聖女様の身の上話 ~あなたに託します~
翌日土曜は、私にとっては実に貴重な全休日でした。月に1回、定休の日曜以外で院が休みになる日です。学校も自主休講でなくちゃんと休みの日でした。
かつてならここぞとばかりにゲームにかまけたりヲタサイト巡りでわっふるわっふるするシチュエーションですが、私は自宅アパートの最寄駅近くのネットカフェに向かいました。夜間の割増料金がなくなる時間帯まで待つあたりが我ながらドケチです。
私物のパソコンを駄目にされてからというもの、私はこのネットカフェで『作業』をするようになっていました。店員さんにもバッチリ認識されちゃってます。ちょっと気まずいです。
私はこれまで、院長と愛人の不正の証拠を集めてきました。こまごまとしたものから、洒落にならない犯罪レベルに至るまで様々です。
不倫カップルこと脳筋小猿院長と関取蛇女愛人の悪事を挙げていきますと、
・私の交通費踏み倒し未遂(ヨシエさんがいてくれて助かりました)
・かわいいjazzたんこと私の通勤用バイクの領収書額面15万円を2万円で買い取りたいという院長からの打診(もちろん断りました。ヨシエさんがいてくれて本当に以下略)
・いつの間にか削られていた私の特別メニューこと足裏マッサージ&内臓整体のマージン(ヨシエさんがいなくなってからはいちいち催促しないと入ってきません)
・閉院後の院の鍼灸ベッドで××××(自主規制)してた院長と愛人(不貞の決定的瞬間です、撮影録音ができなかったのが悔やまれます)
・職安に経理事務員募集の求人出しながらも実は枠は愛人で埋まってたんだよ的な出来レース(就職祝い金的なモノを受け取っちゃってたから完全にアウトです、詐欺です)
・不正経理(いちいち細かく挙げてるとキリがないのでざっくりと。ってかここまでやっちゃうともう業務上横領ってヤツなんじゃないでしょうか)
・レセプト不正(ずばり詐欺です、これは発覚したら大変なことになります。騙し取った分の返還はもちろんのこと、場合によっては整骨院の営業停止、あるいは柔道整復師の免許も剥奪されるかも知れません)
・愛人が故意に院の備品を損壊したこと(チャッカマンだって院の大事な財産です)
・私の私物を漁ったこと(気分は悪いけど罪になるかどうかは微妙です)
・本人未承諾での合鍵複製(不倫カップルがやったかどうかは未確定ですが、私の中では確信があります)
・私の部屋を荒らしたこと(住居侵入罪は立派に刑法に触れますよ!)
・かわいいjazzたんことバイクのブレーキケーブルを切断したこと(厳密には器物損壊罪にしかならないようですが個人的には殺人未遂だと思ってます)
あと、刑罰の対象ではありませんが個人の所感として、
・独眼竜まさむねここと私の命の恩猫まーくんを出禁にしたこと
・バックヤードサロンの先生方とそのお客様を排除したこと
・愛人の勤務態度に反してべらぼうに高額な給料
・院長のケイ先生に対する経済DV疑惑
・愛人の娘へのネグレクト&院長の邪心ミエミエな養育の申し出
上記を時系列を意識して文章を起こし、証拠写真があれば各々の事案に添付して推敲し、それを2部プリントアウトして、パック料金ギリギリの時間で根城のネカフェをチェックアウトしました。
とりあえず、一応体裁の整った文書が作成できるスキルを身につけられただけでも、あのブラック会社での経験もまるきりの無駄でもなかったと言っていいのでしょうか。いえいえ、今は亡きブラック会社ではなく、一通りパソコンを使えるように仕込んでくれた前職上司のカガさんにこそ感謝を捧げるべきですね。……彼も愛人の台頭からこちら、足が遠のいてしまいましたけど。
プリントアウトした分の『資料』の一部はミコトくんに渡しておきました。
彼とは一応、万が一の時の為連絡先は交換していましたが、私から連絡するのはこれがはじめてでした。
待ち合わせ場所はいつだかミコトくんが決意表明したあの公園です。院から近く、フクムラ家のマンションから目視できる距離なので不安要素はありますが、他に適当な場所が思いつきませんでした。院は休みだし大丈夫だろう、という楽観主義です……それが貴女の甘さです、って? わかってますよぅそんなの。んもぅカノン様ったらいけずやわぁ。
部活帰りのミコトくんに大まかな事情を話し、半ば押しつけるようにして『資料』を渡しました。ミオさん辞めるの? とミコトくんは訊きます。ケイ先生を置いて辞めるつもりはないけどでもこれからどう転ぶかわからないから、と私は彼に言いました。
ケイ先生を頼むね、と言わずもがなのことを言い、私は公園を後にしました。まだもう一件行かなくてはなりません。
ホシ弁護士事務所のオフィスでは、自称ブルース・ウィリスことヒカル先生が煙草をふかしていました。ホシ弁護士のオフィスは街中にあり、バイクを停める場所を探すのに苦労する立地なので、jazzたんの不在はそれはそれで好都合だったのかも知れません。
私は彼の前に30分ぶんの料金を入れた封筒を置き、ご相談があります、と切り出しました。ホシ弁護士は中身も見ずに封筒を突き返し、ウチは初回無料だぜ、と言いました。それはもちろん知っていますが、私は鍼灸整骨院で言うところの『お久しぶりの患者さん=初診料発生』という認識を引きずっていました。ホシ弁護士は、前のとは別件なんだろ、じゃあ初回相談だ、とのたまいます。太っ腹ですねホシ先生。後光が差して見えますよ、主に頭部に。
私は30分を意識してかいつまんで事情を説明し、ホシ先生に残り1部の『資料』とUSBメモリも一緒に渡しました。大家のオオヤさんが鍵を付け替えてくれてはいたものの、あのアパートも私にとって安全な場所とは言えません。私が思いつく限りでいちばん安全な証拠保管場所はホシ先生でした。
ホシ弁護士は『資料』を見ながら、で、訴えるのかい? と訊きました。私は、私に対する住居侵入と器物損壊は警察の手に渡ってるけど他のことは私の一存では決められない、と答えました。院長と愛人がどうなろうと構わないけど、ケイ先生と何よりミコトくんの人生が変わってしまうかも知れないから、と。
ホシ先生は私がミコトくんにも『資料』を渡したことを知ると、酷ぇことするなぁ、と言いました。まだ高校生の坊ちゃんには酷だというのがホシ先生の意見です。私はそうは思いません。まだ高校生、ではなくて、もう高校生、です。17歳って法律的には未成年だけど、大人が考えるよりはずっと大人です。少なくともコドモじゃありません。私が空想の産物としてでなくちゃんと現実のこととして家出の手段を練り始めたのも今のミコトくんぐらいの歳の頃でした。
ミコトくんは知っておくべきだと思いました。どんなに酷な事実でも事実は事実だし、知らないよりは断然マシです。知らずに無防備なところを突かれるよりは、知っていれば多少なりとも心構えができて何らかの対策が講じられる。『知っていること』がミコトくんと、延いてはケイ先生も守ることになる。当時の私はそう考えていました。
ホシ先生に、原本とも言えるUSBメモリを託し、私はホシ弁護士事務所を後にしました。
訴える、という、今まで欠片も思いつかなかった選択肢――ホシ先生の啓示によって新たにもたらされたそのコマンドについて、帰路のバスの中で少しだけ考えてみました。
でもそのコマンドを選択すると、もれなく『退職』がついてくるんだろうな、と悟って、考えるのをやめました。私が辞めたら、ケイ先生はどうなる? その一点の懸案事項が私にそれ以上のことを考えさせなくなるのです。
あのクソ不倫カップルがもし、私にしたようなことをケイ先生にしたら――犯罪行為も辞さない奴らのことです。視覚障碍者のケイ先生なんて、赤子の手をひねるようなものでしょう。
例えば、ケイ先生の白杖にでも『何か』をしたら――自宅マンションから院までの短い慣れた道では彼女は白杖は使いません。私がいる時は私のナビがあります。それが駄目な時ならミコトくんがいます。
でも、ケイ先生ひとりの時、目の不自由な人の命綱とも言える白杖に『何か』異常があったなら……被害妄想とお笑いになりますか? でもあの不倫カップルはそこまでやりかねないと危惧させるモノがあります。
通常の思考回路の持ち主なら良心や倫理観で留まるだろうところを止まらず突き抜けてくる恐ろしさというか――頭が悪いからこそ何をしでかすかわからないという得体の知れなさがあるというか。ずる賢い計算高さもありますが、これをやっちゃシャレにならんわ、っていう境界を軽々突破してくる読み切れなさが不気味です。どちらにしても凡人の私には理解不能です。
乗り換えた電車の中で、愛人のインス夕をチェックしました。愛人はリアルタイムでバンバン投稿するので、ある種のGPSとしてありがたく拝見しています。
愛人、今日は都内某所のショッピングモールでおかいもの☆ してたみたいです。冬物とか色々買い込んだみたいです。よくお財布が続きますねー。今年はニット帽でボーイッシュにキメる♪ とかって気が早いですよまだ秋ですよ。つか愛人、体つきに比例して頭も大きいから絶望的に帽子が似合わない人なんですよ。ボーイッシュにキメる、っていうかサイズ的に男物しか入らなかっただけでしょ、と、心の中でツッコんでおきました。
ちなみに、真っ赤でド派手なフェアレディZもそれとなく映り込んでいました。やっぱ院長も一緒なんですねー匂わせ乙。たまには娘のトコに帰ってやれよ遊び回ってないでさ、と、私は心の中で悪態をついて、最寄駅からてくてくてくとひたすら歩いて自宅アパートを目指しました。
不動産屋さんの告知では私の住んでるアパートは最寄駅から徒歩20分とありますが、それは絶対嘘です。誇大広告です。信号待ちも考慮して、30分近くは見ておく必要があります。競歩の強豪選手でも25分を切るのは無理だと思います。
大家のオオヤさんはいい人だしお世話になってもいるけれど、この点についてだけは声を大にして物申したいです。
ブクマ評価等ありがとうございます。とても嬉しく励みになっております。
転移前・現代日本での回想記録。
またの名を、折れないフラグを立てまくる話。
アカンこれ完全に死ぬヤツやん……死んでませんけど。