「いわゆる聖女様利権ってヤツがあってだな」
酷く深刻そうな雰囲気でそそくさと騎士団宿舎の食堂を出て行ったヘイゼル殿を、私はポカーンとして見送った。
しばらくしてフリーズ状態が解除されたヘイポーコンビのポーの方が、あーあ、と天を仰いで大きく息をつく。
「ユタはホント終わってんな」
危機感なさ過ぎだろ、と吐き捨てたポール殿の顔には冷笑があった。口元だけが歪むように笑みの形を作っているが、アイスブルーの目は鋭い。彼は花茶を飲み干した。おかわりお淹れしましょうか、と尋ねると彼は、いーや結構っす、と言って、ヘイゼル殿の飲みさしのカップを引き寄せる。
「ミオ様、ここの領主か次期領主、あるいはその夫が訪ねてきたりとかは?」
ポール殿は木製のカップに口をつけ、訊いた。ウホッ間接キス、等と思いつつ、私はいいえ、と首を振る。
「カノン様から何か言ってきたりとかは?」
いいえ、と、それにも首を振るしかない。
「カノン様、とてもお忙しそうですし……」
ここのところあまり逢えてないの、と私が言うと、ポール殿はまたしてもでっかいため息。
「こりゃあ本格的にはしご外しにかかってきたなカノン様も流石に」
したり顔で呟くポール殿は、私に何か訊いて欲しくて仕方ないようだ。そういう匂わせは好きじゃない。私は無視を決め込んだが、先方は話したくてウズウズしていたらしい。
「なぁ聖女様、優しいおためごかしと厳しめの真実なら、どっちがいい?」
どっちもいらんわ、が本音だが、あえてどちらか選ばなければならないのなら、圧倒的に後者だ。私がそう告げるとポール殿は、へぇ、と片眉を上げる。
「じゃ、遠慮なく生臭い話をあけすけにさせてもらおうか。いわゆる聖女様利権ってヤツがあってだな」
お、おぅ……。こりゃまた何の前置きもなくズバッと核心からきますなぁ。
「アンタはどうやら見かけによらず肝っ玉が据わってるようだし、頭もいい。だから率直にイクぜ?
『聖女様』は国の宝だ。よって、それがどんな人物であれ国を挙げて盛り立て、手厚く保護される。場合によっちゃ国王よりも上になる。『聖女様』の意志は全てを超越し尊重される――ってコトになってる、建前上はな」
いや最後の一言めっちゃ気になるんだが……建前上って何。
「『聖女様』に関する一切合切は国が面倒見てくれる。だがそれとは別に、『聖女様』が所属する街には国庫から莫大な援助がある。その辺は法律にもバッチシ記載済だ。
ユタは貧しい、聡明なアンタはとっくに気づいてるんだろうが。『ユタ自治区』だった頃はもっと貧しかった。痩せた土地で、てめぇが食ってく分の作物すら充分育たず、東西は険しい山、南北は大陸を二分する大国に挟まれ常に狙われ緊張状態。
だから、男は傭兵として他国に出稼ぎに行き、女は少女になる前に身売りさせられる。戦争と売春が主要産業。ユタは長いことずっと、そんな街だった」
「……」
「おっと、そんな顔すんな。今は『ヴァルオード王国のユタの街』。本国から『仕送り』がある、昔とは違うさ。
とにかく、ユタはなかなか複雑な街で、今もビンボーの残りカスみたいなのを引きずってる。そんな街の領内で『聖女様』発見だ、そりゃあユタ民は浮き足立つさ。何たってユタは貧しい、どんな形であれ援助は欲しい、それこそ喉から手が出る程に欲しい。
百数十年ぶりに『オラクル』が動きを見せた、それだけで国中が色めき立った。どこの街でも大なり小なりユタと一緒だ。『聖女様』をお迎えするとはすなわち我が地の名誉ってだけじゃない。名誉の上に、協力金という名の莫大なカネが降ってくるんだ。それこそ百余年ぶりのミラクルさ。
カノン様がユタに本格的に腰を据えて、国内の他の街がガックリ肩を落とすを尻目に、ユタは小躍りせんばかり。で、『オラクル』の『預言』通りに『聖女様』がお見えになった、という寸法さ。様々な思惑があったものの、ユタは街を挙げてのお祭り騒ぎと相成った。『聖女様』もご無事でおいでになられた、『聖女』は国の守り神、これでユタも安泰だ、というわけさ。
だが、グレイス・アガリエが全部ぶち壊しやがった。事もあろうに『聖女様』に面と向かってホビット呼ばわり。『聖女様』は大層お怒りで、余所の国に行ったら云々と、金貰ってもユタはごめんだとおっしゃっておられる――」
ポール殿は言葉を切り、反応を見るようにチラッと私に視線を流し、続ける。
「『聖女様』に……ミオ様にそこまで言わせてやっとヘイゼルが慌て出した。呑気なモンだ。
ユタが『聖女様利権』にいっちょかみする気なら、まずあのお嬢がミオ様を罵倒した時点で誰かがフォローしなきゃだよな? こんだけ噂になる程目撃者がいたってのに……警邏の兵だっていたんだろ? グレイス・アガリエが例の差別用語を口にした直後にでもユタの誰かしらがすっ飛んできて、このクソお嬢が失礼つかまつったお許し下さいと『聖女様』に平身低頭謝罪して、あのオトコオンナを一発殴るぐらいのデモンストレーションでもキメとくべきだった。
実際にそれをしたのはカノン様――ユタ民曰くの『中央貴族』な」
「カノン様、すっごく怒ってましたよね……」
私は、体感温度が10℃くらい下がったあの感覚を思い出し、身震いした。
「私はその気になれば中央貴族の何ちゃらとしてユタ次期領主の貴女を不敬罪で法廷に立たせることもできるのですよー的な大見得切ってましたもん」
「そこまで言った!?」
ポール殿はのけぞって、そのまま椅子ごとドーンと後ろに引っくり返った。うわぁぁ大丈夫か頭打たなかったかポール殿あーたそれ以上脳細胞破壊されたらヤバイからあーた脳細胞量ただでさえ豊富なようには見えないえ何でもありません。
「いてて……ふぅ、酷ぇ目に遭ったぜ」
「あんなぁ……」
何カッコつけてんの自分のせいだろが。
「まったく……危なかったぜ。鎧着てなきゃ死んでたかもな」
「ソーデスネー」
大袈裟な、とは言わないどいたげる私超優しい。ポール殿は腰をさすりながら椅子を起こしてかけ直し、
「しかしカノン様がそこまで苛烈な怒りを人前で――コレ重要な、公衆の面前で表明した。
これでユタは聖女様利権レースから大幅に出遅れた。せっかくの地の利を活かすどころかマイナススタートだ。領内で聖女様発見なんざ、そうそうある幸運じゃなかったのにな。
逆に、我がヴァルハラはライバルの自爆で思わぬ加点ってトコだな。こういう話が広まるのはすぐだ。今頃国中の街が総出で野次馬根性丸出しの噂話に花を咲かせてるだろうさ」
たいして嬉しそうでもなさそうにポール殿は言った。彼はヘイゼル殿の飲み残しの花茶を含んで、うっ、と顔をしかめてカップに砂糖を投入し、
「カノン様はやると言ったらやる人だ、それこそ言霊じゃねーけどな。ユタはホントに終わったな。『聖女』と『オラクル』ダブルでそっぽ向かれちゃあな。
で、カノン・オラクル・ラディウスが怒りのままに外気温まで下がりそうな冷気垂れ流してるってのにも関わらず、ユタ民は誰も止めにも入らず、その後のアクションもナシってか?」
「アクション?」
私の脳内を、よばれて飛び出てジャンジャジャーン! と、春先の花粉シーズンには呼ばれまくりであろう某大魔王が占拠した。また全力のツッコミ待ちみてぇなこと考えてんだろミオ様、と、ポール殿は看破して、
「お嬢の旦那とか父親とかが『聖女様』に正式に謝罪しに来るとかは?」
「いいえ、そんなことは」
私は素直に首を振った。
「正式にも略式にも、な~んのコンタクトもありません☆ ついでに言うと、お嬢様本人からも、ナシです」
「カノン様を通して面会の申し込みが……なんてのも、ナシか?」
「少なくとも私は何も聞いてません」
「マジかぁー」
ポール殿がまた大袈裟にのけぞったので、私は慌てて彼の背後に回り込んで転倒に備えた。巻き添え食って一緒に床に叩きつけられるオチかも知れないが、長年患者さんの転倒を阻止してきた整骨院勤めの癖が出た。ポール殿は流石に騎士だけあって過ちは二度は繰り返さなかった。私の備えは無駄に終わった。
「まぁな。カノン様んトコに何らかの働きかけがあったらあの人のことだ、万難を排して手配するだろうさ、『聖女様』とユタの未来の為に。どんなに多忙だったとしても、な」
ポール殿は、人間にヤなことされた猫がグルーミングで気を落ち着かせるみたいに再びカップに口をつけ、ぐっ、と呻いて砂糖を大量に追加した。オイオイどんだけ砂糖入れんだよ。それ砂糖入りの花茶じゃなくて最早花茶入りの砂糖じゃないのか。
「どうやらユタは『聖女様利権』は要らねぇようだな」
ポール殿は不機嫌そうに言った。
「カノン・オラクル・ラディウスが『使命』の為にベルク・ルイーネに向かうと表明した時、ユタは一兵も出さなかった。遺跡の山に近づくと災いが起きるなんぞとぬかして、コッチに全部丸投げだ。そんで使命達成で戻ってみればこのザマか。アイツらはこれまでだってめんどいことは全部カノン様におっかぶせやがって……今あの人がバタバタしてんのだってユタの肩代わりが大部分だぜ?
『オラクル』が不敬罪まで持ち出してもスルーかよ? 普通の神経ならその段階で領主がすっ飛んできて謝罪だろ? 竜騎兵隊長は奥方が聖女に何言ったかも知らねぇのか? 聖女絡みだぞ? フツーの日常会話じゃない、政治向きの話だ。貴族だったら内々で最重要事項として示し合わせとかにゃならんヤツだぜ? いざ『聖女様』が怒り心頭と本人が表明してやっと竜騎兵隊のナンバー2が重い腰上げて隊長殿にご注進ってか? どんだけのんびりしてんだユタの上層部はよ。問題発生からもう7日は軽く経ってるぜ?
街の一般民のがまだ危機感持ってんな。パンピーのお姐様お嬢様方は『聖女様』に優しくすることがどういう効果をもたらすかを知ってる。現にミオ様、アンタ『お嬢はアレだけど街の人達は別』なんだろ?」
「えぇまぁ……」
私は曖昧に頷いた。利権云々の賜物だとしても、彼らが私に親切にしてくれるのは事実だ。
「でも私、『黒い目の、役立たず』ですから」
応援してる、期待してる、と街の人達は言ってくれる。グレイス様が何と言おうとアタシは、オレらは、味方だよ、と。その気持ちは嬉しい。でも、ちっちゃくて無能な――グレイス様に『ホビット』とまで呼ばれた私に一体何ができるのか。
私は何も持ってない。あるのはレイキと、施術の腕だけ。でもそれだって、レイキはセカンドまで、鍼灸学校にも1年と通えなかった。レイキティーチャーにも鍼灸師にもなり損ねた、何者でもない私。何よりケイ先生を守れなかった無力な私。そんな私が聖女だ英雄だと祭り上げられ、利権まで発生するという事実。
――面倒臭ぇ。
ヴァルオードに来てから幾度か内心で呟いていたことだが、今ほど深く強く思ったことはなかった。本当に、心の底から、面倒臭い。
評価ブクマ等ありがとうございます。とても嬉しく励みになっております。
厳しめの真実とは、利権云々よりもユタという街の過去、そして現在に至るまでのバックボーンのことかも知れません。
これを個人の裁量でどうにかせよと期待されたら、ミオちゃんでなくとも困惑するでしょう。
しかし利権が絡むと途端に生臭くなりますな。




