幕間 ~神託の主と副官殿・前編~
夜勤明け、非番のはずの竜騎士ふたりは事情聴取を終え、救護室を去った。
――ありゃあ事情聴取ってよかほとんど尋問だったな。
ヴァルハラ騎士団員ポールは薬瓶に淹れられた茶をぐびり、と飲み干した。カノンは先程まで居た竜騎士達が使った薬瓶を片づけている。茶を淹れ、もてなしてくれる心使いはありがたいと思う。しかし薬の空き瓶を茶碗代わりに使うのはどうなのだ。ついでにこの茶、ユタでは薬湯として飲まれているものでポールの口には酷く苦く感じる。
多少具合が悪くても魔法にもありつけないユタシビリアンの民間療法の一環として人口に膾炙しているこの薬湯、カノン曰く解毒作用があるとのことなのだが――貴族出身、坊ちゃん育ちのラディウス家の長男も随分ユタに染まったな、とポールは思った。
「ユタにはユタのやり方があると黙認しておりましたが、」
カノンは薬瓶を洗いながらため息をついて、
「やはり、日報は書いていただいた方が良かったかも知れません」
「今さらですな、上官殿」
ポールは完璧な副官の態度で言った。
「日報の有無にかかわらず、今回の件は防ぎようもない事故でした。そうご自分をお責め下さいますな」
昨夜、街外哨戒に出ていたパトリック班。新人で、初の夜間任務となったサムソンの竜デリラが受毒した件。
今年12になるという少年に夜のオシゴトとはまた鬼畜なことで、とポールは思う。ヴァルハラなら法に触れる。ヴァルハラ騎士団最年少のフーガ(14)のユタ出向は特例措置だが、彼の身分は見習い騎士だ。見習い以上のことはさせない。特別なことでもない限り(例えば、聖女様をお迎えに行くとか)夜間業務など以ての外だ、というのがヴァルハラ式の考え方だが、ユタはそのあたりも緩い。ユタにあっては子供は庇護すべき存在ではなく、立派な労働力なのだ。
「バカパットいやパトリックの班が昨夜やり合ったのはロンリーウルフの大群のみで、毒を持った魔物とは遭遇してないと。パットはバカですし大雑把の代表格のようなものですが、嘘をつく奴ではありますまい。日報を書こうが書くまいが、そこは変わらないのですから」
「えぇ、私もパトリック殿が嘘つきだと申し上げているわけではありません」
カノンは洗い上げた薬瓶を拭きながら小さく頷く。
「彼らとて飛行蟲やタランチュラ等と戦闘したなら、事後のパートナーに体力ポーションだけでなく解毒ポーションも与えたでしょう。私の懸念は別にあります。ロンリーウルフの大群とは……論理が破綻しているとは思いませんか」
「上手いこと韻を踏んだおつもりですかな?」
ポールは副官の態度でツッコんだ。
「だって、一匹狼だからロンリーウルフなんじゃないですか」
カノンの口調には若干むずかるニュアンスがあった。
「通常、狼系の魔物は群れを成すのが基本です。これは魔物ではない野生のオオカミでも同様ですが。
狼系の、その中でも強力な、単独行動でも生き残っていけるだけの力のある魔物。それをユタ民はロンリーウルフと位置づけ、他の群れる個体と区別していた――」
「大きさからして違いますからな、ロンリーウルフは」
ミオに意識があったらまた「ウルフとは違うのだよウルフとは!」とかうるさいだろうな、とポールは思った。そのミオは救護室の一番奥のベッドでメイド・イン・ラディウスの結界に守られ眠っている。また過保護なことで、とポールは思ったが賢明にも口には出さなかった。街内の、それも救護室で、眠っているだけだというのに、戦闘中もかくやというハイレベルな結界。いくら相手が聖女様だからってどんだけ、というのがポールの正直な感想だ。
「ユタの魔物の強さはヴァルハラのそれの比ではないと最初に思い知らしめたのが、彼でした」
カノンは薬瓶をしまいながら言う。
「ロンリーウルフ1頭を相手にするくらいなら私はヴァルハラのウルフ10匹と戦うことを選びます」
「同感です」
ポールは心から言った。それ程にユタの魔物は手強い。ちなみに、ヴァルハラにはロンリーウルフは生息していない。
「パトリック殿とサムソン殿が真実を述べているのなら――私はそうだと判断します、彼らに偽りを述べるメリットはありませんしね――それなら、デリラ殿はロンリーウルフの攻撃で受毒した、ということになります」
「昨夜の哨戒での戦闘はその1件だけということでしたな。しかし……」
ポールは赤毛をぐしゃぐしゃとかきむしって、
「ロンリーウルフは毒持ってないでしょうが」
「そう、それなんですよ」
カノンは物憂げにため息をつき、続ける。
「ロンリーウルフに限らず、狼系の魔物で受毒したという例はこれまで聞いたことがありません。貴方のおっしゃる通り、そもそも毒を保有している個体ではないですし。と、なると、やはり、ロンリーウルフの変異種が出現した、という結論に至るわけです」
「変異種……厄介なことですな」
ポールもまた、上官につられたように嘆息した。
ヴァルハラが騎士団員を全国に派遣するのは、派遣先の異変をいち早く知る為という側面が大きい。派遣軍の長は派遣先の領内にて変異種の魔物を発見した際は速やかに中央に報告する義務があり、それは立法化もされている。今回の場合「派遣軍の長」とはすなわちカノンなのだが、当然ただ口頭で「変異種出ました~♪ ロンリーウルフが毒持っちゃってまーす☆」と伝えればいいわけではなく、膨大な量の報告書だの何だのをセットでお届けしなければならない。
――あーメンドクセ。
ポールは今後の作業の煩雑さを想像し、内心で悪態をついていた。主に処理するのはカノンだが、仮にも副官としては何もしないわけには行くまいて。
――ったく、何だって俺の在留中に出現するかね毒持ちロンリーウルフさんよ。
変異種なんざそうそう生まれるモンじゃなかろうに、貧乏クジにも程がある。
「せめてユタ竜騎兵隊で継続的に日報でも残してくれてりゃ、ソレそのまま流用できたでしょうになあ」
「えぇ、私も同じことを考えていました」
カノンは珍しく素直にポールに同調した。不真面目ですよ、不謹慎ですよ、とお小言を食らう覚悟をしていたポールは拍子抜けして白皙の美青年の顔を見つめてしまった。
「? ……どうなさいました?」
仕方ないでしょう、ないものはないのですから、と言ってのけたカノンに、ポールは新鮮な驚きを味わっていた。
「随分とまた、切り換えの早い。貴官にしては諦めの良いことで」
ポールの上官であるところのこの華奢なハイプリーストは心配性が服を着て歩いているともっぱらの評判で、どこぞの竜騎兵隊長などからはよくも先の先までこまごまと悩むものよと呆れられたものだった。先読みは軍師の家系でもあるラディウスの血の成せる業とも言えるが、とにかくカノンは慎重で、プランAとプランB、そしてそれらのどちらも外れた場合のプランCまで用意しておく性質の人である。日報なども月の初めに雛型だけでも作成しておく。そんな上官が、ないものはないと言い切るノープランとは――。
「ミオ様に感化されましたかな?」
カノンが『運命の』と呼ぶあの黒髪の、少女と見まごう童顔の娘。満身創痍でベルク・ルイーネ山頂の旧遺跡にいた聖女様は、大まかな事情を知るなりあっさり言い切った――「そっか、じゃあしゃーないね」。豪胆なのか馬鹿なのか、当座は呆れたものだが彼女は自分が元の世界に戻れないことを理解していた。その上での、「じゃあしゃーないね」。
一見清楚で大人しく、吹けば飛びそうな楚々としたお嬢さんなのだが、その実芯は強い。『異世界の人』だからなのか、一風変わったものの見方、独特な考え方をする。感情が昂ぶると「お国言葉」が口をつく。小柄で、幼げな顔立ちなのに目つきだけが据わっていて妙にアンバランスだ。
実際、胆も座っている。いくさのない、平和な国の出身で、戦闘経験は皆無という自己申告だったが、戦う術のない彼女は怪鳥に石を投げて応戦した。領主の娘に理不尽な難癖をつけられれば正論で倍にして返す。相手が次期領主と知って尚、怯まない、忖度しない。元々グレイス・アガリエが人望のない人だっただけに、ユタのパンピーはよくぞ言ったぞ聖女様と、やんややんやのお祭り騒ぎだったのは記憶に新しい。
「貴官の『運命』はまったくもってさばけたお方でいらっしゃる。貴官と足して2で割れば丁度つり合いが取れるのでは?」
ポールは上官に色めいた視線を送ったが、相手は堅物で知られるカノンである。当然、ノッてはこなかった。
「貴方が何を匂わせているかは判りますが、『神託の主』と『聖女』が結ばれた例はありません。行きつく先は悲劇のみです。
どちらにせよ、中央との関わりは避けられなくなりました。ミオ殿の支度金のこともありますし」
「あぁ……その問題もありましたな」
ポールは天を仰いで大仰に嘆息した。
通常、『聖女様(あるいは勇者様)』こと異世界からの訪問者をお迎えした際には、聖女様本人及び彼女が滞在する領に国庫から支援金が出る――はずなのだが、ミオを得て3つ目の満月を迎えようという現在、ヴァルハラからの援助は皆無。ミオに関わる出費は現況、カノンの私財で賄っている有様だ。
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ユタはいわゆる「ラストダンジョン直前の街」と的なモノだろうと思われます。
そしてヴァルハラは「出発前、王様から僅かばかりの支度金をもらう都」です。
あーマンドクセーと副官殿がやさぐれる変異種発見は大事件のはずなのに、行きつく先は結局「お金がない」になるという……。
カノン様のポケットが大きくてヨカッタデスネーというお話なのでしょうかこれは。