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夏祭り ②

遠くから聞こえてくる鈴虫の声がいやに涼し気だった。


 俺は片手に持ったうちわで自分を扇ぎつつ、ぼうっと空を見上げた。八時にもなると、辺りはだんだんと暗くなってきており、すれ違う人の顔がよく見えないほどになっている。カランコロンと下駄の音だけが辺りに響き渡っていた。


 Tシャツで来た俺はどこか疎外感を感じ、少しだけ影の方へと動いた。なんだか自分だけ仲間外れみたいである。


 


「にしても、あいついつ来るんだ……?」


 


 現在、八時十分。遅刻である。


 


 まあ、梨乃の浴衣が見れるなら、三十分の遅刻までは許せる。


 果たして梨乃はどんな浴衣で来るのだろうか。


 頭の中で、梨乃の姿を思い描く。


 


 いつもはそのままにしている髪を後ろに結って、その顔は薄い化粧が施されているかもしれない。金魚柄の浴衣で、手に巾着を持って笑いながらこちらに駆けてくるかもしれない。


 


 ……いや、笑いながらはないだろうな。どちらかと言ったら暴言を吐きながらこちらに来そうだ。


 


「ま、どちらにせよ可愛いんだろうけど」


「誰が可愛いのかしら?」


 


 妄想の中へ旅立っていた俺の耳に、聞きなれた声が飛び込んでくる。


 現実に戻ってきて、前を見ると、そこには当たり前だが梨乃がいた。


 


「うぉっ! 梨乃、いたのか……びっくりするからいきなり声をかけるなよ」


「堂々と前から歩いてきてたわよ。あなたが気づかなかったんじゃない」


「悪い悪い。ちょっと考え事してた」


「悪いで済ませるつもり? 土下座しなさいよこのハゲ」


「ハゲてないから。ていうか、お前も遅刻してんじゃねーかよ」


「遅刻? 今十五分じゃない。四捨五入で八時よ」


「待て、それはおかしい」


 


 流れるように行われる会話を一度区切る。なんだか今日の梨乃は活発的だ。いや、いつも同じようなものだけど。


 俺は、改めて梨乃の姿を見る。


 


 朝顔柄の浴衣に、新品の草履。髪は横に結っており、いつもは髪で隠れ見えにくい左耳がはっきりと見える。その耳がやけに色っぽくて、不覚にもドキリとしてしまった。


 化粧はしていないらしいが、興奮のために紅くなった頬はどんなチークよりも艶やかで、美しかった。


 手には巾着と団扇を持っている。結局俺が妄想していた中で当たっていたものは巾着だけだった。なんだかすごく虚しい。


 


「ていうか、あなたは浴衣じゃないのね」


「ん? ああ、そこまで気合入れるほどのものでもないしな……」


「ふーん……」


「それにしても、似合ってるな」


「……そんなの、当たり前じゃない」


 


 団扇で顔の下半分を隠しながら言う梨乃。なんだかその仕草が可愛らしく、俺はつい目を逸らしてしまった。


 


「じゃ、行くか。何やりたい?」


「テキ屋でニン〇ンドース〇ッチ取ってよ」


「あれは取れないようになってるんだ。いいか、あまり深く首を突っ込むな」


「……じゃあ、綿あめが欲しいわ」


 


 何だかえらく子供っぽい要求をする梨乃。どうやら久しぶりの祭りなので童心に戻っているのだろう。


 


「おっけ。じゃ、行くぞ」


「え、あなたが一人で行くんじゃないの?」


「二人で祭り来た意味ないだろ」


 


 花火は九時あたりから。あと数十分は回れるだろう。


 俺たちは並んだ露天の傍を歩きながら、人ごみの中に入って行った。


 


 


 ◆


 


 


「……なんで人がこんなに多いのかしら……」


「そりゃまあ、夏祭りだからだろ」


「それにしても多すぎでしょ……さっきから碌に歩けないんだけど」


「草履で来るからだろ。俺みたいにクロックスで来い」


「え、それが素足だと思ってた。そういえばちょっと変な色してるわね。気が付かなかったわ」


「逆になんで気づかないの?」


 


 何とか綿あめを購入。団扇を俺に押し付けて来た梨乃は、携帯で綿あめの写真を撮って美味しそうに頬張り始めた。いつもとは違い子供っぽい仕草である。


 


「俺にも一口ちょうだい」


「はい、この棒の部分あげる」


「綿あめって知ってるか?」


「あ、射的あるじゃない。あれやりましょうよ」


「ああいうのって取れないんじゃないの?」


「取れる、取れないじゃなくて、やったっていう事実が楽しいんでしょ?」


「確かに」


 


 ふらりと吸い寄せられるように射的屋の前に立ち、景品を眺める。


 様々な景品があるが、どれも重そうで取ることは叶いそうにない。


 


「これって、どう撃つの?」


「前のめりになって、出来るだけ景品に近いところで撃てばいいと思うけど」


「前のめりになったらトリガーに指が届かないんだけど……っ!」


 


 台に上半身を乗せ、出来るだけ腕を伸ばして銃の狙いを定める梨乃は、しかし悲しいかな、その頑張りのゆえに肝心のトリガーに指が届かないでいた。


 こちらを見る梨乃。そんな助けを求める目でこちらを見られても。


 


 まあ、このままだと埒が明かない。


 俺は梨乃に覆いかぶさるようにして、腕を伸ばす。俺の胸辺りに梨乃の背中があたり、柔らかい浴衣の感触が伝わってきた。


 いきなり密着されたので驚いたのか、梨乃の肩がびくんと跳ねる。


 


「ちょ、ちょっと……!」


 


 何かを訴えかけるように俺を見る梨乃。その頬は微かに朱い。


 


「しょうがないだろ、こうしないと届かないんだから」


「じゃ、じゃあ早くしてよ!」


「耳元で叫ぶなよ……よっと」


 


 ぱしゅんとあっけない音を立てて、弾が飛んでいく。梨乃が少し暴れていたため、弾は明後日の方へと飛んでいく。


 


「外れたな」


「あなたが変な事したせいよ。全く……」


「あと五発弾残ってるぞ。今のでコツは掴んだだろ」


「…………」


 


 俺の言葉に、いきなり黙り込む梨乃。俯いているためその表情をうかがい知ることはできない。


 暫くの間そのまま固まっていた梨乃だったが、不意に何かをぽつりとつぶやいた。


 


「……んない……」


「え?」


「だ、だから! コツとか全然わかんない! さ、さっさと手伝いなさいよこのボンクラ!」


「手伝うって何を」


「だから、さっきの……」


「さっきの? あのくっついてたやつ?」


「……あれが一番わかりやすいってだけだから」


「いやまあ、別にいいけれど」


 


 くっつけるなら役得である。


 再び梨乃の背中にのしかかるようにくっつく。今度は肩は跳ねなかった。その代わりいやというほどにその体は硬くなっており、石になったのかと一瞬疑ってしまった。


 


 その体勢のまま四発撃ったが、硬くなった梨乃の体では上手く照準を合わせることが出来ずに、全て景品に掠りもしなかった。


 


 最後の一発。梨乃が俺に銃を突き付けて来た。


 俺が撃たれるのかとびくびくしていたが、どうやらそうではないらしい。梨乃の目を見ると、どうやら俺に撃てと言っているようだ。


 


「なんでもいいから落としてよね」


「ええ……絶対無理だろ」


「無理無理言ってたらなんでも無理なのよこのダメ人間。やろうと思う気力でね──」


「お前は小学校の先生か? 撃つからちょっと離れといてくれ」


「……私の言葉を遮るなんていい度胸じゃない」


 


 ぶつぶつ言いながら離れていく梨乃。不満はあるが景品は欲しいらしい。


 


 梨乃が離れたことで集中することが出来る。俺はしっかりと狙いをつけ、弾を放った。


 弾はまっすぐに飛んでいき、なにやらよくわからないストラップを弾いた。


 ぽとりと落ちるストラップ。射的屋のお兄さんが拾って俺に手渡した。


 


「可愛い彼女のプレゼントだ」


「ありがとうございます」


「彼女じゃないです」


「そこは訂正するのな……」


 


 ストラップを梨乃に手渡す。何やらタコのようなキャラクターだった。


 梨乃は手に持ったストラップを一瞥して、鼻で嗤った。


 


「ふん、何このゴミ」


「返せ」


「嫌よ」


「いやいらないなら別に俺が使うよ」


「ただでさえゴミなのに持ち主までゴミになったらこのゴミがかわいそうじゃない」


「長ったらしいけど俺を馬鹿にしてるってことはわかったぞコノヤロー」


 


 朗らかに笑う梨乃。今日見た中でも一番の笑みだった。


 


「だからまあ、私がもらっといてあげるわ」


「……素直にそう言えばいいのに」


「黙れ」


「はーい」


 


 時刻は八時五十分、もうすぐ花火が始まりそうだ。


 


「そういえば、学校のやつらと一回も合わなかったな。来てないのか?」


「さっき委員長? に会ったわ。風上さんみたいな人」


「風咲さんだろ。へー来てたんだ」


「友達と来てたっぽいわ。なんだかすごく睨まれたけど、私何かしたのかしら」


「毒舌振りまいてたらそら嫌われるだろ」


 


 花火が打ち上げられる場に行くために、少々急ぎ足になる。草履の梨乃は少し歩きづらそうだ。


 


「別に、私だって誰これ構わず毒舌を振りまいてるわけじゃないわ。人を選んで傷つけるタイプなの」


「余計性質悪いわ」


「選ばれたのは……っ、あなただけよ……ふぅ、ふぅ……」


「いじめかよ……って、大丈夫か? 疲れてるっぽいけど」


 


 どうやら早く歩きすぎたようで、梨乃は膝に手をついて息を荒くしていた。


 


「別に大丈夫よ。介護されてるわけでもないんだし、早く行きましょう」


「そうはいっても、めちゃくちゃ疲れてるように見えるぞ」


「あなたの目がおかしいのよ。あとで動物病院紹介してあげるから」


「しれっと獣扱いしてんじゃねえ……よし、じゃあちょっとゆっくり行くか」


 


 梨乃が息を正すまで待つ。気を使われたと勘違いしたのか、梨乃は俺を鋭く睨んだ。


 


「早く行きましょうって言ったじゃない」


「まあそう焦るなって。どちらにせよ人が多くなってきたから急げない」


「……まあ、それなら」


「じゃあ行くか。とっておきの場所があるんだ」


「何それ」


「小学生の頃に見つけた、俺だけが知ってる穴場だ」


 


 そう言って、目的の場所を目指す……が、人があまりにも多いのですぐに梨乃の姿を見失いそうになる。


 


「ちょ、ちょっと待って……」


「お前人ごみの中歩くの下手くそすぎだろ……ほら、掴まれ」


 


 手を差し出す。梨乃は掴もうか迷っていたようだったが、結局がしりと掴んだ。少しひんやりとした肌が気持ちよかった。


 ぐいと引っ張ると、人ごみの中から梨乃が飛び出してきて、俺の腕の中にぽすりと入ってきた。


 


「ほら、さっさと行くぞ」


「わ、わかってるわよ……」


 


 今日の梨乃はあまり暴言を吐かないようで、ぶっきらぼうにそっぽを向いたものの、特に何も言うことなくついてきてくれた。


 


 


 ◆


 


 


 


「ほら、ここ」


「誰もいないわね」


「逆に誰かいたら困る」


 


 穴場に到着した俺たちは、先ほど買ったラムネを飲みながら近くにあった切り株に腰を下ろした。二人で座っても問題ないほどに大きな切り株だった。


 


「あと数分で始まるな」


「ええ、楽しみだわ」


 


 やけに素直な返事をする梨乃。ちらりと横を見ると、何か熱に浮かされたようにぼうっとした瞳で空を見上げている。


 


「……熱でもあるのか?」


「私? 別にないわよ、ただ、本当に楽しみなだけ」


「楽しみって……去年も来てたんじゃないのか?」


「そりゃ来てたけど……あの時は花梨だけだったし」


 


 さぁと、優しい風が吹く。梨乃の浴衣の裾が揺れて、俺の太ももを擽った。


 


「花梨ちゃんと来ても楽しそうだけどな。色々と律義だし」


「あの子、内弁慶だから私には偉そうなのよ……って、そうじゃなくて」


「そうじゃないならどうなのさ」


「だから……ええっと……」


「お、花火始まるぞ」


 


 何か言おうとしていた梨乃だったが、その前に花火が始まったようだ。


 横で俺を睨む梨乃は無視して、空を見上げる。


 ぽん、と間抜けな音が辺りに響き渡って、細い線が空へと飛んでいく。


 


 どん! 


 


 大きな音と共に、細い線は大きな華となって宙に咲いた。


 遠くから歓声が、波のように押し寄せて来た。


 梨乃も空を見上げて、うっとりと花火を見ている。その瞳に反射した花火がとても綺麗で、俺は思わず見とれてしまっていた。


 すると梨乃が俺に気づいたのか、こちらをちらと見た。


 


「何よ」


「別に……ただ、俺も楽しいなって」


 


 祭りなんて、小学生のころからほとんど来たことがない。親が忙しいので来てくれないため、行ってもあまり楽しめないと、心のどこかで思っていたからだろう。


 だが、今日は違う。


 相変わらず親はいないけど、違う人がいる。


 代わりにはならないけど、それ以上の存在の人が、横にいる。


 


 俺の言葉を聞いた梨乃は首を傾げ、少し微笑んだ。


 


「キモ」


「言いたいだけ言え」


「キモ、キモ、ハイパーキモい、クソキモイ」


「あと三回だけにしてくれ」


 


 結構心に来た。


 


「ふふ……キモい、超キモい、ウルトラキモイ……キモすぎ!」


「おい今四回言っただろ」


「けど、そんな────」


 


 どぱん!! 


 


 


 凄まじい音が耳を聾した。見上げると、花火大会の締めであろう大花火が打ち上げられていた。


 梨乃が何かを言っていたが、花火の音にかき消され聞こえなかった。


 


「なんか言ったか?」


「……別に、何も?」


「何もって──」


 


 花火から、梨乃へと視線を移す。


 


 梨乃は、こちらを見ながら優しく微笑んでいた。


 その頬に差している赤色は、決して花火の光だけではないはずだ。


 


 


 花火が散って、辺りは思い出したように暗闇に染まる。


 


 それでも、俺の頭の中では先ほどの光景が太陽よりも眩い輝きを放っていた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 結局、俺が言いたいことは一つだけである。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 俺の毒舌幼馴染が、可愛すぎて辛い。


 

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