聖女様の身の上話 ~急~
すっかり鍼灸教信者になった私は、ケイ先生の元に定期的に通うことにしました。
と言っても、月1ペースと言ったところです。院は自宅から近いとは言えない場所だし、何より懐事情を鑑みるとそれが精いっぱいです。鍼灸は保険がきかないので高いんですよ。1回6000円は高卒新入社員にとっては大した出費です。
それより何より、公休ですらまともに取れないブラック会社ですから。土曜どころか日曜でさえも出社しないとサボリと見なされる世界です。人員不足で休日でも出社して消化しないと仕事が回って行かないという事情もありますけどね。
ケイ先生は施術の度、私の不調を指摘しました。連日のパソコン作業で凝り固まった肩・背中のことだけでなく、不眠気味なこと、手足の先やお腹が冷えていること、体質的に血虚タイプであること――血虚って、えーと、血の巡りが悪いというか、血そのものが足りない。貧血気味で、目まい立ちくらみ当たり前みたいな感じですかね。生活が不規則で、不摂生。
その頃はもう料理はおろか食べることさえ面倒になってて、朝はコーヒー1杯、昼はコンビニのパンとかおにぎりとかを味わいもせずに流し込み、夜は疲れて何も食べずに寝てしまう――みたいな生活でした。
そんな生活を何ヶ月も続けていれば、そりゃ倒れますよね。会社でね、バッタリ倒れて、救急車呼ばれて。点滴とかされて、即入院です。
元々貧血気味だったのが、入社してからの不摂生がたたって貧血がド貧血にバージョンアップしちゃってまして。通常、成人女性のヘモグロビン値は12~13とされているところ、その時の私の数値は7を切ってました。単純計算で正常値の2分の1ってトコです。お医者さんは呆れたように、これは相当苦しかったはずだよ、と言いました。目まいとか息切れとか自覚症状あったでしょ、って。
確かに常に息切れはしていたし、物凄く疲れ易くなりました。でもそれは運動不足で体力が落ちてるからだと解釈して、会社の最寄駅の1つ手前の駅で降りて1駅分歩くとかしてました。今思えば馬鹿なことをしたものです。全部貧血のせいなのに。むしろそんな負荷かけて余計に悪くなるわ!
自覚症状は目まいや立ちくらみの他にも、年がら年中続く頭痛――ヘモグロビンって体に酸素を運ぶヤツなんでけど、当時の私はざっくり言っちゃうと標準以下の頭数しかいないわけで、酸欠の症状として頭痛が頻発する、と。パソコン使用で目と肩から来てたってだけでもなかったんですね。
あと、当時は異様に氷が好きでした。テイクアウトのアイスコーヒーの氷をガリガリするんじゃ足りなくて、家の冷凍庫の製氷皿4つに常に氷をつくっといて何かってーとガリガリガリ。ひたすら氷をかじってました。氷食症っていって、貧血の典型的な症状なんだそうです。
それと、チョコレートが異常に大好きになりました。元々甘いものは好きな性質でしたけど、他は無くともチョコレートって感じで、大量のチョコが冷蔵庫を占拠してました。これもまた貧血あるあるだそうで――チョコレートには鉄分が含まれてるんですって。無意識に体が求めてたんでしょうね。生きたいと望む肉体の本能パネェ。
血液検査の結果、ヘモグロビン値だけでなく他の項目も異常だってことが発覚し、リストカットでもしてるんじゃないかとあらぬ疑いをかけられました。冗談じゃない! 私は基本自殺ダメ絶対派。手首も腕もキレイなモンです。
リスカ疑惑が解消されると、内臓から出血でもしてるのではってことになって――まぁあの頃って思い出してみると生理不順とかもありましたしね――痛くもない腹を探られ、結局は日頃の不摂生の賜物だ、ってことで落ち着きました。
車の運転はしないで下さいね、とも医者に言われ、点滴を受けながらそれは困ります職務上どうしても必要なんです、と答えました。私のドサ回りの受け持ちはC県の海沿いとか、最早ここはI県なんじゃないのかってくらいにギリギリ首都圏の田園地帯とか、そんなんばっかなんですから。バスなんて1時間に1本あればいい方で、車でもないとやってられません。大体、今時下水道工事なんかやってるトコですよ、ド田舎に決まってるじゃないですか。
私がそう言うと、眼鏡をかけたアルパカに白衣着せてちょっと知的にしてみた感じの初老の医師は呆れ返って言いました。アナタいつ気を失ってもおかしくない状態なんですよ、事故でも起こしたらどうするんですか、って。えっ、そこまで悪いの!? って愕然としました。
とにかく、会社で倒れて救急車→点滴検査→入院のはこびとなり、職場に電話してその旨伝えたら、ヘッドハンティングされて退職したエース級の人の後釜で私の直属の上司になったクズ野郎は、「で、いつ出てこれんの?」……絶句しました。
「カガ(退職したエース級の人)が抜けて忙しいのわかってるよね?」「みんな迷惑してるんだけど?」「お前が休んだ分肩代わりする人がいるんだよ?」――今なら何て奴だと怒りに燃えますが、その頃はすっかりブラック会社の理不尽さに染められていましたから、あぁ私が弱いばかりに皆に迷惑かけて申し訳ないなんて本気で思ってました。
2日程入院して出社したら、周囲の空気が物凄く冷たい。ドクターストップかかって車の運転できません、と申告したら直属の上司は「は? それじゃ仕事になんないじゃん」「どうしてもってなら診断書持って来い」「え? 何? 今から取りに行くって? 今仕事中だよね何で勤務時間外に行かないの? サボりたいの?」――建前上は勤務時間外のはずなんですけどね、最早言いがかりです。
有給は使わせてもらえず欠勤扱いで病院に行きました。診断書だってタダじゃありません。入院費も含めて痛い出費です。知的なアルパカ医師は診断書を発行しながら、余計なこと言うようだけどそんな会社辞めた方がいいんじゃないかねえ、と言いました。
今なら私もそう思います。でもその時は変なバイアスがかかってて、知的なアルパカことタカノ先生の好々爺風の忠告も反発しながら聞き流すって感じでした。
ドサ回りは、私の受け持ちと直属上司クズ野郎のそれとをトレードすることでやっていくことになりました。
私の元々の担当は、ほぼI県でギリ首都圏の下水道工事とC県海沿いの橋梁工事、そしてカガさん(ヘッドハンティングで転職した人です)の置き土産のうちのひとつ、東京とは名ばかりの山岳地帯の道路維持修繕工事です。
対してクズ野郎が抱え込んでいたのは、本店オフィスから程近い消防署の寮の建築現場と都心の人孔工事、カガさんの代理でK県の地下鉄シールド工事。いずれも都内、もしくは首都圏内。すべて公共交通機関で事足ります。ドサ回りの難易度がグッと下がりました。
移動に時間を取られないで済むだけで充分ありがたい、クズ野郎は随分楽してたんだなぁと思いましたがもちろん口には出しません。今ならKKT(=カツワカシウラ夕マ)の苦労を思い知れ! って言っちゃいますけど、当時は私のせいでご迷惑をおかけして申し訳ありませんって本気で思ってました。どこまでもブラック会社に洗脳されてますね、近い過去の私。
あーあ倒れたらラクできるんだーアタシも倒れよっかなーとか嫌味ったらしく言ってる同期はまだ運転免許が取得できてなくてドサ回りを免除されてるみそっかすちゃんです。アンタに言われとうないわ、とマジでツッコミ入れました。ホントにギスギスしてたんですよ、あのブラック会社は。それにしても仮免落ちるって何やねん逆に何したら落ちるんだよって正直煽り抜きで不思議です。そこらのヤンキーだって車乗り回してるじゃないですか。どんだけドン臭いんだよ、と。
ちなみにカガさんは、転職先の大手ゼネコンでバリバリやってるらしいです。こうなったらもう辞めたモン勝ちって感じですよね。
こんな状況でも、私の中では会社を辞めるという選択肢はありませんでした。
実家には帰れないし、家賃払わなきゃいけないし――都内の家賃は馬鹿高いんですよ、殆んど家賃の為に働いてるようなものです。
とにかく、生きる為には金が要る、だから――って、この期に及んであんなクソみたいな会社にしがみついていました。
でもそれも、専務のセクハラまででした。
専務は会長の息子なのですが、社長ではなく専務です。社長は外様で、専務はそれが面白くなかったようです。実際のところは実権は会長が握っていました。ファミリー企業にはよくある話です。でも多分、セクハラ専務が社長だったらあの会社は私が入社する前に潰れていたでしょう。
名ばかり専務の専務ですが、会長の息子なので社長も強くは出られません。絵に描いたようなセクハラ野郎で、女性社員に次々ちょっかい出してました。先輩の女性社員が結婚を理由に退職したので私にお鉢が回ってきた、それだけのことでした。
『出張』を口実に海岸沿いのリゾートホテルに連れ込まれ、愛人契約的なことを打診してきた専務を前に私は諦めと共にあぁまたか、って思いました。結局、佐倉の義父も弟も――オスなんて皆同じだな、って。
休日も出社しないと回らない程の仕事を押しつけられても、先輩や同僚にチクチク嫌味を言われても何とか踏ん張ってきたけど、セクハラだけは駄目です。完全に心が折れました。
専務は私をターゲットと定めたようで軽いジョークを装って下ネタをふってきたり、よく頑張ってるねーなんていい人ぶって頭撫でてきたり肩揉んでみたり。父親世代の脂ぎったオヤジに触れられるのがどれだけおぞましいか――専務に触られた箇所から体が腐ってくみたいな気分になるんですよ、それは義父でもそうでしたけど。
2人で飲みに行こうと誘われた時は本気でブチ切れそうになりました。そんな暇がどこにある、こちとら寝る間も削って働いてんだ、無能なアンタの尻拭いも業務のうちに組み込まれてんだぞ、専務なら専務らしく給料分は働けよ、一般社員の給料削ってアンタらの役員報酬とやらに当ててんの知ってるぞ、と、喉元まで出かかりましたが飲み込みました。
代わりに、私は未成年です、とだけ言って突っぱねました。日本では20歳からが成人で、当時の私はギリ10代。未成年の飲酒は違法です。だったらメシでもと食い下がるエロブタをかわすのは難しい仕事でした。ただのナンパなら冷淡にあしらえますが、相手が上司ってだけで格段に難易度が上がります。
リゾートホテルで以下略から1週間後、これを励みに生きてると言っても過言ではない鍼灸の予約日。
ケイ先生には施術の度に、ミオちゃん痩せたんじゃないの、ちゃんと食べてるの、と言われていましたが、その日はそれらと共に、もうひとこと。
「何か心配事があるんじゃないの?」
――何と言うか、凄いです。私はこの癒しの時間にブラック会社の気配を欠片も持ち込みたくなくて、院では仕事の話は一切していなかったのです。それ以前に、見えてないはずなのに触覚だけで痩せたんじゃないの? と判るあたりも凄いのですが。
実際この頃には入社時にあつらえたスーツがことごとく緩くなり、Sサイズの服でもダボついて見える程に体型が変わっていました。
私は背中に鍼を刺されながら、ブラック会社でのことをぽつぽつと話しました。
早出残業当たり前、休日すらも電話1本で呼び出され、そのくせ定額使われ放題で。病院に行くのにも有給は使わせてもらえない。業務上必要だからと取得させられた自動車運転免許の代金は自腹で、ローンがまだ残ってる。スマホは会社支給ではなく個人の持ち出し、料金は自腹。会社で倒れて救急車で運ばれて入院からの出社で周囲が物凄く冷たくなった。お前のあけた穴で皆が迷惑してるって。
そして、エロブタ専務のセクハラと――今までの女性社員と違って私は専務に愛想よくしなかったから、ホテルで持ちかけられた愛人契約とやらに色よい返事をしなかったから、専務はセクハラに加えて制裁パワハラに近いようなことまでしてくるようになった。
もう私、今の会社辞めようと思うんです、と私は大臀筋に顎をのっけてるまーくんの心地良い重みを感じながら言いました。
ケイ先生は淡々と施術を続け、私の脊柱起立筋に淀みなく鍼を刺し経脈にお灸を置くと、カーテンで仕切られた隣のベッドに行き、低い声で何やら話していました。私は施術ベッドにうつ伏せながら、背中のお灸とお尻のまーくんのぬくもりを感じ、束の間の幸福を堪能していました。
ケイ先生と話していた隣のベッドの患者さんが、はぁ!? と素っ頓狂な奇声を発し、うとうとしかけていた私ははっと我に返りました。すぐにカーテンがシャッ! と鋭い音と共に開けられて、若い女性が隣のベッドからこちらにやってきます。
「ちょっと! 百会に鍼刺さってんだから動かないでよ!」と、ケイ先生が叫んでいますが、20代後半とおぼしきロングヘアの綺麗な女性は頭に何本か鍼を刺したまま私のベッドに近づき、屈みこみました。
「おケイちゃんから話は聞いたわ。大変だったのね……って、今も充分大変なのよね。
わたしはキヨノチナツ。ここでレイキしながら副業で会計事務所の事務員してるの」
事務員が副業なのかぁそれって普通逆じゃね? と、この時は思いましたが、この綺麗な女性ことキヨノチナツさんこそが、実は知る人ぞ知るレイキヒーラーにして後に私のティーチャーとなるチナツ先生その人だったのです。
チナツさんはこの院が開業してからずっと世話になっているという会計事務所のスタッフ(というか彼女の夫が会計士)で、夫の伝手があるからただ黙って辞めるんじゃなくて弁護士さんに相談して対策を練りましょう! セクハラ許さない! ブラック会社は滅びよ! と力説していました。
私はというと、貧血で倒れて即入院という事態に陥って尚誰も労わってくれなかった中で、ケイ先生の淡々としながらの「心配事があるんじゃないの?」からの、チナツさんの「大変だったのね、セクハラ許さない!」で少しだけ泣きました。
私の大臀筋に顎をのっけてたまーくんがのそのそと顔の辺りにやって来て、私の顔中をベロベロ舐め回して、にゃー、と慰めるように鳴いたので、ついに涙腺崩壊しました。
お読みいただきありがとうございます。
続・ブラック会社勤務経験のある方はフラバ注意の話。
別名:元貧血患者は語るの巻。
著者は別段KKT(=カツワカシウラ夕マ)に恨みがあるわけではございませんのでご理解ご了承の程お願い申し上げます。