聖女様の身の上話 ~お金がない……~
マダムカヨコは夏を待たずに召されました。
私はケイ先生と共にお通夜にだけ行きました。告別式には行けませんでした。仕事があるだろと院長に止められて行かせてもらえなかったのです。お通夜は夜だから学校を休めば行けますが、昼の仕事を休むのは院長の許可が必要です。目の不自由なケイ先生の付き添いとしてでも、と食い下がりましたが愛人の「立場わきまえたら?」という言葉とそれに追随する院長に勝てませんでした。
ケイ先生は息子のミコトくんに付き添ってもらって告別式にも参加しました。院長はそれにすらいい顔をしませんでした。そんな暇あったら稼げよと言わんばかりの態度でした。酷いものです。自分の妻の恩師の葬儀だというのに。
マダムカヨコには私も随分お世話になっていました。本当は私も最期のお別れをして差し上げたかった――どちらにせよ不義理をしました。それが私の、マダムカヨコに関する心残りのひとつです。
愛人が『院内改革』と称して大なたを振るって3ヶ月弱。季節は夏真っ盛りですが、フクムラ鍼灸整骨院は冷え冷えとしています。
流石に来院数ゼロという日はありませんでしたが、スタッフ以外誰もいないがらんとした院内で暇を持て余す時も多くなりました。
幸いなことに鍼灸部門はさほど落ち込んでいません。腕のいいケイ先生には固定客(?)がついています。けれど、バックヤードサロンの先生方についてきて、サロンついでにちょっと施術してもらおうか的なノリの患者さんはいなくなりましたし、何より片目のまーくん目当ての新患さんや常連さん(って表現をしてもいいのかどうかの議論は後に譲ります)がぱったりと途絶えました。
院長にホームページからまさむねの写真消しといてと言われて、あの化石みたいなホームページから仔猫時代の独眼竜まさむねこことまーくんのお姿を削除したのは、この院に来ていちばんくらいにつらい仕事でした。患者さん達も次第にまーくんのことを話題にしなくなりました。
ケイ先生は往診も請け負うようになりました。ケイ先生は晩年のマダムカヨコの為に他の患者さんには内緒で彼女の自宅まで出向き定期的に治療を行っていたのですが、今度はこっそり秘密裡にではなく、大々的にです。
手始めは、愛人が怒らせてしまって二度と来ないわよと宣言して去って行った日舞のハセガワ師範から――彼女はケイ先生の施術は受けたいけど愛人のいる院に行くのは死んでも嫌だということでしたので話は早いです。
ケイ先生が往診の時は、私は運転手兼アシスタントとしてお供します。こんなところで前職のドサ周りの経験が活きるとは――でもこんな形で活かしたくなかったです。
院長は愛車のフェアレディZを私に貸すのは嫌だったようで、新しい社用車を買うとか馬鹿なことを言い出したんでケイ先生が必死で止めました。明らかに院の経営状態が芳しくない状況で何でそんなこと言えるんでしょう。
結局、歩ける範囲でなら徒歩で、それ以外は都度レンタカーを使用することで落ち着きましたが、この状況で院の社用車として新車のBMW買うとかほざく院長の考えがわかりません。脳味噌まで筋肉なんでしょうか。
ケイ先生は私のいる午前中の時間帯に集中的に往診を入れるようになりました。私は午後からは学校なので、アシスタント兼運転手のいる時にということなのでしょう。往診はおかげさまでぼちぼちですが、院は閑古鳥鳴きまくりです。
院長と愛人は受付カウンター内でようつべ見たりおやつ食べたりイチャイチャしまくりです。院長、アンタ妻が出稼ぎに行くまで追い詰められてんのにそんなかよ、と腸が煮えくり返りまくります。この人達危機感ってモノがないんでしょうか。
鍼灸の患者さん達は見捨てないでいてくれます。ケイ先生の腕と人望の賜物でしょう。半面、整骨部門はボロボロです。私がいる時に足裏や内臓整体の患者さんがポツポツお見えになる程度です。逆説的に、ケイ先生も私もいない時間帯は、院はスタッフしかいないということが多くなります。
数ヶ月前には考えられない事態です。行けば誰かしら気の合う人がいて、どんな人でも暖かく優しく受け入れてくれる、人を呼び、人の集まる、いつだって盛況だったフクムラ鍼灸整骨院は既に過去のことです。
ある夏の土曜日の午前中、鍼灸の施術を受けに来たメイコさんが言いました。何だか院の雰囲気変わっちゃったね、と。
デザイン会社に勤めるメイコさんは多忙で、院に来るのは月に1回程度です。そんな方にでも――いえ、だからこそ、でしょうか――わかるくらいにフクムラ鍼灸整骨院は急激に寂れました。院長と愛人はようつべで野球の珍プレー動画とか見てます。愛人、野球好きなんだそうです。どーでもいい情報です。つか暇なら暇でやることあんだろと思います。掃除するなりタオルたたむなり、何なら施術の勉強とかしたっていいだろと心から思います。院長が甘やかすから愛人は未だに基本の干渉波の付け方すらできません。私の時は怒鳴られながらぶっつけ本番実践あるのみだったのに。解せぬです。
私はメイコさんにポスターの詫びを言いました。デザイナーのメイコさんは、私の特別メニュー――足裏マッサージと内臓整体の告知ポスターをわざわざ描いて下さったのです。髪の長い女の子が足裏の施術をしているイラスト入りの、ちょっとミオちゃん可愛く描かれ過ぎじゃない? とツッコミ不可避なポスターや、他にも色々、月に一度は保険証の確認お願いしますポスターとか、マスコットキャットまーくんのリアルタッチ画をバックに治療の価格を表示したのとか、本当に色々作って下さって、患者さん達にも好評でした。新作マダー? なんて心待ちにしてる人もいたくらいです。
なのに愛人はそれらを全部はがしてしまいました。とにかく何でも気に入らないみたいで。可愛らしく、華やかで、温かみのあった院の壁は一気に寒々としてしまいました。
チナツさん達も来なくなっちゃったんだよね、とメイコさんは残念がりました。彼女もまた、サロンのいいお客様だったのです。というかそれ以前にメイコさんとチナツ先生は家族ぐるみのお付き合いで――ブラック会社から逃げる時、私にホシ弁護士を紹介してくれたのはチナツ先生でした。ホシ家の保育園児の息子さん、ホシ一家がお迎えに行けない時はチナツさんが行ってくれたり、何ならホシ家の緊急連絡先にキヨノ家が名を連ねてたりするくらい、親戚ですかとツッコミたくなる濃ゆいお付き合いの両家なのです。院で何があったかなんて、メイコさんにも筒抜けです。
メイコさんは何より、まーくんの不在を残念がっていました。月1回まーくんをモフるのが生き甲斐だったのに、と。私もまーくんがいなくてさびしいです、と私はメイコさんに言いました。
メイコさんは皮肉げに、ここってフクムラ鍼灸整骨院じゃなくてキモト整骨院だったんだね、と嗤います。あまりに的を射た皮肉に私は思わず同意してしまいましたが、ケイ先生は何も言いませんでした。
この頃の院は本当に、何から何まで愛人ことキモトマナミのお気に召すままでした。少なくとも患者さんファーストではなくなっていました。院長は愛人のマリオネットで、ケイ先生や私の進言など既に聞く耳を持たなくなっていたのです。
世間的には夏休みが終わる頃の日曜日、大家のオオヤさんに焼肉するからおいでと誘われたので、私は二つ返事でホイホイと管理人室にお邪魔しました。
オオヤさんは店子にモノを食わせるのが生き甲斐みたいな人で、すき焼きやるからおいでとか、クリスマスやるからおいでとかちょくちょく誘ってくれます。クリスマスってやるものなのかとついついツッコミ入れてしまいましたがそれはさておき。
オオヤさんは普段から晩ごはんのおかずにしなさいとか言って煮物とか唐揚げとか差し入れてくれます。息子さん夫妻とそのご子息と離れて暮らしているので、私達アパートの住人はご家族の代わりなのかも知れません。
オオヤさんの息子さん一家は、特急が停まる駅から徒歩圏内のお屋敷に住んでいます。息子さん達はオオヤさんに同居するよう誘っているのですが、オオヤさんはこの古いアパートから頑として動きません。オオヤさんの息子さんの奥さんも院に通ってくれていて、私はしばしば彼女からオオヤさんを説得するよう頼まれます。お義母さん年も年だし心配だしお孫ちゃんもばぁばと一緒に暮らしたがってるし、と、実の息子さんではなくお嫁さんとお孫ちゃんがむしろ熱心に誘っているというフクムラ鍼灸整骨院七不思議のうちのひとつです。
オオヤさんにももちろん言い分があって、このアパートは亡くなったご主人と二人三脚で何もないところから始めた出発点だから、くたばるまでここで暮らしたいということです(原文ママです)。年は年だけど体が動くうちはお孫ちゃんとまったりするだけの悠々自適はノーサンキューなんだそうです。オオヤさん、大抵アパート周辺お掃除してたりしますもんね。めっちゃ働き者です。
息子さんが結婚した時、オオヤさんはテナントビルや新しいマンションといったいわゆる花形の大きな物件の権利を息子さん夫妻に譲り、オオヤさん自身は細かい仕事――私が住んでるみたいな古い小さなアパートとか駐車場とかの管理をしています。多分オオヤ一族はこの市内の土地物件の大多数を牛耳っているんじゃないでしょうか。見た目はパンチパーマに福耳のどこにでもいそうな福々しいオカンですが、何気にオオヤさんやり手の大地主です。住人が住みやすいよう暮らしやすいよう何くれと気にかけてくれます。いい大家さんですよオオヤさんは。スープが冷めない距離がお嫁ちゃんと上手くやってく秘訣だよ、と同居の話が出る度オオヤさんは言います。本当に、良トメの鑑みたいな人ですオオヤさん。
そのオオヤさんが焼肉の後、デザートのグレープフルーツを出す段階になって、台所で(キッチンじゃないです、台所です。この機微わかっていただけるでしょうか?)こっそり私に耳打ちしました。フクムラさんトコ、家賃の確認取れないみたいなんだけどね、と。
私は耳を疑いました。思わず聞き返しました。オオヤさんは他の店子さん達の耳を気にして小声で――およばれ焼肉にはイエローボール(黄色いインコです。手乗りです。かわいい)の飼い主の大学生や、イグアナと同居する劇団員、学生時代からこのアパートに住みついていて猫に飼われてる風情のある大学講師等、他の店子さんも参加してたので――お嫁ちゃんが、フクムラさんの院の家賃が入って来ないって言ってきててね、こんなこと初めてだししばらく様子見ようかって言ってたんだけどね、でも先月分もだからねえさすがにねえ、と、オオヤさんは言います。
つまりフクムラ鍼灸整骨院は2ヶ月分のテナント料を滞納しているというのです。ミオちゃんにこんな話するのもアレなんだけどねえ、でもケイ先生にゃ言えないでしょ、お嫁ちゃんからも一応院長には伝えてあるんだけどねえ、と、オオヤさんは申し訳ないねえという雰囲気を前面に押し出して言います。
申し訳ないのはこちらの方です。私は、経理の人が変わったんで何か行き違いがあったのだと思います、と詫び、明日院長に必ずその旨伝えます、とオオヤさんに頭を下げました。
翌日、朝一番にオオヤさんからの伝言を院長に伝えました。……伝言を伝えるって頭痛が痛い的なとかツッコまないで下さいカノン様、大事なのはそこじゃありません。
院長は凄く嫌そうな顔をして、受付の引き出しから院の通帳を取り出し中を見て、それを再び引き出しにしまい込みました。院長はバックヤードに行くとすぐに戻ってきて、これで払ってきて、と、投げるように私に通帳と印鑑を渡しました。
見慣れない赤い表紙のそれは、ケイ先生名義の通帳でした。
お読みいただきありがとうございます。
人が離れるって結局こういうことなんだよ、っていう話です。
別名:でもまだまだこれは序の口でござるの巻。
人の善意で成り立っていたような院だったのにどうしてこうなった……。




