残された人々 ~星輝の混乱~
結果として、最後の、となった譜久村善治の接見を終え、星輝は警察署を出た。朝陽が眩しい。
譜久村善治は夜討ち朝駆け当たり前のクライアントで、深夜だろうが早朝だろうが構わず弁護士を呼びつけたものだった。今日だって呼び出されたのは明け方だ。輝は生あくびを噛み殺し、自身の禿頭を一撫で。つるん、の中の微かな、ほわん、に癒される。
「解任、されっかもなー」
今しがたの接見、我ながら弁護士としてどうだと反省している。しかし私人としての後悔は全くなかった。
「てやんでぃバロチクショー、解任上等! せいせいすらぁ!」
とりあえずは食いっぱぐれた朝メシだ。澪がマクドと呼んでサロンメンバーに賛否両論を巻き起こしたハンバーガーショップで幸せセットを注文しよう。息子があれのオマケが好きなのだ。それから譜久村鍼灸院に行ってみるか。ほわん、が、ふさっ、になるかも知れない。
輝は駐車場に向かい歩き出した。足取りは軽かった。
幸せセットのおもちゃは息子の好きな変形ロボから謎のゆるキャラに切り替わっていた。不惑のおっさんがすっぽんぽんにエプロン姿のカバを受け取る絵面について深く考えるのはやめようと輝は思った。
譜久村鍼灸整骨院改め譜久村鍼灸院は、おあつらえ向きにひとつだけ駐車スペースが空いていた。己の幸運に感謝し、輝はファミリーカーを停めた。
シートベルトを外し、何気なく目をやった先――院の入口の自動ドア横、来院者が自転車など停めるスペースに、見覚えのあるバイクがひっそりと鎮座している。輝は目をしばたいた。ペパーミントグリーンのアメリカンバイク。今時こんなマシン乗ってるヤツいるのかと二度見、何なら三度見ぐらいはしてしまう、所有者本人が「保存会の気持ちで乗ってます」と公言していたミニハーレー風のバイクが目の前にある。
「澪ちゃんの、バイク……か?」
輝は目を疑った。おっかなびっくり触れたjazzは確かに実体があった。寝不足で見た幻というわけではないらしい。
譜久村鍼灸院はかつての賑わいを取り戻していた。
電療機器はフル回転、カーテンで仕切られた鍼灸室は満床。開け放たれたバックヤードからはアセトンの匂いがした。
「こんにちわー」
と、声をかけてきた受付スタッフは澪ではなかった。当然だが。澪の幻影を振り払い、こんにちは、と輝も返す。
澪の後釜は、澪が通っていた鍼灸学校の同級生。「学友がけったいなバイトに引っかかってもうて、星先生のお名刺チラ映りさせてもよろしいやろか。場合によっては先生のお力を借りることになるかもわかりません」と、澪が知らせてきたところの『学友』が、譜久村鍼灸院の現受付兼アシスタントスタッフの、彼女だ。
学業優先、家が遠いから土曜日のみのアルバイト。彼女の存在で輝は今日が土曜日であったことを思い出した。譜久村善治の依頼を受けてからというもの、日時を問わずの呼び出しで曜日や日付の感覚さえ曖昧になっていた。
鍼灸のご案内はしばらくできません、と言った彼女に、予約なしで来たのはこっちだ気長に待つさ、と答えて輝は入り口に設置された長椅子に座る。特に興味を惹くわけでもないタウン誌をめくりながら輝は思った。『澪先生』は「できません」は言わなかったな、と。
使用済の灸のガラを捨てに出てきた命が待合スペースの輝に気づいて言った。
「こんにちは。奥さんと一平君、来てますよ」
バックヤードサロンもまた、かつての輝きを取り戻していた。
占い師のセンセイがタロットを前に鍼灸待ちの患者をカモり、奇行師いや気功老師が謎の術を行使し時間潰しの患者に付き合い、ネイリストが超絶技巧を披露して、といった具合。
輝の妻は10本指に繊細な化粧を施されている真っ最中だった。
「車、乗ってっちまって悪かったな。ここまで来んの大変だったろ」
「大丈夫、千夏さんが乗っけてくれたから」
「清野さんにゃ足向けて寝られねえな」
輝は心から言った。何せ一平の保育園に提出してある緊急連絡先も父(輝)、母(明子)そして清野家なのだからして。
「なあ、澪ちゃんのバイク――」
輝は妻に耳打ちした。あぁ、と、明子は心得たように、
「修理終わったからって、山口さんが」
あたしもびっくりしたよ、澪ちゃん生き返ったのかなんて、と、輝の妻は囁いた。
「ヤマさんが来たって?」
「今、電気やってる」
オートサイクルヤマグチのオーナーは店が休みの月1回、『第3月曜の人』だったはずだが。輝はますます曜日の感覚がわからなくなった。
修理が終わったってことは警察から返却されたってことか、随分と早いな、と輝は思う。山口氏が来ているのなら話を聞こう。輝は電療ベッドに向かった。
うつ伏せで寝ていてもどれが山口氏かはすぐに判った。天然パーマで作業つなぎの、ベッドから足がはみ出しているのがそうだ。
ヤマさん、と声をかけると、山口氏はすぐに顔を上げた。
「あれどうも星さん。奥さんと息子さん来てますよ」
ここでは俺は妻と息子の付属物だな、と輝は思った。
「珍しいですね、ヤマさんが土曜にいるの」
「あはは、みーんなそれ言うねえ。俺『第三月曜の人』だから。でもこの雰囲気懐かしくってさ、ちょっとやってこうかなって、ついね」
「そうですね」
輝は同意した。木本真波が幅を利かせてギスギスする前の譜久村鍼灸整骨院はこんな感じだった。
「澪ちゃんのバイク――」
「ああ、驚かせちゃってすみませんね。来る人来る人みんな、澪先生が帰ってきたかって……」
山口氏は声のトーンを落とした。輝は自身の目つきが職業的なものになるのを止められなかった。
「修理が終わったって聞きましたけど、随分早かったですね」
「処置自体は簡単なモンですよ、そんな手のかかる修理じゃない。バッサリいっちゃってたのはブレーキケーブルだけでしたからね」
「修理が終わった、ってことは山口さん、警察から返却されたってことですか?」
言いたいことが上手く伝わらなかったので、輝は補足した。
「そりゃそうですよ」
山口氏は、何を当たり前のことを、とばかりにきょとんとしている。
「流石に俺だって警察署からパクったバイクで走り出すような年じゃないですし」
年がどうこうの話じゃねえだろうと輝は思った。大体、警察署から盗んだ時点で窃盗だろとかもどうでもいい。輝の懸念は別にあった。
――警察の奴ら、佐倉澪の事件をたたもうとしてやがる。
輝が真っ先に考えたのはそれだった。
譜久村善治の罪状は、木本真波に対する殺人及び死体遺棄。真波の遺体は東北某県のあの山中をくまなく探せば出るだろう。殺ったのは十中八九譜久村で、自白も時間の問題だ。
だが、佐倉澪の件は? 証拠品のスマートフォンだけ残して、まるで元からいなかったかのように『消失』した彼女――ああそうさ、警察は澪が元々存在しないとする方が仕事が楽だ。奴らお得意の作文で澪の事件は揉み消して、だから譜久村善治の罪状は『木本真波に対する殺人及び死体遺棄』。あの不倫カップルが澪に散々してきた悪事の数々は『なかったこと』として処理する気だ。元々存在しない人間に対して譜久村が不法侵入や器物損壊をやらかしていては都合が悪い。
澪のバイク――器物損壊の証拠品がこうも早く返却されたその一点だけでも判る。警察は佐倉澪の件を調べる気がないのだ。輝は焦燥にも似た怒りにかられた。
「ホントなら所有者に返すとこだけどって言いつつ、何故かウチにね。コイツの所有者はどっちみちあなたに修理を依頼するでしょうから、って、ホラあの若い警部さんとホストみたいな刑事さんが店まで来てね」
「あのふたりが?」
「そうそう」
山口氏は頷いた。
「近頃の刑事さんって使いっ走りみたいなことまでするんだねえ驚いたよ。
澪先生が前にあのjazzは院の備品で交通費の現物至急扱いだって言ってたからさ、修理して一応ココに持ってきたんだけど。でも澪先生、買い取ってたんだってね。ってことは名実共にjazzの所有者は澪先生だったってワケで」
輝は例のアメリカンバイクの所有権については何の感慨もなかった。彼の興味関心は別にあった。
――椎名警部と海神刑事が? わざわざ?? 証拠品の返却に??? どういうことだ、たたみてえわけじゃねえのか。
輝は混乱した。
「でも澪先生がアレだと、やっぱウチで預かっとくのがいいんですかねえ星先生? 法律上はどうなってるんでしょう? 慶先生は形見分けにって言ってくれてるけども……」
「オレが乗るよ」
隣のベッドの患者の電気を外しに来た命が割って入った。
「え、でも命君、免許持ってないでしょ?」
「これから取る」
命は、お疲れ様でした、と、老婦人を管から解放し、受付の娘を呼んだ。施術は彼女がするらしい。
「澪さんが戻るまで、オレが面倒見る。乗らないと傷むんだろ? 免許は部活が落ち着いたら取りに行く」
命はまだ澪の死を消化し切っていないのだ。やるせない沈黙が漂った。
「権利云々は任せてくれ、本職だ。……ヤマさん、いいですよね?」
「是非ともそうしてクレメンス。命君が『jazz保存会』、引き継いでくれるなら澪先生も喜ぶよ、きっと」
評価ブクマ等ありがとうございます。とても嬉しく励みになっております。
弁護士先生はチ○太だったようですよ、というお話ではありません。
ノン頭髪でバロチクショーとか言ってるとおでん持たすぞ、というツッコミ不可避ではありますが。
すべてが元通り。
でも彼女だけがいない。
という話です。
聖女様の記述に度々あった「かわいいjazzたん」こと例のバイクの引き取り手が現れました、という話でもあります。
面倒見るのが習い性みたいな厨二男子はきっと大事にしてくれることでしょう。