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深夜のお礼セラピー ~棘下筋、三角筋に僧帽筋~

 脚部から起立筋を頭方向へ戻り、大方の患者さんが所望する肩部へ。

 素直に私の拇指を受け入れてくれなかった起立筋で既に予想していたが、生きるの辛くありませんかと真顔で問い質したくなる僧帽筋だった。ホンマもう何でここまで放っとくんや……。

 つまり、肩もとんでもなくアレな状態だった。腰よりも脚よりも何よりもまず肩! 肩が主訴!! と、ご本人様が真っ先に申告して来ないことが信じられない。広背筋も同情に値する有様だったが、僧帽筋もまた酷い。

 酷いとか悪いとかはNGワードで患者さんには絶対言っちゃ駄目だってケイ先生に厳しく指導されてるけど。


――これはひどい。


 そうとしか言えない。心の中でだけこっそり呟いておく。決して口には出さない、言葉にしない。施術者としての最後の砦だ。

 で、どんだけ酷いかっていうと、上着を脱いでもらって薄手のローブ越しに肩甲骨に触ったらカノン様はくすくす笑って、くすぐったいですよ、と、のたまったのだ。


――くすぐったい、って……。


 アカン、こら重症や。私は秘かに嘆いた。

 通常、肩こりの患者さんは肩甲挙筋 (首から肩に繋がる筋肉)の停止部や、大菱形筋 (胸椎から始まり肩甲骨で停まる。小もあるでよ)の辺りを探ると痛みを訴えるケースが多い。そういう時は容赦なく肩甲骨の際を四指 (拇指以外の指ね)を立ててほりほりしてあげる。いわゆる肩甲骨はがしと呼ばれるアレだ。その上で拇指をぶっ刺すと、こうかはばつぐんだ! となるのだが……。


――これは……はがせないな……。


 無理にやったらかえってマズイ。

 意外なようだが「痛い」よりも「くすぐったい」の方が重症なのだ。あまりに凝り固まり過ぎると感覚が鈍って痛みすら感じなくなる。そして「くすぐったい」を通り過ぎると何も感じなくなる。触られてるのは判るけど……ってなるワケだ。ブラック会社勤務でパソコンと車の運転で肩こりが酷かった頃の私の肩甲骨がまさにソレだった。治療を継続していくうちに、触られてるだけで何ちゃないよ~って感じだったのが、だんだんアレ? こちょばいぞ、ってなって、あ、痛いわ痛いのわかるわ、ってなってくのが快感だった。

 患者さん的には痛い方が嫌だろうけど、施術者側としては「くすぐったい」というワードが患者さんの口から発せられたら、ムムムッ、となる。無理なコトして炎症など起こさせてかえって悪化してしまうことになったら大変だ。「くすぐったい」の人は細心の注意を払って施術しなければならない患者さん、というわけだ。


「肩こり、おつらかったでしょう」


 僧帽筋に輪状揉捏ぐーるぐるしながら私が言うとカノン様は、


「かたくり……?」


 いや、とろみつけてどないすんねんな。


「肩こりって言葉は、ヴァルオードにはないのかな。……肩が痛かったり、肩甲骨――このあたりが、ずーんって重く感じたりとか、するでしょう?」


「ええ! そこはもう! 常に何とも言えない不快感が……ふふっ、こそばゆいですよ、そこは……」


 カノン様は肩甲骨周辺に触れられると面白くって仕方ないみたいにくすくす笑う。傍から見ると楽しそうだが、施術者的には笑えない状況なんだよなーこれは。


「今、ミオ殿が触れている箇所は……んふふっ、時折、氷を乗せてでもいるかのように冷たく感じるんです……くすくすっ……」


「あぁ~……」


 肩こり重症者特有の訴えだわ……。凝り過ぎて血行悪くなってんだな。いや、血行が悪いから凝るのか?

 ちなみに、いかにもプリーストでございますを体現したかのような上着は、受け取ったらずっしりと重かった。この上着も肩こりの原因のひとつなんじゃないのかな。




 とにかく、肩こりへのメジャーアプローチこと肩甲骨はがしが禁じ手になってしまうとなると、できることは限られてくる。

 となると、だ。


「楽しそうなカノン様の肩こりの為に、とっておきその2を披露しちゃいましょうね」


「……痛いのですか?」


 先程の梨状筋アタックを思い出したのだろう。カノン様はうつ伏せのまま顔だけこちらに向けて訊いてきた。何この可愛い生き物、という感想を、よもや自分より5歳も年上の男性に抱く日が来るとは思わなかった。上目使いでぷるぷる震えるカノン様はまるで怯える仔兎だ。


「さっきの梨状筋よりは痛くないと思いますよ」


「信じます」


うーん重いよハイプリーストの「信じます」は。まぁいい、信じてもらいましょ。




 棘下筋、という筋肉がある。

 肩甲骨の棘下窩に始まり、上腕骨で停止する小さな筋肉だ。ローターテーカフの中では唯一表層にあるのだが、つまりここにアタックをかけるってことは肩甲骨上に直に触れるということだ。

 通常、骨を触るのは禁忌とされている。当然だ、折れたらどないすんねんと。なので、棘下筋はある意味アンタッチャブルな存在なのだ。


 が。


 棘下筋を緩めてあげると肩こりが改善する。

 肩甲骨の上を、しかも拇指でとなると細心の注意を払う必要がある。大抵は肩甲骨上を手根輪状揉捏ぐーるぐるで対応するところだ。その方がリスクは少ない。


 だが。


 肩甲骨に氷乗せたみたいにずーんと冷たく重くなる程の、肩こり。

 となるとやはり棘下筋は積極的に攻めていかねばならんだろう。


「少し痛く感じるかも知れませんけど、棘下筋イキますねー。軽くにしときますからねー」


 拇指で、軽めに、棘下筋をピンポイントで狙う。

 幸いほっそりとした体つきの人なので位置は判り易い。これがお肉が多い体型だったりすると大変で、棘下筋どころか肩甲骨そのものが肉に埋もれてたりとかね。……ウソ言うなって? いやホンマやねん。肩こり+αで肩甲骨はりつき~の、ガチガチに固まり~の、で、オイ起始はどこやねん案件は割とよくある。そしてそういう人に限って、触られても痛くもかゆくもありません、という悪循環。

 肉が多い、ってことはそれだけで体に余分な負荷がかかってるってことだから、やっぱ太り過ぎイクナイ。膝痛と肩こりを改善したいならまず30kg痩せなさいってのはそういうことなのよ愛人。……あの愛人の肩甲骨も肉塊に埋もれてアレな感じだったっけなー。腕を背中に回してもらっても肩甲骨が浮き出ない人の存在を、私はあの愛人で初めて知った。


「痛くありませんか? 大丈夫ですか?」


 何せ骨触ってるからな。棘下筋を圧しながら私は訊いた。


「んっ……イタキモです……」


 おぉぅカノン様、イタキモを覚えたな。ハムストリングでハテナマークいっぱい、肩こりでとろみつけてた分際でなかなか飲み込み早いやないの。


「多分カノン様のおっしゃる氷のっけたみたいに冷たくなるトコって、ココだと思うんですよ」


「えぇ……えぇ、そうです……!」


「ここ、棘下筋。腕振ったりする時に使う筋肉です。メイス振りかぶる系の動きとかで酷使されがちな箇所ですね」


「あぁ……」


 思い当たるフシが多々あったのだろう。カノン様はうつ伏せのままこくこく頷き、ふぅ……と吐息を漏らす。


「少し、痛みますが……気持ちがいいですね……。何かが、とけていくような……」


 うん、その反応を待ってた。やっぱいいな、棘下筋。

 私の中での最推しは臀部の深層梨状筋なのだが、棘下筋も捨て難い。院長はリスクを重く見て棘下筋はあまり推奨しない派だった。私が棘下筋やるのにもいい顔をしなかった、自分で教えといたくせにね。この場合のリスクとは、骨に触れる=折るかも知れない危険性に対してというよりは、少しでも痛がらせたり怖がらせたりしたら患者さんに逃げられるかも知れないという意味合いが強い。骨なんか触ってヤブやんと思われることにも怯えていたかも。

 でも、大抵の患者さんは治療目的で来ている。少しでも患者さんのお体をいい状態にして差し上げるのが施術者の務め――私はそう考えている。その方法を知っていて、行使できる術があるなら積極的に使っていきたいと思う。快感を追求するならリラクゼーションに特化したお店に行けばいい。私は決してリラクゼーションを否定しない。「気持ちいい」を追求する場があってもいい。それに対価を払うか否かを決めるのは利用する人――患者さん、ないしはお客様の自由だ。


 この棘下筋への施術は、肩こりの患者さん達になかなかの好評をいただいていた。私の担当する患者さんの中には、わざわざリクエストしてまでして欲しいって言ってくれる人も多かった。これをしてもらうのともらわないとじゃ終わった後の肩の軽さが違うのよ、と。

 だから、細心の注意を払いつつ、ちゃんと患者さんとコミュニケーションを取って、棘下筋ってあるんやけどな、肩甲骨のここら辺やねん、うっすい筋肉やし、ちょい痛いかもわからんけどココ触ってよろしいか? って、説明しながらご本人の許可取ってやる分にはいいんじゃないのかな。もちろん――繰り返すが、骨の上だからとことん気をつけて細心の注意を払っての上で、だが。




 イタキモな棘下筋、カノン様はどうやらお気に召したようだ。


「氷、とけちゃいました……」


 なんて、ほわわんとした口調と相まってクッソ可愛いことを言っている。


「それはよかった。

 カノン様、肩もアレだから念入りにしときましょうね。今度はこっち、三角筋ね」


 肩部のメジャーネーム三角筋。一度は耳にしたことがあるだろう。鎖骨、肩峰、肩甲棘とを網羅する、上肢の体積ナンバー1。筋全体を広げると二等辺三角形になるからってんで、三角筋。これまたひねりも何もない。いわゆる「肩の筋肉」で真っ先に思い浮かべるとしたら、コレか僧帽筋になるんじゃないだろうか。

 ちなみに僧帽筋とは、カトリック僧侶の帽子に形状が似てるからとのことでの命名だ。もう少しひねれよ筋肉’s。僧帽筋は首の付け根ってイメージがあるが、実は背中の真ん中までカバーしているでっかい筋肉だったりする。


 カノン様のこれまでの反応から察するに、いきなり拇指ぶっ刺したらまた痛がらせてしまうだろう。

 棘上筋から三角筋にかけて、輪状揉捏。わかりやすく言うと、首の付け根から肩口に向かって手根軽め圧でぐるぐるぐる、をひたすら繰り返しております、って感じ。


「あぁ~……」


 極楽です、と、吐息を漏らすカノン様。ひとっ風呂浴びたオッサンかよ、とツッコんではいけない。そっかぁ輪状揉捏が気持ちいいのかぁ。じゃあいつもより多めに回しとくかな。

 男性にしてはなで肩気味かなっていう肩部を、ぐりぐりぐらぐりぐーるぐる。この技を好むのは実は高齢の女性が多いんだな、ということは内緒にしておこう。加齢と共に肉が落ち、筋肉量の減った人には、がっつり拇指圧よりソフトな揉捏がウケがいい。ガチムチ系のおにーちゃんおっちゃんには物足りないだろうこの手技は、私が受け持つ患者さんの一部に熱狂的に支持され、是非にと所望されることも多かった。

 ……あ、別にカノン様が筋肉量少ないとか言ってるワケじゃなくてだな。彼は細身で華奢に見えるけど、こうして触れてみると確かな筋肉を感じさせてくれる素敵なお体の持ち主だ。いわゆる細マッチョとでもいうのかな。着痩せするタイプなんだろうな裏山裏山。


「酷使されてる肩ですね」


 ある種の共感と共に私は言った。なで肩に肩こりは多い。かく言う私もブラジャーの紐がずり下がって来て困る系のなで肩だ。


「そうでしょうか……そうかも知れませんね……」


 夢見心地みたいな声で応えがあったがごめんよ、ぐりぐらぐりぐらぐーるぐるの極楽はそろそろ終わりじゃ。


「さて、下ごしらえはぼちぼち完了かな。改めて拇指……親指入れさしてもらいますけど、よろしいですか?」


「ええ、お好きになさって下さい……」


 オイコラそのお返事はアカンやろ。


「カノン様、それ余所で言っちゃダメですよ。私の前だけにして下さいね」


「???」


 おせっかいかと思ったが言わずにおれなかった。ほよほよほわんで無防備に好きにしてなんて言われたら……何されるかわからんぞ、私は施術しかしないけど。私は、ね。


ブクマ評価等ありがとうございます。とても嬉しく励みになっております。


棘下筋、ああ棘下筋、棘下筋。

肩甲骨際のほりほりはもっとよくなったらしてあげるからね……ふふふ……。


「くすぐったい」は施術者の刻を止めるワードです。

肩部に関しては「痛い」と訴えられるより、くすくす笑って「くすぐったい」の方がヤバイです(あくまで個人の感想です)

お心当たりのある方には手厚いケアをお勧めします。

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