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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
95/158

第二十三話 守り抜いた男

 黒い炎を避け、なんとか距離を取る。

 ジルコン作の刀を右手に、左手で手綱を操る。ハヤテは、勇敢にもドラゴンに臆することなく挑んでくれるが流石は、伝説種といったところだろうか。隙というものがほとんどできない上、体力を削れているかどうかも判断がしづらいが、それでも少しずつ、バテているのはなんとなく伝って来る。

 ドラゴンの体を覆う艶やかな黒い鱗は、大概の魔法を弾き飛ばしてしまう。浄化の力をまとわせた真尋の刀も一路の光の矢でさえもだ。


「ちっ、でかいトカゲの分際で」


 舌打ちをしながら鞭のようにしなる尻尾を避ける。蝙蝠の羽根のような翼がばさりと動くだけで、凄まじい風圧に吹っ飛ばされそうになる。


「マヒロさん!」


 リックの叫びに真尋は咄嗟に手綱を引いた。ハヤテが飛び上がり、その真下を黒いブレスが駆け抜けていった。

 見ればイチロもリックもエドワードも、ロボや愛馬たちも大分消耗している様子だった。


「全員、退避! 殿(しんがり)は俺が務める!」


 真尋の言葉に果敢にドラゴンに挑んでいた仲間たちが下へ駆け出す。真尋も最大限警戒し、ドラゴンのブレスを風の魔法でいなしながらそこへ向かう。

 退避場所は、大きな岩の壁の陰にいる。どうやら世界樹が出してくれたこの岩の壁は、ドラゴンのブレスにも尻尾の攻撃にも耐えてくれる有難い代物だった。しかも、この岩の陰に入ると、ドラゴンは真尋たちを感知できなくなるようだった。

 こうして何度か小休止を挟み、回復と攻撃を繰り返しているがドラゴンは、一向に弱る様子がない。世界樹の言うちょっとがどれくらいなのか、真尋たちにはさっぱりと分からなくなっていた。

 だが、世界樹の作り出したこの空間が限界だと言うのは、視覚から十分伝わって来ている。

 ドラゴンの攻撃があたった箇所に、いつの間にかひびが入りだしたのだ。空にも大地にも、無限に続くと思っていた地平線にもひびが入り、その隙間からエルフ族の森が垣間見えていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……あいつ、体力無限大かよ……っ」


 肩で息をしながらエドワードが愛馬の上から下りる。真尋たちも続々と馬から降りて、息を吐く。

 真尋は、桶に水をはり聖水に変えて、ハヤテに飲ませ、愛馬たちに順繰りに飲ませるようにと声をかける。ざっと見て、擦り傷があったり、少し髪が焦げていたりするが、彼らには大きな怪我はない様子だ。


「ここも正常に時間が流れているなら、すでに五時間は奮闘しているんですがね……」


 リックが懐中時計を取り出して言った。

 この間も、ドラゴンは壁の向こうで雄たけびを上げて、ドスンドスンと暴れまわっている。


「んもー、最悪……見てよ、これ……」


 座りこんだ一路がしょんぼりとジルコン作のロングボウを掲げて見せた。ばっきりと折れてしまっている。


「ドラゴンの翼を避けそこなっちゃって……あああ、もう最悪っ!」


 一路が不機嫌そうに髪を掻く。


「俺のも似たようなもんだ」


 真尋も腰の刀を抜いて見せる。するとリックとエドワードも剣を抜いた。

 三人の刀と剣は、刃こぼれをしてしまっている。どれもドラゴンに直接切りかかった際のものだった。


「ジルコンさん、泣いちゃうね……」


「ジルコン殿の武器でこれなら、私たちの剣では折れるのも時間の問題です、一応、替えは何本か持っていますが……これが一番良いやつだったんです」


 リックが悔しそうに言った。エドワードもそれは同じだったようで愛馬に聖水を飲ませながら「高かったのに」と嘆いている。

 真尋は、あの不味い栄養食をかじりながら「仕方がない」と溜め息を零す。一路が、真尋の言葉の意味をくみ取って「しょうがないね」と立ち上がった。

 ジルコン作の刀は、ジルコンが居るので刃こぼれしても直してもらえる。だが、ティーンクトゥスがくれた宝刀は、直し方も分からない。あれは、できればバーサーカー化した魔獣ではなく、インサニアそのものにのみ、使いたかった。

 取り扱い説明書には、バーサーカー化した魔獣も浄化できるとあるが、あの魔法の効かないドラゴンに有効なのかは正直分からない。そもそも伝説種のドラゴンは、おそらくだが魔獣の括りではないのだろうということは、なんとなく分かる。

 

「リック、エディ。俺と一路が今から出す刀と弓は、ティーンクトゥス教会の秘宝だ。神父服と違って非常に貴重で重要なものだ。他言無用で頼む」


 同じく栄養食をかじっていたリックとエドワードが頷いた。


「本来、インサニアを滅する時にのみ使うべきものだが……あれに立ち向かうにはこれしかないのだろう」


 真尋は手の中に宝刀・月時雨を呼び出す。

 一路も宝弓・風花を手にしていた。


「…………す、すげぇ……いや、すげぇとしか分かんないんですけど、すげぇです」


 エドワードが語彙力を完璧に失った感想を述べる。


「私は、なんだか少し、いえ、大分、それが怖いです……」


 リックが真尋から一歩離れる。

 リックの気持ちは真尋にもよくわかる。この刀は、本当に恐ろしいものだ。使い方を間違えれば、数多の命を一瞬で奪えるほどに、強い力を宿しているのだから。よくこんなものをあの阿呆神は「じゃんじゃん使って下さいね!」と宣ったものだと定期的な手入れの度に思うのだ。


「だろうな。一応、神から賜ったものだ。領主に知られ……いやジルコンに知られるのが一番、面倒だから絶対に誰にも言うなよ」


 ジルコンの刀をアイテムボックスにしまって、代わりに腰のベルトに月時雨を下げる。


「これ以上の耐久戦は、どうやってもこちら側が不利だ。武器も魔法薬にも限りがある。この神から賜った武器でさえ、あいつが相手では正直なところどこまで持つかは未知数だ。……次で決めるぞ」


 真尋の言葉に彼らの表情がより一層、引き締まる。


「この五時間で分かっていると思うが、あれの鱗は全ての魔法を弾き返して来る。腹のほうは分からんが……ほとんど飛ばないところを見るに、なんだかんだあいつも限界が近いのだろう。少しずつだが、俺たちの攻撃に対する反応速度が遅れている」


 あのドラゴンが飛んだのは、たった三回のことだ。だが、その三回でこの空間にひびが入っているのだから威力のすさまじさを物語っている。

 馬たちを飛べるようにしていなかったら、真尋たちは呆気なく全滅していた可能性だってある。自由自在に駆け回れるのと地上一択では、避けるための動作が限られてしまうからだ。


「だが、大概の生物がそうであるが、こことここはさほど、防御力はないと思う」


 真尋は自分の目と、口の中を指差した。

 粘膜というのは、非常に繊細でデリケートな箇所だ。ドラゴンにとっても弱点であるに違いない。


「一路、お前は俺があいつをなんとかするから、あいつの口の中に盛大に光の矢をぶち込め。リック、エディ、俺と一路は正面から突っ込む。だが、ドラゴンが口を開くのは咆哮を上げる時とブレスを吐く時。咆哮は真上が多い。馬は真下に突っ込むのは少々、難しい。よって、ブレスを吐く瞬間が最も好ましい」


「で、でもブレスを浴びたら消し炭になる可能性だって……!」


 エドワードが言った。


「ブレスくらい、なんとかするから心配するな。俺と一路は、その瞬間のために逃げ回る。ロボ、地の魔法であいつの動きを封じることは可能か?」


 真尋の問いにロボは、少しの間を置いて頷いた後、一路に顔を向けた。


「……でも、片足だけだって」


 一路がそう付け足す。


「……なら、リックと協力して、あれの鬱陶しい尻尾をなんとかできるか? 可能なら、数秒でもいいんだ。あいつの動きを固定すれば、俺たちに向かって確実にブレスを吐くだろう」


 リックがロボを振り返り、ロボが尻尾を振ると「……分かりました」と神妙な顔で頷いた。


「エディは、リックとロボのサポートを頼む」


「任せて下さい!」


「一路俺が盾になるから、俺が退いた瞬間、矢を打てるように構えておけ、いいな」


「OK。任せて」


 一路が風花を握りしめて、笑って頷く。

 そして、各々、愛馬へと再び跨り背筋を正す。


「では、行くぞ」


「俺が真っ先に行く。リック、ロボ、頼むぞ!」


 そう言ってエドワードが飛び出して行き、数拍置いて、リックとロボが飛び出して行く。

 真尋もその背に続くように飛び出し、一路が後を付いて来る。エドワードがドラゴンの気を引いているのを助けるために顔のほうへ、真尋と一路も駆け出す。

 エドワードが頭突きを紙一重でよけ、真尋は咄嗟に氷の盾を出して、彼を襲おうとしたブレスの威力をいなす。その隙にエドワードが逃げ遂せ、赤い双眸が憎々しげに真尋を振り返り、凄まじい雄たけびを上げる。あまりの衝撃に鼓膜が破れそうで、顔をしかめる。

 吐き出される黒い霧が増えている。インサニアはじわじわと、だがしかし確実にこれの核を冒し続けているのだろう。

 一路とともに真尋は縦横無尽に走り回って、時折、魔法を駆使してドラゴンの気を逸らし続ける。

 ドラゴンが、再び飛び立とうと翼に力を入れたのが見て取れた。思わず身構えるが、ドラゴンが飛び立つことはできなかった。


「グルルゥ……っ!」


 ドラゴンが後ろを振り返る。

 リックとロボによって、長い尻尾が太い蔓によってぐるぐるに固定されていた。それを鬱陶しがって、ドラゴンが唸り声を上げる。エドワードが馬から降りて大地に手をつき拘束魔法を展開するリックを護るように前に出て、氷の盾を展開する。真尋は、ハヤテの鞍を蹴って飛び上がる。一路が同じようにそれに続き、愛馬たちは真尋たちと正反対の方へ駆け出していく。足元で風の魔法を起こし、空を駆けあがっていく。

 真尋は、手の中に地の魔法で出した石を全力で投げつける。それはドラゴンのこめかみ部分に当たっただけだったが、気を引くには十分だった。

一路は既に真尋の背後に移動している。

ドラゴンがゆったりと頭を上げる。グレーの横長の鱗に覆われた喉が何かを吐き出すかのように動く。ブレスの前兆だ。

 真尋は、月時雨を抜き、光の力をまとわせた。背後で濃密な一路の魔力を感じる。


「行くぞ!」


 そう叫んで真尋が踏み込むのと同時に漆黒の炎が真尋に向って吐き出された。


「っはぁぁあ!」


 真尋はそのブレスに向かって、月時雨を振り下ろす。ブレスが刀によって切られて左右に広がっていく。左手だけで持ち替え、右手で刃の峰を押す。凄まじい威力になんとか耐え、遂にブレスが途切れた。


「一路!」


 真尋は思いっきり、上へと飛びあがる。

 極限まで引かれていた一路の弓がぐうっとしなる。ほぼほぼ全力の魔力を注ぎ込んだのであろう強力な光の矢が眩い輝きを放っていた。

ピィィン、弦音が響き、光の矢は閉まりかけの口の中へと吸い込まれるように飛び込んでいった。

 一瞬の静寂が訪れ、ドラゴンの動きが止まる。

 光がドラゴンの口から溢れ出し、そして、全身へと広がっていく。

 紅い双眸が一瞬閉じられ、次に開いた時には眩い金色へと変化していた。だがしかし、それは獰猛な殺意を持って、真尋をとらえていた。


「まずい! 逃げろ!」


 真尋が叫ぶとほぼ同時にリックとエドワードが蔓を引きちぎった尻尾の攻撃をもろにくらって、吹っ飛んだ。翼が大きく動き、すさまじい風が起き、ロボが駆け出し、魔力を使い切ってほぼ無防備だった一路の盾になり、一緒に吹っ飛んでいく。


「このクソトカゲが!」


 真尋は叫びながら、駆け寄って来たハヤテに飛び乗り、エドワードとリックの下へ向かう。二人は思いっきり地面に投げ出されていて、生きてはいるが重傷なのは間違いなさそうだった。真尋はリックをハヤテに乗せ、その後ろへ跨る、エドワードを駆け寄って来たリックの馬の背に乗せる。エドワードの馬は、怪我をしているようだったが咄嗟にエドワードが護ったのか、なんとか自力で退避場所に逃げているのを確認する。

 真尋は目隠しに炎の壁を出して、その隙に退避場所へと移動する。

 ロボが一路を咥えて、同時に戻って来た。

 三人をその場に寝かせて様子を見る。おそらくだが、リックは足の骨が折れているし、エドワードはあばらと腕が折れている。一路は魔力切れを起こしていて意識がなく、ロボはなんとか立っているが一路を庇ったため、風をもろに食らったほうに大きな傷ができていた。

 リックとエドワードの懐を探って真尋が渡した魔石を取り出すが、どれもこれも空っぽになっていた。どうやら魔石の力が彼らをこの程度の怪我で済ませてくれたようだ。


「全員、生きている……治療してやりたいが、あのクソトカゲの討伐を優先させる。なに、里に戻れば優秀な治癒術師、ナルキーサスがいる」


 真尋は自分に言い聞かせるように呟いて立ち上がる。

 エドワードの馬が倒れてしまい、他の馬が心配そうにのぞき込んでいる。

 真尋は一路が握って離さなかった風花を自分のアイテムボックスにしまっておく。そして壁を背に、その向こうを覗きこむ。

 バーサーカー化が解かれたらしいドラゴンは、不機嫌そうに真尋を探している。尻尾がばしん、ばしんと大地を叩く度に足元が揺れる。


『真に愛を伝えし者、よくやり遂げた』


 不意に世界樹の声が脳内に響く。


『無事、バーサーカー化は解かれた。だが、長い苦しみの果てにあれは怒り狂って、我を忘れているようだ』


「ちっ」


 真尋は、携帯食を齧って自身の魔力と体力を回復させる。水球から直接水を口へ含んで、なんとか流し込む。

 だがこの討伐の間で食べ過ぎたのか、最初のように全回復とはいかない。これにも使用回数があるらしい。まずいくせに生意気だ。


「あれの怒りを鎮めなければ、どのみち災害は起こるんだろう?」


 壁に寄りかかり、煙草を取り出して咥え、火をつける。


『であろうな。手当たり次第に奴は暴虐の限りを尽くすだろう。ティーンクトゥスより賜ったその刀なれば、あれの首も落とせるだろう。もう我の力も底をつきかけている、あれがここから出て行くのも時間の問題だ……』


 ふーっと紫煙を吐き出し、真尋は左手の手袋を外す。

 煙草をくわえたまま銀色に輝く指輪にキスを落として、手袋をはめ直す。


「俺の親友と仲間を頼むぞ、世界樹」


『任された』


「ロボ、お前も頼む」


 ロボがこくりを頷いた。


「世界樹、最終確認だがあれは、俺の好きなようにしていいんだな」


 親指でドラゴンを差して告げる。


『ああ。永き友を喪うのは辛いが、どうか……討伐を』


 世界樹が悲痛を僅かにその温度のない声に忍ばせて告げた。

 真尋は「分かった」と告げて、吸い殻になった煙草を燃やして消し去り、細く長く息を吐き出し心を落ち着ける。

 真尋の帰りを待っている愛しいサヴィラとミアのために、真尋は一秒でも早く家に帰らなければならないのだ。


「ハヤテ、相棒を頼めるか」


 ハヤテが顔を上げてこちらにやって来た。長い顔を真尋に寄せて甘えるようなしぐさを見せた愛馬に真尋はその顔を撫でて応える。彼に守護魔法をかけて、その背に飛び乗った。


「行くぞ、ハヤテ。一刻も早い俺の帰宅のために、あのドラゴンをぶちのめす!」


 そう声を上げて、真尋は壁を飛び出す。

 金の双眸がすぐに真尋をとらえて、大きな翼がはためく。真尋はドラゴンの様子を伺いながら、辺りを走る。

 バーサーカー化は完全に解けたようだったが、その代わり、先程まで感じられなかった、全身を刺すような強い魔力を感じる。バーサーカー化により封じられていた、本来のアンファング・ドラゴンとしての力なのだろう。

 ドラゴンは真尋を見つけると、ぴたりと暴れるのを止めた。その代わり周囲を旋回する真尋を頭を低くして、じっと見つめて様子をうかがっている。

 そして、ドラゴンは力強く羽ばたき、飛び上がった。真尋は手綱を握りしめ、駆け出す。真尋の居た場所に吐き出されたブレスは先程までの漆黒ではなく、星のまたたく夜空を思わせる不思議な色をしていた。

 ブレスもまたインサニアに冒されていたのだと悟るのと同時に、そのブレスが空に大穴を開けたのに気が付いた。

 その向こうに、本来の世界の空があり、いつの間にかそこは夕暮れに染まっていた。


「まずいな……あれを里の方へ吐き出されると一大事だ」


 できる限り、空へむかって吐き出されるような位置に陣取りながら、魔法を繰り出し隙を作ろうと奮闘する。

 しかし、自由に飛び回るようになったドラゴンは、すいすいと真尋の魔法を避けて、ブレス以外にも氷系統の魔法を操るようになっていた。飛んで来る氷の刃を避けながら、真尋は負けじとその懐に入ろうと試みる。

 だが一歩のところで、ドラゴンが真尋を弾き飛ばそうとするのを避けるので精いっぱいだ。

 するとドラゴンがふいに真尋から視線を外した。その視線の先を追って、息を呑む。

 ドラゴンの金の双眸がとらえていたのは、仲間たちを守っている世界樹の作り出した岩の壁だった。ドラゴンの喉が動く。真尋はハヤテに声をかけ手綱を握りしめ、一気に駆け出した。

 ブレスが壁に向かって吐き出されたその瞬間、真尋はハヤテの鞍を蹴って飛び立ち、その間に入りこんで光の盾を展開した。なんとかブレスを防ぐが、盾で防ぎきれなかった分が岩の壁を削っていく。

 全力で踏ん張るが、徐々に押されてブレスが止むのと同時に放たれた尻尾による攻撃で盾が壊れ、壁にたたきつけられる。


「……ぐはっ!」


 ろくな受け身も取れずに背中を強かに打ち付け、息が詰まる。隣に転がる月時雨を抜こうにも、手が、腕が、動かない。

 ドラゴンは、それを好機ととらえたのだろう。氷の刃が無数に飛んで来る。避けるに避けられず、辛うじて頭を守るための盾だけを出す。神父服が防ぎきれなかった分が浅く突き刺さり、全身に激痛が走る。

 どくどくと体全体が心臓そのもののように脈打つ、真尋はそれでも立ち上がろうと意地と根性だけで月時雨を握った。

 世界樹の限界は、近い。いや、とっくに超えているのかもしれない。空が砕け散ったガラス片のようにパラパラと崩れ出し、大地も少しずつひびが入り始めていた。


「死んで、たまるか……っ! 俺には帰らねばならない、理由が、あるんだ……っ!」


 大事なものを喪ったサヴィラとミアを二度と悲しませないと、真尋は固く心に誓っているのだ。

 ドラゴンはそんな真尋を嘲笑うかのように、こちらを見ていた。


「このクソトカゲ風情が……あとでたっぷり後悔しろよ」


 真尋は月時雨を頼りに立ち上がる。

 まさか起き上がるとは思っていなかったのか、ドラゴンが不機嫌に尻尾を揺らした。

 左手の薬指に手袋の上から唇を寄せる。

 真尋がここで死ねば、仲間たちも死ぬ。世界樹が力尽き、エルフ族と妖精族の里は壊滅的な被害を被るだろう。下手をすればそこにいる領主が死んで、アルゲンテウス領は混乱に陥ることになる。

 我が子たちのために、真尋は何が何でも生きなければ、ここを守り通さなければならないのだ。ハヤテがいつの間にか真尋の隣にやってきた。逃げればいいのに、寄り添ってくれる愛馬に感謝して、その背になんとか乗る。

真尋は刀を腰へ戻し、そして、腰のロザリオを手に取り目の前に突き出した。もう刀に纏わせるほどの魔力が真尋に残っていない。


「ティーンクトゥス、俺が死んだら困るだろう。……少しでいい、力を貸してくれ」


 真尋の呼びかけに答えるように水晶部分が柔らかに輝く。

 ドラゴンは、再びブレスを吐き出そうとしている。これをまともにくらえば、多分、真尋は死ぬ。

 だが、何度だって言うが真尋は、生きるのだ。護るのだ。もう二度と、愛する人を悲しませないために。


「……雪乃、俺なら出来るよな。そうだろう?」


 心の底から顔を出そうとする絶望を無理やり押し込めて、真尋は愛する妻の名を呼んだ。

 いつものように真尋の心の中で、雪乃が「もちろんよ」と柔らかに笑ってくれる。あの笑顔は、いつだって、どんな時だって真尋を強くしてくれる。

 すると不思議なことに、ロザリオの輝きが眩いくらいに増して、水晶の中で揺れていた真尋の銀に蒼の混じる魔力が増えて、何故かそこに紫色が混じったように見えた。

 愛を司るティーンクトゥスだからこそ、愛する人の名を呼ぶ行為に意味を見出し、力を強めてくれたのかもしれない。

 こころなしか体の傷も痛みが遠退いている。相変わらずそこかしこからだらだらと血が溢れているが、一発、あのドラゴンをぶん殴るくらいは出来そうだ。


「ハヤテ、頼むぞ」


 ハヤテは応えるように首を振って、前脚で地面を掻いた。


「グルゥァァアアア!!!」


 ブレスが一切の容赦なく、真尋に向って吐き出された。真尋は愛馬の手綱を引き、潔くそこへ突っ込んでいく。ロザリオの光がブレスを消していき、そして途切れた。

 目の前にドラゴンの大きな顔があった。真尋はハヤテから飛び降り、その眉間にロザリオを握ったままの拳を思いっきり打ち込んだ。

 宣言通り、真尋はドラゴンを思いっきりぶん殴ったのだ。落ちる真尋の体をハヤテが受けとめてくれて、なんとか鞍に縋ってその背に戻る。

 ドラゴンが「ぐぅ」と短く呻いて、その頭が左右にぐらり、ぐらりと揺れて、ゆっくりと倒れていった。

 



 ナルキーサスは、広場に作られた簡易のテントで作られた救護所を背に祭壇の前を行ったり来たりと落ち着かない様子のジークフリートと律儀にそれに付き合うレベリオを見ながら、腕を組んだまま立っていた。隣ではアゼルが、はらはらした表情を隠しもせずに、祭壇を見つめている。

 マヒロたちが世界樹の中に入り、すでに七時間以上が経過している。辺りはとっぷりと日が暮れて、たいまつの灯りが煌々と広場を照らしていた。

 マヒロが最初に世界樹に教えられた通り、世界樹の限界はすぐそこに訪れていたようで、何度となくドラゴンの雄たけびが聞こえて、そして空に向かって真っ黒なブレスが吐き出されていたのを、見張り台にいた者が確認している。しまいには、何度も何度も世界樹を中心に大地が揺れて、立っているのも困難な大きな揺れも三回はあった。その上、ドラゴンに怯えて正常な判断ができなくなった魔獣や魔物が里に入り込んできたが、なんとか対処はできた。

 それらに伴い怪我人が出たが、皆、大きな怪我はなく一番大きな怪我で地震で棚から落ちてきた壺で脳震盪を起こした者がいただけだ。

 一時間ほど前、ぴたりとドラゴンの雄たけびが聞こえなくなり、辺りはひりつくような静寂に包まれている。


「大ババ様、世界樹は何か言っていないのか」


 ダールが、地震で転んでしまいそれ以降、椅子に座らされたケラススに問うが、ケラススは首を横に振った。

 だんだんと不安と焦燥が辺りに広がっているのを感じるが、ナルキーサスにはどうすることもできない。世界樹の中に招き入れられるなんてこと自体が、歴代の巫女にだって起こったことのない出来事なのだ。


「キース様……神父様、大丈夫でしょうか」


 アゼルが不安そうに言った。


「あいつが大丈夫じゃなきゃ、皆で仲良くドラゴンの腹に収まる覚悟をするしかないだろうな」


 アゼルがあからさまに顔を蒼くしたが、事実は事実だ。

 ナルキーサスは、腕を組みなおし、じっと祭壇を見つめる。しかし、やはり何の変化もないそこに、一度、薬の確認に戻ろうかとしたところで、ケラススが立ち上がった。


「……戻ってくる」


 その言葉に祭壇へ顔を戻した瞬間、淡い金の光に祭壇が包まれる。

 ジークフリートとレベリオが足を止め、ナルキーサスも祭壇に駆け寄る。

 だんだんと何かの陰がみえてくるが、それが人の形ではないことに気付いて、レベリオがナルキーサスの腕を掴んで止めた。


「……マヒロ? イチロ?」


 ゆっくりと現れたのは、ロボを先頭にした馬たちだった。

 ナルキーサスたちは、目を見開き息を呑む。

 馬たちの背には、それぞれの主が満身創痍の状態でのっかっていた。ロボの白銀の毛並みは血で汚れている。その中でも見て分かるほどにマヒロが酷い怪我を負っていて、ハヤテの首に持たれた彼は意識が無いようで、だらんとぶら下がる腕からとめどなく血が滴っている。イチロもリックもエドワードもうつぶせのまま、ぴくりとも動かなかった。

 最初に倒れたのは、エドワードの馬だった足に怪我をしているのか、立っていられなかったようだ。彼女の背にはエドワードはおらず、エドワードはコハクの背に乗っていた。


「治癒術師は全員、救護所へ! 薬師もだ! レベリオ、イチロを! ジークフリートはマヒロを、ダールたちはリックとエドワードを! 骨がどこかしら折れているかもしれん、慎重に救護所へ運べ!!」


「下がりなさい、キース!」


 またもレベリオに腕を引かれ、彼の背に庇われた。

 何故かレベリオは剣を抜いていて、ジークフリートや他の者も剣や槍、弓を構えている。文句を言おうとした口を閉じて、その武器が向けられる先を見て息を呑む。


「ギャウギャウ」


 丁度、大人の腕で抱えられるくらいの真っ黒いドラゴンが後から出てきたのだ。

 金色の双眸に黒い鱗、蝙蝠のような翼に宝石のような背びれと長い尻尾。すさまじい存在感を放つドラゴンが宙に浮いていた。


「ど、どういうことだ? 討伐に失敗したのか?」


 ジークフリートが剣を構えたまま言った。

 ドラゴンは、マヒロの周りをうろうろして、その顔を覗き込んで、頬を舐めたりしている。


「だが、敵意がある様子では……おい、まさか!」


 ナルキーサスは、ドラゴンとマヒロに向って解析魔法を発動させる。

 そこにははっきりとマヒロとドラゴンを繋ぐ、従属の鎖が見えた。


「……マヒロ、とんでもない無茶をしたな……貴様、この怪我でドラゴンと従魔契約を結んだな!?」


 ジークフリートの口があんぐりと開いて、レベリオが「嘘でしょう!?」とナルキーサスを振り返る。ナルキーサスは、レベリオの背から出て、マヒロに駆け寄り、ヒアステータスを唱える。

 MPの数値は、2。HPが辛うじて、30。というありえない数字を刻んでいた。思わず呼吸と脈拍を確かめる。辛うじてどちらも確認できたが、何で生きているんだ、と頭を抱えたくなる数字だ。


「こんの、大馬鹿野郎が!!」


 ナルキーサスは叫んでマヒロに貰った魔石を彼の手に握らせた。レベリオに、このまま握らせるように言って場所を代わり、他の者をさっと診るがイチロは完璧な魔力切れ、リックとエドワードは瀕死の重傷だがマヒロほど、ステータスの数値は落ち込んでいなかった。


「起きたら説教だ! すぐに救護所へ! アゼルと手の空いている者は健闘したロボと馬たちを頼む!」


 ナルキーサスの指示で、今度こそ、四人が救護所へ運ばれる。


 四つのベッドに四人をそれぞれ寝かせ、ナルキーサスは白衣の襟を正す。里の治癒術師たちもテントへ続々とやって来る。


「マヒロが一番、酷いため、私が診る。カメリア、リリー、助手を頼む。ウィロウとケールはリックとエドワードを、ホリーはイチロに魔力回復薬を飲ませてやってくれ」


 穴だらけの神父服にナイフを突き立て破ろうとするが、こざかしいことにどれだけの防御力があるのか、ナイフが欠けた。仕方なく、神父服を自身のアイテムボックスにしまう。それをみたレベリオが、残りの三人の服も同じようにして脱がせた。

 真尋の体は全身傷だらけで、最悪と言ってよかった。何で生きてるんだ、本当に。


「レベリオ、君も私の介助を頼む、今から言うものを揃えてくれ」


「分かりました」


「おい、そこの黒トカゲ!! ここは魔物、魔獣は立ち入り禁止だ! 今すぐ出て行け! 魔法薬の材料にするぞ!!」


「ギャ、ギャウ……っ!」


 マヒロの傍をうろうろするドラゴンを怒鳴りつけて追い出したナルキーサスに、レベリオが頬を引き攣らせるのだった。




ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

いつも閲覧、評価、コメント、ブクマ、励みになっております。


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。


次回更新は、12(土)、13(日)、19時を予定しております。

*更新日時は予告なく変更する場合がございます

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何とかドラゴンのバーサーカー化を治して怒りも何とか(?)なりましたね。 それにしてもドラゴンをテイムするって凄いです!! [一言] 流石にドラゴンですね、真尋がここまで満身創痍になるなん…
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