隊長殿の執務室
宿舎の脱衣所に取って返して下着を身につけ、黒Tシャツに黒パンツ、黒靴下にスニーカーという標準装備にチェンジした。これで施術着を上に羽織ればそのまま即仕事に入れるぜ、という手抜きいやカンペキなスタイル。
――もっとも、施術着も白衣もカノン様に預けたバッグの中なんだけど。
彼らは『持物検査』を敢行しただろうか。していても、していなくても、どちらでもいい。見られて困るものは何もない。ただ私の彼らに対する心証が変わるだけだ。
「しかしヘイゼル殿、いい腕してるなー。兵隊なんか辞めちゃってクリーニング屋とかになればいいのに」
しっかり乾いてアイロンでもかけたみたいにぴっしり整ったTシャツにパンツは最早ユ二クロ製には見えないぞ。
改めて、ヘイゼル殿のエスコートでランス隊長の執務室へ。
ヘイゼル殿は扉の前でこそっと私に囁いた。
「ミオちゃん、一度だけ『聖女様』って言うけど許してね」
ヘイゼル殿はふっと一度大きく息を吸うと、目の前の扉をノックした。すぐに低いハスキーな声が返る。
「ヘイゼルか、入れ」
「はっ! 失礼致します!」
ヘイゼル殿は扉を開け私を通し、
「聖女様をお連れ致しました。わたくしは任務に戻ります」
「ご苦労」
ランス隊長が重々しくねぎらい、ヘイゼル殿は敬礼。去り際に彼は、
「またね、ミオちゃん」
ウィンクと共に王子様スマイルをキメてった。最後の最後までキザなやっちゃなー。
隊長の執務室なんて言うからどんなに立派な部屋なのかと身構えていたが、こぢんまりした小屋の外観に見合うだけの代物だ。廃材をかっぱらってきたんじゃないかと邪推してしまう簡素なデスクセットに、簡易ベッド。壁際のキャビネットには酒瓶がずらりと並んでいる。どうやらこの部屋は、隊長の執務室兼私室として機能しているらしい。
書物の類はこの部屋には見当たらない。この小屋には別に資料室があるとヘイゼル殿が言ってたから、本に用があればそこへ行けばいいということか。机の上は書類が散らばっており、お世辞にも整頓されているとは言えない。この部屋の主の人となりが判る気がした。
デスクの前に、木製の丸椅子がひとつ。カノン様が私にそれを勧めた。
「どうぞおかけ下さい。取り散らかしておりますが」
「お前が言うな」
ランス隊長がツッコみ、事実でしょう、とカノン様が返す。思ったよりくだけた雰囲気だ。
カノン様は私をじっと見て、ふむ、と満足そうに頷いて、
「ヘイゼル殿はまた腕を上げましたね」
と言った。私の服の状態で、ヘイゼル殿が何をしたのか悟ったようだ。恐るべき洞察力。
「洗濯屋にでもなる気かあいつは」
ランス隊長が大袈裟に天を仰いで嘆くのに、カノン様は春の海の凪いだ表情で、
「竜騎兵隊を退いた暁にはそれもまた善し、でしょう。『魔法使い』も捨てたものではありませんよ、つぶしがききますし」
「縁起でもないことを言うな。竜騎士が引退する時は相棒と別れた時だ。竜か人間か、どちらが黄泉に逝くのかの違いだけでな」
さくっと切り込むようなランス隊長のドスのきいた声音に、カノン様ははっとして顔を伏せ、失礼致しました、と詫びる。
「しかしまあ、魔法使いの勘とやらは凄いものだな。カノンはずっと見えてでもいるかのように実況していたぞ。今風が発動しました、今風が動いています、今風が止みました、といった具合にな」
ランス隊長は空気を変えるようにことさら大声で言った。カノン様はふっと口角を上げ、
「足音だけで誰の来訪かを知る貴方の耳も相当なものです。
風魔法は特に力の制御が難しいのですよ。これだけ繊細に扱えるのならヘイゼル殿はもう騎竜したまま魔法を行使してもよろしいのでは?」
もっとも先程は二度ほど滞りがあったようですが、とカノン様は事もなげに言う。……すごいな、当たってるよ。確かにヘイゼル殿、2回ばかりエンストしてたし。
「しかしなあ……竜が怯えるだろう」
「彼の相棒殿はそんなタマではないですよ」
「カノンはともかく、他の竜がな……単独での偵察ならともかくな……」
ふふっ、とカノン様は口元だけで笑って、
「貴方のパートナーはそういうことに関してだけは臆病、いえ敏感ですからね。誰に似たのやら」
「ノワールを悪く言うな! それから俺は魔法など怖くないぞ!!」
……何これ、子供のケンカ?
おもしれーもっとやれ、なんて見物人に徹していたらカノン様が彼比でにこやかに、
「失礼しました。お茶をお淹れしましょう。ヴァルハラ産の花茶が貴女のお口に合うとよろしいのですが」
流れるような手慣れた動きで私の前に木製のカップが置かれた。器用にもデスクの上の散らかり放題の書類は避けて……すごいなー匠の技だなー。
机の上には、私に供されたのと同じらしき飲みさしのカップが2つ。私の為だけに用意されたってことなら恐縮しきりだが、お二方が先に始めていたのなら遠慮せずありがたくいただこう。
いただきます、と手を合わせ、木製のカップに手を伸ばす。
花茶というだけあっていい香りだ。薄めのジャスミンティーって感じの味がする。
「美味しいです」
お世辞抜きで言うと、カノン様はホッとしたように微笑んだ。時々しか見られない春の陽だまりの笑顔。
「さて、早速だが」
ランス隊長はカップの中身を飲み干して無言でカノン様につきつけた。やれやれ、と息をつき、カノン様は隊長殿のご所望通りにおかわりを注いだ。何でしょうねこの熟年夫婦も真っ青な見事な阿吽の呼吸は。
「ミオといったか? 君の荷物を見せてもらいたいが、いいか?」
あら、この人達『持物検査』しなかったんだ。していても、していなくても構わないとは思ってたけど。
「もちろんです」
私は、ベッドに鎮座まします黒ナイロンのツーウェイバッグを持ってきて、机の上に置いた。
「どうぞご自由にご覧下さい」
「いや、君が開けてくれ」
ランス隊長はちらり、とカノン様を流し見て、
「勝手に触ると氷漬けにされそうなんでな」
「プライバシーというものがあるでしょう」
ましてやミオ殿は女性なんですよ、と、カノン様は咎める口調で言う。なるほど、カノン様が目を光らせてなければとっくの昔にガサ入れ終了だってってワケか。
お読みいただきありがとうございます。
ブクマ評価ブクマ等多謝感激です。とても嬉しく励みになっております。
複雑な背景のユタがそこはかとなく貧乏……いえ素朴な街であると匂わせています。
別名:ヘイゼル殿は別れ際までキザなやっちゃな的な話。