表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
称号は神を土下座させた男。  作者: 春志乃
第二部 本編
82/158

第十話 呆れ嘆く男


 ホレスの横に立つジークフリートは相変わらずの仏頂面で眉間に深い皺を刻み込み、弟とは正反対の色を持つ紅い瞳を鋭く尖らせている。

 真尋の前にはあきれ顔のオーランドがいて腕を組んで困ったようにジークフリートを見ていた。


「決まったことだ」


 オーランドが威厳を滲ませた声で、諭すように告げる。


「ですが…………いえ、拝命いたしました」


 暫し、目だけでの会話が交わされた後、ジークフリート――に化けたオーランドは根負けし、オーランド――に化けたジークフリートに頭を下げた。


「ふむ、魔力の滞りもないな。一路、リック、エディ、キース、どうだ? 違う者が見えるか? 何か違和感はあるか?」


 そんな二人の心情などお構いなしに真尋は、自分が作り出した魔道具が正常に作動しているかを確認する作業に余念がない。一路、リック、エドワードは、相手が領主なので少々、引き気味に見守っているがナルキーサスは目を爛々と輝かせて、三百六十度余すことなくオーランドの姿をしているジークフリートを観察し、ノートに何事かを書き留めている。真尋も同じく手帳を広げ、万年筆を走らせる。

 ここはグラウの門の外だ。エルフ族の里への同行が許可された真尋たちは食材を買い足してからグラウを後にし、ナルキーサスと合流し、今は双子とダールたちを少し離れたところにある林の中で待っている。


「すごいな、真尋、この緻密な術式紋は実に素晴らしい! クロードと君の共同研究の一つだったな、話には聞いていたがこれほどまでとは……むぅ、やはりクロードは商業ギルマスに留めおくにはもったいない魔術師だ、無論、君もな」


「褒めても何も出ないし、クロードはあれで責任感の強い男だ。あと君の獲物を狩る目が怖いから魔導院は嫌だと言っていたぞ」


「ははっ、彼は素晴らしい肋骨の持ち主だからなぁ! 本当に素晴らしいのだぞ、あの曲線と骨と骨の間隔の」


「クロードの肋骨には露ほども興味がないので結構だ」


 興奮しだしたナルキーサスの言葉を遮り、真尋は手帳を閉じ万年筆を胸ポケットに差す。


「領主様、オーランド殿、何か気になる点はありますか?」


「いや、特にないぞ。本当に凄いな、まるで鏡を見ているみたいで少々、落ち着かない」


 ジークフリートが鏡に映った自分を覗き込むかのように化けたオーランドを眺める。

 真尋が彼らに渡したのは、所謂変装をするための魔道具だ。何の変哲もない、真尋の親指の爪ほどの滴型の魔石がペンダントトップになった代物で、変装したい人間の髪を魔石に吸収させると、その髪の持ち主に変装できる代物だ。肉体を作り返るのではなく、魔石に刻み込まれた術式紋が魔力の供給によって発動し薄いベールのように広がって幻影を見せていることになるが、触れられるし声も代わるという効果付きだ。

髪は三センチほどの長さが最適で、幸いジークフリートもオーランドも十分な長さがあった。魔石の中に一本入れておけば十日は効力が続く。二本入れておけば、万が一、一本目の効果が切れてもそのまま二本目へと継続させられる。最高、五本まで入れて置けるので真尋たちがエルフ族の里に行き、戻って来る間までは保つはずだ。一応念の為余分に数本、お互いの髪を渡すように言って交換してもらった。

ウィリアムの作戦は、ジークフリートは真尋に同行し、この際、身の安全の確保も兼ねて普段、滅多に行くことは出来ないが視察と挨拶が必要なエルフ族の里へと行くことだった。酷な話だがアマーリアやレオンハルト、シルヴィアの命よりもアルゲンテウス領領主のジークフリートの命を守ることのほうが重要であり、領都にいられるよりは真尋たちと共に居た方が確かにジークフリートは安全なのだ。

とはいえ、一か月以上も領主不在というのはよくない。なので影武者を立て、その信憑性を強めるためにも影武者の護衛に領主の護衛騎士であるオーランドとホレスは帰還命令が下った。

 だが、オーランドとホレスは絶対に承服いたしかねますと難色を示した。護衛対象であり主であるジークフリート様を自分たちの護衛もなしにエルフ族の里まで行かせるなんて絶対に承認できないと譲らない護衛騎士二人にジークフリートは眉を下げた。

 真尋にも絶対に離れない護衛騎士がいるので、その気持ちはよく分かる。逆にリックとエドワードは、オーランドたちに同情的だ。真尋とジークフリートとしてはミアのような幼い子供ではないので、もっと放任でも構わないのだが、糞真面目な彼らは職務を忠実に全うすることに余念がないのだ。無論、彼らが向けてくれる至心を持った尊敬も忠誠も分かってはいるのだが、限度はあると思うのだ。脳裏に過ぎった置いて来た執事を思い出して、ちょっとげんなりした。あれはあれで自分で拾った責任もあるのは分かっているが、どこで育て方を間違えてしまったのかが未だに分からない。

 オーランドもホレスも、ジークフリートの身が領都にあるほうが危ないことは重々承知しているのだ。だから真尋はこの変装を提案したのだ。

 ジークフリートの小さな癖一つとっても影武者より彼らの方が詳しいであろう。何せ一日中、一年中、彼らは行動を共にしているのだ。だからどちらかが化けた方がより信憑性も増すし、中身は領主付きの護衛騎士であるから大抵の危険も火の粉も自分で解決できる。彼らとて、主とその妻や子供を害そうとする愚か者を断罪したい気持ちはあったのだ。

そして、最終的に二人は領主であるジークフリートからの信頼も厚い護衛騎士であるオーランドが、領主の名代として真尋たちの旅に同行し、ジークフリートはホレスと共に帰還という体をとることにしたのだ。エルフの敵より、領主の敵を二人は倒すことにしたのだ。


「よし、問題なさそうですね。何か不具合があればすぐにクロードに言って下さい」


「分かりました。クロード殿は、信用に値する方ですから有事の際は頼らせて頂きます」


 ジークフリートの顔をしたオーランドが微かに頭を下げた。先ほどは忘れていたようだが、自分が今誰の姿をしているか思い出したのだろう。その小さな仕草さえ、躊躇いが見えていた。上に行けば行くほど人前で頭を下げれば不利になるのを彼も良く知っているのだろう。


「さて、お前たち、そろそろ行け。今夜はグラウで過ごし、早朝に発て」


 ジークフリートが二人を促す。彼らは見送りに来ただけで、彼らの出立はジークフリートの言う通り、明日の朝を元から予定していたそうだ。領主である彼の移動は、全て安全第一できっちり計画的に管理されている。


「分かりました。……神父殿、くれぐれも我らが主を宜しくお願い致します」


 ホレスが頷き、真尋に顔を向けると深々と頭を下げた。真尋は顔を上げるように促し、ロザリオを取り出す


「私も息子と娘との穏やかな時間を邪魔されたくはありませんから、誠心誠意お守りしますよ」


「……そこはできれば、アルゲンテウス領の為と言って欲しかったです」


「残念ながら私の忠誠は、ティーンクトゥス様に捧げていますから国にも辺境伯にも捧げられませんよ。さて……」


 ロザリオを構えれば、ホレスとオーランドが微かに頭を下げる。


「貴き忠誠の下に命を捧げる誇り高き騎士に、激励と加護の風を」


 さぁっと清らかな風が林を吹き抜け、ホレスたちの髪を柔らかに撫でていく。


「ティーンクトゥス様の慈悲深き御心に、感謝いたします」


 軽く祈ってロザリオをアイテムボックスに戻す。ホレスとオーランドも両手を祈りの形に組んで、感謝いたします、と礼を口にした。

 ホレスとオーランドは、職務上頻繁ではないが非番の日やジークフリートが屋敷に来たときは、教会で祈りを捧げて行く。彼らの大事な主と愛するブランレトゥを守ってくれたティーンクトゥスに感謝を抱いたのが切っ掛けで、今では大事な信者だ。


「それでは、行きます。ご武運をお祈り申し上げます」


 そう告げて、ホレスとオーランドは木に繋いでいた愛馬にそれぞれ跨り、馬上でも目礼し、漸くこちらに背を向け駆けて行った。林の外で待機していた護衛の騎士たちと共に彼らはグラウへ戻っていくのだろう。


「騎士というのは真面目でお固くていかんな」


 片手でペンをくるくると回しながらナルキーサスが言った。


「君が欲望に忠実過ぎるだけだろう。リック、エディ、領主殿を部屋に案内してやれ、そろそろ双子たちも来るだろう」


「分かりました」


「お荷物は既に先に運び込んでありますので」


 リックとエドワードがジークフリートを促す。


「馬車の中でも変装し続けた方が良いのか?」


「必要ないですよ。寧ろややこしいので、この袋に入れてポケットにでもしまっておいてください。馬車の中の様子を外から知りたければ、私以上の魔力を必要としますから、大丈夫ですよ」


 無効化の術式紋を仕込んだ小さな青い布製の袋を渡す。ジークフリートは分かった、と頷きリックとエドワードと共に馬車の中へと入っていく。


「部屋割だが、本当にダールたちも同じ階で良いのか?」


 真尋は煙草を取り出しながら、再びノートに何かを書き込み始めたナルキーサスに問う。一路は「ロボの様子を見て来るねー」と少し離れたところにいる愛狼の元へと去っていく。


「ああ、構わん。言っただろう? ダールは私の父方の従兄だし、ダールが連れて来ていたのも顔見知りだし、三人とも妻帯者だし、エルフ族は浮気なんてしようものなら一族総出でつるし上げるからな、寧ろ安全だぞ?」


「……本当か?」


「このメンバーの中で私を襲う者はいないよ。君は警戒心が強いというか……根深いな。寧ろ、イチロに聞いたが君は人がいると眠れないんだろう? これだけ人数が増えて平気なのか?」


「平気だ。目を閉じて横になっていれば十分、休養は取れる」


 ふーっと紫煙を吐き出せば、さわりと吹く風がそれをさらっていく。


「……君は、奥方との間に子どもはいなかったと言っていたな」


「ああ」


 唐突な質問に目だけを彼女に向ける。


「それは……作らなかったのか? それとも作れなかったのか?」


 ナルキーサスが顔を上げる。黄緑の瞳は、躊躇いを滲ませながら真っ直ぐに真尋を見つめている。急な話題にどうしたのだろうと訝しみつつ、彼女ならまあいいかと真尋は口を開く。その骨と美人に対する異常な執着と収集癖はあれだが、友人としては実に気が合う。心地よい距離感を保ってくれる彼女は性別関係なく、真尋にとっては大事な友人の一人となっていた。


「妻が病弱だと言うのは前に話しただろう?」


「ああ」


「彼女は病弱だったが子宮や生殖機能に問題はなかった。だが、妊娠も出産も母体が耐えられないと言われていた。まず出産に至らないだろう、と。奇跡的に出産にこぎつけたとして、赤ん坊が無事である保証も母体が無事である保証も一切できないと言われた。だから……諦めた。諦めてもらうほかなかった。俺はまだ見ぬ我が子は諦めることが出来ても、愛しい彼女の命を諦めることだけは出来なかった」


 大きな気配が近づいて来て振り返れば、近くで草を食んでいたハヤテが側にやってきていた。大きな顔をそっと寄せてきたので、煙草を口に咥えて開いた両手で撫でてやる。


「……すまない、込み入ったことを聞いてしまったな」


「別に俺だって誰でも彼でも話したりはしない。君だから話した」


 ナルキーサスは、ぱちりと目を瞬かせて固まった。なかなか見ない間抜けな顔に、ふっと思わず唇が綻んだ。すると黄緑の瞳は目元に朱を刷きながら鋭く尖り、睨み付けて来る。


「君はっ! 全くもう! この天然タラシめ!!」


「ははっ、君がそうも動揺するのは珍しいな」


「この若造が!」


 その阿呆みたいな捨て台詞と共にぽんぽんと怒る彼女を笑うように彼女からひらひらと落ちる黄色い花びらを残して、ナルキーサスは彼女らしからぬ乱暴な足取りで馬車の中へと行ってしまった。真尋は屈みこんで、花びらを拾うが、観察する間もなく溶けるように消えてしまった。








「では、帰還はダール殿だけ、ということですか?」


「ええ。あの二人にはこれから長老の手紙をブランレトゥよりさらに西にある村にいる仲間に届けに行ってもらわねばならないのですよ」


 林に来たのは、ダールと双子だけで町で紹介された二人はいなかった。ダールは立派な栗毛の馬にまたがり颯爽とやって来た。背中に弓を背負っていて、素晴らしい細工の施された弓は飴色に艶々と輝き、長い年月を共に過ごしているのだろう独特の艶があった。


「馬車の中に家……」


「ダール、久しぶりだな」


 見張りをエドワードとアゼル達に任せて、馬車の中にある家を案内しようと中に入れば、ナルキーサスが迎えてくれた。ダールはぱちりと目を瞬かせた後、懐かしそうに目を細める。


「とんだじゃじゃ馬娘が、随分大人になったな」


「褒めるならもっと丁寧に褒めてくれ」


「嫌味だよ。成人してすぐに里を飛び出して、勝手に結婚して……一度だって帰って来なかったくせに何を言うか」


「たかだか二百年にも満たない時間のことだ」


「文しか寄越さない薄情な娘だと、叔父さんも嘆いていたよ」


「だからこうして父上の顔を見るべく、ここにいるのさ」


 ぬけぬけと言い切るナルキーサスにダールは呆れて言葉も無いようだった。

 二十代に見えるナルキーサスだが、本当のところは幾つくらいなのだろか、エルフ族の年齢は本当に見た目だけではさっぱりと分からない。話しぶりからして、二百歳には届いていないということだろう。


「夫婦喧嘩をして飛び出して来たと、フィーたちから聞いたが? 勝手に出て行き、勝手に結婚したのに、今度は勝手に離縁すると言っているそうだな」


 黄緑色の瞳が余計なことをと言わんばかりにダールの傍にいた双子に向けられた。


「あ、ダールおじ様! あたしたちが荷物を運んでおくわ!」


「ほら、弓だってちゃんと置き場所があるんだ!」


 ナルキーサスから逃げるようにティリアは荷物を、フィリアは弓を受け取りそそくさと逃げていく。一路が部屋分かってるの?と言いながらこれ幸いにと追いかけて行った。薄情な親友の背を睨んだが、振り返ってもくれなかった。


「……分かったよ、少し話をしよう。マヒロ、応接間を借りるぞ」


「……暴れるなよ? 私闘は禁止だからな、そのよく回る口でしっかり話し合えよ」


「分かった分かった、ダールこっちだ」


 そう言ってナルキーサスは奥へと進み、一階にある応接間へとダールと共に入って行った。ぱたりとドアが閉められて案内の役目を喪った真尋はさて何をするかと当たりを見回す。とりあえずリビングにでもいるか、と足を向ければ階段から足音が聞こえて、ジークフリートが降りて来た。


「ダールが来たと聞いたが」


「ナルキーサスの離縁問題について話し合うため、今は応接間だ」


「その離縁問題とはなんだ? レベリオがそんなことを許すはずがないと思うんだが」


 リビングへと歩きながらジークフリートが言った。

 そういえば今でこそレベリオはウィルフレッドの筆頭事務官としてその能力をいかんなく発揮しているが、もともと彼の乳兄弟はジークフリートだ。ウィルフレッドの乳兄弟は弟のアルトゥロだ。もともと騎士団長になるべく育ったジークフリートは予期せぬ事故で長兄を喪い、彼も弟も繰り上げで今の地位に落ち着いた。その際、優秀で頼りになるレベリオを自分の近侍にも護衛騎士にもせず、不出来な弟を心配して残してくれたのだとウィルフレッドが教えてくれたことがあった。なんだかんだとこの兄弟も仲が良いのだ。


「生憎と俺は紅茶を淹れるなんて芸当は出来ないからな、飲みたかったら自分でどうにかしてくれ」


 騎士団よりもずっと極々私的な場所のため、気安い友人のような態度に改める。騎士団や領主の館などでは、幾ら私的な空間と言えど誰に聞かれるかも分からないので、ここまで砕けた態度はとらないが自分の屋敷に彼が来たときは、彼が望んだように真尋は素の自分でいることにしている。ジークフリートもそうしてもらえると私も気が楽だと言うのだ。

 人の上に立つようにと育てられた真尋にもジークフリートの気持ちがなんとなくだが分かる気がした。息を抜ける相手を見つけるのはなかなか難しい。足元をすくわれないように警戒し続けるのは、とても疲れるのだ。


「君は、俺よりずっと貴族が向いている」


 呆れたように苦笑して、ジークフリートはキッチンへと行った。暫くして紅茶のセットをもって戻って来る。


「俺に紅茶を淹れさせるなんて、キースと君くらいのものだ」


「仕方がないだろう? 家には執事もいたし、紅茶に至っては一路が淹れた方が絶対的に美味い」


「それはまあ、確かに。うちのメイドより上手く淹れる。初めて飲んだ時は驚いた」


 そう言いながらジークフリートが真尋の座るソファの向かいに置かれた一人掛けのソファに腰を落ち着ける。前に置かれた紅茶を礼を言って受け取り、口を付ける。まあまあだな、と言えば、不敬罪だぞ、とジークフリートが軽口を叩く。


「それでまあ、レベリオ殿とキースのことだがな……正直、俺も詳しくは知らないんだ。もともと喧嘩をしてはいたようで、俺たちの旅に同行するとキースが言い出したのが切っ掛けで色々なものが爆発してしまった結果、キースが屋敷を抜け出し、その才能を遺憾なく発揮しこの馬車に乗り込みブランレトゥを出たんだ」


「その言い方だと気付いていたと聞こえるが?」


「気付いてはいたが、キースは言い出したら聞かないし、いざとなればグラウで君の護衛として帰らせようと思っていたんだが、意思が固い。下手につついてあれこれするより、時間を置いた方がいいと判断した。彼女は既に身辺を整理して来たようで、職務も問題ないそうだ。まあ、防衛の要の一人ではあるから閣下の胃は爆発しそうになっているかもしれないし、アルトゥロ殿は泣いているかもしれないが」


「……成程」


「詳しくは知らないが、彼女は何というかこう……強い人ではあるが、どこか脆い部分がある。それを彼女自身はしっかりと認識していて、色んなものでそれ以上そこから崩れないように塗り固めているように俺には見える」


「神父殿は鋭いな」


 そう言ってジークフリートはソファに身を預ける。


「……知っているのか? 二人がこじれた理由を」


 ジークフリートは紅い瞳をちらりと真尋に寄越したあと、目じりの小さな皺を深めるように苦く笑った。


「レベリオとは離れていた時間のほうが短いからな。理由というか、まあ……切っ掛けだな。それは知ってる。だが、キースが話していないなら、流石に君にも話せん。彼女とあいつにとって、心の一番柔らかくてもろいところに切り込むようなものだからな」


「そうか」


「ああ」


 それきりこの話題には触れず、今後の旅程について話し合うに務めた。そうしている間にアゼルがやって来て、馬車は仕度が整ったので、日が暮れるまでは進もうと朝から提案してあった通り、走り出した。地図を広げあれこれ情報を照らし合わせながら大体の進度と日程を改めて決める。途中、イチロや双子も加わって話し合いは進む。ティリアは真尋の膝に、フィリアは一路の隣に座ってあれこれ好奇心に目を輝かせて質問してきたり、逆に彼らがどうやってブランレトゥまで辿りついたのかその道筋を知るために質問をしたりする。やはり場所が場所なだけに時間がかかるのは致し方ないが、最低限の休憩で行くので普通よりは早く着きそうだ。だが、何があるのか分からないのが旅路というものだろう。気を引き締めておくにはこしたことはない。

そうこうしているうちにナルキーサスとダールも応接間から出て来てナルキーサスはティリアと一路と共に夕餉の仕度に、ダールはフィリアに手を取られてようやく部屋へと案内されていく。ちらりと見えた二人の横顔は、どこか疲れていてナルキーサスの目元がほんの少しだけ赤くなっているような気がした。


「これで大体だな……進度に合わせてその都度、微々たる調整をしていけば問題ないだろう」


 ジークフリートがそう言ってすっかり冷めきった紅茶をごくごくと飲み干して、カップを置く。


「……キース夫婦もあれだが、ジーク。君のところもこの一か月の間にどうするべきかしっかりと考えておくんだぞ」


 ぎくりと逞しい肩が跳ねる。


「閣下が言ってたぞ。一番身近な夫婦が二組ともこれでは結婚が不安になると」


ぎくぎくっとまたその肩が跳ねた。


「まだ俺の屋敷にいる内はいいぞ。ブランレトゥは君の庭みたいなものだからな……次に彼女がどこかへ行くとすれば実家だろうなぁ」


「……こ、これは夫婦間の繊細な問題でだな」


「だったらその夫婦間の問題に何の関係もない一神父を巻き込まないでくれ。俺は娘と息子を溺愛するのに忙しいんだ」


「神父だったら神父らしく、迷える我が子の話を聞くくらいの優しさをみせてほしい」


「言っておくが俺が優しくなかったら、ここにいないからな」


 うぐっと言葉に詰まったジークフリートは奥歯に何か挟まったかのような顔をして「部屋に忘れ物をした」と苦し紛れに告げるとそそくさと立ち上がり、逃げて行った。

 はぁ、とため息を零し腰を上げ、外に出て来る、と声を掛けて玄関へ向かう。ドアを開ければ、景色が流れていてまだ馬車が走っているのだと気付いた。辺りは大分薄暗い。真尋はひょいと屋根に飛び乗る。


「うえぇ!? マヒロさん!?」


 手綱を握っていたエドワードが驚きに振り返る。馬車の横を愛馬に跨り並走していたリックも驚きに目を瞬かせている。


「前を見て居ろ、危ないぞ。一服しに来ただけだ」


 煙草を取り出してひらひらと見せれば、二人は納得したのか「そうですか」「ほどほどに」とそれぞれ告げて顔を前に戻して仕事に戻る。

 屋根の上に腰掛け、足を組み煙草に火を点ける。ふーっと吐き出した紫煙は一瞬で掻き消えて、それを目で追いながら真尋は流れていく平原の景色をぼんやりと追う。


「……世の夫婦はややこしいなぁ、何故に言葉を用いないんだろうな、阿呆なのか?」


 左手に嵌めていた手袋を抜き取り、薄闇の中で煙草の先の僅かな火の灯りを反射するプラチナの指輪に語り掛ける。そして再び隠し切れないため息をもう一度、紫煙と共に吐き出した。








 五日ほど前に父が旅立ってから、ミアの祈りの時間が前より大分長くなった。

 さっさと祈り終えたサヴィラは、つい先日、父が作ってくれた手のひらサイズのロザリオを弄びながら、小さな背が熱心に祈りを捧げるのを見守っていた。ミアの手にも小さなロザリオがある。父のものと形は同じだがとても小さい。銀細工に水晶がはめ込まれたとても綺麗な一品だ。父は何れ、信者の人々皆に同じものを与えたいと言っていた。


「……ぐー」


 一緒に着いて来たテディが大きな顔をサヴィラに摺り寄せて来る。大丈夫だよ、とその頬を撫でて返し、こてんと寄り掛かる。

 テディは、父の言いつけを律儀に守っていて、父が旅立ってからは寒いのが苦手でもこうして教会に行く時でさえミアとサヴィラの傍にこうして寄り添っている。

 ミアは優しいから祈ることがたくさんあるんだろうな、と漠然と感じる。

 テディに寄り掛かったまま小さなロザリオを掲げてみる。ロザリオからは、色のついたガラスで作られた大き目のビーズが幾つも連なっていてこれを手に掛けて握りしめて祈るのだ。サヴィラのビーズはサヴィラの瞳と同じ紫紺色を基調に同系色で彩られている。ミアのビーズは珊瑚色が基調とされている。

 銀細工の繊細なロザリオは、頂きに丸く加工された水晶がはめ込まれている。マヒロのものはもっと大きくて中でマヒロの銀に青の混じる綺麗な魔力が溜められていて、ゆらゆらと水面のように揺れている。サヴィラは、それを眺めるのが好きだった。大好きな父の魔力だからかもしれないが、一等美しく、優しいものに見えた。見ているだけで安心できるのだ。

 サヴィラの小さなロザリオの水晶は透明だ。最初は魔石かと思ったのだが父曰く「高価すぎるのはいけないと言っていただろう」とのことだ。銀細工という時点で高価だということに父は気付いていなかった。色ガラスのビーズだって高価なものに違いないのに。金銭感覚だけは尊敬できない。正に大貴族のような金銭感覚で生きているので困る。

 ロザリオを手の中に戻し、なんとなく中を見回す。大分、修復の進んだ教会の中は、祭壇の方は殆どの足場が外されている。埃を払い、綺麗に磨き上げられ、夕陽の差し込む教会はとても綺麗だ。荘厳で神秘的で質素だけれど、遠い遠い昔に神様を愛していた人たちの神様への愛情が壁画に、細工に、彫刻に如実に表れている。けれど、ステンドグラス越しに夕陽に照らされるティーンクトゥス様だけが襤褸を纏い、優しく慈愛に満ちた銀の眼差しと共に痩せた手をこちらに差し伸べてくれている。一目見るだけで、その優しさが伝わるような眼差しだ。

 その優しい神様の仕えるマヒロの下には色々な人が来て、教会の片隅にある懺悔室で神父様に罪を告白し、赦しを願う。本格的に始動してはいないけれど父は忙しい仕事の合間を縫って懺悔室を開く。マヒロはその告白された内容は神様以外には教えないのでサヴィラは知らないが、懺悔室から出て帰路に就く人々はどこかほっとしたような顔をしていた。

 罪を告白することは、前を向くための一歩だと父は言う。

 彼らの告白する罪というものは、例えば盗みだとか傷害だとか、そういう騎士団の出番になるような罪ばかりではないらしい。

 誰かを妬んで苦しい気持ち、愛する人を喪った悲しい気持ち、罪と呼ぶには拙いような、けれど、誰かに吐き出さないと心が壊れそうな感情をあの懺悔室の中で神父様に告白するのだ。


『……愛する人を喪った哀しみは怒りや憎しみに変えていた方が楽だ。そうしている間は、なんで、どうしてとずっと考えていられる。人間は赦すと忘れてしまうから、だからどんなに説明されたって、どんな理由があったって人は怒っていたいし、憎んでいたい。だって忘れたくないんだ。だけどそれは……とても苦しい。人は過去には戻れないから、前を向く以外に生きて行く方法がないから、だから苦しい』


 そう言ったのはレイだった。オルガとノアのお墓参りに着いて来た彼は、彼の家族のお墓の前でサヴィラにそう教えてくれた。彼の家族の墓に刻まれた年齢は、天上に昇るには、早すぎる年齢だ。オルガもノアもそうだけれど、置いて逝く方と置いて逝かれる法、どちらが本当に辛いのだろうか。


『ミモザを赦せなかった。あいつを忘れたくなくて……だけど、神父はそんな俺を赦してくれた。ソニアはそれでいいと認めてくれた。救いとはきっと、あの瞬間に与えられたものだったんだろうな』


 それだけはなんとなく分かる気がして、サヴィラは頷いた。

 サヴィラが自分の弱さに負けた時、マヒロは赦してくれた。赦されることは、放り投げられることに似ているけれどそうではないのだ。自分の心と向き合ったその結果を抱き締めてくれるものでもあった。

 そう考えるとマヒロの腕の中は、サヴィラにとっていつでも赦しなのかもしれない。自慢の息子だと言われるたびに、サヴィラは確かに赦されているのだ。


「サヴィ」


 ミアの声がして、いつの間にか閉じていた瞼を上げる。

 目の前にミアの顔があって少し驚く。するとミアは、ふふっと可愛い笑みをこぼす。ミアの笑顔はサヴィラの宝物の一つだ。そっと手を伸ばして抱き上げ、膝に座らせる。サヴィラの隣に座っていたラビちゃんはミアの膝におさまった。


「お祈りは終わったの?」


「うん、終わったよ」


 よいしょ、とミアはサヴィラの膝の上に座り直してこてんと寄り掛かって来る。サヴィラはミアが落ちないように彼女の膝の上にいるラヴィちゃんごと抱えるように腕を回し、ラビちゃんのお腹の上で手を重ねる。子ども体温で尚且つ獣人族のミアは、抱えているだけで温かい。足元に伏せたテディが羨ましそうに、ぐーと鳴いた。


「……サヴィは、まだティーンクトゥス様、あんまり好きじゃない?」


 視線を下げるが目は合わなかった。ミアはティーンクトゥスの石像をじっと見つめている。髪の色より少しだけ濃い長い睫毛が白い頬に影を落としている。


「前よりは、少しだけ好きだよ」


「そっか」


 えへへとミアはなんだか嬉しそうにはにかんで、顔を上げた。大きな珊瑚色の瞳にサヴィラの顔が映り込む。右手でなんとなくその頬に触れる。ネネやジョンもそうだが鱗のない頬はふわりほわりと柔らかい。有鱗族特有の滑らかでけれど鱗の浮くすこし硬めの皮膚をもつサヴィラからすると簡単に傷ついてしまいそうで心配になる。


「あ、いた! サヴィラくん、ミアちゃん!」


 振り返ればジョンがこちらに駆け寄って来る。


「どうかしたか?」


 父が風邪を引いた時、教会にお祈りに来ていただけで大騒ぎになってしまったことがあるので、あれからは必ず父が設置したエントランスにある黒板に行先と名前を書いて来ているのだが、何かのはずみで消えてしまったのだろうかと首を傾げる。


「あのね、明日から僕、暫く出かけることになっちゃったんだ」


 徐にジョンが言った。


「出かける? どこへ?」


「カロル村」


「カロル村って、ジョンくんのおじいちゃんとおばあちゃんがいるところ?」


「うん」


 それは出かけるというより帰るのではと思ったが口には出さなかった。


「村の近くの森に泉があるんだけど、そこに何かが棲みついちゃったらしくて、しかも探っただけだけどかなり力の強い魔獣っぽくて村の方に森から逃げて来た魔獣が姿を現す様になっちゃったから、原因を確かめに行くんだって」


「魔獣が出るなら危ないんじゃないか? ジョシュが行くのか?」


「お父さんは、今、マヒロお兄ちゃんがいないし大人の事情? ってやつでブランレトゥを離れちゃいけないから、僕が他の人と一緒に代わりに行くんだって。魔獣って言ってもカロル村に出るのはニードルラビットとかD級の魔獣だから自警団の皆で大丈夫だよ。あ、一緒に行くのは、ウォルフお兄ちゃんたちのパーティーだよ」


「ああ、イチロの犬……ごほんっ、友達のパーティーか」


 何事かあると屋敷にやって来て、イチロに頭を撫でてくれと尻尾を振っている狼の一団を思い浮かべる。実力は折り紙付きで、ギルマスや仲間たちからの信頼も厚くパーティーのリーダーであるウォルフは、レイに次いでA級冒険者に将来的にはなるだろうと見込まれているほどの実力者だ。無論、その彼が率いるパーティーの実力もジョシュアとレイのパーティーを除けば、ブランレトゥで一番と言えるだろう。


「でも、ウォルフなら何度かカロル村には行っているだろ? やっぱりジョンが行ったら危ないんじゃないか?」


「その泉っていうのはね、カロル村の守護精霊様がいるって信じられている場所で結界が張ってあってね村長の家の血を継ぐ人じゃないと入れないんだ。でも、おじいちゃん、ぎっくり腰で歩けないんだって。おばあちゃんはお嫁さんに来たから血は継いでないし、お父さんもそうでしょ。そうなるとお母さんと僕とリースになるんだけど、お母さんはお腹に赤ちゃんがいるし、リースはまだ小さいし、だから僕しか案内できる人がいないんだ」


「お前がいればウォルフたちでも泉に行けるのか?」


「うん。二人までならね。なんで二人かって言うと手を繋いでないと結界を潜れないから。僕もよく、そうやっておじいちゃんとかおばあちゃんとかお父さんと一緒に行くんだ。春と秋に精霊様に挨拶に行くから。収穫祭が終わったあと行くつもりだったんだけどね」


「成程なぁ……でも、心配だな」


「だって、魔獣が出るんでしょ? ジョンくんが怪我したら……っ」


 ミアの珊瑚色の瞳が潤んでサヴィラとジョンはぎょっとして、慌てて砂色の髪を撫で、ジョンがミアの手を握りしめた。


「大丈夫だよ、ミアちゃん、僕とウォルフさんたちは偵察隊だから! 戦ったりしないから!」


「そうだよ、ウォルフたちは強いし、ああ、そうだ! なんだったらほらテディも一緒に行けばいいんじゃないか!」


 だがしかし、父に「ミアとサヴィラを頼んだ」と言われているテディは、困ったような顔で控えめに首を横に振った。律儀すぎる熊だ。


「もしその魔獣が本当に危ないものだったら、討伐隊を組んで倒せるんだったらウォルフさんが討伐してくれるから! ね? 絶対に大丈夫、すぐに帰って来るよ!」


「怪我、しない?」


「絶対にしないよ! 本当にすぐに帰って来る。だから泣かないで、ミアちゃん」


 ジョンの小さな手がミアの頬を撫でる。


「お土産にカロル村特産のチーズ一杯貰って来るからね」


「……ううん、ジョンくんが無事に帰ってきてくれたらそれで充分なの」


 ジョンの手に更に小さなミアの手が重ねられた。いじらしい言葉にジョンの頬が赤く染まって、嬉しそうに母親譲りの空色の瞳が細められた。その眼差しは雄弁に「愛しい」と語っている。

 サヴィラは全てのことを放り投げるように顔を上げ、ティーンクトゥス神を仰いだ。膝の上で繰り広げられる妹と生来的にそうなるであろう義弟の甘ったるい空気に耐えかねた。膝の上になど乗せずにさっさと戻れば良かったと後悔したところでもう遅い。


「……俺のお祈りの時間が短いからって嫌がらせ?」


 思わず口の中で呟いた一言にもティーンクトゥス神は変わらず微笑んでいて、サヴィラは「ミアちゃんのところに一番に帰って来て、ただいまっていうからね」「うん、ミアずっと待ってるからね」と二人の世界に入っている彼らにはあとため息を零すのだった。


ここまで読んで下ってありがとうございました!

いつも閲覧、感想、評価 ブクマ登録励みになっております><。


サヴィラ君も割と苦労性ですよね( ˘ω˘ )


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ