聖女様の身の上話 ~命の恩猫~
ミコトくんは平謝りに謝って、まーくんを叱りつけました。まーがいたずらするからだぞ、と、ミコトくんはケージの中のまーくんに大説教大会です。まーくんはケージの中でもぎゃーみゃー鳴いて暴れています。おっとりと大らかなまーくんには珍しいことです。
私はその場でオートサイクルヤマサンに電話を入れました。かわいいjazzたんこと私のバイクはメンテも含めてそこで面倒見てもらっているのです。営業時間は夜8時までなのでどうかなと思いましたがオーナーのヤマグチさんは、今すぐ持っといで店開けとくから、と言ってくれました。
私はヤマさんにめちゃくちゃ感謝して、院と同じ商店街の中にあるオートサイクルヤマサンにバイクを引きずっていきました。まーくんのケージを携えたミコトくんもついてきます。お母さんが心配するからもう帰りなよ、と促しても聞きません。弁償するから、と言うミコトくんに私は、高校生からカネ取る気はないよ、と返しておきました。
オートサイクルヤマサンのオーナーことヤマグチさんは約束通り店を開けて待っていてくれました。照明まで点いています。秋の夜8時は暗いです。ましてや大して栄えているとも言えない商店街です。灯りを見てホッとしました。
ミコトくんはヤマさんに、うちのねこがケーブルにじゃれついたからと説明しましたが、ヤマさんは、猫がじゃれたぐらいで切れないよ、と言いました。確かにその程度でいちいちブレーキケーブルが切れてたら日本中で大事故起きまくりですよね。
ヤマさんは切断されたブレーキケーブルをためつすがめつしながら言いました。それにホラ、この切断面、すっぱりキレイにイッちゃってんじゃん、猫が爪で引っかけたとかかじったとかじゃこんな風にゃならんでしょ、もちろん経年劣化とかでもないね、ミオ先生はマメにメンテしてるしさ、ともヤマさんは言います。ヤマグチさんも整骨の患者さんで、お店が定休日の第3月曜に施術を受けに来ていました。……えぇ、過去形です。彼もまた、愛人が出入りするようになって院から足が遠のいてしまった方のひとりです。
ヤマさんの言を聞き、ミコトくんはあからさまにホッとして、冤罪のまーくんにごめんよと謝っていました。いい子です。
直りますか、と私はヤマさんに聞きました。なおるのはすぐだよ、とヤマさんは答えましたが、彼はブレーキケーブルから私に視線を移し、言いました。おれが視たところコレ「切れた」んじゃなく「切った」んだろうと思うんだけどさ、それもカッターやハサミじゃなく、ちゃんとした工具使ってさ、じゃなきゃこんなキレイな切り口にゃならんのよ、と。
ヤマさんは収まりの悪い天然パーマをくしゃくしゃにかき回しながら続けました。なおすのはすぐだよ簡単だよ、でもその前に警察に届けた方がいいんじゃないかねえ、と。
私は立ち尽くしたまま、切断されたブレーキケーブルを見つめていました。
秋の20時は真っ暗です。鍼灸の予約が入ってなかったケイ先生は通常通りに先に帰宅し、院長と愛人も1時間早く帰って行った。院には私ひとり。院長がラストまでいるなら施錠と消灯は院長がするから――そういう時は大抵愛人も一緒にいますけど――仮にブレーキケーブルが切れていようものなら、院の消灯がまだだったのなら、すぐに気づいたでしょう。
繰り返しますが、院には私ひとり。照明を落として、暗闇の中、手探りでバイクのキーを回して、ブレーキの故障に気づかないままバイクに乗ってしまっていたら――。
午後3時、「外せない用事」で出かけて行った院長。愛人は珍しくずっと受付にいて、院長は4時前には院に戻ってきた。
例えば院長が自分でするとか豪語するフェアレディZやゴリラのメンテ。クルマいじりは趣味だと言う院長。当然、工具も一通り揃えているでしょう。ヤマさん曰くの、「カッターやハサミじゃなく」、「ちゃんとした工具」を。明日の天気は雨か槍ってぐらいに珍しく受付に張り付いていた愛人は、私を見張っていたのかも――なんて、ちょっと飛躍し過ぎですかね。
私はヤマさんを見上げ、電話をお借りできますか、と訊きました。自宅アパートが荒らされた時に、携帯電話からより固定電話で通報した方が色々面倒が少ないことは学習済です。
ヤマさんは、いいよもちろん、と頷いて、必要ならおれからも警察に説明するよ、と言ってくれました。
店の電話から警察に通報しました。ここんとここんなんばっかやな、と、いささか食傷気味です。
ヤマサンのオーナーがお店の入口に設置された自動販売機で私とミコトくんに缶コーヒーを買ってくれました。まーくんは瀬戸物のお皿でお水をもらって、3人と1匹でケーサツ屋さんを待ちました。
まーくんがまた脱走しないように念の為お店の入口シャッターは閉めています。ケージから出たまーくんは余程喉が渇いていたのか一心不乱に水を飲んでいます。そっと頭を撫でると、鬱陶しそうにうにゃぁ、と一声鳴いたきりでぺちゃぺちゃと音を立てての飲水です。うっせぇな飲まなきゃやってらんねぇんだよ、なんてアテレコしたくなる勢いです。
水分補給が済み、まーくんは一仕事終えたように毛づくろいを始めました。まーくんはおしゃれダンディなねこさんなので自前の毛皮のお手入れは欠かしません。ミコトくんが抱き上げましたが、今度はじたばたせずにいつも通りにだっこさせてくれました。
私はミコトくんの大腿直筋上でお毛々をペロペロするまーくんのふくふくした広背筋を撫でながら言いました。ありがとうまーくん、あなた私の命の恩人よ、と。
お読みいただきありがとうございます。
転移前・現代日本での回想記録。
引き続き文章のほぼ100%がねこねこしてます。
ねこさまお手柄大活躍でござるの巻。
別名:ぽてぽてねこさまはおしゃれダンディという話。
ブレーキケーブル切るよりはまだガソリン抜いてもらった方が安全なんですがね(やられた方は)
でもそれだとタンクの故障か油入れ忘れたかって自分のうっかりのせいにしがちですからね(やられた方は)
はっきり「警告」として解らせたいならやっぱりブレーキを故障させるのが手っ取り早いのか(やる方は)
精神的にも結構キますがお財布的にもなかなかのダメージですぞコレは。
機体によっては廃車もあり得る……。