聖女様の身の上話 ~不穏な足音~
ビジュアル的にも言動的にも強烈な愛人ことマナミさんが受付スタッフとして院に居座るようになって数ヶ月、ところどころで不協和音を感じながらも、それでも院は表向きはつつがなく運営されていました。
でもそれはその春まで、私が鍼灸学校に通い始めた頃まででした。
その頃私は朝はバイクで出勤し(雨の日などはあの市民ファーストじゃない電車とバスを乗り継いで)、午前中は院の仕事をし、バイクで院の最寄駅(雨の日などはバスで以下略)、電車に乗って都内の学校で午後から夜を過ごすという生活をしていました。
鍼灸学校は年齢性別出身その他色々な人がいて、経歴も様々です。私のように働きながら通っている人も多いです。アルバイトをかけもちしてる人もいれば昼間は会社員で夜間は学校という人もいます。働き口も様々ですが、施術を生業にしている方は意外と少なくて――そりゃそうですよね、施術ができる資格が欲しくて学校に来てるんですから――コンビニやファーストフードのバイトとか、昼間は事務員とか結構いました。セラピストとして日常的に実践的な施術ができてる私はとても恵まれた環境にいるんだな、と、本当にケイ先生に感謝です。
ケイ先生と同じく目の不自由な方も中にはいらっしゃいました。日本国の人口比からしてこの学校には視覚にハンデのある方が多いような気がします。あくまで個人の感想ですが。
こうして多種多様で様々な人達と交わっていると、改めて日本の義務教育のいびつさを思い知らされます。同じ年齢、同じ年頃というだけで一緒くたに集められ、その中からオトモダチを選びなさい、なんてよく考えたらおかしな話です。
っと、すみませんまた話が逸れました。そういう事情で私は少し院から遠のいていました。平日は半日しか働けなくなったというのに、ケイ先生は私が最低限不自由なく生活できるだけのお給料は保証すると言ってくれて、経理のヨシエさんも院長をとっちめ――いえ説得してケイ先生の言う通りにしてくれました。
マダムカヨコは学校は何かとモノ要りだからコレはテキスト代にでもなさい、と言って雑費には多すぎるだろと慄く額の『入学祝』を下さいました。お墓にまで持っていけないでしょ、と言って快活に笑ったマダムカヨコはこの時にはもうご自身の死期を悟っていたのかも知れません。
愛人ことマナミさんはお子さんがいるからということで朝は1時間遅れの10時出勤で、私のいない午後の時間帯も埋めています。彼女は施術はできないので受付のみです。施術はネイルが傷みそうだから嫌なんだそうです。
でも流石に院長でも彼女に施術はさせないでしょうね。人には向き不向きがあります。
愛人はまったく仕事をする気が無いらしく、受付カウンターにどっかり座ったきりです。動かざること山の如しです。ケイ先生のアシストも患者さんの案内もしてくれません。仕方がないので施術の合間を縫って私がします。
もっともケイ先生は目は不自由だけど大抵のことは淀みなくこなしますから、愛人みたいな足手まといなアシスタントなら要らないというスタンスです。実際、どっちが先生なんだよってぐらいに愛人の態度がデカかったんで流石のケイ先生もガチでキレてました。デカいのは体のサイズだけにしといてもらいたいものです。
愛人は電話が鳴っても取りません。入ってすぐぐらいの頃、予約のバッティングをやらかしてしまって電話に苦手意識を持ってしまったようです。
施術中でも取り次いで欲しい電話、手が空いた時に折り返せばいい電話、そもそも無視してしまっていい売り込み業者の電話の区別もつかないらしく、NJSK(日本柔道整復師協会の略称です、まんまやないかいというツッコミ不可避です)からの急ぎの電話も「院長さんは~、せづつちゅうでぇ~、手がはなせませぇ~ん」とやらかしてしまって後で大変なことになりました。
NJSKはざっくり言うと柔整師の元締めみたいな組織で、わざわざ電話なんて寄越す時は大抵至急と相場が決まっています。院長からも他はともかくNJSKからの電話だけは施術中でも取り次ぐようにと口を酸っぱくして言われています。
愛人よ、せめて誰からかかってきたのかぐらいはしっかりヒアリングしてくれよと思います。そして、メモを取れよと心から思います。「わかんなぁ~い」「忘れちゃったぁ~」って、その台詞を我々はあなたの口から一体何度聞いたでしょうね?
あまりにもやらかしまくる愛人の為、私は簡単な業務マニュアルを作成しました。私が施術中の時はまずこれを見てね、そしてそれでもわからなかったら私を呼んでね、ということで。
あまりに受付に呼ばれて施術を中座しまくるので、私はその度患者さんをお待たせしてしまうのです。患者さん達は皆いい人ばかりなので優しく許して下さいますが、それでも申し訳ないです。
残念ながら愛人は私の苦心の作こと業務マニュアルを活用してはくれませんでした。何かあるとすぐ受付に呼ばれます。しかも向こうから来るんじゃなくて受付カウンター内から大声で呼びつけられます。業務マニュアルはただの紙束と化しています。ひょっとして字が読めないんでしょうか愛人。
NJSKの件で懲りた院長は電話が鳴る度私に「出て」と言うようになりました。私今施術中なんですけど見てわかりませんか? って感じです。「彼女、わかんないから」と院長が施術しながら再度促します。院長は愛人を甘やかし過ぎます。私は施術中の患者さんに詫びて受付カウンター内にある電話に出ました。
愛人、手を伸ばせばすぐに出られる場所にいるのに鳴り続ける電話はガン無視です。仕事中だというのに私物のスマホでインス夕とか見てます。ホントにインス夕大好きデスネー愛人。てかめっちゃ邪魔なんででーんと座ってないで少しはどくとか避けるとかないんですかね。まったく、お体同様ぶっとい神経です。
電話に出ると、キモトマナミさん宛でした。若そうな男性の声でスズキと名乗ったのでそのように伝え、愛人に代わりました。私はワダさん(ペットショップ勤務であんよが特にお疲れの方です)に謝罪して中断していた施術を再開しました。中座の詫びを兼ね、5分程サービスさせていただきました。タイムオーバーにうるさい院長も流石に何も言いません。元はと言えば愛人のせいだったんですからね。ってかてめぇの愛人の躾ぐれぇてめぇでしとけよコッチじゃもう面倒見切れねぇぞってのが本音です。
会話から察するにスズキさんからのお電話は借金の督促のようでした。クレジット会社って会社名じゃなくて個人の名前でかけてくるんですね。勉強になります。
そして、愛人がどうやってキラキラインス夕女子()の顔を保っていたのかがうっすらと理解できたような気がしました。
まったく仕事をする気が無い愛人と、それを黙認し甘やかす院長。内部スタッフは秘かにストレスを溜めていましたが、それでも私が知る限りではその頃はまだフクムラ鍼灸整骨院は盛況でした。
春の大型連休が終わり、少し蒸し暑くなってきた頃に事件が起きました。ハセガワさん――元々はケイ先生のお師様であるマダムカヨコの患者さんだった方です――彼女を愛人が怒らせてしまったみたいで。伝聞形なのは私はその場に居なかったからです。私が学校に行っている時の出来事でした。
ハセガワさんは元々愛人を苦々しく思っていたようでした。礼節を重んじる日舞の師範には愛人の無礼な態度は許せなかったようです。挨拶もロクにしないでエラソーに足組んでふんぞり返って座って何なのあの人は、と私もケイ先生も言われたことがありました。
そんなハセガワさんに愛人は、保険証出せってやっちゃったらしいんですね。ハセガワさんは鍼灸オンリーの患者さんなので――つまりは自費治療なので、保険証は必要ないんです。そんなモン持ってないわよ今までそんなこと言われたことなかったわよって、ハセガワさん怒っちゃって。
その日は一応鍼灸の施術は受けて下さったものの、あの受付のドラム缶(原文ママです、別に私がそう思ってるとかじゃありません)がいるうちはアタシはもう来ないわよ! って、凄い剣幕でお怒りだったそうです。ケイ先生も院長も平謝りに謝って――でもハセガワさんのお気持ちが変わることはありませんでした。
こういう話はすぐに広まってしまうようで――何しろ、地域密着型の院ですし――まず、ハセガワさんのお弟子さん達が離れて行きました。顔の広いハセガワさんは、お弟子さんやお友達にもフクムラ鍼灸整骨院を勧めて下さっていたのです。
ハセガワさんの勧めで通い始めた方達の中にはバックヤードサロンに出入りしていた方もいましたので、サロンの先生方にも『事件』は知れてしまいます。
それでも、私がいた午前中の時間帯は、まだ何の代わりもなく、明るく楽しい人の集まるいつもの院でした。
それと前後する頃に、経理のヨシエさんがお辞めになりました。院長が院の近くにマンションを借りたいと言い出したのをヨシエさんが許さなかったからです。
鬼の経理のヨシエさんですから、当然院長に言いました。マンションなんてそんなの何の為に借りるの必要ないじゃない、と。院長は仕事の資料を置く部屋にすると申し開きしたそうですが、だったらマンションじゃなくてトランクルームでもいいじゃない、とヨシエさんは突っぱねたそうです。至極妥当な対応です。大体、院長の自宅マンションは院から徒歩5分の近場にあるのですから、本当に『仕事の資料』を置きたいのなら自宅に置いたっていいじゃないですか。
ヨシエさんは院長の魂胆を見抜いていました。何たって実の妹ですからね。院長は愛人の為の部屋を借りるつもりです。それも、経費で。
実の兄妹だけにバトルは容赦なくお互い一歩も譲りませんでしたが、結局は院長の、お前はクビだ、のひとことで決着が着きました。
バカな男、いつか後悔するよ、とヨシエさんは捨て台詞を吐いて去って行きました。彼女はこの院を辞めたって何ひとつ困ることはありません。元々義実家の家業の合間に時間を割いてわざわざ来て下さっていたのですから。彼女にとってはむしろ好都合だったのかも知れません。
それでもヨシエさんはケイ先生のことを案じていました。ミオちゃん、おケイさんのこと頼むね、あの人施術のことしか頭にないからさ、と。
義理の姉妹という関係ですが、ケイ先生とヨシエさんは仲がいいのです。何ならお二方は院長とよりも良好な関係と言っていいくらいです。だからこそヨシエさんだって開院当初から骨を折ってくれたのでしょう。私はヨシエさんに、私ができる限りのことをすると約束しました。
お読みいただきありがとうございます。
人が離れてくきっかけなんて案外些細なことだったりしますという話です。
別名:順風満帆だった院に陰りが見え始めてきたでござるの巻。
院と名のつく場所での独特な風習に、転職組は戸惑うこともあるかも知れません。
ご挨拶ひとつとってもそうです。いらっしゃいませ、ありがとうございましたは言いません。
でも結局は人と人との心のやり取りですから多少どもっても言い間違えても「あなたがお見えになったことは認識していますよ」の意も込めて大きな声でご挨拶は基本だと思うのですよ……ねぇマ○ミさん?




