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称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
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第二十一話 辿り着いた男


「本来であれば、もう少し滞在したいのだがエルフ族の里が気がかりだ。出来得る限りの手は打ち、近くの師団と冒険者ギルドに応援は頼んである。持ちこたえてくれ」


 ジークフリートが村長と自警団の団長、そして、シケット村に派遣されている騎士の隊の小隊長たちに告げる。シケット村には二つの小隊が近くの師団から派遣されていた。

 真尋は、愛馬の上で辺りを見回す。大勢の村人や騎士たちが見送りに来てくれている。アゼルの父も息子に支えられながら、アゼルの見送りに来ていた。

 辺りはまだ薄暗く、今まさに夜が明けようとしている時間帯だった。


「心配しないでください。そちらの騎士様がくれた魔獣除けの水のおかげで、魔獣たちは近寄っても来ないし、怪我人もみな、寝ていれば治るくらいの治療をしてもらえました。応援が駆けつけるまで、持ちこたえて見せます」


 村長の言葉にジークフリートが「頼むぞ」と頷き握手を交わす。

 アゼルは、父の前に歩み出て騎士の礼を取る。


「父さん、行ってきます。絶対に無事に戻って来るから、父さんたちも絶対に無事でいてくれ」


「ああ。当たり前だ。俺たちは大丈夫だから、お役目を全うして来い」


 父の手が気合をいれるようにアゼルの肩をバシン、バシンと叩いた。アゼルは一度、深く息を吸って顔を上げ、力強く頷いた。

 故郷の状況や家族を想えばこそ、彼の心は不安でたまらないだろう。それでもアゼルは、真っ直ぐに前を見据え、背筋を伸ばして立っている。


「ジフ正騎士、行こう」


 ジークフリートの背に声を掛ければ、ジークフリートが頷き馬にまたがる。

 一気にエルフ族の森へと向かうため、馬車に乗るのはナルキーサスと双子だけだ。ナルキーサスは御者を務めるエドワードと共に御者席に。双子だけは安全のために馬車の中だ。それ以外は全員、臨戦態勢で臨む。真尋もジルコンに作ってもらった愛刀を腰に下げ、一路も同じく愛弓を背にロボに跨っている。アゼルも村で借りた馬に今は乗っている。

 ぴりぴりとした空気が辺りを覆っていて、皆の表情も険しい。幾ら大丈夫だと口にしても恐れや不安は絶えないだろう。それを少しでも和らげることが出来ればいい、と真尋は一路を振り返る。一路は全てを察して頷いてくれた。

真尋は腰にぶら下げていたロザリオを手に取り、アイテムボックスを利用して騎士服から神父の服へと着替える。

 村人たちが首を傾げ、騎士たちは目を丸くした。


「き、騎士様? え、その服は……まさか神父様では!?」


 小隊長がそっくり返ったような声で叫んだ。

 するとアゼルの父が眉を吊り上げる。


「神父ってのは、あれか! あの王都のインチキの……」


「父さん!! 違う!! マヒロ神父様は、水の月にブランレトゥを救ってくれたティーンクトゥス教会の神父様だ!!」


「あ、あっちの!? し、新聞で読んだぞ……すごい神父様だって!!」


 父を支えていた兄が驚きに叫び、辺りが一斉にざわつく。


「え!? てことはあの親馬鹿だって噂の……!?」


「そういえば、見たことないくらいに美男子だしな!!」


 新聞が原因なのか、各地を回る行商か何かが原因なのか、いったい、真尋に対してどんな噂が流れているというのだろうか。これは一度、検証する必要があるかもしれない。

 真尋はロザリオを掲げる。顔を出した太陽に反射してロザリオがきらきらと輝く。


「慈愛の神たるティーンクトゥス神よ。彼らに加護の風を」


 ぶわりと朝の冷たい風が、真尋たちの髪を撫でるように駆け抜けていく。

 騎士や村人たちが呆けたように真尋を見あげている。


「い、今……風が」


 真尋はただ静かに小さく微笑んで、ジークフリートに顔を向ける。ジークフリートはやれやれと言った様子で頷くと口を開く。


「では、我々はもう出発する。行くぞ!」


 ジークフリートの馬が走りだし、真尋たちもその背に続き、馬車の車輪がガタガタと音を立て、最後尾に一路とリックがつく。


「開門!!」


 先頭へ出たアゼルが指笛と共に合図を出せば、ぎゅるぎゅると縄の軋む音がして、丸太製の門が上がり、その向こうに朝日に照らされた葡萄畑が見える。門をくぐると同時に再び丸太製の門は降り始める。魔獣を中へ入れないためだ。


「アゼル! がんばれよ!!」


「無事で帰って来いよな!!」


 アゼルと同い年くらいの門番の青年たちが門の上の(やぐら)から身を乗り出し大きく手を振り声をあげる。


「お前らも、シケット村を護れよ!! 頼んだぞ!!」

 

「ったりめぇだろうが!! 上司の皆さん、アゼルをよろしくお願いします!!」


「ああ。任せておけ!!」


 真尋が返事を返すとアゼルの尻尾が驚きに太くなったのが見えた。羞恥と緊張もだろうか、アゼルは真っ赤になっている。

 門を駆け抜け、最後にリックが出ると間もなくドスンと音を立てて門が閉まった。

 アゼルが下がり、真尋とダールが先頭になる。


「行くぞ!! 魔獣の気配がそこかしこにある!! 全員、常時戦闘態勢を維持しろ!!」


「はい!」


 いくつもの返事を背に真尋は愛馬の手綱を握りしめ、広い葡萄畑を駆け抜けていく。

 ロボがいるためかほとんどは、葡萄畑の中からこちらの様子をうかがうばかりで、襲ってはこないが、それでも中には襲い掛かって来る魔獣もいる。それらを殺さない程度に魔法で撃退し、突き進む。死体の処理が出来たいため、アンデットになるのを防ぐため殺すわけにはいかないのだ。

だが、実際に目にするとその数の多さは確かに異常だ。


「もう世界樹が見えていますよ!!」


 ダールが指差した先を見て目を瞠る。

 葡萄畑はなだらかな下り坂になっていて、葡萄畑が終わると平原がわずかに広がり、その向こうには森と山々が広がっている。

 その森もこれまで真尋が目にしてきたどの森よりも緑が濃く、深く強く生い茂っている。世界樹は、その森の奥にまるで一つの山のように大きく存在していいた。


「里はもうすぐです! 私について来て下さい!」


 そう言ってダールが先頭に出る。

 エルフ族の森に近づくにつれ、異様なほど、辺りが静まり返っていることに気づく。普通ならばそこかしこにあるはずの生き物の気配も音も何一つ感じられない。

 森の入り口には、木のアーチがあり、トンネル状になった通路が奥へと延びている。

 辺りを確認しようと一度、入り口の前で止まる。


「どうだ、ダール。いつもこんな風に静かなのか」


「まさか……こんなことは初めてです。我々がグラウに向けて里を出た時は、こんなことは……っ」


 蒼白な顔でダールが力なく首を横に振った。馬たちも落ち着きがなく、どこか不安そうにしているのが分かる。ロボでさえも、油断なく辺りを警戒し、今にも牙をむき出しにしそうだった。

 真尋は宥めるように愛馬の首を撫でながら、辺りを見回し、後方から走って来るそれに気付いた。


「キース!!」


 静かな森に響き渡った声に全員が振り返り、御者席に座っていたナルキーサスが驚きに目を見開く。

 どれだけ無茶をしてきたのか随分とくたびれた様子のレベリオが、馬を急かしてやってくる。手紙にあった通り、騎士団に辞表を提出した彼は、騎士の制服を着ておらず、旅人らしい質素な格好だった。大地を力強く蹴る蹄の音がやけに大きく聞こえる。

 ナルキーサスの驚きに満ちていた顔が徐々に強張っていくのを横目に真尋はため息をつく。できれば、里に入ってから来てほしかった。タイミングが悪すぎる。


「キース……! やっと追いつきました……っ!」


「話すことなど何もない!! 今すぐ帰れ!!」


 ナルキーサスが完全拒否の姿勢を取ったことにレベリオの表情も強張る。一路やアゼル、馬車から顔を出した双子までおろおろしだして、真尋はもう一度、ため息をつきたいのをぐっとこらえる。


「キース、話を……」


「レベリオ殿」


 真尋は言い募るレベリオと彼から顔を背けているナルキーサスの間に割って入る。


「今は一夫婦の個人的な問題を優先することは出来ません。先を急ぎます。レベリオ殿は、領主様の護衛として同行してください」


 レベリオは、そこで初めて自分の乳兄弟でもあるジークフリートがいることに気づいたようだった。彼がブランレトゥを出るときには既にジークフリートに扮したホレスとオーランドの護衛騎士コンビが戻っていたはずで彼がそのことについて知らないとは思えないが、彼はまるで幽霊でも見ているかのような顔をしている。


「レベリオ・コシュマール。今、この状況で何を優先すべきか、お前には分かるな」


 ジークフリートが静かに問うと、レベリオはようやく周りを見る余裕と冷静さを取り戻したようだった。

 はっと短く息を吐き、一度顔を俯けると、今度は長々と息を吐き出して顔を上げた。そこには真尋がよく知る優秀な筆頭事務官としての表情を浮かべた彼がいた。片眼鏡を指で直し「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。


「かまわん。それよりお前はマヒロ神父の言う通り、私の護衛を務めてくれ。ダール、ここから先、君は里のために動いてくれて構わん。これまでの護衛、助かった」


 ダールは小さく会釈を返し、ジークフリートの隣を譲るように馬を動かし、少し下がった。

 レベリオは、縋るような眼差しをナルキーサスに向けたが彼女は、レベリオを見ようともしなかった。レベリオは、悲痛な顔で項垂れながらジークフリートの下へ行く。

 真尋はやれやれと肩を竦めて、馬車から顔を出していた不安そうな双子に手を伸ばし、その頭を順番に撫でる。


「これから森に入る。何があるか分からんから、絶対に出てくるな。君たちにもしものことがあれば、俺は君たちの母親に申し訳が立たん」


「分かった。……神父様も怪我しないようにね」


「皆も」


「ああ。もちろんだ」


 真尋が頷くと二人は、馬車へ戻ろうとした。

 その時だった。


――グォォォォォォオオーーッッッ!!!!!!


 凄まじく濃密な魔力を伴った何かの咆哮が森全体を揺るがすように、奥の方から響き渡った。

 真尋は咄嗟に飛びついてきた双子を受けとめ、走りだしそうになった愛馬のハヤテを片手で宥める。馬たちが怯えたように暴れ出し、皆、一様に馬を宥める。ロボでさえも、怯えたように尻尾を丸め姿勢を低くして唸り声を上げていて、一路が安心させようと声を掛けている。


「落ち着け、ハヤテ。ティリア、フィリア、大丈夫か?」


 不安定な馬上で双子が落ちないように風の魔法で二人の体を包み込む。ティリアは背中からフィリアは正面から真尋に抱き着いて、ガタガタと震えている


「し、神父様、今のなにっ?」


「怖いよぅっ!」


「大丈夫、大丈夫だ。神父様がいるんだから怖いことなんて何もない」


 泣き出した双子をどうにか宥めながら、真尋は仲間たちの様子をうかがう。

 疲れ切っているレベリオの馬と借りてきたアゼルの馬がどうしても落ち着かないようでリックが手を貸している。他の馬たちは、怯えている様子ではあるものの、何とか落ち着きを取り戻したようだった。


「真尋くん、今のは?」


「俺にも分からん。ダール……ダール?」


 真尋は駆け寄ってきた一路の問いの答えを求め、ダールを振り返る。

 ダールのそれでなくとも青ざめていた顔は真っ青を通り越して、真っ白になっている。ジークフリートが「おい、ダール! しっかりしろ!」と声を掛けると、ようやくその両目が真尋を映した。


「ダール、今のが何か分かるか?」


「……です」


「すまない、もう一度言ってくれ」


「今のは、ドラゴンの、咆哮です」


 ダールの震える声が継げた言葉に誰かが「まさか」とこぼした。馬たちの荒い鼻息がいやに耳につく。


「……真偽を確かめるには里に行くしかない、か。ティリア、フィリア、馬車の中へ。ナルキーサス、傍にいてやってくれ。何かあったら全力で守ってくれ」


「ああ、分かった」


 ナルキーサスが御者席から降り、真尋にしがみついて震えていた二人を宥める。二人は今度はナルキーサスに抱き着いたまま、馬車の中へと戻っていく。ドアを閉め、顔を上げる。


「神父殿、私を先頭に。そうすれば木々たちは、里への最も短い道を示してくれるでしょう」


 ダールが言った。


「そういうものなのか」


「はい。説明は後程」


「分かった。ではダールは俺と共に先頭に。一路、リック、変わらず最後尾を頼む。何かあったらすぐに知らせてくれ。アゼルはエドワードと馬車に気を配ってくれ、領主様はレベリオ殿と共に俺の後ろに」


 真尋の指示に従い、隊列が整えられる。

 一路が最後にリックの隣に並んだことを見届け、真尋は顔を前に向ける。


「行くぞ!!」


 ハヤテの腹を蹴り、手綱を握りしめて駆け出す。ダールの背に続く。

 目まぐるしく通り過ぎていく景色は、何故か木々が真尋たちを避けるように動いているかに見えた。先ほど、ダールが言っていた「短い道を示す」という現象と関係があるのかもしれない。

 進めば進むほど緑がどんどんと濃くなり、木々も長い年月を経た大きく太いものが増えていく。

 だが、どれだけ進んでも森の中はどこまでも静かで不気味なほどに生命の気配を感じられなかった。小鳥のさえずり一つ聞こえないどころか、木々でさえも息をひそめているようにさえ感じた。


「見えました!! 里です!!」


 ダールが指差した先に蔦で覆われた壁があった。

 だが門のようなものが見当たらない。このまま行くとぶつかるのではと危惧するが、ダールは速度を落とさない。ならば彼を信じるか、と真尋はダールに並走する形でハヤテを走らせる。


「ダール、今戻った!」


 ダールがそう叫ぶと同時にまるでカーテンが開くように蔦の壁がするすると開き、入り口が出来た。

 そこへ吸い込まれるように真尋たちは馬を走らせた。


「……すごいな」


 その先に広がっていた光景に思わず口から感嘆が漏れた。

 大きな木々がそこかしこに生え、その太い枝からまた別の様々な種類の木が生え、その木々にツリーハウスがつくられている。木製のつり橋がいくつも掛けられていて、エルフ族や妖精族が忙しなく行き交っている。

 すれ違うものたちは、皆、物々しく武装していて弓や剣を携えて、緊張が辺り一帯を覆っている。

 急に止まると馬の負担になるため、駆け足からだんだんと歩く速度へ落としながらダールについて行く。ダールは迷うことなく進み続け、やがて広場のような場所に出た。


「……うわぁ、すごい」


 隣にやってきた一路がぽつりと零す。

 広場には、大きいという言葉では足りないような、巨大な木が聳え立っていた。幹の太さが尋常ではなく、直径が百メートルはありそうな巨木で、どこまでもどこまでも高く枝葉を伸ばしている。だがひらひらとまるでどしゃぶりの雨のように無数の葉が力なく落ちてきている。


「ダール!! 戻ったか……っ!!」


「父上、ただいま戻りました!」


 ダールが馬から降りて五十代くらいの見た目の、彼によく似た背の高い男性に駆け寄る。

 男性とダールは一度、抱擁を交わし、お互いの無事を確認してから離れる。父上ということは、男性がエルフ族の族長なのだろう。彼の周りには武装したエルフ族の若い見た目の男女が揃っている。


「ダール、その者たちは……領主様!?」


 族長が真尋たちに顔を向け、ジークフリートに気づいて目を瞠る。

 ジークフリートが馬から降り、真尋たちもそれに倣う。


「ああ、わけあって視察を兼ねて領主様もいらしてくれた。それでこちらが世界樹と精霊樹たちが望んだ、神父のマヒロ殿、イチロ殿。その護衛騎士のリック殿、エドワード殿、道案内役のアゼル五級騎士殿だ」


「初めまして、神父の真尋と申します」


「僕は見習い神父のイチロと申します」


「私は、エルフ族の族長、クェルクスと申します。遠いところからようこそおいでくださいました」


 真尋と一路がそれぞれ挨拶をすると族長が握手を求めて手を差し出してくれ、握手を交わす。


「お二人のご活躍の噂はこの辺境にも届いております。そちらがヴェルデウルフですか?」


「ああ、はい。僕の従魔のロボといいます」


 クェルクスが一路の隣に座るロボに向けられる。ロボは、まだ警戒を解かず油断なく辺りを見回し、時折、唸り声が聞こえてくる。


「普段はもっと穏やかなのですが、なんだか今はとても気が立っているみたいで」


「ヴェルデウルフを目にするのは初めてのことですが、ランクの高い魔獣は賢いものです。この里に訪れている危機に気づいているのでしょう」


 クェルクスの表情が険しさを増す。


「その危機とは一体、なんなのですか?」


「それが……世界樹がここ二週間は口を閉ざしたまま、精霊樹たちもほとんどの者が眠りに落ちてしまい、うわごとのように神父殿を呼ぶばかりで……我々はただひたすら神父殿の到着を待っていたのです」


「我々の? それは、どうし」


重ねて問おうとしたところで、バタン、と勢いよく馬車のドアが開き双子が飛び出してくる。


「母様!!」


「母様は!?」


「ティリア! フィリア! 無事だったのか!」


 飛び出してきた双子にクェルクスや広場に集まっていた者たちが驚きと安どの声を上げる。

 クェルクスに気づいた双子が彼に飛びつけば、クェルクスは力いっぱい、二人を抱き締めた。


「この馬鹿者が、どれほど皆が心配したことか……っ」


「ごめんなさいっ……でも、それより母様は!?」


「母様は、母様は無事!?」


 双子の問いにクェルクスは表情を曇らせた。ティリアとフィリアの目に怯えが走る。


「精霊樹たちが眠り続けているとはどういうことだ」


 馬車から降りながらナルキーサスが問う。


「ナルキーサス、お前も帰ったのか」


「……ああ」


 クェルクスは目を瞬かせた。ナルキーサスは、レベリオのもの言いたげな視線を流して頷いた。


「神父様、領主様。着いて早々、申し訳ないが来ていただけますかな。我々にはあまり時間がない」


「もちろんです。そのために来たのですから」


 真尋が頷くとクェルクスは「こちらに。馬と馬車はこの者たちに」と告げて双子の手を引き歩き出す。

 真尋は馬たちをエルフ族の男たちに預け、今度はクェルクスの背を追うように歩き出したのだった。




 歩きながら説明を受ける。

 里の中央、あの広場に生えていたのがやはり世界樹だそうだ。

世界樹の根は放射線状に広がっていて、とくに太い根の上から生えている大木が精霊樹なのだという。精霊樹の太い枝からはまた別の木々が育ち、エルフ族や妖精族はその木にツリーハウスを建てて暮らしている。

妖精族の里は、すぐ隣にあり世界樹の枝が橋替わりとなっているのだそうだ。


「この子らの母である精霊樹は里の中でも、かなり長く生きています。すでに一人の子と二組の双子を生み育て、ティリアとフィリアは三組目の双子になります」


「全部が双子という訳ではないのですか」


 一路が尋ねる。


「ええ。最初の子は、一人の場合が割とあるのです」


 説明しながらクェルクスは広場を通り抜け、広い通りに入る。

 両側に立ち並ぶ精霊樹はどれも立派で、その太い枝から伸びる様々な木々たちにはいくつものツリーハウスが軒を連ねている。

 だが、どの精霊樹も世界樹同様にはらはらと葉を落としていて、里はそのうち木の葉に埋もれてしまいそうだった。ツリーハウスも軒並み雨戸が閉められて暗い雰囲気が漂っている。

 

「……っ、母様!!」


「母様!!」


 急にティリアとフィリアが駆けだした。

 彼らの向かった先は、一際立派な精霊樹だ。

 双子が近づいていくと大きな白い蕾が何本もの蔦に支えられながら、かなり上の枝葉の中からゆっくりと降りてきて、双子の目の前でふわりと花開いた。

 花の中からはティリアとフィリアと同じ銀の髪に、エメラルドグリーンの瞳を持つ二人によく似た女性が現れた。植物をモチーフにした服をまとっているが腰から下は蕾と一体になっていて花びらが下に垂れてスカートのような役目をはたしている。

 女性は、腕を伸ばし飛びつく二人を抱き締めた。


「か、があざまぁ!」


「うわぁぁあん!!」


「ああ、ティー、フィー、わたしの愛しい子。どれほど心配したことか……っ」


 ささやくような弱弱しい声が双子が安堵に泣く声の合間から聞こえてきた。


「良かった、良かったね」


 隣で一路が噛み締めるように言った。真尋は、ただ「ああ」と頷く。

 真尋は、ほっと息を吐く。双子が無事に母親に会えたことに、自分で思っていた以上に安堵している。

 母親を失う子の姿など、もう見たくなかった。


「……ティー、フィー、もっと抱き締めていたいけれど、時間がありません。神父様にお話をしなければ」


 双子の母はそう言って、一度、双子を強く抱きしめると顔を上げた。双子は、ぐすぐすと鼻をすすりながら母から離れ、その隣に立つ。二人の手は母の服の裾を離すまいと固く握っている。

 深い森の色を思わせるエメラルドグリーンの眼差しが真尋と一路に向けられた。


「あなた方が、忘れられし神の愛を受けた子らですね。わたしのことは、シルワ、とお呼びください」


 そう言って、双子の母である精霊樹――シルワは、こちらへとふわりとやって来る。その際、スカートのようになっていた花弁が双子の椅子代わりになり、ティリアとフィリアもついて来る。

 こちらを見つめるシルワの表情は鬼気迫るものがあり、状況はかなり深刻だというのが言葉にせずとも伝わってくる。


「母様、こっちがマヒロ神父様、こっちがイチロ見習い神父様よ」


「二人ともすっごく強いんだ!」


 二人がそう言って紹介してくれ、真尋と一路は頭を下げ、挨拶をする。

 だが、シルワの表情は晴れず「そう」と頷く声も覇気がない。近づくとその顔色が随分と青白いことに気づく。


「シルワ、起きられたのか」


 クェルクスが問う。シルワは「ええ」と弱弱しく頷く。


「皆が、役目を果たすためにわたしに力を貸してくれたのです」


 どこか呼吸さえもしづらそうにシルワは微かにほほ笑んだ。


「シルワ様、一体、何が起きているのですか?」


「簡潔に言えば、インサニアが発生したのです。そのことは、すでに分かっておいででしょう」


「はい。やはりそれは自然発生したもの、なのでしょうか」


 真尋の問いにシルワはこくりと頷き、苦しそうに息を吐き出した。ティリアが泣きそうな顔で母の背中をさすり、フィリアが母が倒れないようにと支える。


「水の月にブランレトゥを襲った(おぞ)ましい闇の力とは別の……周期的に発生するインサニアです。ほんの二か月と少し前、それはルドニーク山脈の連なる山々の深くにある谷で発生しました。魔獣でさえ越えることは難しい険しい山々に取り囲まれた忘れ去られた谷です。被害は何一つ出ず、本来であれば、貴方がたは発生を知ることもないはずでした」


「では、何故……」


「その谷にある洞窟の奥深くで眠っていた、一頭のドラゴンが目覚めたからです」


 あたりにざわめきが広がり、いくつもの息を呑む音が聞こえてきた。

 ロボの低い唸り声が鋭さを増す。


「そのドラゴンは、異変を察知して長き眠りから目覚め、そして……インサニアに触れ、バーサーカー化してしまったのです。ですが、幸か不幸かドラゴンはそこらへんにいるような低級種ではありません。人の子らの基準で言おうにも基準など設けられない、伝説級の存在です」


 最も当たってほしくなかった仮説が当たってしまった。真尋は、ぐっと眉間に皺が寄るのを自覚する。


「……強大で強い意志を持つドラゴンは、バーサーカー化しても自我を失うことは、ありませんでした。己の強い魔力と精神力で、どうにか正気を保ち……そして、世界樹に助けを求めてやってきました。世界樹は、それを受け入れ、貴方がここへ到着するまでの間、ドラゴンを抑え込むと決めたのです。ごほごほっ、ですが……インサニアの瘴気は確実にドラゴンと世界樹を蝕み……わたしたちの若い同胞たちは命を散らしてしまいました……世界樹とつながるわたしたちも、もう時間が、ありません……ドラゴンの理性はもうほとんど失われています……どうか、どうか……世界樹を、た、すけて……」


「シルワ様!」


「母様!!」


 シルワが遂に意識を失い倒れこんでくる。フィリアがどうにか支えるが、花弁が閉じシルワはまた蕾の中に戻って行ってしまう。そして、そのままするすると枝葉の向こうへと行ってしまった。ティリアが、地の魔法を操り、母を追いかけて枝葉の中に消える。

 残ったフィリアが真尋を見上げる。


「し、神父様、母様を……母様をたすけて、お願い!」


 泣きながら懇願するフィリアを真尋は抱き締める。


「任せろ。必ず助ける。だから母上の傍にいて、母上とティリアを護れ。出来るな」


「……うんっ」


 フィリアは涙をぐっとこらえて頷いた。


「フィリアくん。絶対に大丈夫だから、ね?」


 一路がフィリアの頭を撫でて、ぽんぽんとあやすように肩を叩いた。

 フィリアは一路にも抱き着いて「絶対に死なないで、神父さまたちも皆も」と怯えたように告げた。皆が「もちろんだ」と答える。


「さあ、母上のところに」


 こくん、と頷いたフィリアはティリアと同じように地の魔法で蔦を操り、上へと昇っていく。途中、何度も振り返るフィリアに何度も大丈夫だと頷いて返す。

 そして枝葉の中に少年の背が隠れて見えなくなり、真尋は一度、深く息を吸い、目を閉じる。

 おろした瞼の裏で愛しい息子と娘が笑う。左手の薬指にはめた指輪を撫でれば、二人の傍に雪乃が現れ、穏やかに笑う。その笑顔は真尋の背をいつだって優しくも力強く押してくれる。


『大丈夫、真尋さんなら絶対に大丈夫よ』


 ゆっくりと息を吐き出し、顔を上げた。

 振り返れば、真尋の言葉を待つ仲間たちがいる。


「まずは、世界樹の下へ」


 真尋の言葉に皆が頷き、一同は再び世界樹の下へと駆けだすのだった。



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[良い点] 感想へのお返事をありがとうございます! お陰様で新年早々、嬉しいプレゼントを頂いた気分です! [気になる点] 年末という、多忙を極める中でのお返事を本当にありがとうございます! ご無理を…
[良い点] 去り際のカッコ良さときたらもう!( ´艸`) 神の息吹の風で、少しでも村の皆さんの気持ちが落ち着くと良いと思います! 毎度の事ながら、良い意味で予想を超えた展開に読み進めるのが楽しくて仕方…
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