【悲報】異世界の文字が読めません!【泣きたい】
とは言え、本当に大したものは入っていないのだ。私はバッグを開け、中身を全部机の上にぶちまけて、空のバッグを振ってみせた。ほ~ら怪しいものは入ってませんよー。
「おや? この背袋、こちらにも紐がついているのですね」
カノン様が目聡く指摘した。そっか、徒歩での行軍ではずっとリュック状態だったもんなー。
「私、バイク乗りなんで基本リュック形態ですけど、こうするとショルダーバッグとしても使えます。用途に応じて使い分けるんですよ」
「ばいく……?」
何だそれは、と、未知なる異国の単語を訝しむランス隊長は目つきの悪さが二割増し。ただでさえアレなご面相なのに、そうしていると指名手配中の凶悪犯みたいだ。
「えっと、自転車の、エンジン付いたヤツ? ……です」
「え?」「は?」
自転車も通じないかぁ。うぅ……何て説明したらいいんだ?
「二輪車……うーんと、動力はガソリンの、乗り物です」
「……? 馬のようなものと考えても?」
カノン様が曖昧な口調で言うのに、まぁそんなモンです、と返しておく。
ランス隊長は水筒とランチボックスを念入りに調べ(どちらも空だ、怪しいモノは入っていない)、仕事用の施術着と学校用の白衣を見て、服だな、と言った。はい、服です。
カノン様は2冊のテキストとノートをじっと見て、
「拝見致します」
と、断りを入れ、まずは筋肉の本を手に取った。パラパラとめくって彼はいかにも残念そうに言った。
「読めませんね……」
そっかー読めないかーまぁ異世界だもんなー、と納得しかけて、ん? と私は首をかしげる。
まさか、もしや。
「ちょっとすみません」
私は机の上に散らばった書類を無作為で手に取った。ざらざらした手触りの紙に何か書かれている。多分、文字なのだろう。見慣れない羅列、もちろん日本語ではない。アルファベットでも、ハングルですらない。無理矢理あえて何がしかに当てはめようとするならアラビア文字に似ているか。
どちらにしても判読不可能。これらの羅列が何を意味するのか判らない。
ひとつだけ、はっきりとわかるのは、
「読めないわ……」
カノン様に日本語が読めないのと同様、私もまた、この世界の文字が判らないということだ。
これは…………ショックだ。
ヴァルオードに来ても意思の疎通は問題なかった。この地特有の固有名詞や魔法関連の用語で「?」となることはあっても、言葉そのものが通じないということはなかった。
だから油断してた、甘く見てた。当然起こり得る事態だったのに。
いや、正直にハッキリと言おう。こんなこと想定していなかった、と。
「何ということでしょう! 英検2級も漢検2級も、ここでは何の役にも立ちません……!」
私は呆然と呟いた。意図せず劇的ビフォーafter(@サザ工さん)のナレーション風になってしまった。泣きたい。
言葉は、ちゃんと通じる。相手の言ってることは判るし、私が話すことも概ね伝わる。口語は無問題なのに文語になると駄目なのか。どーゆーシステムだよそれってホンヤクコン二ャク的なカンジなのか!? 私この世界では非識字者ってことになるのか!?
とにかく、字が読めない・書けないってのはマズイ。日常生活にだって即座に影響が出るだろうし、それに――。
「ところでこれは何なんだ?」
私のショックを余所にランス隊長はポーチを開けていた。彼の興味はラムネとチョコレート。コスメやピルケース、チャッカマンより先にそっちに食いつくとは……野生の勘か?
「非常食です。仕事の合間につまむんです。施術者は体力勝負ですからね」
「こんなもので足りるのか?」
「当座のつなぎにはなりますよ。よかったらどうぞ、召し上がってみて下さい」
私はランス隊長にチョコレートを勧めた。彼は無警戒で一口サイズの板チョコをぱくん、と口に入れ、途端に般若のような表情になった。
「苦いな……」
「カカオ70%ですからね」
チョコレートを食べるならカカオポリフェノール多めの70overにしなさいってケイ先生が言ってた。抗酸化作用があるんだって。
ちなみにランス隊長はタブレット型ラムネの強ミントでむせて発狂し、これは本当に食い物なのかと問い質してきた。失礼なやっちゃな。
「ランス殿、こちらが件の『ちゃっかまん』ですよ」
カノン様はチャッカマン(ミニ)を示した。ランス隊長はためらいもせず手に取り、ためつすがめつして、
「で、どこを押すんだ?」
と、至極真剣に尋ねてきた。
「ここを、こうするんです」
ショック状態継続中で半ば上の空のまま私は実演してみせた。ランス隊長は文字通り跳び上がり、ずざざっと超高速で3mくらい後ずさった。火が怖いなんて野生の熊みたいだな。
「まったくもって、ちゃっかまんという火打ち石は便利ですね」
と、カノン様は嬉々としてのたまい、次いで私を見てふと眉根を寄せて、
「どうなさいました、ミオ殿」
「? ……いえ別にどうもしませんが」
「そうですか」
心ここに非ずといったご様子ですよ、とのカノン様の指摘に私は小さく息をついた。この人、本当に心配性というか気使いの人というか。お疲れなのでは、と言ってるあなたが気疲れしてそうというか。
「字が読めなかったのが、地味にショックで」
私は正直に打ち明けた。
あぁ……と、カノン様は納得したようだが、ランス隊長は何だそんなことか、と言わんばかりに、
「そう深刻になることでもなかろう。俺が書けるのはせいぜい自分の名前だけだが別段困ることもない」
「貴方はもう少しお勉強も頑張って下さい」
カノン様はシッター兼家庭教師のようにぴしゃりと言った。彼は続けて、
「ですが、ランス殿の言にも一理あります。宮殿勤務や役人を目指すのではない限り、必要不可欠な技能というわけでもありませんからね」
「私は魔法使いになりたいんです」
慰めるような口調のカノン様に私は言った。
「やるからには、ちゃんと学びたい。でもこれじゃテキストも読めない……」
そう、今私を絶望させているのは主にその一点だった。
魔法より先に字の練習かよ……悲しい。小学生からやり直せとかいうネットスラングそのまんまの状態やん……泣きたい。異世界で、よもやこんな罠があったとは……。
「魔法を、学びたいですか、本当に」
カノン様がじっと私を見、ひとことひとこと強調するように言った。翡翠の瞳がキラキラしている。宝石みたい。
私はカノン様を見上げ、頷いた。
「本当ですか」
「はい」
「本当に、本当だと、約束して下さいますか」
私はカノン様の綺麗な翠の目を見た。彼もまた、私を見ている。私の本気度を疑っているのか、軽い気持ちじゃ受け付けられないということなのか。私としては、整骨院に勤め始めて施術を任された時と同じくらいに本気で真剣なのだけど。
「契約書が必要ですか?」
聞いてしまってから、そうだ私はこの世界の文字とか書けないじゃん、と思ったりもしたが。
カノン様は読めない無表情のまま、目だけをキラキラさせて私を凝視している。やがて彼は平坦な口調で言った。
「それは私が貴女に、魔法を教えて差し上げてもよろしいということですか」
「是非ともお願いします!」
食い気味に、勢いよくぺこりとお辞儀した私をカノン様はしばし無の表情で見つめていたが――。
「ランス殿! 言質は取りましたよ!」
カノン様は体ごとくるん、とランス隊長に向き直り、鬼の首でも取ったかのように高らかに宣言した。
お読みいただきありがとうございます。
今後身を寄せることになるだろうユタの街の文化レベルがどの程度かを物語るお話です。
そして、ミオちゃんが正式に魔法使いになりたいと意思表明する話でもあります。
別名:魔法の前にまずは字のお勉強をしましょうねの巻。




