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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
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第二十二話 整えた男


 世界樹の下へ戻ると、腰の曲がった老婆が祭壇の前に立っていた。

 その脇には、白い簡素なワンピースを身に纏ったエルフ族の若い女性が二人、弓を手に立っている。


「マヒロ神父殿、あのお方は皆が大ババ様と呼んでいる……巫女のケラスス様だ」

 

「まるで絵に描いたような大ババ様だね」


 一路がぼそりと呟いた。

 巫女様と呼ばれた老婆がゆっくりと顔を上げてこちらを振り返る。老婆の両目は、白く濁っていて焦点が合っていない。


「…………真の、愛を伝えし者。よう、参られた。私は、巫女のケラスス」


 大地に染み渡る雨のような声だった。

 真尋たちの何倍、いや、何十倍、何百倍と長生きしているのであろう目の前の老婆は、真尋の腰ほどもない小柄な体躯だというのに、その存在感は、まるで大樹のようにどっしりとしている。


「時間はもうない。世界樹がお二人を望んでおられる。ここへ」


 大ババ様の言われるままに真尋と一路は、彼女が手で示した通り、世界樹の幹の洞に作られた祭壇の前に立つ。

 木製の祭壇の上には、水晶玉のような透明な玉が金の台座に置かれていて、その周りに花が飾られている。一対の燭台の灯りが水晶玉をキラキラと輝かせていた。


「宝玉に手を」


 皺だらけのか弱い手が真尋と一路の手首を取り、そのまま祭壇の上の宝玉に導かれた。


「名を、世界樹に」


「神父の真尋と申します」


「見習い神父の一路と申します」


 二人が名乗ると水晶玉が、じわじわと輝き出す。

 ぐいっと何かに手を引っ張られるような感覚に身構えるより早く、目の前にあったはずの祭壇が消え、真尋と一路は延々と地平線が続く平原へ放り出されていた。落下の衝撃に身構えるも、目の前の景色にも体感にもなんの変化もなく体が浮いていることに気づく。


「ここ、どこ?」


「…………これは、まあ随分と、厄介そうなのがいるな」


 茫然と呟く一路より早くそれに気付いた真尋は、思わず眉を寄せる。

 真尋の視線を辿るように振り返った一路が息を呑み、真尋の後ろに慌てて隠れる。


「え? 嘘でしょ!? 何あれ!? 嘘でしょ!?」


「嘘じゃないだろうな。シルワが枝に託したドラゴンと同じような形をしているし、色も同じだ」


 二人の視線の先には、ブランレトゥの屋敷より大きな真っ黒いドラゴンが、一頭、うずくまっていた。

 強靭そうな体躯は艶やかな黒い鱗に覆われ、頭には長く大きな角が一対、その角の前にその半分くらいの大きさの角が一対、全部で四本の角が生えている。背骨の上にはずらりとひし形のような背びれが並んでいて、その背びれは、ラブラドル長石と呼ばれる黒に蒼の混じる夜空のような準貴石に似ている。

 荒い呼吸に大きな体が忙しなく揺れていて、真尋の背丈と同じくらいありそうな牙が生える口からは、見覚えのある真っ黒な霧のようなものが、じわじわと溢れている。

 蝙蝠のような翼がむず痒そうに動き、大きな頭を苦しそうに何度も振っている。


――グッォォォォッォオオオオオーー!!!!


 凄まじい雄たけびと共に真っ黒な炎と共に吐き出された黒い霧が辺りに広がる。

 長い首をもたげて、ドラゴンが振り返る。

 鋭い双眸は、本来の色も分からぬほど血のような紅に染まりきっていた。


「ふむ、見事なまでにバーサーカー化しているな」


 真尋は腕を組み、顎を撫でる。


「何でそんなに冷静なの⁉」


 一路が泣きそうな顔で叫ぶ。


「焦ったって仕方ないだろう。どのみち、これを倒さないと俺は娘と息子に会えないんだ。お前だってティナに会いたいだろ」


「そ、そうだった! 僕もティナちゃんに会いたい……どうしよう、一射、光の矢でも打っとく?」


 ワクチン一本打っとく?ぐらいの勢いで聞いてきた一路に、こいつも本当に大概だ、と心中で思いながら真尋は首を横に振った。


「仕度をしていないだろう。それに俺たちはドラゴンからは見えていないはずだ」


「でも、こっち見たよ、あれ? あっち向いた」


 ドラゴンは、何かを探すように立ち上がり辺りを見回しているが、真尋たちの存在は見えていないようだった。世界樹は、まず偵察の意味で真尋たちをここへ呼んだのだろう。

 ここから見ているだけでもすさまじい魔力と力強さを感じる存在だ。目に見えずとも自分以外の何かがいるのは分かっているに違いなかった。


『ティーンクトゥスの加護を受けた人の子よ……我は世界樹。アーテル王国の地の力を司る者』


 男とも女ともつかない不思議な声が聞こえてきた。辺りを見回すが誰もいない。


『よくぞ参ってくれた。ここは我の作り出した空間だ。だが、もう崩れるのも時間の問題。もう我の力は限界に近く、我が子を……年若い精霊樹を死なせてしまった。それにやつの気配が漏れ出し、魔獣たちが森から逃げ出し始めた。人の子らそれを見て来たであろう?』


 その声は直接脳内に響く。


『……あれは、ルドニーク山脈を支配しているアンファング・ドラゴン、ここ千年ほど、眠りについていた。だが、インサニアを察知し目覚め、愚かにも触れてしまったのだ。強靭な精神力でなんとか自我を保ち、ここへきた。……やつと我は古き友なのだ。自分がこの国を滅ぼしてしまうほどの脅威である故に我に助けを求めやってきた。だが、やつも限界に近い。もうすでにほとんど正気は失われている――神父殿、浄化とともに討伐を』


「……あれが、山脈を離れたとして、影響はあるのか」


『伝説種のドラゴンは自然そのもの。本来であれば、生きているのが一番良い。それだけで大地の力の巡りが整うからな……だが、インサニアによって冒されているやつの力は逆に力の巡りを狂わせ、大地を穢し、遠からず厄災を招く。やつが死ねば……暫し、山脈を中心に気候が荒れ、その周辺は自然災害に見舞われるだろうが……直に、次代の支配者たるアンファング・ドラゴンが大地より産まれいずる』


 つまり目の前のドラゴンは、大地や自然を統率する要の存在だということだ。だが、それがバーサーカー化し、インサニアに冒されている今、その多大な影響力がマイナスに働いている、或いは、働いてしまうということか、と納得する。

 ただただ厄介だな、と眉を寄せる。


「……一度、討伐のための準備に戻っても?」


『無論、かまわぬ。やつは一筋縄ではいくまい。万全の準備を……だが、時間はもうほとんど残っていない』


「一時間でいい」


『ならば、一時間後、もう一度、祭壇に立て。誰を連れて来ても、何を連れて来てもかまわん。なんとしてでも討伐を。さもなくば、アーテル王国はやつの瘴気に飲み込まれ、魔獣たちは軒並みバーサーカー化し、人々は死の痣に冒され、そして、穢れが広がり続け生物は絶え、大地は死ぬだろう』


 世界樹は淡々と告げる。そこに生物としての温度はなくて、背筋に冷たいものが走る。一路が真尋の服を縋るように掴んでいる。

 だが、真尋が再び口を開くより早く、視界が揺れて真尋と一路は祭壇の前へと戻っていた。


「マヒロ」


 ジークフリートの声に振り返る。

 皆が緊張に支配された顔で真尋たちを見つめていた。巫女のケラススの濁った目もじっとこちらを見つめている。


「……アンファング・ドラゴン。それが世界樹の作り出した空間でバーサーカー化していた」


「アンファング・ドラゴン? そんなのは伝説上の生き物で……っ! 討伐ランクだってついていない!」


 ダールが信じられないといった様子で叫ぶ。

 ざわめきと動揺がさざ波のように広がっていく。どうやら真尋たちが知らないだけで、アンファング・ドラゴンがなんであるか、エルフ族や妖精族は知っているらしい。中には顔を青ざめさせて、倒れそうになり仲間に支えられている者もいる。


「ドラゴンは、シルワが教えてくれた通り。インサニアに触れてバーサーカー化した。しかし、ドラゴンは世界樹に助けを求めてやってきたらしい。結果、世界樹はやつを自身が作り出した空間に閉じ込めて、なんとかインサニアやドラゴンの影響を遮断している。とはいえ、かなり強大なドラゴンであることが今回の最大の問題なのです。何故なら、本来、インサニアは魔獣の核を冒して壊す。そうすれば魔獣はバーサーカー化していようと息絶えます。ですが、このドラゴンはあまりにちからが強大過ぎて、ちょっとやそっとでは核が壊れることはない。おそらくあの空間を抜け出せば、ただの脅威となるのでしょう。世界樹も限界が近いようで、精霊樹が枯れたのはその前兆。すでにドラゴンの気配が漏れ出て、魔獣たちも逃げだしていて……世界樹はもちろん、私たちにも、そして、ドラゴンにも時間がないのは明白です」



「……時の遥か彼方、遠い遠い昔、一つの尊き命、黒き鱗をまとい、大地より産まれいずる。ルドニーク山脈を生み出し、王国の創世を見守り、神に仕えた審判のドラゴン。それがアンファング・ドラゴンの言い伝えです」


 族長のクェルクスが青白い顔で告げる。


「マヒロ、本当にそんなものがいたのか? 別の種ではなく?」


 ナルキーサスまでそう問いかけて来る。よそ者――どころか異世界から来た――真尋たちには理解しかねるが、よほどあの黒いドラゴンは、彼らにとって信じがたい存在のようだ。


「世界樹がアンファング・ドラゴンだと告げた。それに嘘でも本当でもやらねばならん。世界樹は何が何でも、どのような手を使ってでもドラゴン討伐をと望んでいる。そうしなければ、王国は死に絶えるとまで言っていた。……無論、命の保証は一切ない。リック、どうする?」


「行きます。私は貴方の護衛騎士ですから」


 リックはいつもの柔和な笑みを浮かべて即答した。


「エディさんは、どうしますか?」


 一路が躊躇いがちに問う。


「俺だって行くに決まってる。俺はイチロの護衛騎士であることが誇りなんだ。それにマヒロさんが負ける訳ないだろ?」


 エドワードが、にやりと笑って肩を竦めた。一路が「まあ、そうなんだけど」と苦笑を零す。


「領主殿、クェルクス殿、正直なところ、世界樹が作り出した空間が崩れるのも時間の問題のようでした。戦闘中に崩れてしまう可能性もある。ですので、こちらで住民の安全確保を最優先しながら待機をお願いします」


 ジークフリートは、何を言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。勇敢な彼のことだ。ともに行く覚悟もしていてくれたのだろうが、彼は、ただの騎士ではなく領主だ。その身には領民の命が重く圧し掛かっている。


「分かった。任せておけ。クェルクス、ダール、里の警備について話し合いたい」


 ジークフリートは、そう告げてクェルクスとダールとともに広場を後にする。


「リック、エドワード、準備に充てられるのは、一時間だ。馬たちを連れて行くので、その仕度を。聖水を渡すから、飲ませて回復させてやってくれ。一路は、どちらにする?」


 真尋の問いに応えたのは、一路ではなくロボだった。にゅっと出て来て、真尋の前に座った。


「僕は琥珀に乗る。ロボはロボで参戦したいらしいよ」


「血気盛んなことだ。頼むぞ、ロボ」


 ロボはこくりと頷いて、ふさふさの尻尾をゆったりと揺らした。

 リックとエドワードがすぐに馬たちの下へ行き、一路は、その辺にいたエルフ族に馬用の水桶を頼んでいた。聖水作りは彼に任せて、真尋はアゼルを振り返る。


「アゼル、君はナルキーサスのフォローを頼む」


「はい!」


 アゼルは、緊張した面持ちながら、力強く頷いてくれた。それに満足げに頷いて、真尋はナルキーサスへ顔を向ける。


「キース、万が一、けが人が出たらその時は頼むぞ。正直、どれだけ里に影響が出るかは分からん」


「ほらなやっぱり私を連れて来て正解だったろ? このアルゲンテウス領一の治癒術師である私が誰一人だって死なせるものか」


 ナルキーサスがふふんと笑って言った。

 彼女のその自信満々の表情に真尋も自然と小さく笑みを浮かべた。


「俺たちは一度、身支度のために馬車へ戻る。何かあればすぐに呼んでくれ」


そう声をかけて、広場の片隅に停められた馬車へと真尋は歩き出したのだった。




 馬車の中の家のリビングで、真尋は神父服を二人分取り出していた。

 何で出来ているかは分からないが異様に丈夫な神父服は、いつ見ても新品のように綺麗なままだ。


「ロボ、ありがとう。真尋くん、来たよ」


 一路の声に顔を上げれば、リックとエドワードを伴いロボがリビングへやってくる。真尋も近寄って来たロボの頭を撫でて、お礼を言う。


「どうされました?」


 リックが、何か深刻なことでもあったと思っているのか心配そうに首を傾げる。

 真尋は、ソファの背凭れに掛けた神父服一式を指差す。


「お前たちがその騎士の制服を大事にしているのは分かっているし、それなりに防具も持参しているのは承知の上だが、この服に勝る防具はない。よって、俺のを貸してやるから着替えろ」


「え。で、ですが……神父服は神聖なものでは?」


 リックが深緑の瞳をぱちくりさせる。


「こんなものはただの制服みたいなものだ。お前たちは無駄に大きいからな……少し袖が足りんか?」


 真尋はワイシャツを手に取ってリックにあてる。リックもエドワードも190㎝以上あるので、真尋より数センチ大きいのだ。


「エディさん、僕のはサイズが合わないから貸せなくて、真尋くんのを借りて下さいね」


「これなら多少、ドラゴンの攻撃を浴びても大丈夫なはずだ。……伝説種に対応しているかは知らんが」


「普段からなんつーものを着てるんです?? 日常生活でドラゴンの攻撃に対する耐性いります??」


 エドワードが真顔で言った。


「備えあれば憂いなしだ。さっさと着替えて来い」


 一式をそれぞれの腕に押しつけると、ようやく二人はリビングを出て行く。近くの部屋で着替えたのだろう。二人はそう待たずして戻って来た。

 黒い神父服は、背の高い彼らにもよく似合っている。腰にはベルトを巻いていて、彼らの愛剣が下げられていた。


「ど、どうでしょうか……」


「何でちょっと照れているんだ」


 リックが気恥ずかしそうにしているのに、苦笑を零しながら様子を確かめる。

 リックもエドワードも心配していたほど窮屈でもなさそうだし、袖丈も問題なかった。


「これ、何で出来ているんですか? すごく軽いですし、動きやすいです」


「知らん。司祭が寄越したものだからな。さて、次は、魔石を出せ」


 真尋の言葉に「えー」とか言いながら、二人が小袋に入れていた魔石を取り出す。真尋と一路、それぞれの光の力を付加した魔力を込めた石は、柔らかな金色に輝いている。

 真尋は、それぞれの手ごと魔石を包むように手を重ね、魔力を魔石に入る分だけ注ぐ。それに気付いたのだろうリックとエドワードが、咄嗟に手を引っ込めるより先に仕事は完了だ。


「マヒロさん! これから戦いだっていうのに何を……!」


「大丈夫。すぐに回復する……これを食えばな」


 真尋は渋々、あの口内の水分全てを奪っていく携帯栄養食(ナッツ入り)を取り出して、ガリっとかじる。一路がすっと差し出してくれた水でどうにか流し込めば、失った分の魔力はすぐに補われたのを感じた。

 これは非常に優秀なのだが、とにかくぱさぱさで不味いのがいけない。


「水と一緒に摂取することを推奨するが……これも持っておけ。いざとなったら食えよ」


 真尋と一路、それぞれの護衛騎士に一本ずつ渡す。二人は、ありがとうございます、と恭しくそれを受け取ってアイテムボックスへしまった。

 それから、とりあえず大まかな作戦について話し合う。生憎と真尋たちは神父で、彼らは騎士だ。伝説のドラゴンと戦った経験のあるものはいないし、それはエルフ族や妖精族にも言えることだ。

 本当に大まかな役目くらいしか決めることは出来ない。あのドラゴンが世界樹に助けを求めるくらいなのだから、今も自我をきっちり保っていて、こちらに素直に浄化させてくれればいいが、そう簡単にはいかないだろう。


「浄化は一路、お前に任せる。矢を思いっきりぶち込んでやれ。ロボは一路のことを頼むぞ」


 ロボがこくんと頷いた。


「リックとエディは、俺と共に。ドラゴンの体力を削って、あわよくば隙を作るのが仕事だ」


「分かりました……。こんなことならもうちょっと真剣にドラゴンの討伐方法でも学んで来ればよかったですね。下位種だったら分かるんですが……」


「バーカ。んなの学んだって、相手は伝説種だぞ。多分、通じないさ」


 エドワードがリックの呟きに肩を竦めた。リックが「それもそうか」と眉を下げる。


「……これで大体か。あとは……ああ、そうだ。エドワード。この間、ここへ来るにあたって、蹄鉄を変えてもらっただろう? 異常などはなかったか?」


「はい。ありませんでしたし、走りやすいようで皆、気に入っているようですよ。流石、マヒロさんが用意してくださっただけはあります」


 愛馬をこよなく愛するエドワードが嬉しそうに言った。


「そうか。なら良かった……まあ、あの蹄鉄は少し細工がしてあってな。子どもたちが喜ぶかと思って作ったんだが、ここで使うことになろうとは分からんもんだな。実はあれはな、」


 ここでリックがどこからともなく日記帳を取り出し、ペンを構えた。エドワードの笑顔がぴしりと固まる。


「空を飛べるようになってる」


「「空を飛べるようになってる」」


 リックとエドワードが復唱する。


「あれは蹄鉄型の魔道具でな。風系統の術式紋を刻み込んであるんだ。騎手が手綱を通して魔力を流せば、それに反応して、発動するようになっていて、足元にウィンドリフトが発生する。すると空を駆けあがり、走り回れるわけだな」


「なんでそんな機能をつけたの?」


 一路が不思議そうに首を傾げる。


「帰りは、空飛んで帰ろうかな、と思ってな。そのほうが速いだろう。ただ馬への負担が如何ほどかと分からんから、確実にここへ来るのに使うのは断念した。無事にここへ到着したら、諸々が解決後、馬たちの様子を見て、使おうかどうか考えていたんだ。だが今は非常事態だ。仕方ない。ぶっつけ本番だが、やはり相手があの巨大なドラゴンであるなら、空を飛べたほうが良いだろう? 翼があるってことは、あれも飛ぶんだろうしな」


「……なにかもう、何をどうこれに書いたらいいか、さっぱりです」


 リックが片手で顔を覆いながら言った。

 エドワードが、そんな相棒の肩を憐れむような顔をして叩く。


「さて、仕度はできたし、さっさと行くぞ」


 真尋は、そう声をかけて歩き出し、一路がついてくる。何かを諦めた顔でリックとエドワードもついて来た。

 馬車の外へと出て、世界樹の下へ戻る。

 集まっていた人々が顔を上げ、人垣が割れて祭壇までの道ができる。

 祭壇前には、ロボと愛馬たちが待っていてくれた。愛馬たちは、馬用の鎧を身に着けていて、重々しい空気に少し落ち着かない様子だった。

 真尋たちは、それぞれの馬へと乗る。愛馬のハヤテに声をかけ、首筋を撫でれば彼は、勇ましく鼻を鳴らした。


「マヒロ」


 ジークフリートが前に出て来て、真尋を見上げる。


「ただの神父である君やイチロに任せるには、あまりに荷が重いことだとは承知しているが、君たちにしか頼めないことでもある。頼むぞ。我がアルゲンテウス領、ひいては我らがアーテル王国のために」


「ええ。ここであのデカイトカゲを倒さないと、ミアとサヴィラに害があるので全力を尽くします。それに一秒でも早く帰宅したいので」


「……君は、こんな時でもぶれないな……」


 ジークフリートとその横のレベリオの頬が引きつっているし、周りは目を丸くしているが真尋はいたって真剣である。ナルキーサスだけは「そういうところだぞ」と可笑しそうに笑っていた。

 真尋は、腰のロザリオを手にとり翳す。


「慈愛の神、ティーンクトゥスよ。困難に立ち向かうわれらに守護の風を」


 真尋の祈りに反応するようにして、ざあっといつもより少し強めの風が吹いた。どうやら彼もやる気に満ち溢れているようだった。

 真尋は、呆気にとられるエルフ族と妖精族を横目に世界樹へと向き直る。


「では、行ってまいります」


 真尋たちは祭壇の前に並ぶ。

 ケラススが前に出て来て、世界樹を見上げた。


「世界樹様、戦士たちの準備が整ったようでございます。どうか、彼らに命の風が吹かんことを」


 染み渡る不思議な声に応えるように世界樹の枝が揺れて、そのざわめきに飲み込まれるようにして真尋たちは強い力に引っ張られる。

 腹に力を入れてそれに耐えれば、目の前にあの平原が広がっていた。馬たちに装備させた蹄鉄は、順調に仕事をしているようで、四人は転移直後に間抜けにも地上に落ちずに済んだ。


――グルルルルル……


 低い唸り声が不気味に響く。

 眼下に見下ろす先で、アンファング・ドラゴンは、赤い瞳を狂悪に輝かせ、こちらを睨んでいる。

 真尋は、腰に下げていたジルコン作の刀を抜く。


「リック、エディ、イチロ、今回の目標も俺の一刻も早い帰宅だ! こちらにはティーンクトゥスの加護がある。絶対に怯むな、負ける心配は一切不要! 行くぞ!」


 三つの力強い返事と、一頭の雄叫び、四頭分のいななきと共に真尋は、愛馬の腹を蹴ったのだった。




 なんだか今日は朝からずっと胸がざわざわする。

 サヴィラは、落ち着かない気持ちを持て余しながら、母の姿を探して屋敷の中を歩いていく。

 父の部屋にもミアの部屋にも図書室にもサロンにもいない。ミアとテディの姿もなくて、母と一緒なのだろう。

 サヴィラは、厨房の中を覗き込む。


「母様? ミア、いる?」


「サヴィラ坊ちゃま、いかがなさいました?」


 厨房にはミツルとクレアがいた。彼らの手元には銀製の食器やカトラリーがあり、作業台の上にはそれらが大量に並んでいた。


「何してるの?」


「ミツルさんに銀食器の磨き方を教わっているのよ。この間、片付けをしている時に見つけたんだけど大分曇ってしまっていたから困っていたのだけれど、ほらこんなにピカピカ」


 そう言ってクレアがピカピカになったスプーンを軽く振って見せた。


「そうなんだ。すごいね……どうやってやるって違う! 母様とミア知らない?」


「お二人でしたら教会のほうにいらっしゃると思いますよ」


「ありがとう。じゃあ、俺もそっちに行ってみる。……でも、気になるから後で俺にも教えてね」


「坊ちゃまにでしたら、幾らでも」


 快く頷いてくれたミツルに礼を言って厨房を後にする。

料理教室開催以降、ユキノたちも厨房への出入りが許可されている。料理教室しちゃったんだからもういいだろうとジョシュアが半ば諦め気味に言っていた。

 サヴィラは厨房の向かいの休憩室を通って、そのまま外へと出る。


「さむ……」


 上着を着て来なかったことを少々後悔しながら、教会へと足を向けた。

 開院を間近に控えた教会は、既に足場が外されている。

 外壁の汚れが綺麗に洗い流され、破損個所が修復された今は随分と見違えるほど綺麗になった。遠い昔の荘厳な姿を確実に取り戻しつつある。かつてはこの青の1地区の半分以上が教会の敷地だったらしい。

 教会のドアを開けて中に入れば、ひんやりとした空気が頬を刺す。

 案の定、母と妹の姿がティーンクトゥス像の前に有って、テディがその近くに座って二人を見守っていた。テディの背中の岩の上では、タマが楽しそうに遊んでいる。

 サヴィラは、少し早足になりながら、彼女たちの下へ行く。不思議と彼女たちの周りは少しだけ暖かかった。

 サヴィラに気づいた母が顔を上げて振り返る。母の手の中でロザリオがきらりと光った。


「どうしたの、サヴィ」


「いなかったから、どこに行ったのかなと思って……お祈り中だったのに、ごめん」


「大丈夫よ。ティーンクトゥス様は、そんな小さなことを気にする神様じゃないわ」


 いらっしゃいと手招きされてサヴィラは母の隣に行く。ミアは相変わらず熱心にお祈りをしている。余程、集中しているのか顔を上げる様子もない。


「またミアが行きたいって言ったの?」


 母の隣にしゃがみこんで小声で問いかける。

 ユキノは、ちらりとミアを見て苦笑交じりに頷いた。


「なんだか落ち着かないみたいで……もしかしたら真尋さんがいよいよ困難に立ち向かう時が来たのかもしれないわね」


 ユキノがティーンクトゥス像を見上げて言った、サヴィラは自分の心が朝からざわざわする原因を見つけた気がして、眉を下げる。

 母の横顔にも僅かな不安があるようにも見えたけれど、それ以上にマヒロへの揺るがぬ信頼が見て取れた。


「……父様、大丈夫かな」


 ぽつりと呟くと、銀に紫の混じる瞳がこちらに向けられ、優しく細められた。


「大丈夫よ。だって真尋さんだもの」


 伸びてきた細い手に頬を包まれる。

 父の力強い手と違う、折れそうなほど細くてか弱い手。力だってサヴィラの方が強い。それなのに父と同じくらいに安心する優しい手だ。


「……お祈りが終わるの、待っててもいい?」


「ええ。でも寒いでしょう? これを肩に掛けていなさい」


 そう言ってユキノは、どこからともなく薄紫の厚手のショールを取り出してサヴィラの肩に掛けてくれた。ふわりと優しい花の香りがして、なんだかくすぐったい。


「母様は、寒くない?」


 一応、ユキノもショールを肩に掛けているが、薄ピンク色のそれはサヴィラのものより薄手に見えた。


「寒くないわ。大丈夫よ」


「なら、いいけど……ありがとう」


 お礼を言うとユキノは「どういたしまして」と笑った。

 見上げた先で、襤褸をまとったティーンクトゥスは今日も穏やかに微笑んでいる。銀色の眼差しは、冷たい石でできた体の中で、唯一、温度を持っているように見えるほど、優しい。


「……まだあまり好きになれないかしら」


 不意に投げかけられた言葉に顔を上げるとユキノと目が合った。母は少し困ったように笑っている。


「ミアが言っていたのよ。サヴィラはティーンクトゥス様があまり好きじゃないって」


「……今は、そうでもないよ。……ね、やっぱり俺もお祈りしていい? 父様が大変なら俺のお祈りだって少しは役に立つかもしれない」


「ふふっ、もちろんよ」


 微笑んだ母の隣に膝をつき、ロザリオをアイテムボックスから取り出して祈るように組んだ手の中で握りしめる。

 母もサヴィラの隣で祈るように手を組んだ。ロザリオのガラス玉の中で揺れる彼女の魔力は、マヒロのそれとよく似た色をしていた。

 熱心に祈り始めたユキノとミアを横目に、サヴィラも父の無事を優しい神様に祈るのだった。








ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

長い間、お待たせしたにも関わらず、待っていて下さった皆様のおかげです。


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 嬉しすぎて泣けて来ました。 お帰りなさい!
[一言] 更新ありがとうございます ずっと待ってたのですごく嬉しいです 季節の変わり目で寒暖差が激しいのでお身体に気をつけてください これからも楽しみにしています。
[一言] 更新有り難うございます♪待ってました〜。
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