペナルティーがある」と抜かしやがった。ここで言うペナルティーとは『罰金』だ。「タダで研修受けといて技術だけ持ち逃げされても困る」というのが店側の言い分だった。そんなの聞いてない、と、最年少ちゃんは途方に暮れて、学友に相談してきたというわけだ。
我々の学年はそんなに結束が固い方でもないし、ベタベタしたお付き合いは基本ない。が、同じ学び舎で学び志を同じくした学友が怪我をさせられた挙げ句にペナルティー()なんて仕打ちをされて心痛めない程クールでもない。
研修って言ったってたかが1日分、それもスカみたいな内容で何が技術だ。怪我させといてカネ巻き上げるとかヤクザより酷い。私達は怒った。本当に怒った。私もメガネ君もチャラ男氏もちょいポチャさんも、彼女の為にできる限りのアドバイスをした。最年少ちゃんはそれに従い、診断書を取り、研修日()の記録を日記に書き、写真に収めてトレーナー()のメールアドレスに送付した。電話での暴言の記録が残っていないのが悔やまれる。録音なんて、若くておっとりした最年少ちゃんには思いつきもしなかったのだ。
私は茶目っ気を出して、ホシ先生の名刺を貸し出した。診断書のすぐ隣、わざわざ映り込むようにして置いた弁護士事務所の名刺の効果は覿面だった。すぐにトレーナー()より上の社員さん()からアクションがあった。最年少ちゃんはペナルティー()無しで足抜けできた。
鍼灸学校にも事の経緯を説明した。この店は学校側の紹介ではなく最年少ちゃんが自分で見つけた所だから、学校側としては、んなコト言われても……って感じだったかもわからんが、周知の徹底を約束してくれた。
翌日には掲示板に注意喚起の文面と共に某激安店の名称がでかでかと――そして、「アルバイトは学校経由の求人紹介をオススメします」的な印刷物とが並んで貼り出されていた。事務員さんめっちゃ仕事早い。少なくともこれでこの学校の学生は警戒色の看板の路面店に近寄ることはないだろう、客としてはもちろんだが、働く側としても。未来の鍼灸師達にそっぽ向かれた『業界大手()マッサージ店』の明日はどっちだ。
ちなみに最年少ちゃん、しばらくは頸部の違和感と手指の痺れ、謎の眩暈とに悩まされていた。当然、2週間で全治なんかしなかった。
繰り返すが、何だって頸椎捻挫の診断書は判で押したように全治2週間なんだろう。むちうちは長く引きずるぞー。2週間なんて嘘こけやってなモンだ。まったくもって本当に、頸部へのダメージは恐ろしい。
お読みいただきありがとうございます。
転移前・現代日本でのぷちざまぁ回想です。
首は本当に怖いですよ、という話です。
またの名を、ブラック会社を足抜けする時色んな人に助けてもらったミオちゃんが助ける側になったでござるの巻とも言います。
強くなったね、ミオちゃん。
作中のアトラス何ちゃら(仮名)や警戒色の看板の激安店(仮名)には特にここですと明確なモデルがあるわけでもありません。
この作品はフィクションであり実在する団体その他の以下略。
ただし、内容については九割方事実です(もちろん、フェイク・シャッフルは入ってますが)
メガネ君(仮名)は、機種変更してもその写真だけは取っとくって言ってました。
最年少ちゃん(仮名)は、救急車ではなく自力で病院に駆け込みました。
有名なタレントさんをイメージキャラにしてるような所でも実際はこんなものです。
気軽に「マッサージ」という単語を使う店、やたら回数券を勧めてくる店には近づかないのが賢明です。