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僕と君の恋患い 臆病な僕の決意



 日本の夜みたいに人工的な灯りの無い夜の町は、二つの月の光に照らされてどこまで穏やかな闇を湛えている。

 屋敷を出た僕は、ロビンと一緒にのんびりと通りを歩いていた。食堂の前を通れば、酒が提供される時間帯だから何かの楽器が奏でる音楽と歌と人々の賑やかな声が聞こえて来る。ロビンが鼻をひくひくさせて、食堂から漂う匂いを嗅いで、ふらふらと彼の四本脚は食堂へ向いてしまう。ロビンは食いしん坊だ。


「ロビン、夕ご飯はさっきブランカから貰ったでしょ?」


 食堂の前に未練を残しながらロビンが慌てて僕を追いかけて来て横に並んだ。

 一応はまだ一歳にも満たない子犬に分類されるロビンだけれど、大きさは既に超大型犬くらいはあって、よくミアやリースを背中に乗せていたりする。立ち上がると僕より大きい。脚も太くがっしりとしていて、牙も徐々に立派になっている。でもロボとブランカが教えてくれた通り、保護した直後から見せた驚異的な成長は最近は止まっていた。あと二年から三年はこのサイズで過ごすらしいから、やっぱり僕が持っている所謂地球での知識とは異なる生き物だと思う。


「あーあー……ティナちゃんに会いたくなっちゃった」


 ぼそりと呟き空を見上げる。

 未だに見慣れない二つ並んだ月は、小さいほうがはひっかき傷みたいに細くなっている。

 頭をさっぱりさせようと思って出て来たけれど、ティナちゃんの存在が僕の頭の中から消える訳も無くて、会いたいなんて想いばっかりが勝手に大きくなっていく。

 異世界に来る前、まだ日本に居た頃の僕は、本当の意味で恋をしたことはなかった。雪ちゃんが好きだったのは本当だったけれど、幼い恋心は恋だと気付くよりも早く叶わないことを僕は知っていた。

 僕は、真尋くんと一緒に居る時の雪ちゃんが好きだった。真尋くんと一緒に居る時の雪ちゃんは、いつもより何倍も可愛くて、幸せそうに嬉しそうに笑っていた。

 真尋くんも雪ちゃんも幼いころから大人びた子供だった。二人はままならないことが多すぎて覚えた大人のふりが上手だっただけなのかもしれないけれど、年相応に幼かった僕からすると一つ年下の筈の雪ちゃんも同い年の真尋くんも酷く大人びて見えていた。

 そんな二人の恋は、いつでも穏やかで甘かった。十三年も一緒にいたけれど、彼らはいつもお互いがお互いの望むように寄り添って、そこに言葉がなくとも幸せそうで、そんな二人が僕は本当に好きだった。そんな二人の傍はとても居心地が良かったのだ。

 いつか僕もあんな風に誰かを好きになれたらなという願望くらいはあったけれど、そういう風に思える人とはなかなか出会えなかった。僕に寄ってきた女性は大抵、真尋くんか兄ちゃん目当てで、背も小さく女の子みたいな容姿も相まって多分、僕自身が彼女たちの恋愛対象にはなり得なかったのだ。もしかしたら真尋くんと雪ちゃんみたいに恋なんて出来ないんじゃないかと思っていたけれど、こんな生まれ故郷からも随分と遠いところで僕は呆気無く恋に落ちてしまった。

 初めて会ったのは冒険者ギルドでティナちゃんは、受付カウンターの窓口にいた。

 可愛い子だとは思った。サファイアブルーの大きな瞳もローズピンクから白へと変わる髪も白い肌もその顔立ちもお人形さんのように愛らしかった。でも僕にとってはそれだけだった。今思えば、隣にいる真尋くんの顔面に慣れ過ぎていたんだろうね。

 ナンパからティナちゃんを救ったのも事件に巻き込まれたティナちゃんを守ることになった時も、女性を護るのは男の役目と両親や祖父母に教わって育ったからで、男として生まれたからには当たり前のことだった。

 でも共有する時間が長くなって、僕はティナちゃんという人の中身を知ることになった。

 おっとりのんびりしていて、少し抜けているところが有って危なっかしいところもあるけれど、案外頑固で自分の意見をしっかりと持っていること。自分の寂しさよりも家族の夢を応援し、そんな家族の帰る場所を護る強さがあるということ。男性が苦手なこと。ピオンを溺愛していること。花が好きで家でもたくさん育てていること。そして、人の喜びや幸福だけではなく、哀しみにすら寄り添ってくれるということ。人の痛みに寄り添う優しさがあること

 僕の為に流された涙が彼女の頬を濡らした時、僕は恋に落ちたんだ。

 そうなったらティナちゃんが愛しくて仕方がなくて、ティナちゃんが笑っているだけでとびきり幸せになれる安上がりな男に僕はなってしまった。それに真尋くんがずっと雪ちゃんを目で追っていた理由が分かってしまう日がくるとは思わなかった。あそこまで馬鹿にはならないぞと僕は思ってたんだけど、恋ってものは実に厄介で、どんなものより簡単に人を馬鹿者にするから笑ってしまう。くるくると一生懸命働いているティナちゃんを見ているだけでも楽しいんだから仕方がない。

 だってティナちゃんが可愛いのがいけないと思う。

 ローズピンクから白へと変わる腰まで伸びた長い髪は艶やかで、白い肌はもちもちスベスベしていて、ぱっちりと大きなサファイアブルーの瞳も小さくもすっと通った鼻も何をしなくてもぷるぷるの唇も、彼女が笑ったり瞬きしたりするだけで落ちる髪と同じ色の花びらも、どれをとってもティナちゃんは可愛い。小柄なティナちゃんは僕の腕の中にすっぽりと納まるし、抱き心地も抜群だし、寧ろ、可愛くないところが見当たらない。


「あれ? イチロさん?」


 ヤバイ、幻聴が聞こえて来た。そうなんだよ、ティナちゃんは声も可愛いんだ。柔らかく澄んだ声が僕の名前を呼んでくれるのはとても心地よい。


「イチロさん? あの、イチロさん?」


一生懸命僕を呼ぶ声にもしや幻聴では無いのかもと慌てて僕が顔を上げると、それは幻聴では無く現実だった。

 僕はいつの間にか、山猫亭の前に立っていて、目の前にティナちゃんとティナちゃんのスカートに抱き着くミアちゃんが居て、二人の後ろにウォルフさんとカマラさんがいた。


「どうしたんですか? 何かありましたか?」


 ティナちゃんが心配そうに首を傾げた。ふわりと花びらが落ちる。


「ちょっと散歩をしに出て来たんだよ。……ミアちゃんどうしたの?」


 ミアちゃんはティナちゃんのスカートにぎゅうとしがみついて小さな顔を押しつけている。その腕には大好きなパパにもらったウサギのぬいぐるみがあった。ティナちゃんは出かけて行った時と同じワンピース姿だけれど、ミアちゃんは真尋くんお手製のワンピースタイプのパジャマ姿でティナちゃんのと思われるカーディガンを羽織っている。

 ティナちゃんの細い手がミアちゃんの頭を慰めるようにそっと撫でた。


「ミアちゃんは八時ごろには寝ちゃったんですけど、どうも怖い夢を見ちゃったらしくて……」


「ひっく、パパぁ……っ」


 ミアちゃんのか細い声が聞こえてきた。

 怖い夢を見て、大好きなパパが恋しくなってしまったのだろう。


「お泊りはいつでもできるから帰ろうと思って……ウォルフさんとカマラさんは護衛を買って出てくれたんです」


「ティナはイチロ神父さんの大事な(つがい)だからな!」


 ウォルフさんがぶんぶんと尻尾を振りながら言った。カマラさんも隣でうんうんと頷いて尻尾を振っている。

 多分、ティナちゃんの為、ミアちゃんの為という気持ちも勿論あるだろうけれど八割は僕に褒めて欲しかったんだろう。尻尾が尋常じゃなくぶんぶんしている。

 僕が手を伸ばせば、二人は競い合うように頭を下げた。僕は左手と右手それぞれで二人の狼の耳が生える頭を撫でた。


「ありがとうございます。でも、僕が一緒に帰るので大丈夫ですよ、気持ちだけ受け取っておきます」


「イチロが一緒なら安全だな」


「そうね。ロビンくんも一緒だし」


「わん!」


 ロビンがカマラさんに飛び掛かる。カマラさんは細いけれど、そこはやっぱり冒険者であり獣人族でロビンに抱き着かれてよろめくこともなく受け止めてくれる。ロビンはカマラさんが好き、というか女性全般が大好きだ。その証拠にウォルフさんにも懐いているけれど、カマラさんとは撫でられている時の尻尾の動きが全く違う。そこはしっかり雄なのだ。

 僕はそんなロビンに苦笑を一つ零してしゃがみ込み、ティナちゃんのスカートにくっついたままのミアちゃんに声を掛ける。


「ミアちゃん、僕と一緒にパパのところに帰ろ」


 おいで、と腕を広げればミアちゃんが顔を上げる。可愛らしい顔は涙に濡れていて、僕を見つけた珊瑚色の瞳が大粒の涙を零した。


「……パパぁっ」


 何をどうしてもパパがいいんだなあ、と思いながら抱き着いて来たミアちゃんをひょいと抱き上げて立ち上がる。ウサギのぬいぐるみは、僕とミアちゃんの間に収まった。


「ウォルフさん、カマラさん、ありがとうございます。ゆっくり休んで、またクエスト頑張ってくださいね」


「はい! イチロ神父さんもおやすみ!」


「おやすみなさい、イチロ神父さん」


 嬉しそうに頷いた二人は、尻尾と手を振りながら、孤児院のほうに入って行った。群れを成す習性のある狼の血を引く獣人族である彼らは、賑やかな集団生活を好む傾向にあり、孤児院でもうまくやってくれているようで、ソニアさんも「よく面倒を見てくれて助かるんだよ」と言っていた。


「ティナちゃんはどうする?」


「私も帰ると言ってしまったので、今日は帰ります」


「いいの?」


「はい。お泊りはいつでもできますから」


「なら、帰ろうか」


 ミアちゃんを抱えなおして僕は言った。はい、と頷いたティナちゃんが隣を歩き出し、ロビンはティナちゃんにぴったりと寄り添うように歩き出した。ロビンが僕の次に大好きなのがティナちゃんで、その次に好きなのがクイリーンさんだ。ロビンは巨乳の美人が兎にも角にも好きなのだ。

 僕は呪文を唱えて、光の玉を三つほど宙に浮かべて僕とティナちゃんの足元を照らす。


「ピオンとプリムは?」


「こっちで寝てます」


 ティナちゃんが肩に掛けていた布製のバックに視線を向けた。確かに大きく膨らんでいて僕の声に気付いたのか二匹が顔を出す。ピオンも最近は人見知りは相変わらずだが僕だけじゃなく、一緒に住んでいる真尋くんたちにも懐き始めた。プリムはまだ人が怖いらしくて、僕とローサちゃんとティナちゃんの先輩のクイリーンさんにしか懐いていない。

 二匹は鞄からぴょんと飛び出し、ロビンの背中に着地した。てててっと走って頭の上に並んで座る。この二匹にとってロビンの頭の上は特等席らしい。


「ロビンくん、重くない?」


 ティナちゃんの問いかけにロビンは、大丈夫、と言いたげに尻尾を振った。わん、と吼えると二匹がびっくりしてしまうのを賢いロビンはちゃんとわかっているのだ。ティナは、ありがとう、と笑ってロビンの背中を撫でた。


「……ふぇっ、うっ、パパぁ」


 耳元で聞こえてきた涙交じりの声に僕は、ミアちゃんの背中をあやすように撫でる。


「パパはお家にいるから大丈夫、すぐに会えるよ」


「ほ、んと?」


「本当だよ」


「パパに会えたら怖いのだってすぐにどっかに飛んで行っちゃうわ」

 

 ティナちゃんがミアちゃんの顔を覗き込みながら言った。取り出した花柄のハンカチでティナちゃんがミアちゃんの涙を拭う。ミアちゃんは、ティナちゃんの手を捕まえるとぎゅうと握りしめて離さなくなった。

 そんなに怖い夢だったんだろうか、と僕は心配になって小さな背中をとんとんとあやすように撫でる。ティナちゃんも捕まってしまった手を取り返すことはせず、少し歩きづらそうにしながらもミアちゃんのしたいようにさせていた。ロビンたちも心配そうにこちらを見ている。

 いつもはティナちゃんに合わせてのんびり歩くけど、今日は少しだけ早足で家を目指した。耳元で漏れ聞こえる小さな嗚咽がなんだかとても可哀想で早く真尋くんの腕の中で安心させてあげたかった。


「ティナちゃん、ちょっと歩くの早くてごめんね」


「大丈夫ですよ。ミアちゃん、早くパパのところに行きたいもんね」


 ティナちゃんが優しくミアちゃんに笑いかける。

 好きだな、と息をするようにそんなことを思ってしまう。


「ほらミアちゃん、お屋敷が見え……あ、ほら、パパがいるよ」


 屋敷の門の前に人影があって、こちらに気付いて駆け寄って来たのは案の定、真尋くんだった。


「パパぁ!」


 ミアちゃんが真尋くんに気付いて、小さな手を伸ばす。急に勢いよく真尋くんに腕を伸ばしたから危うく落っこちそうになった。でもそこは真尋くんがしっかりと受け止めて事なきを得る。ミアちゃんが居なくなった僕の腕には、ウサギのぬいぐるみだけが残った。ミアちゃんと同じ寝間着を着ているのに今気づいた。


「パ、パパぁ、ぇぐっ、ふっ、ふぇぇええ!」


 パパの腕の中で安心したのか、ミアちゃんが声を上げて泣き始めた。


「どうしたんだ、ミア」


真尋くんはミアちゃんの髪にキスを落として、よしよしとその背を大きな手で撫でてあやす。


「真尋くん、何で外にいるの?」


「ミアが山猫亭の外に出たから小鳥が反応したんだ。迎えに行こうと思ったがお前がいたからここで待っていた」


 僕は、成程、と頷く。


「ティナもすまなかったな」


「大丈夫です、ローサたちとはいつでも会えますから。それよりミアちゃん、何だか怖い夢を見てしまったみたいで、酷く魘されていたから起こしたんですけど、それから泣き止まなくなっちゃって」


「……そうか」


 真尋くんはミアちゃんの涙の理由がすとんと腑に落ちたようだった。


「ほらもう家の中に入りなよ、ミアちゃんが風邪引いたら困るでしょ?」


「いや、少し庭を歩いてからにする。寝付けない時はいつもそうしているんだ」


 そう言って真尋くんは、ミアちゃんを片腕で抱えなおすとアイテムボックスから取り出した上着でミアちゃんを包み込んで、大事そうに抱えなおした。ミアちゃんは、もう声を上げて泣いてはいないが、まだぐすぐすと鼻を啜っていた。


「はい、ミアちゃんのラビちゃん」


 僕の腕に残っていたそれを渡すと真尋くんは、ウサギをアイテムボックスにしまった。


「一路、ティナ、本当にありがとう。おやすみ」


 真尋くんは、もう一度、僕たちにお礼を言うと庭の方へと歩き出し、アーチを潜って奥の方へと歩いて行った。


「マヒロ神父さんがいれば、ミアちゃんは大丈夫ですよね?」


 心配そうに僕の方を振り返ったティナちゃんに僕は、勿論、と笑顔と共に頷いて返した。


「大好きなパパがいれば、怖い夢なんてすぐにどっか行っちゃうよ」


 僕の言葉に、そうですよね、とティナちゃんはほっとしたように表情を緩めて笑った。するとひらひらと花びらが落ちる。


「ねえ、ティナちゃん、もう遅いけど……寝る前に少しだけ僕とデートしてくれる?」


 ぱちりと目を瞬かせたティナちゃんはすぐに、はい、とはにかんだように笑ってくれた。花が咲くみたいに可愛い笑顔に自然と僕も笑顔になる。

 ティナちゃんの手を取り、僕は屋敷に向かって歩き出す。僕の手よりずっと小さくて細い手が握り返してくれることが、途方もないくらいの幸せを僕に与えてくれている。

 噴水の音が静かに響く庭をのんびりと歩いて行く。

 ルーカスさんたちの素晴らしい技術で整えられた庭は、ここを買ったばかりの頃とは見違えるように綺麗になっている。まだまだ植物たちは成長の途中で完成された美は無いけれど、こうして夜に恋人とのんびり歩いて楽しむにも、眠れぬ我が子をあやすために歩くには十分なほどだった。

ロビンとピオンとプリムは、月光の降る庭を楽しそうに駆けまわっている。


「春が楽しみですね、きっと薔薇園は素敵な場所になるに違いありません」


 ティナちゃんが庭の奥のほうを見ながら言った。

 広い庭は幾つかのエリアに分けられていて、その一つは薔薇園になっている。真尋くんの要望にルーカスさんが応えてくれたものだ。真尋くん自身が園芸市場で買い付けたり、ルーカスさんに頼んで探してきてもらったりした様々な種類の薔薇が植えられている。

薔薇は、雪ちゃんの好きな花だ。真尋くんは、しょっちゅう愛の代名詞でもあるその花を雪ちゃんに贈っていた。実は僕もこっそりティナちゃんの髪色と同じ薔薇を園芸市場で見つけたのでルーカスさんに頼んで植えてもらった。春になれば、中心がローズピンクで外へ行くにつれて白へと変わる愛らしい薔薇が咲く予定だ。

 僕の行く先が分かったのか、ロビンが駆け出して温室のガラスのドアの前にお座りする。前に体当たりしてガラスをぶち破り、僕とブランカに怒られたからだ。幸い、小さな切り傷で済んだから良かったけどあれは心臓に悪かった。

 僕はポケットから鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。ガチャリと音を立てて鍵が外れて、蝶番に油を差したばかりのガラスのドアは音も無く滑らかに開いた。







 清らかな水と澄んだ空気が溢れる温室は、月光が差し込む夜はより一層、その清浄さを増している。思いっきり息を吸うと体が内側から綺麗になるような気がするのだ。


「プリム、ピオン、食べちゃだめよ?」


 僕の手を離したティナちゃんがそう言いながら二匹のブレットを追いかけて行き、肩に掛けていた鞄を小さな丸テーブルの上に置く。僕は離れてしまった手に一抹の寂しさを感じながら、いくつかの光の玉を温室の中にランプがわりに浮かべた。

 月の光を邪魔することなく、淡く輝く光の玉が温室を淡く照らしている。木々の葉が生い茂ったところは暗く、レンガの水路では小さな魔魚が鱗を月光に輝かせていた。

 この温室の管理人は、僕とティナちゃんだ。時折、ルーカスさんを頼ることもあるが基本的には二人でしていた。

妖精族のギフトスキルである樹木言語をもつティナちゃんは、植物の言葉を聞いて必要なものを教えてくれる。ティナちゃんが言うには、木に比べると草花の言葉は拙くて感情を読み取っているといった方が近いらしい。逆に樹木は、年月を重ねれば重ねるだけしっかりとした言葉を持ち、数百年もすると人と人とがするようなコミュニケーションが取れるのだそうだ。残念ながらこの屋敷にはそんなに長生きしている木は無い。

 でも、ここに植わっている植物はほとんどが貴重で珍しいものらしい。ナルキーサスさんが「薬師にとってはお宝の山だ」と言っていた。ルーカスさんも「庭師にとっても宝の山だ」と言っていた。泉の魔石といい、前の住人はこの温室にかなりのお金をかけて大切にしていたのだろう。

 温室には、ここでゆっくり過ごすための小さな丸テーブルと椅子のセットの他に僕が使うための調合台と薬の調合に使う様々な器具が置かれている。ガラス製のものから木製、鉄製のものまである。試験間やビーカー、フラスコという地球にもあったような器具もある。欲しいと思ったものは、真尋くんに頼めば図案を書いてくれる。それを職人さんのところに持ち込めば大抵の器具は作ってもらえるのだ。

 僕は、今、精油、所謂アロマオイルを売り出そうと思って研究している。その為に必要な器具も真尋くんと職人さんに協力してもらい、先日完成した。

 僕が一番作ってみたいのは、ティナちゃんの花びらから作る精油だけれど、まずは経験値を積むために薔薇やオレンジなど、手に入りやすい材料で練習中だ。

真尋くんはありとあらゆる知識を頭に詰め込んであるので、その彼から僕は精油の使い方を教わり、それを纏めて女性向けの可愛らしい冊子を作った。精油の取り扱いについては注意点が案外多いのだ。そうして出来上がった精油は、ティナちゃんを始めとした知り合いの女性たちに試してもらっているが評判は様々で概ね好評なのだがソニアさんやローサちゃんを始めとした嗅覚の鋭い獣人族の女性には匂いの強いものは不評だ。エルフ族や妖精族の女性には大好評でティナちゃんの先輩であるクイリーンさんは「この花でやってみて」「この葉っぱで」と素材を持ち込んで来てくれる。精油をかなり気に入ってくれたらしい。

不思議なのは、地球にあった植物と似た植物が多々あることだ。薔薇もその一つと言えるし、野菜なんかも多い。勿論、見たことも無いような花や地球上にはないであろう植物も多く存在している。

 先日、ロボたちの散歩に行ったついでに採集したハポン草は、この国の石鹸の原料だ。僕らの居た世界では苛性ソーダや石灰なんかを使うけど、この世界はハポン草を絞って採取した液を使う。このハポン草は直径五センチほどの茎を持ち、単子葉類特有の細長い葉を持っている。生えている姿はトウモロコシに似ているけど、天辺に咲くのはルピナスに似た紫や青の花だ。その茎を細かく切って絞ると透明でさらさらした液が出て来る。それを熱するととろみをもち、片に入れて固めて乾燥させると石鹸になるのだ。半透明のそれは僅かに甘い匂いがする程度だが泡立ちも良くて気持ちが良い。精油が好評なので、この石鹸に精油とドライフラワー、ハーブティーなんかを入れて、木を彫って作ってもらった薔薇やマーガレットなんかの形に入れて石鹸を作った。これは兎にも角にも大好評だった。ちなみに普通なら結構な時間を要する乾燥も真尋くんが小型の乾燥機を作ってくれたので時間は大幅に節約が出来る。もう少し安定した量を作れるようになったらクロードさんに相談して販売をしようと思っている。

 僕も真尋くんもティーンクトゥスさんに貰った莫大な財産があるし、騎士団の仕事に関してもお給料をもらっているので生活に困ることは百年単位で無いとは思うが財産は増やしておくに越したことはない。


「イチロさん、見て下さい、ルアールベルが咲いています」


 はしゃぐティナちゃんの声にそちらに近付いて行く。真ん中の段に植えられた薄灰色の葉の植物が花を咲かせていた。

 その名の通り(ベル)の形をした純白の花は、淡い水色の光をその花の中に宿していて薄闇の中で花が仄かに輝いている。花の大きさは、三センチほどでひっくり返せば、花芯が淡い光を帯びていた。


「これは雌花で、こっちの細いのが雄花なんです。雄花は、この光を頼りに花粉を飛ばすんですよ」


 ティナちゃんは、雌花の横から伸びる細長い蔓のような花を指差した。


「そして冬に小さな青色の実がとれるんです」


「確か薬の材料になるんだよね」


「はい。月光に一週間ほど当てて乾燥させると綺麗な銀色になって、鎮静薬とか睡眠薬の材料になるってパパは言ってましたけど」


 そっと花を元に戻す。

 よく見てみれば、まだいくつも細長い葉の中に蕾が潜んでいた。蕾も光っているが開花したものに比べれば、まだまだおぼろげで弱い光だった。

 鼻先を近づければ清らかに澄んだ甘い香りがする。


「良い匂い。見た目にぴったりの匂いだね」


「そうなんですか?」


 ティナちゃんが屈みこんで花に鼻先を近付けた。いきなり近くなった距離に僕は少し驚いてしまう。だって、ティナちゃんが振り返ったらキスが出来てしまう距離だ。


「本当です、他のお花とは違ったにお、い……」


 ティナちゃんが顔を上げてしまった。僕を振り返ったティナちゃんの顔は吐息が触れ合うような近さで、そのサファイアブルーの大きな瞳に僕の顔が映っていた。

 まるで時間が止まってしまったみたいに僕は動けなくて、ティナちゃんも動かなくて、でも、見つめ合っていたのなんてほんの僅かな時間なんだろうけれど、僕にはそれが何十分にも何時間にも思えた。無意識の内にティナちゃんの頬を包み込むように手が伸びる。髪の隙間から覗く妖精族らしく少しだけ尖った耳を指の腹で撫でた。白い頬が瞬く間に赤く色づいて、ティナちゃんから落ちる花弁も色を濃くして、流れる水の中に溶けるように消えていく。


「……ティナ」


 自分で思うよりもずっと低くて掠れたような声が彼女の名前を呼ぶのが他人事みたいだった。

 頬に沿えた手に自然と力が籠もって、ティナちゃんを引き寄せる。


「……ゃ」


けれど、きっと無意識の内に後ずさったティナちゃんが段差を踏み外してバランスを崩す。


「危ない!」


 僕は咄嗟にティナちゃんの腕を掴んだけれど、僕の足も花壇を踏み外して二人一緒に落ちて行く。ティナちゃんだけは、と思って彼女を抱き締めて受け身も取り損ねた僕は背中から床に落ちた。ドスン、と結構な音がして息が詰まる。


「イ、イチロさんっ、ご、ごめんなさっ」


 慌ててティナちゃんが起き上がり、僕の上から降りて横に座り込んだ。ティナちゃんの顔は真っ青で今にも泣き出してしまいそうだった。

 僕は、痛みにちょっと顔を顰めながらも体を起こす。


「大丈夫だよ、高いところから落ちた訳じゃないもん。それより怪我はない?」


「は、はい。そ、それより、イチロさんが……っ、ごめんなさい、わたし……っ」


「ティナちゃんが怖がるのを知ってて、あんなことした僕が悪いんだよ。大丈夫、ちょっと背中をぶつけただけだし」


 ロビンがやってきて心配そうに、僕の顔を覗き込んでくる。そんな彼の首をよしよしと撫でて、彼の頭の上にいたピオンとプリムの頭も撫でた。


「本当は格好良く受け止められたらよかったのに情けないねぇ、僕ってば。サボッてばっかりいないで僕も鍛錬頑張ろうかな」


 ははっと苦笑を零して髪を掻く。

 打ち付けた背中より、何でかじくじくと胸のほうが痛かった。好きな人に拒絶されるのは、思いの外、きつい。

 真尋くんにはああ言われたけれど、踏み込むことが途方も無く怖かった。きっと間違いなく今がその時だということは僕にだって分かる。でも、嫌われてしまったら、彼女の特別が僕ではなくなってしまったら、女々しい僕は息も出来なくなりそうで、臆病な僕はたった一歩が踏み込めない。


「暗くて危ないから、もう寝ようか。僕、そういえばシャワーがまだだから先に……」


 ほんの少しの嘘を混ぜ込んだ言葉は、最後まで紡ぐことは出来なかった。

 だって、ティナちゃんの二つの大きな瞳からぽろぽろと涙が零れてしまったのだ。青白い頬を透明なそれが幾筋も伝って落ちていく。


「テ、ティナちゃん? 僕、本当に大丈夫だよ?」


 ティナちゃんは首を横に振って両手で顔を覆ってしまった。

 ロビンたちもオロオロし始めて、ティナちゃんの膝の上に降りたピオンが心配そうに大好きなティナちゃんの顔を覗き込む。はらはらと落ちる花弁は心なしか色が薄くなって、儚く消えていく。


「怖がらせちゃったね、ごめん。もうしないよ、絶対にしないから、本当にごめん。君が嫌なら、触れることもしないから、本当にごめんね」


 僕は最低だ、と今更の後悔に襲われる。ティナちゃんは、怖い思いをしたとはっきり言っていたのに、ティナちゃんがどんな目に遭ったのかは分からなかったけれど、それでも怖いという感覚は今も尚残り続けているのだから、余程、怖い思いをしたに違いない。

 本当は抱きしめたいのに、これ以上、彼女を怖がらせたくなくて、そして、拒絶されることには耐えきれそうにもなくて意気地のない僕の両手は何とも無様に宙を彷徨っている。

 ねえ、真尋くん。恋愛の先輩として教えてよ。この世で一番大事な人を泣かせてしまったら、どうしたら良いの。抱き締めることもできないのに、言葉に何の意味も持たせられないのに、僕に何が出来るの。僕は何をすればいいの。


「ティナちゃん、本当に……本当に、ごめ……」


 俯いたティナちゃんから伸びてきた白く華奢な手が僕のシャツを掴んだ。


「……き……な……いでっ」


「え……?」


 何かをティナちゃんが囁いたというのに僕は聞き逃してしまった。今度は聞き漏らすまいと身を屈めて、その唇に顔を近づけようと思ったらティナちゃんの体がふわりと僕の胸に倒れ込んで来た。


「テ、ティナちゃん!?」


 気絶でもしてしまったのかと一瞬焦ったけれどティナちゃんの手は僕のシャツをぎゅうぎゅうときつく握りしめたままで、抱き締めて良いのか触れて良いのかも分からなくて僕の両手は再び宙を彷徨う。ティナちゃんの膝から逃げ出したピオンがロビンの頭の上に戻っていく。


「……嫌いに、ならないでっ」


 今度こそはっきりと涙交じりに告げられた言葉に僕は、一瞬、頭の中が真っ白になって、でもすぐにティナちゃんをぎゅうと抱き締めた。ティナちゃんの華奢な体は僕の腕の中で微かに震えていた。

 ああ、同じだったんだ。僕が彼女に嫌われることが怖いと思っていたように、彼女もまた僕に嫌われることを恐れていてくれたんだ。


「嫌いになんかなる訳ないよ、君は僕の特別だもん。だから、泣かないで、大丈夫だよ」


 僕に嫌われたくないと泣いてくれているのなら、僕は勇気を出さなければいけないんだろう。やっぱり、真尋くん(先輩)の言葉は正しかったのだ。

 僕は、嫌いにならないで、ともう一度、囁くように告げたティナちゃんを抱き締めて、少しだけ深呼吸をしてから口を開いた。


「あのね、ティナちゃん。僕のお話、聞いてくれる?」







――――――――――

ここまで読んで下さった、ありがとうございます!

いつも閲覧、評価、ブクマ登録、励みにさせて頂いておりますっ!


次回はティナちゃん視点です♪


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです!


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