聖女様の身の上話 ~結~
そこからはトントン拍子でした。
チナツさんが紹介してくれた弁護士さん(ホシヒカルという冗談みたいな名前の人、自称ブルース・ウィリス、名前も頭部も光輝いています)のアドバイスを受け、着々と準備を進めていきました。
セクハラパワハラにはまず証拠! というわけでボイスレコーダーを購入しました。超小型・長時間録音が謳い文句の高性能。高卒初任給の薄給でこの出費はなかなか手痛いものでしたが背に腹は代えられません。義父の時でも思い知りましたが、録音は有効です。データを使っても使わなくても、保険として持っているだけでも充分な武器になります。スマホは業務でも使用するのでその上録音までもとなると充電が心許ない。私はそれをお守りのように持ち歩き、自宅以外では常に作動させておくことにしました。
定額働かせ放題については、メモや日記の類でも証拠になるそうです。私の場合スケジュール管理はスマホアプリでしていましたが、スマホに何かあった時の為、手帳を用意しそちらにも書き留めておきました。
会社のタイムカードは仮免に落ち続けて未だにドサ回りに出られないみそっかすのミソノさんが社員全員分のタイムカードを定時で打刻するという重要任務(笑)を担っています。自称ブルース・ウィリス(ただし、似てるのは髪型だけ)のホシ先生曰く、これは違法だけどよくあるやり口なんだそうです。
ちなみに私の給料を時給換算してみたら、都の最低賃金を余裕で割ってました。これも違法です。休憩時間や休日の規定が守られていないこと、有給を使わせないこと、これらも全部違法です。
業務上必須と言われて取得した運転免許の代金、私用のスマホを業務で使用させていた際の通信費等についても細かく挙げていき、できる限り証拠を集めて、準備が整い次第即退職! ということになったのですが――。
結論から言いますと、セクハラパワハラの証拠は1ヶ月かそこらで充分集めることができました。
専務が私にセクハラとパワハラを交互に繰り返していたので、他の社員も私には何を言っても構わないと思っていたのでしょう。おかげで証拠は滞りなく充分に、むしろこんなにいらないよってぐらいにしっかりと収集できました。笑えますが、泣けます。
自宅の最寄駅で専務の脂ギッシュな姿を見かけた時には心臓が止まるかと思いました。ドサ回りが都内近郊になってからは早く上がれるようになっていて――と言っても定時上がりには程遠い有様でしたけど――まだ人通りもあるし上手く撒けないかな、でもとりあえず録音、と、お守り代わりのボイレコが正常に作動しているのを確認しました。
何かあったらすぐ連絡を、と後光差すホシ先生のお言葉を思い出し、エロブタ専務が自宅最寄駅にいます、とメールで一報。すぐに返信があり、駅前のチェーンのカフェで時間を潰すように指示があり――私が入店すると、エロブタ専務もついてきました。
私は1人客とカップル客の間の席に座り、コーヒーだけを注文しました。金欠なのもありますが、何かを食べる気力すらなかったんです。
専務は偶然だねえとか言いながら寄って来て、私の向かいの席にかけようとしたのですが――。
「あたしの連れに何か用ですか?」
ベリーショートに赤ぶち眼鏡の小柄な女性が専務の背後から声をかけました。
細身のカーキのパンツにオーバーサイズのボルドーのパーカー、ショッキングピンクのリュックという派手派手しい色使いなのに不思議と格好良く見えます。センスがいいんでしょうね。見た目からして職業不詳の年齢不詳、少なくとも知り合いではありません。
「ああ、アナタがミオちゃんにつきまとってる人? 鍼灸院にも来たんだってケイ先生から聞いてますよ。
セクハラって言葉、知ってます? てかアナタ歳幾つ? 50近いきったねえオヤジが20歳そこそこの女の子に何でイケるって思うかなー。アナタ、自分が20歳の時のこと思い出してみなさいよ、アラフィフババアに下心丸出しで迫られたらやっぱイヤなんじゃないですか?」
私は年齢不詳のお姐さんの啖呵に喝采を送るよりもビクビクハラハラしていました。案の定、専務は怒りで脂ぎった顔を赤黒くさせています。
「てかココ、アナタの最寄駅とかじゃないですよね? うわーセクハラ通り越してストーカーだーこわーい! みなさーん、ここに未成年の女の子にちょっかい出してるセクハラストーカー男がいますよー! ロリコン野郎ですよー誰かケーサツに通報してー!!」
午後8時の※ダは不穏なざわめきに包まれました。実際、隣の席のカップルの女性の方がスマホを取り出すそぶりをしました。
エロブタ専務は捨て台詞を吐いて去って行きました。店は再び※ダらしいアットホームな雰囲気を取り戻しました。
年齢職業ともに不詳な赤ぶち眼鏡の女性は注文を取りに来た店員にシ口ノワールとアメリカンを頼み、私に言いました。
「ダンナからLineあって。緊急事態だからって。何事もなくてよかった」
言って彼女はピンクのリュックから名刺入れを取り出し、1枚私にくれました。○△デザイン事務所 主任デザイナー星明子――ブルース弁護士の奥様で、アキコじゃなくてメイコと読むんだそうです。フェイントの効いた御芳名です。夫婦そろって名が体を表してる感じでいいですねー明るい星の子って……カノン様、そこですねないで下さいよ、カノン様だってちゃんとお似合いの可愛いお名前じゃないですか……ってランス隊長どうしましたそんな血相変えて? あぁそうでした、可愛いって禁句だったんですよねカノン様の前では。
改めて正体を知って眺めてみると、メイコさんのいでたちはいかにもデザイナーさんだなぁって感じです。
シ口ノワールと共に彼女が語るによると、専務が探り入れるみたいに鍼灸院に来て、ケイ先生も施術しつつ探り入れて、この背脂(原文ママ、見えないけどケイ先生はそう感じたそうです)ガチでヤバイやつ、と思ってチナツさん経由で自称ブルース弁護士に連絡したんだそうです。そこに私からの緊急SOSメールで――自称ブルースは都内勤務の妻にとりま駆けつけヨロ! ってしたんですって。偶然にも帰宅途中だったメイコさんはそれを受け、途中下車して現場に急行。何と言う連係プレイ。
聞けばメイコさん、保育園児のお子様がいらっしゃるとか。そんな中私なんかの為にここまで――と涙がちょちょ切れます。お迎えは旦那に任せた晩飯も旦那に任せたとおっしゃるメイコさん、めっちゃ漢前です。つか自称ブルース実はイクメンでしたのね。
メイコさんはシ口ノワールを半分シェアしてくれました。とてもおいしかったです。
何か、ひとりじゃないんだなぁって、凄く心強くて。
絶対あの会社を辞めてやろう、と改めて決意を新たにしました。
ちなみに専務は私の自宅アパート前で待ち伏せしてましたが、何かあるとアレだからとわざわざ送ってくれたメイコさんがガチで警察に通報し、事なきを得ました。
が、自宅のドアに変な体液(詳細は伏せます)までかけられてたというのに厳重注意だけって――解せぬ、ってなりました。
カフェでのやりとりからメイコさんが警察に通報し、エロブタVSおまわりさんの応酬に至るまで、この上もない『証拠』をゲットできたのは怪我の功名というものです。とは言え、自宅にまで押しかけてくる執念は恐ろしかったので、退職準備と並行して新居を探すことにしました。
ケイ先生が院のテナントの大家さんに話をしてくれて、大家さんの自宅兼アパートにすんなりと入居が決まりました。都内ではありません。ケイ先生の院がある県の、同じ市内です。恥を忍んで資金が心許ない旨を申し出ると、オオヤさん(大谷と書いてオオヤと読むんだそうです、これまた冗談みたいなお名前です)は、そんなのいいからさっさと越してらっしゃい安全第一でしょ! と肝っ玉母さんよろしく敷金礼金ゼロで即入居させてくれました。
代わりにと言って何ですが、オオヤさんが留守にする時には彼女の飼い猫の世話をして欲しいというのが敷金礼金ナシで即入居の条件です。ねこ大好きな私に何と言う仕打ち! それは最早ご褒美です!
感極まって礼を言う私にオオヤさんは言いました。ケイ先生にはお世話になってるからねえ、と。オオヤさんは院の大家さんであり、ケイ先生の患者さんでもあったというわけです。何と言うか本当に、感謝しかありません。
引っ越しはチナツさんとその夫氏が手伝ってくれました。2t車を軽々操る会計士かっけぇって感じです。
新しいアパートは今までいた都内のワンルームより広く、バストイレ別。もうユニットバスのじめじめと付き合わなくて済むんです! しかも家賃も都内より安い! 橋1本渡っただけで住環境って格段に良くなるんですね。目からウロコです。
大家さんのオオヤさんは無類の猫好きなので、動物飼育もOKです。事実、入居している店子さんは皆それぞれ、ねこやインコ、小型犬やらイグアナ(!)と同居しているとのことでした。
勤め先のブラック会社からは少し遠くなりますが電車の路線は一緒だし、今までより4駅ばかり多く乗るだけです。どのみちあの会社は辞めるんだから、と、私は来たるX DAYに向けて着々と、でも表面上は淡々と日々を過ごしました。
証拠を精査し、準備万端整えて、退職届を出しました。
直属の上司クズ野郎は怒り狂いましたが、スーツのポケットの中のボイレコに力をもらって淡々とやり過ごしました。同時に労基署――労働基準監督署や警察にもしかるべき処置を取れるように準備を進めました。
当然、会社の人達は反発します。そこまでするか、と。セクハラ専務や社長、会長にも呼び出され、散々圧をかけられましたが、私のバックに弁護士がいると知るとトーンダウンしました。退職を申し出てからの直属クズ上司ことクズミの暴言も、みそっかすミソノさんの嫌味ったらしい言い草も、すべてボイレコに記録させてもらいました。
会長は昔の人らしく恩をあだで返しやがってとご立腹でしたし、馬鹿な専務も流石に自分のしてきたことを顧みて俺は逮捕されるのかと怯えて取り乱しています。他人事ながらこの会社大丈夫なのかなと思いました。
そんな中、社長の動きは迅速でした。外様の人だけに少しは世間を知っているようです。
彼は労基署が何か言ってくる前に片をつけたい方針で、私の未払い残業代と自動車教習所の代金、業務に使用しているスマホの通信費を一括で支払うと申し出てきました。ホシ弁護士からは会社側から何か打診されてもその場で返事をするなと言い含められていましたので、弁護士さんと相談させていただきます、と返しました。知恵付けられやがって、と忌々しげに会長が舌打ちしたのが印象的でした。もちろんそれらもすべてボイスレコーダーが拾っています。
自称ブルースのイクメンことホシ先生に社長からの提案について相談すると、セクハラのことは何も言ってこなかったか、と、ひとりごち、相手方は全て金で片をつけようとしてるけどミオちゃんはどうしたい? と訊いてきました。
本来ならきっちり労基署に訴えて労働裁判とかやって、最後まで戦うのが正しいのでしょう。でも圧迫面接も真っ青な会長社長その他役員からの呼び出しや、先輩同僚からの引き留め工作、それが駄目だとなった途端のいじめにも近い嫌味や嫌がらせが続き、私はもう疲れ切っていました。あんな会社にもう関わりたくない、一刻も早く縁を切りたい、それが正直な気持ちでした。
ただ、セクハラ専務だけは罰してやりたい。チナツさんの言い分じゃありませんが、セクハラ許さない! ストーカー駄目絶対! です。
相手方も残業代と労働条件のことしか触れてこないしセクハラ専務は斬り捨てるハラだろう、というのがホシ弁護士の見解です。どのみち専務は警察沙汰にまでなってますから――おまわりさんが来て厳重注意ってだけでしたけど、セクハラストーカーの証拠はあります。目撃者だっています。メイコさんは必要ならいくらでも証言すると言ってくれてます。専務の件は後日改めて検討することにしました。
ホシ先生は私の意志を尊重し、しかるべき処置をしてくれました。
すると社長は提示してきた未払い残業代と教習所の料金、業務で使用した通信費の他に、解決金という名の割とまとまった額を上乗せして支払うと申し出てきました。さらに、退職日までの10日程を溜まっていた有給で消化してもいいとまで言ってきました。
頼むから労働裁判だけは勘弁してくれということのようですが、パワハラセクハラ案件のことを含めると少ないんじゃないかとホシ先生は言います。つまり専務のことは煮るなり焼くなり好きにしてくれということなのでしょう。
私はホシ先生に改めて、専務を訴えたいと伝えました。民事と刑事とどっちがいい? と自称ブルースが言うのに戸惑っていると彼は、金が欲しい? それとも罰したい? と言い換えました。そんなの後者に決まっています。オーケーケイジ、とホシ先生はカッチコチの日本語の発音で言って、粛々と手続きに取りかかりました。ボイスレコーダーは本当にいい仕事をしてくれました。
今にして思えば、民事で慰謝料もらっといてもよかったかなぁとも思いますが、やっぱりあんなセクハラジジイを野放しにしておけないし、罰が当たればいいと強く思います。大事なことだから繰り返します、セクハラ駄目絶対。
それにしても、弁護士さんの力って凄いものですね。弁護士さんがついてると知るまでの会社側の抵抗を鑑みて改めて思います。私ひとりで頑張ったところで、こうもすんなり辞めさせてもらえなかったでしょう。ホシヒカル弁護士の頭に後光が差して見えました。思わず拝みました。
結局、新卒で勤めたブラック会社には1年と在籍しませんでしたが、これでよかったのだと今は思っています。
退職後、あの会社の中で比較的私に優しかった先輩が弁護士のことを訊いてきたので、ホシ先生の事務所を紹介しておきました。
ブクマ評価等ありがとうございます。とても嬉しく励みになっております。
ブラック会社で苦しんでいる方へ。
辞めた方が絶対幸せになれます。辞めても案外どうにかなります。
辞めると決めたら決して折れないで下さい。
手のひら返して猫なで声で引き留めにかかる先輩や同僚はあなたが必要なのではなくて、あなたがいなくなった分の負担が自分に来るのが嫌なだけです。彼らは改心なんてしません。
それと、証拠は大事です。日記代わりのメモでも何とかなりました。ボイレコは強力なお守りです。
心身を壊される前に逃げましょう。捨てる神あれば拾う神ありです。
以上、経験者の戯言でした。




